幸運の花嫁 〜厄介払いの結婚で最強式神使いの溺愛がはじまりました〜

 今日は琥珀が妊娠しているかを確認しに病院に行く予定だったため、慧ができる限り仕事を早めに切り上げて帰って来ると、琥珀はまだ帰っていなかった。
 琥珀が妊娠していようとしていなかろうと、帰って来た琥珀を出迎えて共にゆっくり過ごす時間を慧は楽しみにしていたのだ。

 だが、帰って来たのは真っ青になった汗だくの千鶴だけだった。

「慧さま! 琥珀さまが襲われて誘拐されました!」

 走ってきたために乱れた息のまま必死に訴えた千鶴の言葉に、玄関で千鶴を出迎えた慧は一瞬頭が真っ白になる。

「……どういうことだ? 何があった?」
「病院に行った帰り道で、いきなり襲われたんです。琥珀さまは私を庇って……! 申し訳ございません!」
「今は謝罪はいい。まず琥珀さんは妊娠していたのか?」
「していませんでした。でも、いつか子どもがほしいと琥珀さまは楽しみになさっていたのに……」

 千鶴が悔しげに唇を噛み締めて涙をこぼす。
 犯人が誰だかわからないが、冷たい怒りが体を支配するのを感じた。
 誰であろうと葬り去ってやりたい。
 うずまくような怒りを抑え込んで冷静になるために、慧は意識して深く呼吸をした。

「そうであろうと、琥珀さんが危険な状態であることに変わりはない。犯人の顔は見たか? なにか手がかりは?」
「見ました! 一度町で水波家の方とお話していたことのある人間だったと思います。確か用心棒として雇っているみたいなことを言っていたかと」

 千鶴はおつかいを頼まれて町にでかけることも多い。
 その中で犯人を見かけたことがあったのだろう。

 水波には常盤夫人の誕生会で琥珀を襲おうとした前科がある。
 それに記憶力もよく、人の顔を覚えることが得意な千鶴の証言は信憑性が高い。

「千鶴は家にいろ。何かあれば指示を出す。宗一郎にも報告を頼む」
「はいっ。慧さま、どうか琥珀さまを助けてください!」

 ぼろぼろと泣きながら頼んでくる千鶴に、慧は力強くうなずいた。

「当然だ」

 馬車を用意する時間が惜しく、(うまや)を訪れた慧は気に入っている馬を駆ってすぐに水波家の屋敷へと向かった。

 突然の慧の訪問に驚いた水波家の使用人に通された客室でも座ってなどいられない。
 立ったまま慧がつま先で床を叩いて待っていると、少しして水波が迷惑そうな表情でやって来た。

「急な訪問は困りますよぉ、緋彩伯爵。何の御用ですか?」
「心当たりがあるだろう。妻を取り返しに来た」
「奥方をですか? うちにはいませんよぉ。僕と彼女は不倫関係にはないと、あなたがおっしゃったんじゃありませんか」

 静かに憤る慧に、水波はにやけ顔で向き合う。
 余裕そうに振る舞う水波を、慧は鋭いまなざしで睨み付けた。

「琥珀さんがおまえの家の用心棒に襲われたところを彼女の侍女が目撃している。言い逃れはさせないぞ」
「何をおっしゃるのやら。そんなことは一切しておりません」
「うちの侍女が嘘をついているとでも言うのか?」

 ふん、と水波が鼻で笑う。

「身分の低い女の言うことなんかを信じるのですか? 僕のように地位のある男が『やっていない』と言っているのだから、やっていないのです」
「あなたは地位のある男の息子というだけで何もしていないだろう」

 水波は父が商家として成功し、政治家として活躍しているだけで、息子である本人はその立場に甘えて遊びほうけているというのは有名な話だ。
 淡々と真実を指摘した慧に、水波が不快そうに顔を歪めた。

「今の発言はお父さまに伝えさせていただきますよぉ? 予算を減らされては特妖師団(とくようしだん)も困るのではないですか?」
「理不尽に予算を減らされるのであれば、こちらから正式に抗議するのみだ。あなたの愚かさが父上から遺伝したものではないことを祈っている」
「なんて失礼な……」
「それよりも早く琥珀さんの居場所を吐いた方が身のためだぞ。どうせ薄墨家の娘にでも指図されて琥珀さんに危害を加えたのだろう。おまえが、あの娘を追いかけ回していることは知っている」
「……本当にあなたは僕の言うことよりも、下賎(げせん)な女の言うことを信じるとおっしゃるのですか?」

 馬鹿にした様子で水波があごを上げて嘲笑う。
 できれば穏やかに事を済まそうと思っていたが、慧は己の我慢が限界に達したことに気が付いた。

 中指と親指の腹を合わせて、ゆっくりと顔の横まで持ち上げる。
 その手の動きに水波がサッと顔を青ざめさせたが、構わず慧はパチンと指を鳴らした。

「朱雀」

 名を呼ぶと、慧の影が大きく揺らぎ、広い客室をいっぱいにする巨大な赤い鳥が現れる。
 黄金の波が立つ翼の羽ばたきで巻き起こる風に髪を煽られながら、水波は愕然とした後に叫んだ。

