幸運の花嫁 〜厄介払いの結婚で最強式神使いの溺愛がはじまりました〜

「今日の琥珀さまは一日中そわそわしているご様子で、何をしていいのかわからないと言いながら屋敷や庭を延々うろうろしておられたので、紅茶とクッキーでお茶会をしました! ですが、やっぱりお茶会中も落ち着かれない様子でしたね」
「そうか」

 書斎に報告をしに来た千鶴に、慧は神妙にうなずく。

 人間そう簡単には変われない。
 特に琥珀の母である薄墨深雪が亡くなったのは、琥珀が六歳の時だったと聞く。
 十三年もの間抱えてきた重すぎる罪悪感をいきなり手放せと言われても、そう易々とできることではないだろうことは慧にもわかっていた。

 そのため、千鶴には日々の琥珀の様子を報告させると共に、いろいろと娯楽や休み方を提案してやってもらえるように頼んでいる。
 今日で琥珀に休暇を与えて三日目になるが、やはり琥珀は落ち着かない日々を送っている様子だ。

「明日は読書でも勧めてみたらどうだ? 良作に出会えれば、かんたんに何時間も潰せるだろう」
「お言葉ですが、その提案は慧さまからするというのはいかがでしょうか?」

 傍らで話を聞いていた宗一郎が口を挟んでくる。

「なぜ俺が? 千鶴からで構わないだろう」
「千鶴からは日々たくさんの提案を琥珀さまは受けておられますから。慧さまから直接ご提案いただければ、琥珀さまも喜ばれるかもしれません」
「わからん。俺が提案して喜ぶものか?」
「それはそうでしょう。お二人はご夫婦なのですから」

 宗一郎は慧が結婚した理由を知っている。
 形だけの夫婦だと承知しているくせにそんなことを言うのかと思ったが、考えてみれば琥珀は慧が思っていたよりもずっと慧のことを大切にしてくれている。

 慧が気に入っている庭の花壇の植え替えも、慧が好むだろうと予知して苺ジャムのクッキーを作ってくれたのも、慧のために琥珀がしてくれたことだ。
 恩を多く受けているが、何も返していないことに気が付いた。

「……そんなことで琥珀さんが喜ぶのであれば仕方がない。俺が話しに行こう」
「ええ、ぜひ」
「琥珀さまもきっと喜ばれますね!」

 にこにことしている岩倉親子に背を押されるようにして、慧は自分が娯楽を提案することが琥珀にとって喜ばしいことなのかはピンとこないまま、その晩琥珀の部屋を訪れた。

「慧さま。どうされましたか?」

 ドアを叩くと、琥珀が顔を出す。
 慧と目が合うと琥珀はにっこりと微笑んだ。

「少し、話をしに来た」
「お話ですか?」
「入っても構わないか?」
「もちろんです。どうぞ」

 招かれた室内で、窓際にある応接セットの椅子に腰掛ける。
 琥珀は緑茶を入れて出してくれた後に、慧の対面に座って話を聞く体勢に入ってくれたが、急に読書を勧めるのもおかしいだろう。

 なにか話をと考えたが、雑談などまともにしようと思ったこともしたこともないため、戸惑った慧は視線を逃がしてもう真っ暗な窓の外に向けた。

「……最近、どうだ? 休みは満喫できているか?」
「そうですね……。千鶴がいろいろと提案してくれるので、試してみているところです。でも、やっぱりそわそわして落ち着かなくて。私には休む才能もないのかもしれません」
「すぐに気持ちを変えるなんてことは難しいだろう。焦る必要はない」
「そうですね。ありがとうございます」
「読書でもしてみたらどうだ? 書庫には母が生前に読んでいた本もある。女性が好むようなものもあるだろう」
「読書ですか。調べ物以外ではあまりしたことがないので、明日は試してみます」
「ああ」

 思っていたよりもすぐに本題に入ることができてしまったため、これ以上何を話していいかわからない。
 無言で茶を啜っていたが、このまま無言でいいのかと真顔のまま慧が考えていると、琥珀がくすっと笑った声が聞こえた。

「何か可笑しかったか?」
「いえ。慧さまはお優しい方だなと思っただけです」
「俺がか?」
「はい。私のことを気遣って、こうして様子も見に来てくださって本当にありがたいです」
「……妻の様子を気遣うのは当然のことだろう」
「私の父と継母はそんな様子はありませんでしたから。それに亡くなった母を父が大切にしているように見えたのは、式神の召喚には心身が満たされていることが重要だという通説があったからに過ぎませんでしたので」

 琥珀の顔に影が差す。
 悲しげな表情は琥珀には似合わない。
 もっと幸せそうに微笑んでいる表情が見たい。
 だが、そんな気持ちを抱くこと自体がはじめてのことであり、どうしていいのかわからなかった。

 気の利いた言葉も浮かばない自分がとても情けない存在に思える。
 仕方なく、慧は琥珀に率直な想いを伝えることにした。

「妻だから気遣っている、というのは語弊があった。俺は琥珀さんだから気遣っている。あなたが悲しそうにしていると、俺も嫌だ」
「そんな風に思ってくださっていたんですか?」

 琥珀が大きな目をさらに見開く。
 澄んだ瞳は吸い込まれそうな程に美しく感じられた。

「……俺は、幼い頃に両親が病気で亡くなっている。それからずっと代々軍人として務めている緋彩家の当主としての責務を果たさなければならないと必死だった。器用ではないから、他者を気遣う余裕などなかった人生だ。だが、あなたのことは俺なりに大切にしたいと思っている」
「……嬉しいです」
「だから、琥珀さんも自分のことを大切にしてくれるとありがたい。俺ばかりが大切にしても、限界があるからな」
「わかりました。慧さまのためにも、もっと自分を甘やかしてみようと思います」

 ほんのり目尻を朱に染めた琥珀が微笑む。
 落ち込んだり悲しんだりしている表情よりも、その表情はずっと愛らしく見えた。

「わがままもいくらでも言ってくれて構わない。あなたの考えるわがままなんて、ささやかなものだろうからな」
「では……、その、少しだけ、わがままを言っても構いませんか?」
「ああ、なんだ?」
「……今度、プリンというものが食べてみたいんです」
「ぷりん。なんだ? それは」
「卵を使ったぷるぷるのお菓子だそうで、亜琥が町で食べてきたと言っているのを聞いて、いつか食べてみたいと思っていたんです。カステラは先日慧さまからいただけたので、今度はプリンが食べてみたいな、と」

 遠慮がちに両手の指を合わせながらのお願いは、思っていたよりもずっとささやかなものだった。

 琥珀は薄墨家では食べたい物も食べられず、虐げられる日々を送ってきたのだろう。
 そのことを思うと胸が痛むと共に燃えたぎるような怒りが湧いてきたが、表情には出さずに慧は「わかった」と答えた。

「では、今週末の休みには一緒にプリンを食べに行こう」
「えっ、一緒に行ってくださるのですか?」
「だめだったか?」
「いえ、嬉しくて。慧さまと一緒におでかけできる日が来るなんて思ってもいませんでした」

 琥珀は笑うと目が糸のように細くなって、目尻がとろりと垂れる。
 柔らかなその笑みを生んだのが、慧が提案したでかける約束だということが妙に嬉しかった。

「……俺もだ。こんな気持ちになるとは、思ってもいなかった」

 形だけの夫婦でいるつもりだった。
 だが、今はその響きが寂しく感じられるのは何故なのだろうか。