幸運の花嫁 〜厄介払いの結婚で最強式神使いの溺愛がはじまりました〜

 琥珀が罪を犯したのは六歳のときだ。

 その日はよく晴れていて、琥珀は庭で咲いた大きな桜の木の下で母の深雪(みゆき)が召喚した式神の柴犬と追いかけっこをして遊んでいた。

「あはは、捕まえた! もふもふで気持ちいいね」
「わんっ!」
「お母さまはいいなあ。こんなにかわいい式神を召喚できるなんて羨ましいわ」
「琥珀ももうすぐ式神を召喚できるようになるわよ。お父さまが狼で私が柴犬だから、きっと琥珀の式神も犬なんじゃないかしら?」
「それなら、もふもふできるわね」

 薄墨伯爵家の令嬢である深雪はよく笑う人で、その日も琥珀を見てにこにこと朗らかに笑っていた。

 琥珀の父の景昭は貴族ではない一般家庭の出身ながらも、珍しく式神を召喚することができた。
 実力も知性もある人物なこともあり、国の治安維持だけでなく、妖怪退治も任される軍の中で順調に出世していたが、景昭には家柄だけが不足していた。
 そこで景昭が上司から勧められて見合いをすることになった相手が深雪だ。

 本来式神は血筋に宿る。
 犬の式神を召喚できる者が多く生まれる薄墨家は、狼の式神使いである景昭にとっては申し分ない婿入り先だった。

 子の式神の強さは家の権力に関わる。
 景昭も深雪も琥珀の式神に期待してくれていたが、琥珀がどれだけ指を鳴らして呼びかけようとも影が揺らいだことは一度もない。
 そのことを琥珀は憂いていた。

 深雪の式神をよしよしと撫でてから、今日も試しにパチンと指を鳴らしてみる。
 今度こそはと期待を持ってじっと足下の影を見たが、やはりビクともしない。

「はあ、やっぱりだめみたい。お父さまとお母さまの子なのに、どうして私はこんなにだめなのかしら」
「焦らなくていいわ。琥珀はまだまだ子どもじゃない」

 ため息をついた琥珀に視線を合わせるためにしゃがみこんだ深雪がそっと頭を撫でてくれる。
 
「でも、式神はもっと小さい子どもでも召喚できる子はできるって聞いたわよ?」
「琥珀の式神はちょっぴりゆっくりさんなだけよ。それにたとえ式神を召喚できなかったとしても琥珀は私の大切な宝物よ」

 貴族の子らで集まる機会があったときに、まだ式神を召喚できていないのかと馬鹿にされて笑われたことがある。
 式神は早ければ二、三歳で召喚することができるため、六歳でまだ召喚できていない琥珀は馬鹿にされても仕方がないと耐えることしかできなかった。
 それを気にしていた琥珀は深雪の言葉に安堵して、深雪にぴょんと跳ねて抱きついた。

「お母さま、大好き!」
「私も琥珀のことが大好きよ」

 柔らかく笑んで抱き返してくれる母のあたたかさに琥珀が癒やされていると、屋敷の方から景昭が近付いてきた。

「あ、お父さま!」
「きれいに咲いたな。今が満開かな?」
「景昭さま。来てくださったのですね」
「今日は花見をすると聞いていたからな。仕事ばかりでなく、家族の時間も大事にしなければな」
「いつもありがとうございます」

 景昭は日々忙しく仕事をしているが、よく琥珀を構ってくれた。
 隣合って桜を見上げる景昭と深雪はより強い式神を産むためのいわゆる式神婚と呼ばれる政略結婚で結ばれた夫婦だ。
 だが、お互いを思いやり、支え合う仲のいい夫婦だった。

 琥珀は自分は幸せな家庭の子どもなのだと信じていた。

「花見と言えば団子だろう? 作らせたからふたりで食べなさい」
「景昭さまは一緒に召し上がらないのですか?」
「私は昼食が遅かったんだ。まだ腹がいっぱいなんだ。遠慮しなくていい」
「お忙しいのにお気遣いいただきありがとうございます」

 皿に載った三色団子を景昭から受け取った深雪は、しゃがみこんで琥珀に見せてくれる。
 二本並んだ三色団子の片方を深雪が手に取ったその時、琥珀の脳裏に一瞬何かの声がした。

 ――それを食べてはいけない。

 この声に従わなければ。
 なぜか本能的にそう思った琥珀は、団子を受け取らずに固まってしまう。
 じっと三色団子を見つめるだけの琥珀を見て、深雪は不思議そうに首を傾げた。

「琥珀は色の付いたお団子は食べたことがなかったかしら? それともお団子は嫌い?」
「……ううん。お団子は大好きよ」
「そうなの? おいしいから食べてみて。ほら」

 深雪は手に取った団子のひとつを食べて、にっこりと微笑む。

「とってもおいしい。琥珀もどうぞ」
「……ちょっとだけでもいい?」
「もちろん、いいわよ」

 景昭が立ったままこちらを見下ろしている。
 その目がどうしてか真っ黒な穴のように見えて今日は恐ろしかった。
 視線が気になった琥珀は一本の串に刺さった三つの団子のうち、一つだけを食べてそっと皿に戻す。

 せっかく忙しい景昭が持って来てくれたからだろう。
 深雪は琥珀が残した分も三色団子を食べてくれた。

 それが、いけなかった。

 その晩、琥珀は突如高熱を出し、激しい嘔吐を繰り返した。
 使用人も寝静まった夜のことだ。
 誰も琥珀がひとりぼっちで部屋で苦しんでいることには気が付いてくれない。

 ゴミ箱として与えられていた箱に嘔吐していた琥珀は、辛さに耐えきれずに母を頼ろうと暗い廊下にふらふらと出た。

「……お母さま、お母さま」

 深雪の部屋はすぐ近くにあるとはいえ、真っ暗な廊下は怖くて、ひとりで歩くのは心細い。
 自分の荒い息遣いを聞きながら向かった深雪の部屋の前にたどり着くと、中から怒号が聞こえてきた。

「琥珀が生き残ったのはおまえの責任だぞ! どうするんだ!?」

 一瞬誰の声かわからなかったが、それは確かに景昭の声だった。
 琥珀にいつも優しく話しかけてくれる景昭の声とはまるで違う怒鳴り声に琥珀は身を凍らせる。

 次いで「申し訳ございません!」と叫ぶ使用人の声が聞こえた。

「団子に盛る毒の量を加減したんじゃないだろうな?」
「そんなことは決してしておりません……! 命じられた通りのものを混ぜました! だから、どうか家族には手を出さないでください!」
「うるさい! 目的も達成できていないのに、つべこべ言うな!」
「そ、そんなっ……! 旦那様、お許しください!」
「ちっ、なんであのガキはひとつしか食べなかったんだ。一番の邪魔者が残ってしまったではないか!」

 ドクドクと心臓が嫌な音を立てる。
 ここにいて景昭に見つかってしまったら殺されてしまうのではないかという恐怖で、琥珀は体がふらつくのを感じながらも急いで自室に駆け戻った。

(どういうこと? どうして? お父さまは私に毒を盛ったの?)

 こんなに体調が悪いのも毒のせいだと言われたらうなずける。
 だが、なぜ景昭が琥珀に毒を盛ったのかは理解できなかった。

 あの団子に景昭が毒を盛ったのなら、琥珀の分も食べてくれた深雪はどうなってしまったのか。

 不安と恐怖に支配され、琥珀が一睡もできないまま迎えた翌朝。
 その答えは出た。

 深雪はベッドの中で眠るように死んでいた。