幸運の花嫁 〜厄介払いの結婚で最強式神使いの溺愛がはじまりました〜

 あの料亭ではじめて琥珀を見た時、慧は哀れな娘だと思った。

 慧は貴族同士の交流をほとんどしないが、侍従である宗一郎が社交的であるため、薄墨家の噂については聞き及んでいた。
 景昭は出世に必死であり、家でわがまま放題をする妻と娘を放置し、亡くなった前妻の娘である琥珀はいびられ続けているという噂だ。

 式神の強さが重視される貴族の世界で、琥珀が式神を召喚できなかったというのも有名な話だ。
 やはり一般人の血が混ざってしまったからだと景昭を見下すような声も聞いたことがある。
 出世欲の強い景昭から琥珀が冷遇されるのもうなずけたが、出会った時の琥珀の袖から白い包帯が覗いている姿は見ていて痛々しく、気分はよくなかった。
 遅刻の理由も琥珀のせいにされていたが、大方雛子と亜琥がわがままを言った結果だろうということは察しが付いていた。

 琥珀に伝えたとおり、見合いや紹介などの面倒事を避けるために結婚をしたという側面は確かにある。
 だが、本当の理由は雨の中で道に捨てられた子猫を見つけたような気分で、琥珀とは結婚をした。
 慧が琥珀を愛する気はないが、薄墨家にいるよりは我が家に来た方が琥珀も幾分か幸せなのではないかという勝手な考えによる結婚だ。

 琥珀がこの家で本当に幸せに過ごしているかということに心を割くつもりもなく、自由に家で猫を放し飼いにしているような気分だったのだが、どうにもそのままではいかないらしい。
 慧は仕事に集中したいというのに、最近宗一郎と千鶴がうるさくて仕方がないのだ。

「慧さま! 琥珀さまは今日もと~ってもがんばっておられましたよ!」
「そういえば、庭の花の植え替えも手伝っていただけたと庭師も喜んでおりましたな。土仕事も嫌がらずやってくださる姿に庭師も感動しておりました」
「そのお庭のお花も琥珀さまが自ら考えて選んでくださったんですよ。季節のお花を本を読んでお勉強されて、ご自分から庭師に提案してくださったんです」
「日頃お忙しくされている慧さまの心を少しでもお庭が癒やせるならともおっしゃっていたそうで……。本当に健気でいい奥方をもらいましたなあ」
「……ああ」

 親子仲がいいのはたいへんいいことではあるが、人が仕事をしている書斎でキャッキャと話されるのはうるさくて敵わない。

 大抵の人間は慧のひと睨みや冷たい対応におののいて尻尾を巻いて去って行くのだが、岩倉家は代々緋彩家に仕えている家系であり、宗一郎は慧が産まれた時からおり、千鶴は子どもの頃から緋彩家を出入りしているため、慧に対しても遠慮がない。

 琥珀には内緒だと言って、彼女の体が傷跡だらけであることを報告しに来た時も、千鶴は「誰がやったのか見つけ出して捕まえるべきですよ! 琥珀さまがかわいそうすぎます!」と涙ながらに訴えてきて困った。
 町中で暴力事件が発生すれば軍として対応もできるが、恐らく琥珀の場合は家の中で暴力を振るわれており、しかもその傷は過去のものだ。
 現行犯でもない家庭内の事件に口出しはできないと何度言っても千鶴はなかなか納得せず、「やっぱり慧さまは冷たいです! 周りのみなさんに誤解されても仕方のない冷たさですよ! よくないです!」とぷりぷり怒って、説得に時間を取らされた。

 宗一郎からも(いさ)められて、千鶴は薄墨家の罪を明らかにすることは諦めたようだが、今度は慧に琥珀がいかにいい妻であるかを遠回しに主張してくるようになった。
 (たち)の悪いことにこれには宗一郎も協力しているようで、ほぼ毎日こうして書斎で『今日の琥珀のがんばっていたこと』を親子で連携して報告されるのだからうんざりする。

(俺はただ緋彩家当主として、軍人としての仕事を全うしたいだけなんだがな)

