(もう、長いこと、和颯さんと過ごしたような気分がする)
鏡で、自身の姿を確認しつつそんなことを考える。花と蝶の銘仙。和颯に買ってもらったものだ。
烏藤の別宅に住まうように、なってからまだ一週間も経っていないことに紫穂は、びっくりした。
すでに一月も過ごしたような感覚だ。
(それで、今日は和颯さんのお兄様の烏藤実様がいらっしゃるんだよね……)
和颯いわく少佐であるという彼は、普段は忙しいものの合間を縫って別宅に時折、来るのだという。
『結婚するって電話で言ったらすごい驚いてた』
とイタズラが成功した子どものように和颯は笑った。
(大丈夫かな……?)
実に嫌われてはいないだろうか。実とは会ったことはないが、当主である彼を通さずいきなり結婚を決めてしまったのだ。
反感を買っても仕方あるまい。しかも、紫穂は無能である。以前、和颯は問題ない、とは言ってはいたものの本当だろうか。
(だけど、実際、会ってみないとわからないよね……)
自室から出て、一階に向かう。
時刻は午前十時。実の到着予定は十時半だから、やや早いが落ち着かなかった。
一階に置いてある、ふかふかの長椅子に座り込む。身体が長椅子に、少し沈む。
紫穂の心臓は早鐘を打っていた。
深呼吸をする。
『うちの兄はね、仏頂面だね、基本的に』
和颯から聞いた実の話が蘇る。
『まぁ、でも。怒ってるわけじゃないから。だいたいあの表情してるだけで』
ドキドキしながら、待っていると、もう聞き慣れた声に話しかけられた。
「紫穂ちゃん、早いね」
和颯は、相変わらず書生のような服装をしていた。そして、黒い宝石のペンダント。
「和颯さん。……少し、落ち着かなくて」
「あー、こういうのって緊張するものだよね。でも、大丈夫だよ。電話した時も、怒ってはなかったし……。そろそろ来る時間だね」
ちらりと和颯が壁時計を確認する。
十時二十分。
ぽんっと和颯が紫穂の隣に腰掛けた。
(……近い)
が、嫌ではない。
そして、和颯が長椅子に座って、一分もしないうちに屋敷の外から自動車のエンジン音がした。
(……! 実さんが来られた!)
びくっとして紫穂は、急に立ち上がる。
(えっと……お出迎えしなければだよね!)
玄関口に向かう。和颯も立ち上がり、紫穂の横に立った。
「そんな緊張しなくて大丈夫だよ」
にこりと笑う和颯。
その暖かな笑みを見ると、少し緊張がほどけるのを感じた。
そして、ドアを和颯は開いた。
そこに現れたのは長身の黒を基調とした軍服姿の男性。年の頃は二十代半ばほど。
和颯に似た顔立ちだが、和颯より冷たい印象がする青年だった。髪の毛は、ピシリと整えられいて、少しくせ毛気味の和颯とは対照的だ。
青年の後ろには箱を持った何人かの使用人が付き従っていた。
「兄上、ようこそ」
「お前、またそのような格好か」
「楽なんですよ」
はあっと、実がため息をつく。
そして、視線を紫穂に向ける。紫穂は、ピシリと今まで以上に背筋を伸ばす。
そして、深く頭を下げる。
「柳紫穂と申します。和颯さんと婚約させていただいております」
「顔をあげてくれ。……私は烏藤実。和颯から話は聞いているだろうが」
「はい」
紫穂は顔をあげた。実は相変わらずの無表情。和颯から事前に話を聞いていなければ怒っているのか、と誤解したかもしれない。
紫穂は大きく目を見開く。
(えっ!?)
実は、紫穂に頭を下げたのだ。そして、顔を上げるとこう言った。
「弟と結婚してありがとう、紫穂さん」
「頭を下げられるようなことでは……!!」
「いや、下げるようなことだ。……和颯はもう長くはない。それなのに結婚してくれるとは」
実の無表情は変わらないが、わずかに目の奥に暖かいものがあるように紫穂には感じられた。
「和颯から結婚する、と聞いた時は驚いたが……納得したよ」
実は紫穂だけに聞こえるような小声で言う。
「和颯の顔が前より明るい」
「……」
紫穂はびっくりした。
(前より明るい……?)
和颯は明るい男性に紫穂には見えていた。以前はそうではなかったのか。いや、以前からそうだったとしても呪いを受けてもう死ぬしかない、となった時に明るく振る舞える人間が果たしてどれくらいいるだろうか。
(そう言えば……私、和颯さんのことをよく知らない)
婚約者、とはいえただの契約。
(何で呪いを受けたの……?)
