幸運の花嫁 〜厄介払いの結婚で最強式神使いの溺愛がはじまりました〜

 式神を持たない琥珀は薄墨家の恥でしかない。
 景昭のその考えにより、琥珀はほぼ外に出してもらえたことがない。

 馬車に乗るのも久しぶりのことだったが、突然見合いをすることになった琥珀に外の景色を見る余裕など一切なかった。

(だ、大丈夫かしら……)

 急いで支度をして見合いの場に向かう馬車に飛び乗ってしまったが、胸中には不安しかない。

 亜琥は行かないことになったため家で留守番をすることになったが、雛子は見合いの場に立会人として顔を出すことになっており、琥珀とは別の馬車に乗って後ろを着いてきている。
 琥珀のような無能とは同じ馬車に乗りたくないと雛子が拒否をしたせいで、急遽もう一台馬車を用意するのにも時間がかかり、既に見合いの時間から三十分ほど遅刻してしまっていた。

 行くと決めたはいいものの、これで慧が怒って帰ってしまっていれば無駄足を踏んだ上に景昭から睨まれるか、最悪殺される。
 どうかまだ慧が待ってくれていることを祈っていると、馬車は見合いの場に指定されていた料亭に到着した。

 御者が扉を開けてすぐに琥珀は馬車を降りて料亭へと向かおうとしたが、付き添いのはずの雛子が異様なほどのんびりと馬車から降りてくる。

(遅刻もすべて私のせいにするつもりなんだわ……。私がお父さまの機嫌を損ねれば殺されるかもしれないってわかっているくせに)

 雛子への怒りは湧くが、それでも一人で行くわけにもいかず、仕方なく琥珀は大急ぎで結い上げてきた髪が乱れていないかを手で確認して待った。

 亜琥が寄越してきた着物は上等な絹でできてものではあるが、瑠璃紺色の地味な柄のものだ。
 到底見合い向きとは思えない着物を琥珀に与えたのも、亜琥の嫌がらせのひとつなのだろう。
 それでもきちんと着こなしていれば、これ以上の礼儀を欠くことはないはず。
 そう信じて、琥珀が着物の乱れがないことも確認し終えた頃に、ようやく雛子は琥珀の元にやって来た。

「なにを色気づいているの? 身なりをきれいにしても、あなたのような地味でブサイクな女が見初められることなんてないわよ。無駄なことはおよしなさい」
「……行きましょう」
「そうね。あなたのせいで既に遅刻しているのだものね」

 嘲るように微笑んだ雛子に反論することなく、琥珀は静かに雛子の後に続く。

 雛子が薄墨家の人間であることを告げると、すぐに料亭の主人がやって来て奥へと案内してくれたのだが、その道中で主人が足を止めてしまう。
 どうしたのかと思っていると、先導していた主人が振り返って気まずそうに尋ねてきた。

「あの……、お待ち合わせの方はあの方では?」

 見合いの場は料亭の別棟にある部屋だったらしい。
 美しい庭の木々からの木漏れ日が差し込む渡り廊下の向こうから、一人の黒い袴姿の若い男性が、初老の男性を引き連れて歩いてくる。

 背を真っ直ぐに伸ばして堂々と歩く彼は、その姿だけで高潔な人間であることを感じさせた。
 凜とした目元はスッと程よく目尻がつり上がっていて男らしく、鼻筋の通った完璧な顔立ちは他者を拒絶するような美貌を放っている。
 目を奪われるような色男ではあるが、纏う雰囲気の冷たさから、彼が見合い相手の緋彩慧(ひいろけい)であることは間違いなかった。

「恐れ入りますが、緋彩伯爵さまでございましょうか?」
「そうだ」

 雛子が声をかけると、慧は顔色ひとつ変えずに立ち止まる。

「遅れてしまい、たいへん申し訳ございません。薄墨家の当主、景昭の妻の雛子と申します」
「いつも薄墨第三師団長には世話になっている」

 慧と景昭は師団長という立場が同じだ。
 日頃から顔を合わせることもあるのだろう。

 慧は真顔のまま雛子に軽く挨拶をして、すぐに雛子から琥珀へと視線を移した。
 目が合うと、その黒々とした瞳の眼力に驚く。

常盤(ときわ)元帥から見合いをするよう勧められてここで待っていたが、いらっしゃらないようだったので帰るところだった。彼女が娘の亜琥さんですか?」
「いえ、私は……」
「緋彩さま、たいへん申し訳ございません」

 さすがに亜琥が嫌がったため、琥珀が代理で来たとは言えない。
 とはいえ、自分が亜琥だと偽るわけにもいかないため、琥珀が亜琥が来られなくなった事情は曖昧にして自己紹介をしようとしたのを、雛子が遮って深々と頭を下げた。

「実は娘の亜琥が見合いのためにでかける準備をしていたのですが、こちらの琥珀がどうしても自分が見合いに行きたいとわがままを言いだしたのです。そこから琥珀がゆっくり時間をかけて準備をしはじめたので遅れてしまったのです」

 雛子の嘘にまみれた釈明に琥珀は唖然としてしまう。
 違うと否定したかったが、こんなところで身内の揉め事を見せるわけにもいかない。

「琥珀はもう十九でして、二十歳になるまでには結婚したいと焦っているのでしょう。とはいえ、貴重なお時間をいただいているにもかかわらずこんな娘のわがままを聞いてしまい、たいへん申し訳ございませんでした。ほら、琥珀もきちんと謝りなさい」
「も、申し訳ございませんでした」

 母親ぶった雛子に言われて、琥珀も慌てて頭を下げる。
 これでは慧の目には琥珀はわがままを言って無理矢理見合いに来た上に、遅刻をして謝罪もしない人間に見えていることだろう。

 規律に厳しいと噂の慧はきっと琥珀を軽蔑したはずだ。
 景昭にこのことを慧が話して、景昭が琥珀のことを再び処分しようと考えたら、今度こそ深雪と同様に殺されてしまうかもしれない。

 恐怖で頭を下げたまま琥珀はギュッと手を握りしめた。

「謝る必要はない。奪われた時間は帰ってこない。謝罪してもらうだけ無駄だ」

 きっぱりと言われた言葉が、心に突き刺さる。
 やはり不興を買うことになってしまったことに、心臓が恐怖でバクバクと鳴るのを感じていたが、慧が次に放った言葉は琥珀にとって予想外のものだった。

「琥珀さんだな。結婚しよう」
「え?」