「失礼ですが、なんだか薄墨家って暗いですね~。私ちょっぴり緊張しちゃいましたよ」
「あはは……、明るい家ではないかもしれないですね」
玄関で薄墨家には不似合いな挨拶をした千鶴に対して景昭がよそ行きの笑顔で形式張った挨拶をし、冷めた目の家族に見送られて琥珀は千鶴と共に緋彩家の馬車に乗り込んだ。
馬車の中で向き合って座った千鶴は明るくさっぱりとした人柄のようで、ぺらぺらとよく喋る。
かかわったことのない人種である千鶴に琥珀は圧倒されていたが、千鶴は気にする様子もない。
「私が琥珀さまをお迎えに来たのは、慧さまに琥珀さま付きの侍女になるように言われたからなんですよ! 琥珀さまが嫌がるようなら侍女を変えることもできると言われてしまっているんですが、今のところは大丈夫そうですかね……?」
「嫌だなんて。私はそんなこと言える立場ではありません」
「そんなことないですよー! 嫌なことは遠慮なく嫌だって言ってくださいね。私が嫌だって言われたら、そりゃ悲しいですけどね? あ、敬語はおやめください。私は琥珀さまの侍女なんですから!」
「ふふ。わかったわ」
しょんぼりしたり、にっこり笑ったりと千鶴はコロコロと表情を変える。
見たところ亜琥と同い年くらいのように見えるが、亜琥にはない天真爛漫な雰囲気が琥珀は嫌いではなかった。
「えへへ、私、ずっと女中のお仕事をしていたので侍女になるのは憧れだったんです。岩倉家は代々緋彩家にお仕えしていて、父は慧さまの侍従を任されているんですよ」
「もしかして見合いの場にもいらしていた方かしら?」
「そうですそうです!」
料亭の渡り廊下で琥珀に会釈をしてくれた男性を思い出す。
冷たい雰囲気の慧の隣にいたからか、対称的な柔らかい雰囲気を持った人物に見えた。
「父から、琥珀さんがどんな人だったか伺って、私とても今日を楽しみにしていたんですよ」
「……お父さまは、私のことをなんておっしゃっていたの?」
琥珀はあの見合いには遅刻している上に、雛子の嘘で不名誉な紹介を受けている。
とんでもない女だと言われていたらどうしようかと思っていたが、千鶴は笑顔のまま言った。
「とてもお美しい方だと聞きました。静謐な美しさをお持ちの方だと聞いていたので、薄墨家に着いてひと目見た瞬間にわかりましたよ。他の女性陣はみんな派手派手でしたもん」
「そんな風におっしゃっていただけていたのね」
あんな出会い方をしてしまったのに、好意的な紹介の仕方をしてくれていた千鶴の父には感謝しかない。
冷酷という噂のある当主のいる緋彩家は冷え冷えとした場所なのかと想像していたが、千鶴を見る限りそうではないのかもしれない。
期待を膨らませつつ馬車に揺られていると、しばらくして馬車は緋彩邸に到着する。
車寄せにまで来てくれていた使用人達に出迎えられ、軽く挨拶をしてから琥珀は千鶴と共に屋敷の玄関へと向かった。
薄墨家よりも広い敷地を持つ緋彩家の庭は、広々としていてよく整えられている。
季節の花が見事に咲き誇る庭の美しさに目を細めていた琥珀は、ふと足を止めた。
(この景色、どこかで……)
石を積んで作られた花壇に、手入れの行き届いた花が見事に咲いているこの景色を琥珀はどこかで見たことがあった。
記憶をさかのぼって思い至る。
(慧さまとの見合いを決めたときに見えた場所だわ)
亜琥の代わりに慧との見合いに行くか迷っていたときに一瞬見えたセピア色の風景。
琥珀が誰かに横抱きに抱えられていた場所がここだ。
今まで通り、突然見えた光景や予感が未来を示しているのなら、琥珀はいつかここであんなに幸せそうな表情を浮かべることになるのだろうか。
(でも、誰に抱かれて? 慧さまが私に好意があるとは思えないし……。まさか、不倫なんてことはないわよね?)
