「平井さんがお菓子を作っていたので、お願いして教えてもらいながら一緒に作らせていただいたんです。よろしければ、慧さまに召し上がっていただければと思って」
「……琥珀さんが、平井と菓子作りをしたのか?」
「はい、そうです」
「会話には困らなかったのか?」
「困りませんでしたよ。ていねいに教えてくださって、とてもありがたかったです」
料理長の平井は寡黙で職人気質な男で、あまり人に心を開かない。
その平井と共に菓子作りをしたということに慧が驚いている間に、琥珀は紙袋を開いて中にある小さな丸い焼き菓子を見せてきた。
「軽食の種類を増やすために、試しに洋菓子を作ってみたそうです。こちらはクッキーというお菓子だそうですよ」
「クッキー。なるほど。……この赤いのはジャムか?」
紙袋に鼻を寄せてにおいを嗅ぐと香ばしいバターの香りに混ざって、甘酸っぱい嗅ぎ慣れた香りがする。
「苺ジャムです。甘くておいしいですよ。慧さまがお好きなのではないかと思い、苺を選びました」
「琥珀さんが選んだのか?」
「はい。あんずとオレンジで悩まれていたので、苺がいいのではないかと提案させていただきました」
慧はなんでも食べることができるが、好き嫌いがないわけではない。
くだものの中では苺が好きだったが、それを誰かに言う機会は今までに一度もなかった。
紙袋の中からクッキーを一枚取り出す。
まるく絞られた生地の中心にツヤツヤとした苺ジャムが載っているクッキーはまるで宝石のようだ。
きれいな見た目を存分に鑑賞してから口に入れると、ほろりとした生地がくずれて甘酸っぱい苺ジャムと絡んだ。
甘すぎず、食感も慧の好みと一致する。
慧は神妙にうなずいた。
「うまいな」
「よかったです」
「なぜ俺が苺が好きだとわかったんだ?」
「それは……、えっと、実は私、昔から少し運がいいんです」
何かを誤魔化すように話す琥珀の様子が気になる。
食べ物の好き嫌いを少し当てられただけとはいえ、どうしても引っかかった。
「では、その運試しをさせてくれ」
慧は残りのクッキーが入った紙袋を机に置いて、引き出しから一枚の書類を取り出す。
そこにはずらりと今年のはじめに軍に入隊した人物の名前がすべて載っている。
「今度、新人の戦力向上のために伝統で行われている新人対抗戦が行われる。新人同士の一対一での勝ち抜き戦だ。その試合に俺のような現役の軍人は誰が勝つかを賭けることもまた伝統だ。くだらないことだがな」
「これが、その新人さん達のお名前なんですね」
「この中で誰が優勝すると思う? 琥珀さんが指名した人に俺は賭けよう」
新人の名前一覧を琥珀に渡すと、「そうですね……」と悩んでいる様子で真剣に名前を確認しはじめる。
しばらく書類とにらめっこをしていた琥珀を眺めていると、思っていたよりもまつ毛が長いことに気が付いた。
美しい妻をもらったと千鶴と宗一郎だけでなく、他の使用人からも言われることがあったが、確かにそうなのかもしれない。
肌理の細かい頬にはまつ毛の影が落ち、小さな唇は桜色に色づいている。
上品な美しさのある顔と言っていいだろう。
あまり真正面から見ることは今までできなかったため、まじまじと琥珀の顔を観察していると、琥珀が突然書類から顔を上げたため、慧は内心驚いたが表情には出さなかった。
「決めました」
「そうか。誰が優勝すると思うんだ?」
「私は、この里中さんという方が優勝するのではないかと思います」
琥珀が名前を指差した里中は、慧が聞いたこともない新人の名前だ。
新人全員の名前を把握しているわけではないが、強い式神を持つ人間や優秀な家系の名前はわかっている。
そのどれにも該当しない里中が優勝するとは到底思えなかったが、慧は静かにうなずいた。
「わかった。なら、俺はこの里中に賭けよう」
「私の言うことを信じてもいいんですか?」
「伝統だから仕方なく参加するだけで、くだらない賭け事だ。俺は大して興味もない。賞品も毎年ただの菓子だからな。別に予想が外れてももなにも問題はない」
「そうなんですね」
なるほどといった様子でうなずいた琥珀は、慧に書類を返すと静かに頭を下げた。
「お時間をくださってありがとうございました。用事はこれで以上ですので、失礼いたします」
「ああ」
「お忙しいかとは思いますが、くれぐれもご無理はなさらないでくださいね」
琥珀は微笑みを残して去って行く。
静かにドアを閉めて琥珀が去った後、慧はぼそりと呟いた。
「……まあ、当たるわけがないか」
少し運がいいと言ったのは琥珀なりの冗談だったのだろう。
好きなくだものを言い当てたのは、ただの偶然だったに違いない。
新人対抗戦はいつも名の知れた名家の人間が勝利する。
番狂わせなどそうそう起こるはずがない。
それこそ一般人出身でこの新人対抗戦で優勝経験があるのは現役軍人では景昭くらいのものだ。
