夜の庭は昼間の庭とはまた違った魅力を見せている。
満月の月明かりを浴びる花々は内側から発光するような神秘的な美しさを感じさせた。
心地よい夜風が頬をさらさらと撫でていく。
風が運んできた花の香りを嗅ぐと、心のささくれ立っていた部分が落ち着く心地がした。
「きれいですね」
「ああ。それに香りもいい」
慧が気持ちよさそうに深呼吸をする。
隣で同じ感覚を分かち合っている。
ただそれだけのことが嬉しかった。
「眠れないのは、水波さまのことがあったからか?」
「……そうですね」
「危機の最中にあるときは、その本当の恐ろしさに気付けないものだ。後になってから恐怖に震えるということはよくある。……俺もなかなか寝付けずにいたところだった」
「慧さまもですか?」
「あの時は水波さまに対する怒りが強かったが、今はあの時琥珀さんの声が聞こえなかったらどうなっていたのだろう、どうして琥珀さんが離れてしまったことに気付けなかったのだろうと悶々と考えてしまって、うまく眠れなかった」
寝癖がついていたため、慧はすっかり寝入っていたのかと勝手に思い込んでいた。
慧も琥珀と同様にベッドの上で何度も寝返りを打っていたのだ。
「慧さまが、私のことをとても大切に想ってくださっていることが嬉しいです」
「……ああ。そうだな。俺はあなたのことをとても大切に想っている。それを今日の出来事で痛感した」
「ですが、どうしても不安なことがあって」
「不安なこと? なんだ?」
僅かに眉を寄せた慧が心配そうに琥珀を見つめてくる。
その視線から逃れるように、琥珀は俯いた。
「慧さまは私の傷跡を、見られましたか?」
「……肩にあったものか?」
やはり見えていたのか。
わかっていたこととはいえ、慧に見られてしまったのだとわかると惨めで胸が痛い。
肩は白虎の牙が食い込んだことがあり、肌が引き攣れた醜い傷跡が残ってしまっていた。
「私の体には、ああいう傷跡が他にもたくさんあります。亜琥が式神の白虎を召喚させて、遊びと称して私を襲わせるのが好きだったんです。他にも熱いお湯を背中にわざとこぼされたことや、階段から突き落とされたこともあって、その時の傷跡が残っています」
「……聞いているだけで辛い。なぜ俺はその時琥珀さんに出会えていなかったのか。もっと早く、薄墨家と見合いをしておくべきだった」
悔いるように呟く慧の言葉に涙が出そうになる。
痛みに耐えて、一人狭い部屋で傷の手当てをしていた過去の自分が救われたような気がすると同時に不安が増した。
こんなに優しいことを言ってくれる慧に拒絶されたら、きっと琥珀はもう生きていけない。
琥珀は誰かに寄りかかって生きた経験がない。
だからこそ、心の安寧を慧に預けることが恐ろしかった。
だが、切なげにこちらを見つめる慧を見て、琥珀は決めた。
(慧さまは私が不倫をしていないと信じてくださった。私も慧さまのことを信じたい)
本当はこんな質問は恐ろしくてしたくない。
だが、慧を信じると決めたからこそ、琥珀は勇気を持って尋ねた。
「私は傷だらけで醜い人間です。それを知っても、これからも変わらず私のことを大切に想ってくださいますか?」
夜風が強く吹き、ざあっと木々が揺れる音がする。
目を合わせた慧は目を見開いて歩み寄ってくると、そっと琥珀の腰に手を回して抱き寄せてきた。
慧の動きに身を任せていると、慧が琥珀の頬に触れて顔を覗き込んでくる。
視線が絡み、吐息が触れあう。
心拍が速まるのを感じて琥珀がたまらず目を閉じると、慧はゆっくりと琥珀の唇に口づけた。
「……慧さま?」
唇が離れると共に、琥珀は緊張で上ずった声で慧を呼ぶ。
琥珀の額にかかった前髪をよけて、慧は琥珀の額にも口づけた。
