「クッキーのジャムの味を選ぶときは慧さまが苺ジャムをおいしそうに食べてくださって私が喜んでいる姿が見えましたし、新人対抗戦の結果は里中さんが優勝したと言って慧さまがこうしてカステラを持ってきてくれる姿が見えていました。声で聞こえることもあるんですが、最近は映像で見えることが増えたように思います。今日の梯子の件も、千鶴に梯子が倒れてきて私は間一髪で助かるところが見えたんです」
「それでそうなる前に千鶴を庇ったのか。予知で見える未来はどれも琥珀さんにとっては幸福なことだったから、自分は運がいいと」
「はい」
琥珀がうなずくと、慧は「なるほど」と静かに納得した様子で顎を撫でる。
「それは驚いただろう。どうして自分の見えたり聞こえたりしたものが未来のことだと確信を持つに至ったんだ?」
「……こんな突拍子もない話を、信じてくださるんですか?」
想像よりも慧があっさりと告白を受け入れてくれたことに、拍子抜けしてしまう。
上ずった声で訊ねた琥珀に、慧は怪訝そうに眉を寄せた。
「嘘をついているのか?」
「いえ! 嘘はついていません」
「そうだろう。確かに突飛な話だとは思うが、琥珀さんの行動とも一致する。琥珀さんが俺にそんなくだらない嘘をつく理由もない。俺もこの屋敷で働いている琥珀さんをそれなりに見てきた。あなたが信頼に足る人間であることくらいわかっている」
慧の目はいつも鋭く、視線は力強い。
その眼差しが威圧感を放つこともあるが、今の琥珀にとっては頼もしいものだった。
じんと胸の奥が熱くなるような安心感に、琥珀は詰めていた息を吐き出して、いつの間にか入っていた肩の力を抜いた。
この人になら何を打ち明けても受け入れてくれる気がする。
誰にも話せなかった弱音を聞いてほしいと強く感じた琥珀は、勇気を出して慧に告げた。
「慧さま。どうか、私が今から言うことは内密にしていただけますか?」
「ああ。約束しよう」
琥珀は乾いた唇を舐める。
緊張する自身を鼓舞して慧に向き直った。
「実は、私の母は病死ということになっていますが、……父に毒殺されたんです」
「……それはなぜ?」
「私が式神を召喚することができない無能だったことが理由です。母を殺すと父が決めたのは、恐らくその少し前に亜琥が白虎を召喚することに成功したからだと思います。無能の私とその母親を家族とするより、白虎を式神とする亜琥の父になることを選んだんでしょう」
満開の桜の下で微笑んでいた深雪の姿を思い出す。
それと同時に、夢で見るもだえ苦しみ、琥珀に憎悪をぶつける深雪の姿も脳裏に浮かび、琥珀はぎゅっと掌に爪が食い込むほどに手を握りしめた。
「父が出した三色団子に毒が入っていました。私はそれを食べてはいけないという予知の声を聞いて、一つだけしか食べなかったんです。私が残した分も母は食べることになりました。そのせいで、母は死んだんです。私が、私がお母さまにもそれを食べちゃだめって言っていれば、お母さまは死ぬことも……!」
「琥珀さん」
シーツの上で握り込んでいた手を上から包むように握られて我に返る。
大きな慧の手に包まれた琥珀の手はガタガタと震えていた。
「血が出ている。爪で傷がついたんだろう」
「……すみません」
血でシーツが汚れてしまう。
手を引こうとした琥珀の手首を取って、慧はそっとその手を一本ずつ指を取って開かせた。
いつも無愛想な慧だとは信じられないような優しい手つきでそっと手を開かれて、そのゆっくりとした仕草を見ているとだんだん心が落ち着いてくるのを感じる。
気が付けばしゃくりあげるような呼吸になっていたことに気が付いて、琥珀は意識して呼吸を整えた。
「その件があって、自分には予知の能力があるとわかったのか」
「……はい」
「俺はここ最近、毎日の様に宗一郎と千鶴から琥珀さんが日々どれだけがんばっているか報告を受けている。他の使用人からも琥珀さんがあれをしてくれたこれをしてくれたとやたらと声をかけられることに驚いていたんだが、先日は平井からまで琥珀さんに手伝ってもらったと言われて本当に驚愕した。平井は使用人の中でも寡黙な男だからな。俺もそうしゃべる方ではないから、ほとんど会話などなかったのに、わざわざ琥珀さんはいい人だから大切にしてあげてほしいと言われたんだ」
「そんなことが……」
慧の声は低く穏やかで、聞いていると速まっていた鼓動もゆっくりと落ち着いていく。
琥珀の両手の平の傷を確認した慧は、足の治療の際に千鶴がいろいろと置いて行った救急箱からガーゼを取り出して丁寧に消毒をしはじめた。
「俺は自由にして構わないと言ったのに、こんな暗がりで針仕事をして、休めと言われても休まない。何をそんなに必死になって働くのかと疑問に思っていたんだが、それだけの罪悪感を抱えていると知って納得した。ときどき仲間が目の前で戦死した軍人が同じような症状を抱えることがある。琥珀さんは自分が罰されるべき人間だと思っているんだろう」
