深雪の葬儀はすぐに執り行われた。
死因は病死とされていたが、琥珀はきっと違うとわかっていた。
本当の死因は景昭が団子に盛った毒だ。
だが、幼い琥珀にそれを立証する術はがあるはずもない。
突然母を喪った悲しみに暮れている琥珀を景昭は一切慰めることをしなかった。
それどころか、以前のように琥珀に構うこともなくなった。
一度だけ、景昭に寂しいから深雪が生きていた頃のように一緒にごはんが食べたいとお願いをしてみたことがある。
その時の景昭は氷のような眼差しで琥珀を見下ろしてひと言言った。
「私は無駄なことはしない」
今までの優しく穏やかだった景昭からは想像も付かないような冷徹な声だった。
後ほど琥珀が知ったのは、強い式神の召喚には体と心が満たされていなければいけないという条件があるということだ。
景昭は琥珀が強い式神をその身に秘めていることに期待して、良き父親を演じてきたのだろう。
そして、六歳になっても式神を召喚できない琥珀を見捨てたことが理由で、もう琥珀の父親はやめたのだということを理解したのは母の葬儀から一ヶ月後のことだ。
その日、琥珀がひとりで過ごしていた薄墨家の屋敷に、景昭は前触れもなく雛子を新しい妻として連れて来た。
三歳にして、その強さから四神と呼ばれる式神の一柱である白虎を召喚させることに成功した隠し子である亜琥と共に。
琥珀は悟った。
景昭は亜琥が白虎の召喚に成功したことをきっかけに、式神を召喚できない無能な琥珀を見限って深雪と共に始末することにしたのだろう。
それはつまり、琥珀が無能であるために深雪は殺されたということを意味していた。
深雪は琥珀の無能さの被害者であるにも関わらず、琥珀がわがままを言って食べたがらなかった団子も食べてしまったせいで、琥珀の分まで毒を食べることになってしまった。
(私はお母さまを殺した罪深い子ども。だから、ひとりぼっちになってしまったのよね)
深雪が死に、景昭が琥珀を冷遇するようになってから、薄墨家の屋敷内では琥珀の世話をする使用人は徐々に減っていた。
僅かに残っていた親切な使用人達も雛子によって暇を出され、琥珀はどんどん屋敷で孤立していったが、それも仕方がないと思っていた。
(辛い日々は私へのお母さまからの罰なのよ)
琥珀のせいで死んだ深雪は、きっと琥珀を恨み、死後の世界から呪っているに違いない。
だから、琥珀は雛子や亜琥にどんなに酷い仕打ちを受けても耐えるしかなかった。
極寒の日に水を浴びせられて外に放り出されても、何日も食事を与えられず痩せこけることになっても、琥珀はひとつの文句も言わずに耐え忍んできた。
そんな日々を罪重ねてきた琥珀は今年で十九になる。
十六の亜琥も今日見合いをするのだから、琥珀は本来嫁に行っている年齢だ。
だが、こんな傷だらけの体では琥珀が嫁入りできることはないだろう。
そもそも景昭は琥珀を薄墨家の恥として家の外に出したがらないため、見合いの機会すら存在しない。
「……この傷も、痕になるかしら」
白虎に琥珀を襲わせた亜琥は、ようやく髪型に満足してくれたようで先程やっと琥珀を解放してくれた。
幼い頃に与えられていた自室とは違い、琥珀は今は雛子に与えられた埃っぽく、湿気とカビのにおいがとれない四畳半の部屋で生活している。
背中の傷を手鏡で確認すると白虎の爪によって深く抉れており、ガーゼと包帯を当てておいたが鈍く熱を持つ痛みがあった。
亜琥はそろそろ見合いに行く頃だ。
雛子もそれに着いて行くだろうため、少しの間だけだが、あの二人から解放される。
腕の傷も包帯で覆い、生傷が絶えないため手放せない救急箱を押し入れにしまっていると、鍵も壊れてしまっていてかからない引き戸が突然開け放たれた。
「相変わらず辛気くさい部屋ね。この部屋にいるだけで病気になっちゃいそう」
「亜琥? もう見合いに行ったんじゃなかったの……?」
亜琥がこの部屋に訪れることなど滅多にない。
身支度を手伝った際に何かしでかしてしまったのかと琥珀が身を強ばらせていると、亜琥は琥珀に新品の着物を一着、乱暴に投げつけてきた。
「これは?」
「どうせあんたは見合いにふさわしい着物なんて持ってないでしょう? かわいそうだから、それはあげるわ。さっさとそれ着て、そのブサイクな顔をある程度見れるように化粧しなさい」
「え……?」
「勘が悪いわね。鈍くさくて本当に嫌になるわ」
困惑したまま投げつけられた着物を抱いていると、亜琥の後ろから雛子が覗いてにんまりと微笑んだ。
「亜琥がどうしても今日の見合いが嫌だと言うから、悩んだのだけれど、琥珀に行かせてあげることにしたのよ。嬉しいでしょう? 鬼神なんて呼ばれている恐ろしい伯爵さまのお嫁さんになれるかもしれないのだから」
