幸運の花嫁 〜厄介払いの結婚で最強式神使いの溺愛がはじまりました〜

 深雪は自室のベッドで眠るように亡くなった。
 琥珀も遺体を確認しているため、それは確かな事実だ。
 決して深雪は悶え苦しんだ末に死んだわけではない。

 それなのに、琥珀の夢の中で深雪は度々ベッドで喉を掻き、苦しみ喘ぐ姿を見せる。
 ぽっかりと開いた口から泡を吹き、ガタガタと体を震わせてもがき苦しむ様は、見ているこちらを恐怖に陥らせる。

 苦しみ抜いて絶命するとき、夢の中の深雪はいつも琥珀に真っ黒な穴のような目を向けて言うのだ。

「琥珀……、琥珀、あなたのせいよ、あなたのせいで、私は……」

 ひっと自分の喉が鳴った音が聞こえて、琥珀は目を開けて身を起こした。

「また、あの夢……」

 ぐっしょりとかいた冷や汗のせいで、髪がしっとりと濡れているのを感じる。
 夢で見た苦しんで死んだ深雪の顔を思い出し、琥珀はベッドの上で自分の体を掻き抱いた。

「お母さま、お母さま、ごめんなさい」

 薄墨家にいた頃からこの夢は見ていたが、最近その頻度が増している。
 それはきっと琥珀が今の穏やかな生活に幸せを感じているからだろう。

 誰からも暴言を浴びせられることも、暴力を振るわれることもなく、自由に琥珀のやりたいことを毎日やらせてもらえている。
 夫である慧と会話ができることはあまりないが、使用人達は優しく、琥珀をいつも気遣ってくれている。

 あたたかな日常の中で幸福を感じる度に、影を引きずるように自分が幸せになっていいのかという罪悪感が付きまとう。

(きっと、お母さまは私が幸せになることを許したりしないわよね……)

 ぎゅうと自分の体を掻き抱く腕に爪が食い込む。
 痛みを感じると、少しだけ安心できた。

(もっと、もっとがんばらなくちゃ。私にできることを探さなくちゃ)

 千鶴も宗一郎も琥珀にできる仕事を与えてくれて、最近は平井にも料理を教えてもらい、庭でも庭師達と一緒に土にまみれて仕事をしている。
 だが、きっとそれだけでは努力が足りないのだ。

 眠れないまま翌朝を迎えた琥珀は、早朝から明かりをつけて平井が働いている台所へと顔を出した。

「平井さん、おはようございます」

 声をかけると食材を切っていた平井が顔を上げる。
 最初は会話に困る様子を見せていた平井だが、琥珀が一方的にあれもやりたいこれもやりたいと台所でお願いしているうちに打ち解けたのか、今では快く琥珀を受け入れてくれるようになっていた。

「……おはようございます」

 とはいえ、今日も平井の声は小さくぼそぼそとしている。

「何かお手伝いできることはありませんか?」
「……では、味噌汁を作るための野菜を切っていただけますか?」
「はい。お手伝いさせてくださって、ありがとうございます」
「……こちらこそ、ありがとうございます。琥珀さまが手伝ったと言うと皆が嬉しそうにするのでありがたいです」
「本当ですか? それなら私も嬉しいです」

 平井はあまりしゃべらない人だが、こちらから遠慮なく話しかければ問題なく会話ができる。
 慧と琥珀のものだけではなく、使用人全員の食事も一手に引き受けている平井のところに赴くと大体何か手伝えることがあった。

 副菜の煮物料理を作る手伝いもさせてもらった琥珀は、大鍋をかき混ぜる平井の隣でその様子を見守りながら話しかけた。

「平井さん。お昼食もお夕飯も、できれば軽食のご用意もなにかお手伝いさせていただけませんか?」
「……それは、あまりにもお手間をかけすぎてしまいます」
「やっぱり私が入り浸るとお邪魔でしょうか……?」
「……そんなことはありません。琥珀さまとのお料理を私も楽しく感じております」

 ぼそっと答えてはいるものの平井の言葉に嘘はないように聞こえた。

「……琥珀さまがこの家でがんばられていることは、私のような者にも噂で聞こえてくるほどみんながわかっていることです。あまりご無理をなさらないでいただきたいと、私は思っているだけです」