「……それは、当然です。母の死の責任は半分は私にあります」
「違う。琥珀さんの母君は、薄墨第三師団長が毒を盛ったせいで死んだ。それが全てであり、琥珀さんは何も悪くない」
治療のために手に触れる慧の体温が心の奥にまで届くようだった。
きっぱりと言われた言葉に不意に涙が出そうになる。
それをぐっと堪えて、琥珀は俯いた。
「……ありがとうございます。でも、そうとはすぐには思えません」
「長年の思い込みはそう簡単に消えるものではないだろうからな。だが、休むべき時に休まず、こうして自分を自分で傷つけるようなことは、俺は許さない」
「では、どうすれば……?」
「足首の件もある。琥珀さんには一週間の休みを与える。その間は、決して働かないように」
「ですが、私は何かしていないと落ち着かないんです。ちゃんとがんばって働かないと、夢見も悪くて……とても怖いんです」
またあの深雪の死に顔を夢で見ることが恐ろしい。
必死に訴えた琥珀の手の治療を終えた慧は、そっと琥珀の手を包み込んだ。
「なら、怖い夢を見たら、俺を起こしてくれて構わない」
「え……?」
「俺の部屋に来てドアを叩いてくれれば必ず起きると約束しよう。少し庭を散歩してから眠れば、きっとまたちゃんと眠れる」
「そんな。そこまでご迷惑はおかけできません」
「使用人一同が『よき妻」と認めている琥珀さんを俺が蔑ろにすれば、俺はこの家で針のむしろに座ることになる。琥珀さんを大事にするのは俺のためでもあると考えれば、迷惑だなんてことはないだろう」
なんでもないことのように言う慧に琥珀は唖然としてしまう。
慧のことを戦いぶりや働きから鬼神と言われているが、噂通りの冷徹で恐ろしい人物だとは思ってはいなかった。
だが、こんなに優しい人だとまでは考えてもいなかったのだ。
「それでは眠れそうにないか?」
真顔のままで、声も平坦ではあるが、慧が琥珀を気遣って心配してくれていることは伝わってくる。
その気持ちだけで、琥珀は凍っていた心の一部が溶かされたような感覚がして安心できた。
「いえ。眠れます」
「そうか。手の傷は大したことはないが、もう寝た方がいい。今日は屋敷中の人間が琥珀さんを心配して落ち着かない様子だった。たまには皆のためにもゆっくり休んでくれ」
「はい。わかりました」
心がぽかぽかとあたたかいのを感じる。
穏やかな表情になった琥珀を確認してから、慧は椅子を戻して部屋を出て行った。
琥珀はその後、針仕事をしていた道具を片付けて、早い時間ではあったがベッドに潜った。
今夜は、なんの夢を見ることもなく、ぐっすりと眠ることができた。
「それでそうなる前に千鶴を庇ったのか。予知で見える未来はどれも琥珀さんにとっては幸福なことだったから、自分は運がいいと」
「はい」
琥珀がうなずくと、慧は「なるほど」と静かに納得した様子で顎を撫でる。
「それは驚いただろう。どうして自分の見えたり聞こえたりしたものが未来のことだと確信を持つに至ったんだ?」
「……こんな突拍子もない話を、信じてくださるんですか?」
想像よりも慧があっさりと告白を受け入れてくれたことに、拍子抜けしてしまう。
上ずった声で訊ねた琥珀に、慧は怪訝そうに眉を寄せた。
「嘘をついているのか?」
「いえ! 嘘はついていません」
「そうだろう。確かに突飛な話だとは思うが、琥珀さんの行動とも一致する。琥珀さんが俺にそんなくだらない嘘をつく理由もない。俺もこの屋敷で働いている琥珀さんをそれなりに見てきた。あなたが信頼に足る人間であることくらいわかっている」
慧の目はいつも鋭く、視線は力強い。
その眼差しが威圧感を放つこともあるが、今の琥珀にとっては頼もしいものだった。
じんと胸の奥が熱くなるような安心感に、琥珀は詰めていた息を吐き出して、いつの間にか入っていた肩の力を抜いた。
この人になら何を打ち明けても受け入れてくれる気がする。
誰にも話せなかった弱音を聞いてほしいと強く感じた琥珀は、勇気を出して慧に告げた。
「慧さま。どうか、私が今から言うことは内密にしていただけますか?」
「ああ。約束しよう」
琥珀は乾いた唇を舐める。
緊張する自身を鼓舞して慧に向き直った。
「実は、私の母は病死ということになっていますが、……父に毒殺されたんです」
「……それはなぜ?」
「私が式神を召喚することができない無能だったことが理由です。母を殺すと父が決めたのは、恐らくその少し前に亜琥が白虎を召喚することに成功したからだと思います。無能の私とその母親を家族とするより、白虎を式神とする亜琥の父になることを選んだんでしょう」
満開の桜の下で微笑んでいた深雪の姿を思い出す。
それと同時に、夢で見るもだえ苦しみ、琥珀に憎悪をぶつける深雪の姿も脳裏に浮かび、琥珀はぎゅっと掌に爪が食い込むほどに手を握りしめた。
