幸運の花嫁 〜厄介払いの結婚で最強式神使いの溺愛がはじまりました〜

 辛い毎日は生き残ってしまった自分への罰だ。
 琥珀(こはく)はそう思うことで、苦痛に満ちた日々をなんとか生き延びている。

「何よ、このぐちゃぐちゃのダッサい髪型は! あんた髪を結うことさえまともにできないわけ!?」

 時間をかけて琥珀が髪を結ってやっている最中、ずっと母の雛子(ひなこ)と楽しげにおしゃべりをしていた妹の亜琥(あこ)は、手鏡を渡した途端に激昂して琥珀の頬を平手で思いきり打った。

 バチンという激しい音と熱を持つ痛みに、喉元まで上がった悲鳴はなんとか飲み込む。
 声など上げれば、亜琥がより怒って更なる暴力が振るわれることが今まで生きて来た経験上わかっていたからだ。

「この役立たず! 式神も召喚できない無能は、結局何をやらせてもだめね!」

 亜琥は髪をまとめていたかんざしを引き抜いて琥珀に投げつける。
 尖った先端が咄嗟に顔を庇った腕に当たって、皮膚を切り裂く鋭い痛みが走った。

「っ……ごめんなさい、亜琥」
「さっさとやり直しなさいよね! ぐずぐずしてんじゃないわよ!」
「本当に愚図な役立たずね。見合いに間に合わなかったら、あなたのせいだと景昭(かげあき)さまに伝えてしまいますからね。琥珀のせいで遅刻したなんてことを知ったら、景昭さまはどう思われるかしら? とっても楽しみね」

 既に支度を済ませた雛子はくすくすと琥珀を嘲笑いながら口元を扇子で隠す。

 琥珀は落ちたかんざしを拾い上げて、再び雛子と楽しげに話しはじめた亜琥の髪を整えはじめた。

 琥珀にとって、亜琥は異母妹だ。
 雛子とはまったく血はつながっていない。
 それは、雛子が父である景昭の後妻だからだ。

 雛子が薄墨(うすずみ)家にやって来たのは、琥珀が六歳の頃のことであり、その時には既に亜琥は三歳だった。
 つまり、景昭は雛子と不倫をしており、既に隠し子として亜琥を出産させていたということになる。

 琥珀の母である深雪は、景昭の裏切りを知らないまま死んでしまった。
 その死は半分は景昭の策略であり、半分は琥珀の責任だ。

「お母さま。私、やっぱりどうしてもこのお見合いは嫌よ。いくら朱雀の使い手で軍の出世頭だからって、鬼神なんて呼ばれてる怖い人のお嫁さんになんてなれないわ」
「聞いたでしょう? 上司から勧められて見合いをすることになったって。景昭さまだって、この見合いには本気じゃないわ。亜琥には水波(みなみ)さまだっているのだし。いくら景昭さまが私達に興味がないとはいっても、そのくらいはわかっているでしょう。適当にフラれてくるだけなんだから、簡単なお仕事よ」
「どうして私がフラれなきゃならないのかしら。私からフってやってもいいくらいよ。こんな美貌を持って生まれてきたというのに」
「男の矜恃を守るのも、女の必要な務めよ」
「ほんっと、納得いかないわ。どこかの誰かがへたくそに髪を結うせいでイライラも止まらないし」

 今日は亜琥の見合いの日だが、亜琥はこの見合いに乗り気ではない。
 雛子にグチグチ文句を言っている亜琥の髪を結っていた琥珀は、自身の着物の袖から覗く白い腕にスッと赤い筋が入っていることに気が付いた。

(あ……、血が出てる)

 さっきかんざしが当たった場所が思っていたよりも深く切れていたらしい。
 このまま髪を結い続けてもよかったが、万が一亜琥の髪や着物を血で汚すことになったらと思うと恐ろしかった。

「亜琥、ごめんなさい。……少しだけ傷の手当てをしてきてもいい?」
「はあ? 傷?」
「腕を怪我してしまったみたいなの。さっきかんざしが当たって……」
「何? 私が悪いって言うの?」

 ギロリと亜琥が鋭い視線で振り返る。
 その視線に恐怖を覚えた刹那、亜琥はパチンと指を鳴らした。

「白虎!」

 亜琥の呼びかけに応じて彼女の影が渦を巻くように揺らぎ、そこから琥珀の身長ほどある大きさの白い虎の式神が現れる。
 真っ青になる琥珀に向かって白虎はグルルと喉を鳴らし、獰猛なまなざしを向けてきた。

「亜琥、やめて……。白虎だけは……」
「そんなに傷の手当てがしたいなら、ついでに手当てできるように傷も増やしておいてやるわよ。白虎、軽く遊んでやりなさい」

 亜琥が指示を出すと、白虎は牙を剥いて琥珀に襲いかかってくる。
 思わず逃げるために背を向けた琥珀の背中に白虎が飛びかかるのを亜琥と雛子は笑った。

「いや! やめて! ごめんなさい、亜琥! ごめんなさい!」
「うるさいわね。白虎と黙って遊ぶこともできないの? 耳障りだから黙りなさいよ」
「逃げても無駄だなんてわかっているでしょうに。本当に笑えるくらいに愚かな子ね」

 白虎の鋭い爪や牙が皮膚を抉る痛みを琥珀は知っている。
 酷いときにはその傷は膿んで、熱を持つほどに痛むのだ。

「亜琥、ごめんなさい……っ、ごめんなさい、助けて」

 背中に爪が食い込み、痛みに呻きながらも琥珀は胸中で必死に許しを乞うていた。
 それでも亜琥は雛子との談笑に戻ってしまい、琥珀の嘆願に聞く耳も持たない。

(お母さまっ……! お母さま、もう許して!)

 亜琥に許しを乞いながらも、琥珀は胸中で懸命に亡き母に謝罪を続けていた。