幸運の花嫁 〜厄介払いの結婚で最強式神使いの溺愛がはじまりました〜

 琥珀はあの晩から慧の私室で毎晩眠るようになった。

 生活に変化があると、同じ屋根の下で暮らしている使用人達には琥珀と慧の関係性が変化したことは言わずとも伝わってしまう。
 千鶴から「おめでとうございます!」とにこにこ言われたときは恥ずかしさでどうにかなるかと思ったが、他の使用人達も琥珀が慧と仲睦まじく生活している様子を微笑ましそうに見守ってくれていることは幸せなことだ。

(本当にきれいなお顔をされているわ)

 昨夜も慧のベッドで眠りに就いた琥珀は、目が覚めると眼前にある慧の顔に見惚れた。

 陶器のような肌に、閉じていても大きいとわかる目、男らしく整った眉、高い鼻梁。
 どこを取っても完璧としか言えない顔は琥珀に囁きかけるときだけ甘くとろける。
 こんなに美しい人に全身全霊で愛されていることが急に恥ずかしくなって、琥珀が赤くなった顔を布団の中に隠そうとすると、眠っていたはずの慧がふっと笑って琥珀を抱き寄せた。

「朝から何をかわいらしいことをしているんだ?」
「そんなことはしていません」
「俺の顔を穴が開きそうなほど見ていただろう?」
「起きていたんですか?」
「視線を感じたからな」
「起こしてしまったなら、ごめんなさい」
「構わない。そんなに俺の寝顔はいいものだったか?」

 後頭部に回された慧の手がさらりと琥珀の髪を撫でる。
 優しい手つきに、うっとりして琥珀は目を細めた。

「はい。慧さまは今日もお美しいなと思って見ていました」
「美しいのは琥珀さんの方だろう」

 琥珀の髪を一束掬った慧は慈しむようにそれに口づける。
 優しい仕草にきゅんとして、琥珀は慧に抱きついた。

「ん? 急にどうした?」
「慧さまが好きでたまらなくなってしまいました」
「それは嬉しいが、そろそろ起きなければ仕事に間に合わなくなるな」

 あやすように背を撫でられて名残惜しく思いながらも慧から離れる。
 寂しさを隠しきれていなかったのか、慧はベッドから出る際に少し笑いながら琥珀の頭を撫でて行った。

「琥珀さんは今日は何をして過ごすんだ?」
「今日は平井さんとホットケーキを作る約束をしているんです」
「ほっとけーき。洋菓子か」
「はい。カステラのようなお菓子なんですよ。ふわふわしていて、甘くておいしいんです。この間、試作品を平井さんが食べさせてくださって、慧さまにも食べていただきたくて」
「そうか。それは楽しみだが、少し嫉妬してしまうな」
「え?」

 慧もホットケーキの試作品を食べてみたかったということだろうか。
 きょとんとしている琥珀に慧は拗ねたような表情を向けた。

「平井と仲がいいだろう。琥珀さんと何かを一緒にできるというのは羨ましいと感じてな」
「ふふ。そうだったんですね。では、慧さまもいつか一緒にお料理をしましょう。平井さんは教えるのもお上手ですし、お料理は楽しいですよ」
「そうだな。いずれ必ず時間を作ろう。なにか料理を作って使用人達に振る舞うというのもいいかもしれないな」
「それはすてきですね! みんな喜ぶと思います」
「とりあえず今日はホットケーキを楽しみに、できるだけ早く帰ってこよう」

 慧は感情表現が乏しいが故に誤解されやすいが、長い時間をともにしていると、そのわずかな表情の変化に気が付くようになる。
 ほんの少しだが慧の口角が上がっているのを見て、琥珀も嬉しくなった。
 今日のホットケーキ作りが楽しみだ。