今日の亜琥の見合い相手は緋彩伯爵家当主であり、四神の一柱・朱雀の使い手である緋彩慧だ。
二十五歳という若さにして軍の中でも妖怪を相手に戦うことを専門とする式神戦特化部隊である特妖師団の師団長を務めるまでの実力者である慧は、冷酷な性格であると知られている。
妖怪相手に戦う本人がまるで化け物のように強く恐ろしく、部下に対しても冷たく無慈悲な対応をすると聞いたことがある。
だからこそ亜琥も見合いを嫌がっていたのだろうが、本来亜琥が行くことになっていた見合いに琥珀が赴けば慧の不興を買うことは間違いないだろう。
さらに壁にかけてある時計を見ると、今から向かっても見合いの時間には到底間に合わない時刻を示している。
遅刻が確定している見合いに、約束していた相手である亜琥ではなく琥珀が現れたら慧はどう思うだろうか。
(どうしよう……)
慧の不興を買えば、軍での出世に心血を注いでいる景昭は琥珀を許さないだろう。
最悪、景昭が深雪を殺した時のように、また琥珀を始末しようとすることも考えられる。
かと言って、この場で亜琥と雛子の提案を拒絶しても、亜琥の怒りを買って、無事で済むとは思えなかった。
真っ青になって躊躇っていた琥珀は瞳を揺らして瞬きをする。
その時、一瞬瞼の裏に自分の姿が見えた。
セピア色の風景の中で、琥珀は花々が咲き誇り、満月が昇るどこかの庭で、誰かの腕に横抱きに抱えられていた。
あたたかでたくましい腕に琥珀は安心しきった様子であり、彼の胸元に頬を寄せて幸せそうに目を細めている。
その夢のような光景は瞬きと共に消えた。
――見合いに行きなさい。
どこかから聞こえた声は、時折琥珀に呼びかけてくる声だった。
この声に従うと、琥珀にはいつも幸運が訪れる。
深雪に食べさせることになった、毒入りの団子を食べずに済んだ時のように。
(……お母さまは私を許されないかもしれない。だけど、それでも死ぬのは怖いの)
この家での辛い日々は琥珀が罪を犯した罰だ。
だが、殺されてしまえば、その罪を償う機会も失われてしまう。
与えられた着物をぎゅっと抱き寄せて、琥珀は亜琥と雛子に向き直った。
「わかりました。私が、緋彩さまとのお見合いに行かせていただきます」
死因は病死とされていたが、琥珀はきっと違うとわかっていた。
本当の死因は景昭が団子に盛った毒だ。
だが、幼い琥珀にそれを立証する術はがあるはずもない。
突然母を喪った悲しみに暮れている琥珀を景昭は一切慰めることをしなかった。
それどころか、以前のように琥珀に構うこともなくなった。
一度だけ、景昭に寂しいから深雪が生きていた頃のように一緒にごはんが食べたいとお願いをしてみたことがある。
その時の景昭は氷のような眼差しで琥珀を見下ろしてひと言言った。
「私は無駄なことはしない」
今までの優しく穏やかだった景昭からは想像も付かないような冷徹な声だった。
後ほど琥珀が知ったのは、強い式神の召喚には体と心が満たされていなければいけないという条件があるということだ。
景昭は琥珀が強い式神をその身に秘めていることに期待して、良き父親を演じてきたのだろう。
そして、六歳になっても式神を召喚できない琥珀を見捨てたことが理由で、もう琥珀の父親はやめたのだということを理解したのは母の葬儀から一ヶ月後のことだ。
その日、琥珀がひとりで過ごしていた薄墨家の屋敷に、景昭は前触れもなく雛子を新しい妻として連れて来た。
三歳にして、その強さから四神と呼ばれる式神の一柱である白虎を召喚させることに成功した隠し子である亜琥と共に。
琥珀は悟った。
景昭は亜琥が白虎の召喚に成功したことをきっかけに、式神を召喚できない無能な琥珀を見限って深雪と共に始末することにしたのだろう。
それはつまり、琥珀が無能であるために深雪は殺されたということを意味していた。
深雪は琥珀の無能さの被害者であるにも関わらず、琥珀がわがままを言って食べたがらなかった団子も食べてしまったせいで、琥珀の分まで毒を食べることになってしまった。
(私はお母さまを殺した罪深い子ども。だから、ひとりぼっちになってしまったのよね)
深雪が死に、景昭が琥珀を冷遇するようになってから、薄墨家の屋敷内では琥珀の世話をする使用人は徐々に減っていた。
僅かに残っていた親切な使用人達も雛子によって暇を出され、琥珀はどんどん屋敷で孤立していったが、それも仕方がないと思っていた。
(辛い日々は私へのお母さまからの罰なのよ)
琥珀のせいで死んだ深雪は、きっと琥珀を恨み、死後の世界から呪っているに違いない。