里中に賭けることを書類に記して、慧は小さく鼻を鳴らした。
「……琥珀さんが、平井と菓子作りをしたのか?」
「はい、そうです」
「会話には困らなかったのか?」
「困りませんでしたよ。ていねいに教えてくださって、とてもありがたかったです」
料理長の平井は寡黙で職人気質な男で、あまり人に心を開かない。
その平井と共に菓子作りをしたということに慧が驚いている間に、琥珀は紙袋を開いて中にある小さな丸い焼き菓子を見せてきた。
「軽食の種類を増やすために、試しに洋菓子を作ってみたそうです。こちらはクッキーというお菓子だそうですよ」
「クッキー。なるほど。……この赤いのはジャムか?」
紙袋に鼻を寄せてにおいを嗅ぐと香ばしいバターの香りに混ざって、甘酸っぱい嗅ぎ慣れた香りがする。
「苺ジャムです。甘くておいしいですよ。慧さまがお好きなのではないかと思い、苺を選びました」
「琥珀さんが選んだのか?」
「はい。あんずとオレンジで悩まれていたので、苺がいいのではないかと提案させていただきました」
慧はなんでも食べることができるが、好き嫌いがないわけではない。
くだものの中では苺が好きだったが、それを誰かに言う機会は今までに一度もなかった。
紙袋の中からクッキーを一枚取り出す。
まるく絞られた生地の中心にツヤツヤとした苺ジャムが載っているクッキーはまるで宝石のようだ。
きれいな見た目を存分に鑑賞してから口に入れると、ほろりとした生地がくずれて甘酸っぱい苺ジャムと絡んだ。
甘すぎず、食感も慧の好みと一致する。
慧は神妙にうなずいた。
「うまいな」
「よかったです」
「なぜ俺が苺が好きだとわかったんだ?」
「それは……、えっと、実は私、昔から少し運がいいんです」
何かを誤魔化すように話す琥珀の様子が気になる。
食べ物の好き嫌いを少し当てられただけとはいえ、どうしても引っかかった。
「では、その運試しをさせてくれ」
慧は残りのクッキーが入った紙袋を机に置いて、引き出しから一枚の書類を取り出す。
そこにはずらりと今年のはじめに軍に入隊した人物の名前がすべて載っている。
「今度、新人の戦力向上のために伝統で行われている新人対抗戦が行われる。新人同士の一対一での勝ち抜き戦だ。その試合に俺のような現役の軍人は誰が勝つかを賭けることもまた伝統だ。くだらないことだがな」
「これが、その新人さん達のお名前なんですね」
「この中で誰が優勝すると思う? 琥珀さんが指名した人に俺は賭けよう」
新人の名前一覧を琥珀に渡すと、「そうですね……」と悩んでいる様子で真剣に名前を確認しはじめる。
しばらく書類とにらめっこをしていた琥珀を眺めていると、思っていたよりもまつ毛が長いことに気が付いた。
美しい妻をもらったと千鶴と宗一郎だけでなく、他の使用人からも言われることがあったが、確かにそうなのかもしれない。
肌理の細かい頬にはまつ毛の影が落ち、小さな唇は桜色に色づいている。
上品な美しさのある顔と言っていいだろう。
あまり真正面から見ることは今までできなかったため、まじまじと琥珀の顔を観察していると、琥珀が突然書類から顔を上げたため、慧は内心驚いたが表情には出さなかった。
「決めました」
「そうか。誰が優勝すると思うんだ?」
「私は、この里中さんという方が優勝するのではないかと思います」
琥珀が名前を指差した里中は、慧が聞いたこともない新人の名前だ。
新人全員の名前を把握しているわけではないが、強い式神を持つ人間や優秀な家系の名前はわかっている。
そのどれにも該当しない里中が優勝するとは到底思えなかったが、慧は静かにうなずいた。
「わかった。なら、俺はこの里中に賭けよう」
「私の言うことを信じてもいいんですか?」
「伝統だから仕方なく参加するだけで、くだらない賭け事だ。俺は大して興味もない。賞品も毎年ただの菓子だからな。別に予想が外れてももなにも問題はない」
「そうなんですね」
なるほどといった様子でうなずいた琥珀は、慧に書類を返すと静かに頭を下げた。
「お時間をくださってありがとうございました。用事はこれで以上ですので、失礼いたします」
「ああ」
「お忙しいかとは思いますが、くれぐれもご無理はなさらないでくださいね」
琥珀は微笑みを残して去って行く。
静かにドアを閉めて琥珀が去った後、慧はぼそりと呟いた。
「……まあ、当たるわけがないか」
少し運がいいと言ったのは琥珀なりの冗談だったのだろう。
好きなくだものを言い当てたのは、ただの偶然だったに違いない。
新人対抗戦はいつも名の知れた名家の人間が勝利する。
番狂わせなどそうそう起こるはずがない。
それこそ一般人出身でこの新人対抗戦で優勝経験があるのは現役軍人では景昭くらいのものだ。
里中に賭けることを書類に記して、慧は小さく鼻を鳴らした。