それさえ知らないのだ。
知りたい、とは思う。でも自分から和颯に訊くのはためらわれた。それは彼の心の深いところをえぐるように思えた。
紫穂と和颯はまだそこまで踏み入っていいほど親しくはない。
(だけど……)
紫穂がいることで和颯の心の澱が少しでも軽くなったなら嬉しい。誰かと話して遊べば、辛いことをひとときでも忘れられるのかもしれない。
そんなことをグダグダと紫穂が考えていたが、和颯はにこりと笑って実に話しかけた。
「兄上、ここではなんですし。応接間でいいですか?」
「どこでもいい」
「了解しました。さ、紫穂ちゃんも行こう」
「は、はい」
紫穂は思考を止めて、二人について応接間に向かった。箱を持った使用人たちも着いてきていた。
ふかふかの長椅子に和颯と紫穂は腰掛けた。向かいの長椅子には実が一人で座った。
やがて、女中が珈琲と紅茶を持ってやってきた。
紫穂と和颯には紅茶。実には珈琲だ。
珈琲を一口飲むと、実が口を開いた。
「そうだ、和颯に紫穂さん。婚約祝いの品だが」
使用人たちに実が目配せする。
箱が応接間にいくつも置かれた。
そして、使用人たちは応接間から退出していく。
「私からの祝いの品だ」
「あ、ありがとうございます!」
紫穂はペコリと頭を下げる。
「兄上、ありがとうございます」
軽く笑って和颯が言う。
「紫穂さん、開けてみてくれ」
「は、はい!」
実の言葉に従い、箱を開ける。
「……!」
箱をすべて開けると、着物や洋服が何着も入っていた。三十着はあるのではないか。
(こんなに……! というか、お高いのでは……? ……いえ、というかこれって……)
「あの……これって呉服屋で私が気にしていたお着物やお洋服ばかりなのでは……」
実がうなずく。
「ああ。和颯から話を聞いてな」
(和颯さん、よく覚えてたな……というか、私が断ってたからお兄様の実さんに頼んで……?)
紫穂は着物と洋服を少し見つめてから言った。
「こんなに申し訳ありません」
「謝らなくていい」
と実。
「……ありがとうございます」
「ああ」
紫穂は今度は和颯に礼を述べた。
「和颯さん、ありがとうございます」
「大したことじゃないよ。それに俺は着物と洋服選んだだけだし」
「いえ、大したことです。本当に」
力強く言う紫穂の言葉に和颯が目を瞬く。
「そうかな?」
「はい」
「あはは、そっか」
紫穂は、何度も二人に頭を下げた。
「本当に……ありがとうございます。とても嬉しいです」
「気にするな」
「そうそう。兄上の言う通りだよ」
「……お前は私に感謝しろ」
「えー?」
「色々と勝手なんだ、お前は……。軍を勝手に辞めたり、何でも屋とやらを始めたり……」
「あはは、すみません。でも、許してくださりありがとうございます、兄上。……今回の結婚承諾の件も」
「それは……まぁいい。……紫穂さん、これから和颯を頼む」
最後の言葉は実は紫穂に視線を向けて言ってきた。
紫穂は背筋を伸ばして実の目を見つめ、
「はい」
としっかり答えたのだった。
鏡で、自身の姿を確認しつつそんなことを考える。花と蝶の銘仙。和颯に買ってもらったものだ。
烏藤の別宅に住まうように、なってからまだ一週間も経っていないことに紫穂は、びっくりした。
すでに一月も過ごしたような感覚だ。
(それで、今日は和颯さんのお兄様の烏藤実様がいらっしゃるんだよね……)
和颯いわく少佐であるという彼は、普段は忙しいものの合間を縫って別宅に時折、来るのだという。
『結婚するって電話で言ったらすごい驚いてた』
とイタズラが成功した子どものように和颯は笑った。
(大丈夫かな……?)
実に嫌われてはいないだろうか。実とは会ったことはないが、当主である彼を通さずいきなり結婚を決めてしまったのだ。
反感を買っても仕方あるまい。しかも、紫穂は無能である。以前、和颯は問題ない、とは言ってはいたものの本当だろうか。
(だけど、実際、会ってみないとわからないよね……)
自室から出て、一階に向かう。
時刻は午前十時。実の到着予定は十時半だから、やや早いが落ち着かなかった。
一階に置いてある、ふかふかの長椅子に座り込む。身体が長椅子に、少し沈む。
紫穂の心臓は早鐘を打っていた。
深呼吸をする。
『うちの兄はね、仏頂面だね、基本的に』
和颯から聞いた実の話が蘇る。
『まぁ、でも。怒ってるわけじゃないから。だいたいあの表情してるだけで』
ドキドキしながら、待っていると、もう聞き慣れた声に話しかけられた。
「紫穂ちゃん、早いね」
和颯は、相変わらず書生のような服装をしていた。そして、黒い宝石のペンダント。
「和颯さん。……少し、落ち着かなくて」
「あー、こういうのって緊張するものだよね。でも、大丈夫だよ。電話した時も、怒ってはなかったし……。そろそろ来る時間だね」
ちらりと和颯が壁時計を確認する。
十時二十分。
ぽんっと和颯が紫穂の隣に腰掛けた。
(……近い)
が、嫌ではない。
そして、和颯が長椅子に座って、一分もしないうちに屋敷の外から自動車のエンジン音がした。
(……! 実さんが来られた!)