「自分を傷つけるのは、もうやめてくれ」
「……え?」
「琥珀さんが醜い人間なわけがない。傷跡なんて何も気にする必要はない。理不尽に耐えた過去が、琥珀さんの価値を損なうことなどあり得ないのだから」
言い聞かせるような慧の言葉が心に染み渡っていく。
心の深い部分にまで届いたその言葉に、琥珀は自然に涙を流していた。
「……泣かないでくれ。あなたが泣くと、俺も辛い」
「慧さま……、私、慧さまに出会えて本当によかったです」
「それは俺の方だ。琥珀さんに出会って、はじめて俺はちゃんと人と向き合いたいと思った。そして、こんなにも誰かを愛しく想う感情を知った」
頬を転がっていく涙の粒を慧がそっと払ってくれる。
その優しい指先が心地よくて、琥珀は慧の掌に頬を寄せた。
「私、慧さまが好きです」
いつの頃からかずっと抱いていたこの気持ちを言葉にすることが、もう今は何も怖くない。
慧が琥珀からの想いを蔑ろにするなんてことはあり得ないことだと信じることができていたからだ。
慧は琥珀の告白に嬉しそうに目を細めて、もう一度口づけてきた。
「俺も、あなたが好きだ。琥珀さん」
幸せで頬が緩む。
慧の腕の中があまりに心地よくて、琥珀は慧に自らも抱きついた。
「慧さま。わがままを言っていいですか?」
「ああ。なんでも言ってくれ。琥珀さんのわがままくらい、叶えてみせる」
「……夫婦の寝室を一緒にしてはくれませんか?」
そっと熱を込めた囁くようなお願いに、慧は一瞬驚いた表情を見せる。
だが、それは恥ずかしかったのか、すぐに驚いたことを咳払いで誤魔化して、慧は琥珀の体を横抱きに抱き上げた。
「俺もわがままを言いたい」
「はい。慧さまのわがままなら、なんでも叶えてみせます」
「……寝室は今夜から一緒でも構わないだろうか?」
目尻を赤らめてお願いしてくる慧の声には熱が籠もっている。
ドキドキと心臓が大きく主張するのを感じながら、琥珀は慧の首に腕を巻き付けるようにしてしがみついた。
「……はい。もちろんです」
嬉しそうに微笑んだ慧に、今度は琥珀の方から口づける。
くすぐったそうに微笑みを深めた慧に、胸がときめいた。
花々が咲き誇る庭を慧が琥珀を横抱きにして歩きだす。
この状況に覚えがある気がして、なんとはなしに満月を見上げた琥珀は思い出した。
「慧さま。すごいことに気が付きました」
「なんだ?」
「私、慧さまとの見合いに行く前に、今日のことを予知していました。今の景色が見えて、『行け』と見合いに行くように促す声が聞こえたんです」
満月の明かりに照らされた花々が咲き誇る庭で、琥珀が誰かに横抱きにされて幸せそうにしている光景。
それは亜琥の見合いに代わりに行くことを琥珀に決意させた未来予知で見た光景だった。
「それなら、今の幸せは琥珀さんが予知の声に応えてくれたおかげだな」
未来予知に従うかどうかは、琥珀が決めたことだ。
この未来にたどり着けたのは琥珀が見合いに行くと決意した結果だ。
あの時、勇気を持って決断をした自分に琥珀は心から感謝をした。
「慧さまといると、過去の自分も好きになれそうです」
「そうしてくれ。琥珀さんには、もっと自分を大切にしてもらわないと困る。琥珀さんは俺にとって宝物のようなものだからな」
慧の言葉にハッとする。
深雪も琥珀に同じ事を言っていた。
「たとえ式神を召喚できなかったとしても琥珀は私の大切な宝物よ」
どうして今まで忘れてしまっていたのだろう。
そんなことを言ってくれた深雪が琥珀を恨んだり呪ったりするわけがないのだ。
(今まで勘違いしていてごめんなさい、お母さま。私は幸せになるから、安心してね)
満月を見上げて、胸中で深雪に語りかける。
もう、琥珀は深雪が苦しんで死ぬ夢を見ることは生涯ないだろう。