景昭が不倫をしていたこともあり、琥珀は不倫に強い嫌悪感がある。
そんな未来はないと信じたいが、慧に抱かれて琥珀が幸せを感じるとは思えない。
しばし琥珀が悩んでいると、隣で立ち止まってくれていた千鶴が首を傾げた。
「お花がそんなに気になりますか〜? なにか珍しいお花でもありましたかね?」
「あ、いえ。すみません。行きましょう」
未来のことは今考えても仕方がない。
気持ちを切り替えて歩きはじめると、千鶴は屋敷の中を順に案内してくれた。
緋彩家の屋敷は伝統的な木造建築ではあるが、海外の文化を取り入れた今の暮らしに馴染むようにほとんどが板の間に改修されていた。
琥珀が暮らすことになる部屋も同様に板の間であり、きれいに整えられたベッドも置かれている。
個室が与えられているということは、慧は琥珀と共に眠るつもりはないらしい。
実は少し緊張していた琥珀は、千鶴にバレないようにひっそりと安堵の息を漏らした。
二階建ての広い屋敷は二階部分が緋彩家の人間が使う寝室や食堂、書斎であり、一階部分が使用人の住居や台所、客間の造りになっているらしい。
主要な部屋をかんたんに案内した千鶴は苦笑いを浮かべた。
「とはいっても、緋彩家の方は、今は慧さまと琥珀さましかいらっしゃらないんですけどね」
「慧さまのご両親はご病気で早くに亡くなられたのよね?」
「そうなんです。使用人も薄墨家のようにたくさんはいないので、困ったらいつでも私を呼んでくださいね! すぐに駆けつけますから!」
胸を張って誇らしげにする千鶴に「ありがとう」と微笑みながら廊下を歩いていると、台所から男が二人話をしながら出てくる。
そのうちの一人は、見合いのときに慧の傍らにいた侍従だと気が付いた。
「これは琥珀さま! お出迎えに行けずにたいへん失礼いたしました」
「いえ、とんでもないです」
侍従の男性が頭を下げるのに琥珀は慌てて恐縮する。
隣の同年代の男は台所で働いているのだろう。着けていた前掛けを取って、琥珀に一礼した。
「紹介しますね! こちらが父の岩倉宗一郎。こちらが料理長の平井です!」
「娘もおりますので、私のことはぜひ宗一郎とお呼びください」
「……平井です。よろしくお願いします」
千鶴の父親らしくハキハキと挨拶をしてくれた宗一郎に対して、平井は小さな声でぽそりと挨拶をする。
正反対な二人ではあるが、歓迎されていることを感じた琥珀も微笑んでお辞儀をした。
「琥珀です。慧さまの妻として、できることはなんでもがんばりたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「そうおっしゃっていただけると、私としても頼もしい限りです。早速で申し訳ないのですが、まずは慧さまにご挨拶に行っていただけますでしょうか? 本来琥珀さまをお出迎えすべきだとお伝えはしたのですが、お仕事を優先されてしまわれたので……」
「もちろんです」
宗一郎は申し訳なさそうに言うが、琥珀は慧が出迎えに来なかったことについては気にしてもいなかった。
そもそも慧がなぜ琥珀との結婚を決めたのかもよくわからないが、好かれているわけではないことくらいはわかっている。
出迎えを期待してもいなかったため、琥珀の方から挨拶に行かなければならないとは思っていた。
「慧さまは書斎でお仕事をされておられます。千鶴。琥珀さまをご案内してくれるかな?」
「はい! 琥珀さま、こちらですよ」
笑顔で先導してくれる千鶴と宗一郎の親子関係も良好のようだ。
この屋敷は人は少ないが薄墨家よりずっとあたたかい雰囲気がある。
(慧さまも想像しているより怖い人じゃないのかも)
淡い期待を抱いて千鶴について行くと、二階のある一室の前で千鶴は足を止めてこちらを振り返る。
「こちらが慧さまの書斎です。ご夫婦のお話もあるかと思いますので、私はここで一旦失礼しますね!」
「いろいろとありがとうね、千鶴」
「琥珀さま。あの……」
さっきまでにこにことしていた千鶴が、突然表情を曇らせる。
「慧さまは、悪い人ではないんです。誤解されやすい方なだけなので、その……、えっと、がんばってくださいね!」
「え、ええ。がんばるわ」