「父が出した三色団子に毒が入っていました。私はそれを食べてはいけないという予知の声を聞いて、一つだけしか食べなかったんです。私が残した分も母は食べることになりました。そのせいで、母は死んだんです。私が、私がお母さまにもそれを食べちゃだめって言っていれば、お母さまは死ぬことも……!」
「琥珀さん」
シーツの上で握り込んでいた手を上から包むように握られて我に返る。
大きな慧の手に包まれた琥珀の手はガタガタと震えていた。
「血が出ている。爪で傷がついたんだろう」
「……すみません」
血でシーツが汚れてしまう。
手を引こうとした琥珀の手首を取って、慧はそっとその手を一本ずつ指を取って開かせた。
いつも無愛想な慧だとは信じられないような優しい手つきでそっと手を開かれて、そのゆっくりとした仕草を見ているとだんだん心が落ち着いてくるのを感じる。
気が付けばしゃくりあげるような呼吸になっていたことに気が付いて、琥珀は意識して呼吸を整えた。
「その件があって、自分には予知の能力があるとわかったのか」
「……はい」
「俺はここ最近、毎日の様に宗一郎と千鶴から琥珀さんが日々どれだけがんばっているか報告を受けている。他の使用人からも琥珀さんがあれをしてくれたこれをしてくれたとやたらと声をかけられることに驚いていたんだが、先日は平井からまで琥珀さんに手伝ってもらったと言われて本当に驚愕した。平井は使用人の中でも寡黙な男だからな。俺もそうしゃべる方ではないから、ほとんど会話などなかったのに、わざわざ琥珀さんはいい人だから大切にしてあげてほしいと言われたんだ」
「そんなことが……」
慧の声は低く穏やかで、聞いていると速まっていた鼓動もゆっくりと落ち着いていく。
琥珀の両手の平の傷を確認した慧は、足の治療の際に千鶴がいろいろと置いて行った救急箱からガーゼを取り出して丁寧に消毒をしはじめた。
「俺は自由にして構わないと言ったのに、こんな暗がりで針仕事をして、休めと言われても休まない。何をそんなに必死になって働くのかと疑問に思っていたんだが、それだけの罪悪感を抱えていると知って納得した。ときどき仲間が目の前で戦死した軍人が同じような症状を抱えることがある。琥珀さんは自分が罰されるべき人間だと思っているんだろう」
「……それは、当然です。母の死の責任は半分は私にあります」
「違う。琥珀さんの母君は、薄墨第三師団長が毒を盛ったせいで死んだ。それが全てであり、琥珀さんは何も悪くない」
治療のために手に触れる慧の体温が心の奥にまで届くようだった。
きっぱりと言われた言葉に不意に涙が出そうになる。
それをぐっと堪えて、琥珀は俯いた。
「……ありがとうございます。でも、そうとはすぐには思えません」
「長年の思い込みはそう簡単に消えるものではないだろうからな。だが、休むべき時に休まず、こうして自分を自分で傷つけるようなことは、俺は許さない」
「では、どうすれば……?」
「足首の件もある。琥珀さんには一週間の休みを与える。その間は、決して働かないように」
「ですが、私は何かしていないと落ち着かないんです。ちゃんとがんばって働かないと、夢見も悪くて……とても怖いんです」
またあの深雪の死に顔を夢で見ることが恐ろしい。
必死に訴えた琥珀の手の治療を終えた慧は、そっと琥珀の手を包み込んだ。
「なら、怖い夢を見たら、俺を起こしてくれて構わない」
「え……?」
「俺の部屋に来てドアを叩いてくれれば必ず起きると約束しよう。少し庭を散歩してから眠れば、きっとまたちゃんと眠れる」
「そんな。そこまでご迷惑はおかけできません」
「使用人一同が『よき妻」と認めている琥珀さんを俺が蔑ろにすれば、俺はこの家で針のむしろに座ることになる。琥珀さんを大事にするのは俺のためでもあると考えれば、迷惑だなんてことはないだろう」
なんでもないことのように言う慧に琥珀は唖然としてしまう。
慧のことを戦いぶりや働きから鬼神と言われているが、噂通りの冷徹で恐ろしい人物だとは思ってはいなかった。
だが、こんなに優しい人だとまでは考えてもいなかったのだ。
「それでは眠れそうにないか?」
真顔のままで、声も平坦ではあるが、慧が琥珀を気遣って心配してくれていることは伝わってくる。
その気持ちだけで、琥珀は凍っていた心の一部が溶かされたような感覚がして安心できた。
「いえ。眠れます」
「そうか。手の傷は大したことはないが、もう寝た方がいい。今日は屋敷中の人間が琥珀さんを心配して落ち着かない様子だった。たまには皆のためにもゆっくり休んでくれ」
「はい。わかりました」
心がぽかぽかとあたたかいのを感じる。
穏やかな表情になった琥珀を確認してから、慧は椅子を戻して部屋を出て行った。
琥珀はその後、針仕事をしていた道具を片付けて、早い時間ではあったがベッドに潜った。
今夜は、なんの夢を見ることもなく、ぐっすりと眠ることができた。