満月の月明かりを浴びる花々は内側から発光するような神秘的な美しさを感じさせた。
心地よい夜風が頬をさらさらと撫でていく。
風が運んできた花の香りを嗅ぐと、心のささくれ立っていた部分が落ち着く心地がした。
「きれいですね」
「ああ。それに香りもいい」
慧が気持ちよさそうに深呼吸をする。
隣で同じ感覚を分かち合っている。
ただそれだけのことが嬉しかった。
「眠れないのは、水波さまのことがあったからか?」
「……そうですね」
「危機の最中にあるときは、その本当の恐ろしさに気付けないものだ。後になってから恐怖に震えるということはよくある。……俺もなかなか寝付けずにいたところだった」
「慧さまもですか?」
「あの時は水波さまに対する怒りが強かったが、今はあの時琥珀さんの声が聞こえなかったらどうなっていたのだろう、どうして琥珀さんが離れてしまったことに気付けなかったのだろうと悶々と考えてしまって、うまく眠れなかった」
寝癖がついていたため、慧はすっかり寝入っていたのかと勝手に思い込んでいた。
慧も琥珀と同様にベッドの上で何度も寝返りを打っていたのだ。
「慧さまが、私のことをとても大切に想ってくださっていることが嬉しいです」
「……ああ。そうだな。俺はあなたのことをとても大切に想っている。それを今日の出来事で痛感した」
「ですが、どうしても不安なことがあって」
「不安なこと? なんだ?」
僅かに眉を寄せた慧が心配そうに琥珀を見つめてくる。
その視線から逃れるように、琥珀は俯いた。
「慧さまは私の傷跡を、見られましたか?」
「……肩にあったものか?」
やはり見えていたのか。
わかっていたこととはいえ、慧に見られてしまったのだとわかると惨めで胸が痛い。
肩は白虎の牙が食い込んだことがあり、肌が引き攣れた醜い傷跡が残ってしまっていた。
「私の体には、ああいう傷跡が他にもたくさんあります。亜琥が式神の白虎を召喚させて、遊びと称して私を襲わせるのが好きだったんです。他にも熱いお湯を背中にわざとこぼされたことや、階段から突き落とされたこともあって、その時の傷跡が残っています」
「……聞いているだけで辛い。なぜ俺はその時琥珀さんに出会えていなかったのか。もっと早く、薄墨家と見合いをしておくべきだった」
悔いるように呟く慧の言葉に涙が出そうになる。
痛みに耐えて、一人狭い部屋で傷の手当てをしていた過去の自分が救われたような気がすると同時に不安が増した。
こんなに優しいことを言ってくれる慧に拒絶されたら、きっと琥珀はもう生きていけない。
琥珀は誰かに寄りかかって生きた経験がない。
だからこそ、心の安寧を慧に預けることが恐ろしかった。
だが、切なげにこちらを見つめる慧を見て、琥珀は決めた。
(慧さまは私が不倫をしていないと信じてくださった。私も慧さまのことを信じたい)
本当はこんな質問は恐ろしくてしたくない。
だが、慧を信じると決めたからこそ、琥珀は勇気を持って尋ねた。
「私は傷だらけで醜い人間です。それを知っても、これからも変わらず私のことを大切に想ってくださいますか?」
夜風が強く吹き、ざあっと木々が揺れる音がする。
目を合わせた慧は目を見開いて歩み寄ってくると、そっと琥珀の腰に手を回して抱き寄せてきた。
慧の動きに身を任せていると、慧が琥珀の頬に触れて顔を覗き込んでくる。
視線が絡み、吐息が触れあう。
心拍が速まるのを感じて琥珀がたまらず目を閉じると、慧はゆっくりと琥珀の唇に口づけた。
「……慧さま?」
唇が離れると共に、琥珀は緊張で上ずった声で慧を呼ぶ。
琥珀の額にかかった前髪をよけて、慧は琥珀の額にも口づけた。
「自分を傷つけるのは、もうやめてくれ」