手をぐっと握って琥珀を応援してくれた千鶴が去って行くのを見送って、琥珀は一気に緊張感を抱く。
千鶴がわざわざああ言うということは、慧はやはり恐ろしい人なのか。
(ともかく、ご挨拶はしなくちゃ)
緊張を抱えたまま、琥珀は目の前のドアを叩く。
中から聞こえた「入れ」という短い返事に「失礼します」と答えてドアを開ける。
壁を書棚で囲まれた書斎の中心には重厚感を感じさせる暗色の一枚板でできた書斎机が置いてある。
その机に就いて書類仕事をしていた慧は、琥珀を冷たい眼差しで見据えた。
「あはは……、明るい家ではないかもしれないですね」
玄関で薄墨家には不似合いな挨拶をした千鶴に対して景昭がよそ行きの笑顔で形式張った挨拶をし、冷めた目の家族に見送られて琥珀は千鶴と共に緋彩家の馬車に乗り込んだ。
馬車の中で向き合って座った千鶴は明るくさっぱりとした人柄のようで、ぺらぺらとよく喋る。
かかわったことのない人種である千鶴に琥珀は圧倒されていたが、千鶴は気にする様子もない。
「私が琥珀さまをお迎えに来たのは、慧さまに琥珀さま付きの侍女になるように言われたからなんですよ! 琥珀さまが嫌がるようなら侍女を変えることもできると言われてしまっているんですが、今のところは大丈夫そうですかね……?」
「嫌だなんて。私はそんなこと言える立場ではありません」
「そんなことないですよー! 嫌なことは遠慮なく嫌だって言ってくださいね。私が嫌だって言われたら、そりゃ悲しいですけどね? あ、敬語はおやめください。私は琥珀さまの侍女なんですから!」
「ふふ。わかったわ」
しょんぼりしたり、にっこり笑ったりと千鶴はコロコロと表情を変える。
見たところ亜琥と同い年くらいのように見えるが、亜琥にはない天真爛漫な雰囲気が琥珀は嫌いではなかった。
「えへへ、私、ずっと女中のお仕事をしていたので侍女になるのは憧れだったんです。岩倉家は代々緋彩家にお仕えしていて、父は慧さまの侍従を任されているんですよ」
「もしかして見合いの場にもいらしていた方かしら?」
「そうですそうです!」
料亭の渡り廊下で琥珀に会釈をしてくれた男性を思い出す。
冷たい雰囲気の慧の隣にいたからか、対称的な柔らかい雰囲気を持った人物に見えた。
「父から、琥珀さんがどんな人だったか伺って、私とても今日を楽しみにしていたんですよ」
「……お父さまは、私のことをなんておっしゃっていたの?」
琥珀はあの見合いには遅刻している上に、雛子の嘘で不名誉な紹介を受けている。
とんでもない女だと言われていたらどうしようかと思っていたが、千鶴は笑顔のまま言った。
「とてもお美しい方だと聞きました。静謐な美しさをお持ちの方だと聞いていたので、薄墨家に着いてひと目見た瞬間にわかりましたよ。他の女性陣はみんな派手派手でしたもん」
「そんな風におっしゃっていただけていたのね」
あんな出会い方をしてしまったのに、好意的な紹介の仕方をしてくれていた千鶴の父には感謝しかない。
冷酷という噂のある当主のいる緋彩家は冷え冷えとした場所なのかと想像していたが、千鶴を見る限りそうではないのかもしれない。
期待を膨らませつつ馬車に揺られていると、しばらくして馬車は緋彩邸に到着する。
車寄せにまで来てくれていた使用人達に出迎えられ、軽く挨拶をしてから琥珀は千鶴と共に屋敷の玄関へと向かった。
薄墨家よりも広い敷地を持つ緋彩家の庭は、広々としていてよく整えられている。
季節の花が見事に咲き誇る庭の美しさに目を細めていた琥珀は、ふと足を止めた。
(この景色、どこかで……)
石を積んで作られた花壇に、手入れの行き届いた花が見事に咲いているこの景色を琥珀はどこかで見たことがあった。
記憶をさかのぼって思い至る。
(慧さまとの見合いを決めたときに見えた場所だわ)
亜琥の代わりに慧との見合いに行くか迷っていたときに一瞬見えたセピア色の風景。
琥珀が誰かに横抱きに抱えられていた場所がここだ。
今まで通り、突然見えた光景や予感が未来を示しているのなら、琥珀はいつかここであんなに幸せそうな表情を浮かべることになるのだろうか。
(でも、誰に抱かれて? 慧さまが私に好意があるとは思えないし……。まさか、不倫なんてことはないわよね?)