だから、琥珀は雛子や亜琥にどんなに酷い仕打ちを受けても耐えるしかなかった。
極寒の日に水を浴びせられて外に放り出されても、何日も食事を与えられず痩せこけることになっても、琥珀はひとつの文句も言わずに耐え忍んできた。
そんな日々を罪重ねてきた琥珀は今年で十九になる。
十六の亜琥も今日見合いをするのだから、琥珀は本来嫁に行っている年齢だ。
だが、こんな傷だらけの体では琥珀が嫁入りできることはないだろう。
そもそも景昭は琥珀を薄墨家の恥として家の外に出したがらないため、見合いの機会すら存在しない。
「……この傷も、痕になるかしら」
白虎に琥珀を襲わせた亜琥は、ようやく髪型に満足してくれたようで先程やっと琥珀を解放してくれた。
幼い頃に与えられていた自室とは違い、琥珀は今は雛子に与えられた埃っぽく、湿気とカビのにおいがとれない四畳半の部屋で生活している。
背中の傷を手鏡で確認すると白虎の爪によって深く抉れており、ガーゼと包帯を当てておいたが鈍く熱を持つ痛みがあった。
亜琥はそろそろ見合いに行く頃だ。
雛子もそれに着いて行くだろうため、少しの間だけだが、あの二人から解放される。
腕の傷も包帯で覆い、生傷が絶えないため手放せない救急箱を押し入れにしまっていると、鍵も壊れてしまっていてかからない引き戸が突然開け放たれた。
「相変わらず辛気くさい部屋ね。この部屋にいるだけで病気になっちゃいそう」
「亜琥? もう見合いに行ったんじゃなかったの……?」
亜琥がこの部屋に訪れることなど滅多にない。
身支度を手伝った際に何かしでかしてしまったのかと琥珀が身を強ばらせていると、亜琥は琥珀に新品の着物を一着、乱暴に投げつけてきた。
「これは?」
「どうせあんたは見合いにふさわしい着物なんて持ってないでしょう? かわいそうだから、それはあげるわ。さっさとそれ着て、そのブサイクな顔をある程度見れるように化粧しなさい」
「え……?」
「勘が悪いわね。鈍くさくて本当に嫌になるわ」
困惑したまま投げつけられた着物を抱いていると、亜琥の後ろから雛子が覗いてにんまりと微笑んだ。
「亜琥がどうしても今日の見合いが嫌だと言うから、悩んだのだけれど、琥珀に行かせてあげることにしたのよ。嬉しいでしょう? 鬼神なんて呼ばれている恐ろしい伯爵さまのお嫁さんになれるかもしれないのだから」
今日の亜琥の見合い相手は緋彩伯爵家当主であり、四神の一柱・朱雀の使い手である緋彩慧だ。
二十五歳という若さにして軍の中でも妖怪を相手に戦うことを専門とする式神戦特化部隊である特妖師団の師団長を務めるまでの実力者である慧は、冷酷な性格であると知られている。
妖怪相手に戦う本人がまるで化け物のように強く恐ろしく、部下に対しても冷たく無慈悲な対応をすると聞いたことがある。
だからこそ亜琥も見合いを嫌がっていたのだろうが、本来亜琥が行くことになっていた見合いに琥珀が赴けば慧の不興を買うことは間違いないだろう。
さらに壁にかけてある時計を見ると、今から向かっても見合いの時間には到底間に合わない時刻を示している。
遅刻が確定している見合いに、約束していた相手である亜琥ではなく琥珀が現れたら慧はどう思うだろうか。
(どうしよう……)
慧の不興を買えば、軍での出世に心血を注いでいる景昭は琥珀を許さないだろう。
最悪、景昭が深雪を殺した時のように、また琥珀を始末しようとすることも考えられる。
かと言って、この場で亜琥と雛子の提案を拒絶しても、亜琥の怒りを買って、無事で済むとは思えなかった。
真っ青になって躊躇っていた琥珀は瞳を揺らして瞬きをする。
その時、一瞬瞼の裏に自分の姿が見えた。
セピア色の風景の中で、琥珀は花々が咲き誇り、満月が昇るどこかの庭で、誰かの腕に横抱きに抱えられていた。
あたたかでたくましい腕に琥珀は安心しきった様子であり、彼の胸元に頬を寄せて幸せそうに目を細めている。
その夢のような光景は瞬きと共に消えた。
――見合いに行きなさい。
どこかから聞こえた声は、時折琥珀に呼びかけてくる声だった。
この声に従うと、琥珀にはいつも幸運が訪れる。
深雪に食べさせることになった、毒入りの団子を食べずに済んだ時のように。
(……お母さまは私を許されないかもしれない。だけど、それでも死ぬのは怖いの)
この家での辛い日々は琥珀が罪を犯した罰だ。
だが、殺されてしまえば、その罪を償う機会も失われてしまう。
与えられた着物をぎゅっと抱き寄せて、琥珀は亜琥と雛子に向き直った。
「わかりました。私が、緋彩さまとのお見合いに行かせていただきます」