 琥珀が苗を植えたのはあの辺りだと楽しげに話をしながら、書斎の窓から庭を見下ろす岩倉親子を無視して仕事をしていると、ドアを控えめに叩く音が聞こえる。
 「入れ」といつも通りに冷淡に返事をすると、恐る恐るといった様子でドアが開き、ドアの隙間から身を滑らせるように琥珀が入ってきた。

「慧さま、お忙しいところ失礼します。今少しだけお時間よろしいでしょうか?」
「ああ」

 日々書類仕事に忙殺されている身ではあるが、妻の話ひとつ聞けないほど多忙を極めている訳ではない。
 書類に視線を落としながらもうなずくと、視界の端で宗一郎と千鶴がこそこそと部屋を出て行くところが見えた。

 あの親子はよっぽど琥珀のことが気に入ったらしい。
 妙な気の遣われ方に呆れつつ「なにか?」と話を促すと、琥珀は一冊の帳簿を手に歩み寄ってきた。

「実は千鶴に教えてもらって予算管理を覚えているところなんです。今月の予算の割り当てをはじめて一人で考えてみましたので、一応家長である慧さまにご確認いただいた方がよろしいかと」
「千鶴には確認してもらったのか?」
「はい。慧さまにお見せする前に千鶴に一度見て欲しいとお願いして問題ないとは言われているんですが……」

 おずおずと言ってくる琥珀には、金も自由に遣っていいと言ってある。
 計算が得意な千鶴が教えているのであれば慧が口出しをするようなことはない気がしたが、琥珀の日々の努力を報告されていたせいか、琥珀の努力を実際に見てみたくなった。

「……帳簿を」
「はい」

 慧が書類を置いて手を差し出すと、琥珀はパッと表情を明るくして近付いてくる。
 受け取った帳簿には琥珀の几帳面そうな小さい字がていねいに並んでいた。

「庭の花への予算を増やしたのか」
「はい。庭師から慧さまがお疲れになられるとお庭を散歩すると窺ったので、今でも十分にすてきなお庭ですが、もっとお金をかけてもいいのかなと」
「そういえば、庭師の手伝いまでしていると聞いたが」
「少しですが、お花の植え替えを手伝わせていただきました。お邪魔になっていなければよいのですが……」
「邪魔だと思っているなら体よくあしらわれて帰らされているだろう。だが、庭仕事は手も汚れる。わざわざ手伝わなくてもよかったんじゃないか?」

 言ってから、言葉選びを間違ったと感じる。
 琥珀は慧の妻である以上、この家の女主人でもある。
 立場のある琥珀がわざわざ汚れる仕事をやらずともいいだろうにという意味で言ったのだが、これでは叱りつけているかのようだ。

 怯えさせたかと琥珀を見やると、目が合った琥珀は柔らかく目を細めて嬉しそうに微笑んだ。

「ご心配いただき、ありがとうございます。でも、楽しくお手伝いをさせていただきましたから、大丈夫です」
「……そうか。なら、いい」

 琥珀は家で酷い扱いを受けてきたからだろうか。
 慧に対して緊張している様子はあるものの極端に怯えた様子は見せない。

 式神の朱雀を引き連れて妖怪を一瞬にして葬り去る姿や、面倒で配慮を怠っている言動から恐れられることの多い慧にとっては琥珀の態度は意外なものだった。

「庭の花々には癒やしをもらっている。ありがとう」

 強い式神を持ち、権力のある家に生まれた者としての務めは果たさなければならないが、できることなら面倒事は避けたい。
 生粋の面倒くさがりである慧は、人への配慮や気遣いも面倒に感じていた。
 だが、琥珀はそんな慧にも心を割いてくれている。
 面倒くさがらず、誰かに素直に感謝を伝えたいと思ったのは初めてのことだった。

 目を見つめながら言うと、琥珀はぱちりと大きな澄んだ目を瞬かせてはにかんだ様子で「はい」とうなずく。

 いい奥方をもらったと、しきりに千鶴と宗一郎が言う意味を慧は理解した気がした。

「予算管理については問題ない。このまま進めてもらって構わない。何か迷ったら千鶴に相談するといい」
「はい。あの、差し出がましいとは思ったのですが、もう一つお渡ししたい物があるのです。受け取っていただけますでしょうか?」
「なんだ?」

 遠慮がちに聞いてくる琥珀に帳簿を返しながら尋ねる。
 琥珀が袂から取り出したのは小さな紙袋だった。