景昭が不倫をしていたこともあり、琥珀は不倫に強い嫌悪感がある。
そんな未来はないと信じたいが、慧に抱かれて琥珀が幸せを感じるとは思えない。
しばし琥珀が悩んでいると、隣で立ち止まってくれていた千鶴が首を傾げた。
「お花がそんなに気になりますか〜? なにか珍しいお花でもありましたかね?」
「あ、いえ。すみません。行きましょう」
未来のことは今考えても仕方がない。
気持ちを切り替えて歩きはじめると、千鶴は屋敷の中を順に案内してくれた。
緋彩家の屋敷は伝統的な木造建築ではあるが、海外の文化を取り入れた今の暮らしに馴染むようにほとんどが板の間に改修されていた。
琥珀が暮らすことになる部屋も同様に板の間であり、きれいに整えられたベッドも置かれている。
個室が与えられているということは、慧は琥珀と共に眠るつもりはないらしい。
実は少し緊張していた琥珀は、千鶴にバレないようにひっそりと安堵の息を漏らした。
二階建ての広い屋敷は二階部分が緋彩家の人間が使う寝室や食堂、書斎であり、一階部分が使用人の住居や台所、客間の造りになっているらしい。
主要な部屋をかんたんに案内した千鶴は苦笑いを浮かべた。
「とはいっても、緋彩家の方は、今は慧さまと琥珀さましかいらっしゃらないんですけどね」
「慧さまのご両親はご病気で早くに亡くなられたのよね?」
「そうなんです。使用人も薄墨家のようにたくさんはいないので、困ったらいつでも私を呼んでくださいね! すぐに駆けつけますから!」
胸を張って誇らしげにする千鶴に「ありがとう」と微笑みながら廊下を歩いていると、台所から男が二人話をしながら出てくる。
そのうちの一人は、見合いのときに慧の傍らにいた侍従だと気が付いた。
「これは琥珀さま! お出迎えに行けずにたいへん失礼いたしました」
「いえ、とんでもないです」
侍従の男性が頭を下げるのに琥珀は慌てて恐縮する。
隣の同年代の男は台所で働いているのだろう。着けていた前掛けを取って、琥珀に一礼した。
「紹介しますね! こちらが父の岩倉宗一郎。こちらが料理長の平井です!」
「娘もおりますので、私のことはぜひ宗一郎とお呼びください」
「……平井です。よろしくお願いします」
千鶴の父親らしくハキハキと挨拶をしてくれた宗一郎に対して、平井は小さな声でぽそりと挨拶をする。
正反対な二人ではあるが、歓迎されていることを感じた琥珀も微笑んでお辞儀をした。
「琥珀です。慧さまの妻として、できることはなんでもがんばりたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「そうおっしゃっていただけると、私としても頼もしい限りです。早速で申し訳ないのですが、まずは慧さまにご挨拶に行っていただけますでしょうか? 本来琥珀さまをお出迎えすべきだとお伝えはしたのですが、お仕事を優先されてしまわれたので……」
「もちろんです」
宗一郎は申し訳なさそうに言うが、琥珀は慧が出迎えに来なかったことについては気にしてもいなかった。
そもそも慧がなぜ琥珀との結婚を決めたのかもよくわからないが、好かれているわけではないことくらいはわかっている。
出迎えを期待してもいなかったため、琥珀の方から挨拶に行かなければならないとは思っていた。
「慧さまは書斎でお仕事をされておられます。千鶴。琥珀さまをご案内してくれるかな?」
「はい! 琥珀さま、こちらですよ」
笑顔で先導してくれる千鶴と宗一郎の親子関係も良好のようだ。
この屋敷は人は少ないが薄墨家よりずっとあたたかい雰囲気がある。
(慧さまも想像しているより怖い人じゃないのかも)
淡い期待を抱いて千鶴について行くと、二階のある一室の前で千鶴は足を止めてこちらを振り返る。
「こちらが慧さまの書斎です。ご夫婦のお話もあるかと思いますので、私はここで一旦失礼しますね!」
「いろいろとありがとうね、千鶴」
「琥珀さま。あの……」
さっきまでにこにことしていた千鶴が、突然表情を曇らせる。
「慧さまは、悪い人ではないんです。誤解されやすい方なだけなので、その……、えっと、がんばってくださいね!」
「え、ええ。がんばるわ」
手をぐっと握って琥珀を応援してくれた千鶴が去って行くのを見送って、琥珀は一気に緊張感を抱く。
千鶴がわざわざああ言うということは、慧はやはり恐ろしい人なのか。
(ともかく、ご挨拶はしなくちゃ)
緊張を抱えたまま、琥珀は目の前のドアを叩く。
中から聞こえた「入れ」という短い返事に「失礼します」と答えてドアを開ける。
壁を書棚で囲まれた書斎の中心には重厚感を感じさせる暗色の一枚板でできた書斎机が置いてある。
その机に就いて書類仕事をしていた慧は、琥珀を冷たい眼差しで見据えた。