「人さまの家で式神を出すなんてどうかしているぞ! 朱雀の火が家に燃え移ったらどうしてくれるんだ!?」

 朱雀は羽ばたきで起こす風に火を纏わせることができる式神だ。
 その風を受けるということは命の危機に瀕しているのと同義であることを、真っ青になっている水波は理解しているようだ。
 水波が愚かだったのは、琥珀に手を出しておいて慧が最後まで事を荒立てることなく対応すると勘違いしていたことだ。

「身分など関係ない。俺は琥珀さんの無事を案じ、命からがら逃げ延びてきて泣いた侍女の言うことを信じる。もう一度言うぞ。琥珀さんの居場所を今すぐに吐け。俺は琥珀さんに何かあれば、この家をおまえごと焼き払って共に死んでも構わない」

 朱雀が羽ばたきを強くすると、部屋に吹き荒れていた風が強くなる。
 ガタガタと揺れていた窓がその風に耐えきれずに弾けるように割れ、家具が吹き飛んで舞い上がるのを悲鳴を上げてうずくまって避けた水波は、そのまま慧に土下座をして叫んだ。

「おやめください! 琥珀さんは確かに僕が亜琥さんの指示で誘拐させました! 外の森に適当に捨ててこいとの指示でしたので、どこかにいるはずです!」
「森だと?」

 外は既に日が暮れかけている。

 夜の森は妖怪の世界だ。
 式神でしか討つことのできない妖怪に出会って、戦う術を持たない琥珀が生き延びることができるとは思えない。

 慧が朱雀を影に戻すと、風に煽られていた家具が音を立てて次々と床に落ちる。
 「ひい!」と悲鳴をあげてそれらの落下物から身を守るために、床でさらにみっともなく身を縮めた水波の無様な姿を慧は冷たく見下ろした。

「おまえも薄墨家の娘も重い罰を覚悟しておけ。逃げようが、地の果てまで追いかけてやるからな」
「っお、お許しください! 俺は悪くないんです! 全部亜琥さんが指示したことなんです!」

 涙声で訴えてくる水波を無視して、慧は足早に水波家の屋敷を出る。
 外に待たせていた馬に飛び乗り、慧は町の外にある森へと向かったが、その間にあっという間に日は落ちて夜が訪れてしまった。

 森の中にまでは馬で入って行くことはできない。
 馬を下りて立ち入った森で、慧はすぐに川を目指した。
 人は森や山の中で道に迷うと、人里を探してまずは川を探す傾向があるためだ。

(頼む。間に合ってくれ……!)

 森にはやはり妖怪の気配が濃くしている。

 指を鳴らして朱雀を召喚した慧は、こちらに気が付いて襲ってきた妖怪を蹴散らしながら突き進むが、川にたどり着いても一向に手がかりが見当たらない。

 焦る気持ちで足を進めていた慧は突如視界が金色に輝いたことに驚いて顔を上げた。

 飛び込んできたのは不思議な光景だ。
 滝の落ちる崖の上から黄金に輝く獣が空に向かって飛び立っていた。
 その獣は見たことのない姿をしており、一本の角が生えた龍のような頭を持っているのに、体は鹿のようにしなやかで、なびく尻尾は牛の尾のように見える。
 まばゆく輝くその獣は一瞬上空に現れたかと思うと、ふっと霧のように消えてしまう。

 その獣の輝きの中からこぼれ落ちるように滝壺に向かって落下していく人影を見て、慧は即座に朱雀に飛び乗った。

「琥珀さん!」

 崖から滝壺に向かって落ちていくその人は琥珀で間違いない。
 朱雀を高速飛行させて琥珀の元に向かった慧は、落ちていく琥珀を抱き留めた。

「っ慧さま……!」
「よかった! 大丈夫だったか?」
「はいっ、はい!」

 よほど怖かったのだろう。
 涙ぐんだ琥珀は必死に慧にしがみついてくる。
 琥珀の細い体を掻き抱いて、その肩に顔を埋めた。

「本当に、よかった……!」

 琥珀を失えば、自分がどうなってしまうかわからなかった。

 水波に言ったことは嘘ではない。
 琥珀を奪われていたら、慧は間違いなく水波と亜琥を殺して、自分も後を追っていただろう。

 どうどうと滝の水が落ちる音を聞きながら、慧は琥珀の無事を喜ぶと共に、水波と亜琥には相応の罰を与える覚悟を決めた。
 国の治安維持も任されている軍の権力を使えば、今回の件は誘拐および殺人未遂として訴えることができるはずだ。

(絶対に許さないからな)