「……え?」
「琥珀さんが醜い人間なわけがない。傷跡なんて何も気にする必要はない。理不尽に耐えた過去が、琥珀さんの価値を損なうことなどあり得ないのだから」
言い聞かせるような慧の言葉が心に染み渡っていく。
心の深い部分にまで届いたその言葉に、琥珀は自然に涙を流していた。
「……泣かないでくれ。あなたが泣くと、俺も辛い」
「慧さま……、私、慧さまに出会えて本当によかったです」
「それは俺の方だ。琥珀さんに出会って、はじめて俺はちゃんと人と向き合いたいと思った。そして、こんなにも誰かを愛しく想う感情を知った」
頬を転がっていく涙の粒を慧がそっと払ってくれる。
その優しい指先が心地よくて、琥珀は慧の掌に頬を寄せた。
「私、慧さまが好きです」
いつの頃からかずっと抱いていたこの気持ちを言葉にすることが、もう今は何も怖くない。
慧が琥珀からの想いを蔑ろにするなんてことはあり得ないことだと信じることができていたからだ。
慧は琥珀の告白に嬉しそうに目を細めて、もう一度口づけてきた。
「俺も、あなたが好きだ。琥珀さん」
幸せで頬が緩む。
慧の腕の中があまりに心地よくて、琥珀は慧に自らも抱きついた。
「慧さま。わがままを言っていいですか?」
「ああ。なんでも言ってくれ。琥珀さんのわがままくらい、叶えてみせる」
「……夫婦の寝室を一緒にしてはくれませんか?」
そっと熱を込めた囁くようなお願いに、慧は一瞬驚いた表情を見せる。
だが、それは恥ずかしかったのか、すぐに驚いたことを咳払いで誤魔化して、慧は琥珀の体を横抱きに抱き上げた。
「俺もわがままを言いたい」
「はい。慧さまのわがままなら、なんでも叶えてみせます」
「……寝室は今夜から一緒でも構わないだろうか?」
目尻を赤らめてお願いしてくる慧の声には熱が籠もっている。
ドキドキと心臓が大きく主張するのを感じながら、琥珀は慧の首に腕を巻き付けるようにしてしがみついた。
「……はい。もちろんです」
嬉しそうに微笑んだ慧に、今度は琥珀の方から口づける。
くすぐったそうに微笑みを深めた慧に、胸がときめいた。
花々が咲き誇る庭を慧が琥珀を横抱きにして歩きだす。
この状況に覚えがある気がして、なんとはなしに満月を見上げた琥珀は思い出した。
「慧さま。すごいことに気が付きました」
「なんだ?」
「私、慧さまとの見合いに行く前に、今日のことを予知していました。今の景色が見えて、『行け』と見合いに行くように促す声が聞こえたんです」
満月の明かりに照らされた花々が咲き誇る庭で、琥珀が誰かに横抱きにされて幸せそうにしている光景。
それは亜琥の見合いに代わりに行くことを琥珀に決意させた未来予知で見た光景だった。
「それなら、今の幸せは琥珀さんが予知の声に応えてくれたおかげだな」
未来予知に従うかどうかは、琥珀が決めたことだ。
この未来にたどり着けたのは琥珀が見合いに行くと決意した結果だ。
あの時、勇気を持って決断をした自分に琥珀は心から感謝をした。
「慧さまといると、過去の自分も好きになれそうです」
「そうしてくれ。琥珀さんには、もっと自分を大切にしてもらわないと困る。琥珀さんは俺にとって宝物のようなものだからな」
慧の言葉にハッとする。
深雪も琥珀に同じ事を言っていた。
「たとえ式神を召喚できなかったとしても琥珀は私の大切な宝物よ」
どうして今まで忘れてしまっていたのだろう。
そんなことを言ってくれた深雪が琥珀を恨んだり呪ったりするわけがないのだ。
(今まで勘違いしていてごめんなさい、お母さま。私は幸せになるから、安心してね)
満月を見上げて、胸中で深雪に語りかける。
もう、琥珀は深雪が苦しんで死ぬ夢を見ることは生涯ないだろう。