 琥珀は慧が軍服に着替える姿を見るのが好きだった。
 寝乱れた着物を脱ぎ、一枚一枚軍服を着ていくごとに慧は硬質な色香を放つ男に変わっていく。

 ベッドの中でまだ残る眠気と戦いながら慧を見ていた琥珀に、慧は可笑しそうに微笑んだ。

「琥珀さんもゆっくりするのがだいぶ上手になったな。顔が眠そうだぞ。まだ眠いなら寝ていても構わない」
「いえ、起きますよ。一緒に朝食を食べに行きましょう」

 慧の言う通り、琥珀は慧と想いを通わせてからますます心穏やかに過ごせるようになった。
 もう何もせずに過ごす時間に焦燥感や罪悪感を覚えることもない。

 とはいえ家の仕事を手伝いたいという気持ちは今も変わらないため、琥珀は午前中は千鶴と共に庭師の仕事を手伝い、午後からは平井と共にホットケーキ作りに取りかかった。

「……琥珀さま、ホットケーキにはジャムを付ける店もあるそうです」
「そうなんですね。慧さまは苺がお好きなので、苺ジャムも作って構いませんか?」
「……もちろんです」

 苺ジャムも作るとなると手間だろうに、平井は快く提案して受け入れてくれる。
 平井も琥珀とのお菓子作りを楽しんでくれていることを感じて、ほっこりとした暖かい気持ちになりながら作ったホットケーキはふかふかでおいしそうな仕上がりになった。
 そのホットケーキにバターと果肉をゴロゴロと残した苺ジャムを載せると、見た目にも華やかな甘味が完成して琥珀は感動に両手を合わせた。

「わあ、おいしそう。それに、すごくかわいいです」
「……もう食べられますか? お茶をお淹れしますが」
「いえ、慧さまが帰られてから一緒に食べようと思います」

 窓の外はもう夕焼け色に染まっている時間だ。
 いつも慧は日が暮れてから帰って来るが、今日はできる限り早く帰ると言っていたため、もうすぐ帰って来るだろう。
 その予想は当たっており、宗一郎が台所に顔を見せた。

「琥珀さま。慧さまが帰ってこられました」
「ありがとうございます。すぐに行きます」

 馬車で帰ってきた慧を出迎えるために玄関に行くと、ちょうど慧と鉢合わせる。
 琥珀が顔を見せると、慧は嬉しそうに微笑んだ。

「ただいま、琥珀さん」
「おかえりなさい、慧さま」

 形だけの夫婦だったときは慧に望まれていないと考えて、出迎えもほとんどしたことはなかった。
 だが、今はこうして慧を出迎える時間に幸せを感じる。

 歩み寄ってきた慧は琥珀を軽く抱き締めると、すんと鼻を鳴らした。

「甘いにおいがするな」
「ホットケーキができたところなんです。一緒に食べましょう」
「待っていてくれたのか?」
「慧さまと一緒に食べたくて」
「ありがとう。すぐに着替えてこよう」

 琥珀の額に唇で触れて、慧は私室へと足早に去って行く。

 甘いやり取りの一部始終を共に出迎えに訪れた宗一郎に見られていたことにはたと気付いて、琥珀は赤面した。

「す、すみません。はしたなかったですよね」
「いえいえ、とんでもございません。お二人が心を許しあえる仲になれたことを私は嬉しく思いますよ」

 にっこりと笑った宗一郎は昔を懐かしむように目を閉じる。

「慧さまはご両親が亡くなられてから、ずっと一人で努力をしてこられました。そんな慧さまがまた柔らかい表情を見せてくださるようになったことが、本当に私は嬉しいのです」
「……慧さまはどんな子だったんですか?」

 宗一郎は慧の父親でもおかしくない年齢だ。
 幼い頃から慧を見てきたはずの宗一郎にずっと聞きたかったことを尋ねると、宗一郎は穏やかに笑んだ。

「昔から真面目なお子さんでした。頭がよく、頑固なところはありましたが、努力家で、ご両親が亡くなって当主になられてからはその務めを果たすために一生懸命な姿はいじらしさを感じたほどです。身近な大人としては物言いや雰囲気で周りに誤解されて孤立しても気にされない様子が心配ではありましたが、琥珀さまがいらっしゃって、その心配はもう不要だと感じているところです」

 早くに両親を亡くし、緋彩家で働く人々のためにも当主としての務めを果たすために慧は努力を続けてきたのだろう。
 孤独を感じる暇もないほどに仕事に向き合ってきた慧が、その羽を休められるような場所になりたい。
 祈るような想いを抱いた琥珀は、そっと宗一郎に尋ねた。

「私は、慧さまの支えになることができているでしょうか?」
「もちろんですよ。琥珀さまのおかげでこの家はより慧さまにとって心穏やかでいられる場所になっているはずです。これからも慧さまの支えになってくださることを、我々使用人一同望んでおりますよ」
「ありがとうございます」