 そう言われてしまうと、琥珀は「ありがとうございます」と言って引き下がるしかなくなってしまう。

 庭の花の苗も先日植え替えたばかりであり、庭師の手伝いもそんなにできることはない。
 予算も組んでしまえば後は使用人達が自分の仕事を滞りなく進める体制が整っているため、琥珀の出る幕は家のどこにもなかった。

 あっという間にやることがなくなってしまった琥珀はぐるぐると目的もなく庭を歩き回っていたのだが、庭の端にある庭師達が使う倉庫近くの地面に雑草が少し生えていることに気が付いた。

(……やらなくてもいい仕事なのかもしれないけど、何もしないより落ち着くわ)

 緋彩家の庭師達は優秀だ。
 琥珀なんかが手出ししなくても、ここの雑草くらいあっという間に取ることができるのだろう。

 それはわかっていても、何もしないでいることはできず、琥珀は着物のまましゃがみこんで素手で雑草を抜き始めた。
 昨夜降った雨のおかげで地面が緩んでおり、力を入れずとも雑草はすぽすぽと抜けていく。
 手は泥に汚れるが、構わずに雑草を抜き続けていると千鶴の声が聞こえた。

「あれっ、琥珀さま? そんなところで何をされているんですか?」
「あ、千鶴」

 千鶴は琥珀の侍女ではあるが、普段は家事全般を他の女中達と共に引き受けてくれている。
 今日も忙しそうにしている千鶴を羨ましく思いながらも、琥珀は抜いた雑草を握りしめたまま千鶴に答えた。

「ちょっと雑草抜きをしていたの。いらないことかもしれないけど、空いた時間があると何をしていいのかわからなくて……」
「そうですか〜。琥珀さまは私達を本当によく手伝ってくださってありがたいんですが、もっと自分のやりたいことをやられていいんですよ?」
「ご迷惑になるかもしれないけど、みんなのお手伝いが私のやりたいことなの。そうだ。お洗濯物やお掃除なんかで私に手伝えることはない?」
「そんなことまで琥珀さまに任せられませんよ! 女中達もびっくりしてしまいます!」
「そうよね……」

 琥珀があまり手出しをすると、使用人の仕事を奪ってしまうことになる。
 自分達のやり方で仕事をしている彼らの元に行って手伝いをさせてもらっても邪魔になってしまうだけだろう。
 そうとはわかっていてもどうしていいのかわからず落ち込んでしまった琥珀に、千鶴は慌てた様子で琥珀の前にしゃがみこんで励ましだした。

「あわわ、琥珀さまのお手伝いが迷惑だなんて誰も思っておりませんよ! ですが、琥珀さまには休息も必要だと思っているだけです。縁側でのんびりぼんやり雲を見て寛いだり、流行りの恋物語を読んだりなんかするのも楽しいですよ。手芸がお好きなら刺繍を楽しんだり、楽器の習い事をされるのもいいかもしれません!」

 千鶴が活き活きと語ってくれることに興味はあるが、それを実践したところで琥珀は自分の気持ちが晴れるとは思えなかった。
 きっと何もせずにゆっくり過ごしてしまった一日の終わりに見る夢は、母がのたうちまわって苦しんで死ぬ夢に違いない。

「他にも楽しいことはたくさんありますよ。町をお散歩するのも楽しいですし、絵を描くことを趣味にされているご令嬢もいらっしゃって……」

(誰かの役に立たなくちゃ。何か、私にできること)

 千鶴が提案してくれている声がだんだん遠くなっていく。
 楽しいことを指折り数えている千鶴を見つめていると、不意に声が聞こえて、セピア色の映像が一瞬見えた。

 ――動くな。

 琥珀が動かずにいると、千鶴の背後の壁に立てかけてある梯子がぬかるんでいた地面に滑って倒れてくる映像だ。
 梯子は琥珀には当たらなかったが、千鶴の背中に直撃したように見えた。

「っ千鶴!」

 ハッとした琥珀は千鶴の手を引いて無理矢理引き寄せる。
 千鶴を抱き込むように琥珀が後ろに倒れたのと、梯子が倒れてきたのは同時だった。