 慧との関係を祝福される度にくすぐったい気持ちになる。
 宗一郎と談笑していると、慧が戻ってきたため琥珀は慧と共に台所へと向かった。

 平井は銀のトレーに紅茶とホットケーキを用意してくれており、ふたりはそれを持って庭先に置いたカフェテーブルで夕日色に染まった庭を見ながらお茶をすることにした。
 トレーは慧が運んでくれたが、移動している間も香る紅茶とホットケーキのにおいが空腹を刺激する。
 「おなかがすきましたね」と言うと、慧はくすっと笑いながらうなずいてくれた。

「今日も庭師の手伝いをしてくれたのか?」
「はい。ささやかですが、今日も千鶴と一緒に苗の植え替えをしました。最近は庭の片隅でお野菜も育ててみているんです。いつかお料理に使えるといいなと思いまして」
「それは楽しみだな」

 夜の庭を眺められるカフェテーブルに銀のトレーを置き、カップにティーポットから紅茶を注ぐ。
 「いただきます」と慧が手を合わせたのを見て、琥珀はピンと背筋を正した。

 作った料理を慧が食べる姿を見守るのは緊張する。
 平井と共に作ったため大丈夫だという自信はあるが、慧の口に合うかは毎度ドキドキするのだ。
 ホットケーキを器用に切り分けた慧が、一口目を食べる姿をまじまじ見ていると、「おいしい」と微笑んでくれたためほっとした。

「紅茶にも合うな。さすが洋菓子だ」
「苺ジャムもおいしいですね。甘さと甘酸っぱさがちょうどいいです」

 口々に感想を言い合いながらホットケーキを食べていると、目が合った慧が不意に真剣な表情になる。
 何事かと琥珀が目を瞬かせると、慧がより顔を近づけてきた。

「どうされましたか?」

 食事中に口づけということはないだろう。
 少し戸惑いながら琥珀が問いかけると、慧は琥珀の頬を撫でて首を捻った。

「いや、琥珀さんから式神の気配がした気がした」
「え?」

 そんなはずはない。
 琥珀は十九年間の人生で一度足とも式神を召喚できたことはないのだ。

「本当ですか?」
「試しに召喚してみてくれないか?」
「は、はい」

 慌てて手にしていたフォークとナイフを皿に置いた琥珀は、恐る恐る指をパチンと鳴らす。
 慧と共にじっと式神が出てくるはずの影を見つめたが、琥珀の影は一切揺らぐことはなかった。

「……やっぱり気のせいではないですか?」
「いや、一瞬だが感じたのは確かだ。琥珀さんが召喚できないとすると、もしかして……」

 慧の視線が琥珀の顔から腹に移る。
 琥珀は驚いて自身の腹を両手で押さえた。

「こっ、子どもですか?」

 周りには誰もいなかったが、思わず小声で尋ねた琥珀に、慧は神妙な様子でうなずく。

「召喚もしていないのに式神の気配を感じられることは稀だ。しかも、それが腹の子となると、琥珀さんと俺の子はとんでもない式神を召喚できる子なのかもしれない」
「ええっ、そ、そんな。大丈夫なんでしょうか?」

 まだ存在しているかもわからない我が子が心配で腹を撫でる。

「どれだけ強い力を持って生まれたとしても、俺と琥珀さんの子なら大丈夫だ。力の使い方をちゃんと教えてやればいい」
「……そうですね」
「まずは琥珀さんの体が心配だ。医者を呼んで診てもらおう」
「私から病院に行きます。以前のように足が悪いわけでもありませんし、お医者さまを呼んで、もし妊娠していなかったら皆さんをがっかりさせてしまうかもしれませんから」

 使用人達はいつ琥珀と慧の子どもが見られるのかとワクワクしながら過ごしている。
 期待を裏切るようなことはしたくなかったのは慧も同じようで、琥珀の提案をのんでくれた。

「わかった。だが、一人では行かせられない。千鶴と宗一郎にはこのことを話そう。病院には千鶴と一緒に行くといい」
「わかりました」

 この平らな腹には子どもが宿っているのだろうか。
 そっと撫でながら、琥珀は明るい未来に希望を抱いた。