びくっとして紫穂は、急に立ち上がる。
(えっと……お出迎えしなければだよね!)
玄関口に向かう。和颯も立ち上がり、紫穂の横に立った。
「そんな緊張しなくて大丈夫だよ」
にこりと笑う和颯。
その暖かな笑みを見ると、少し緊張がほどけるのを感じた。
そして、ドアを和颯は開いた。
そこに現れたのは長身の黒を基調とした軍服姿の男性。年の頃は二十代半ばほど。
和颯に似た顔立ちだが、和颯より冷たい印象がする青年だった。髪の毛は、ピシリと整えられいて、少しくせ毛気味の和颯とは対照的だ。
青年の後ろには箱を持った何人かの使用人が付き従っていた。
「兄上、ようこそ」
「お前、またそのような格好か」
「楽なんですよ」
はあっと、実がため息をつく。
そして、視線を紫穂に向ける。紫穂は、ピシリと今まで以上に背筋を伸ばす。
そして、深く頭を下げる。
「柳紫穂と申します。和颯さんと婚約させていただいております」
「顔をあげてくれ。……私は烏藤実。和颯から話は聞いているだろうが」
「はい」
紫穂は顔をあげた。実は相変わらずの無表情。和颯から事前に話を聞いていなければ怒っているのか、と誤解したかもしれない。
紫穂は大きく目を見開く。
(えっ!?)
実は、紫穂に頭を下げたのだ。そして、顔を上げるとこう言った。
「弟と結婚してありがとう、紫穂さん」
「頭を下げられるようなことでは……!!」
「いや、下げるようなことだ。……和颯はもう長くはない。それなのに結婚してくれるとは」
実の無表情は変わらないが、わずかに目の奥に暖かいものがあるように紫穂には感じられた。
「和颯から結婚する、と聞いた時は驚いたが……納得したよ」
実は紫穂だけに聞こえるような小声で言う。
「和颯の顔が前より明るい」
「……」
紫穂はびっくりした。
(前より明るい……?)
和颯は明るい男性に紫穂には見えていた。以前はそうではなかったのか。いや、以前からそうだったとしても呪いを受けてもう死ぬしかない、となった時に明るく振る舞える人間が果たしてどれくらいいるだろうか。
(そう言えば……私、和颯さんのことをよく知らない)
婚約者、とはいえただの契約。
(何で呪いを受けたの……?)
それさえ知らないのだ。
知りたい、とは思う。でも自分から和颯に訊くのはためらわれた。それは彼の心の深いところをえぐるように思えた。
紫穂と和颯はまだそこまで踏み入っていいほど親しくはない。
(だけど……)
紫穂がいることで和颯の心の澱が少しでも軽くなったなら嬉しい。誰かと話して遊べば、辛いことをひとときでも忘れられるのかもしれない。
そんなことをグダグダと紫穂が考えていたが、和颯はにこりと笑って実に話しかけた。
「兄上、ここではなんですし。応接間でいいですか?」
「どこでもいい」
「了解しました。さ、紫穂ちゃんも行こう」
「は、はい」
紫穂は思考を止めて、二人について応接間に向かった。箱を持った使用人たちも着いてきていた。
ふかふかの長椅子に和颯と紫穂は腰掛けた。向かいの長椅子には実が一人で座った。
やがて、女中が珈琲と紅茶を持ってやってきた。
紫穂と和颯には紅茶。実には珈琲だ。
珈琲を一口飲むと、実が口を開いた。
「そうだ、和颯に紫穂さん。婚約祝いの品だが」
使用人たちに実が目配せする。
箱が応接間にいくつも置かれた。
そして、使用人たちは応接間から退出していく。
「私からの祝いの品だ」
「あ、ありがとうございます!」
紫穂はペコリと頭を下げる。
「兄上、ありがとうございます」
軽く笑って和颯が言う。
「紫穂さん、開けてみてくれ」
「は、はい!」
実の言葉に従い、箱を開ける。
「……!」
箱をすべて開けると、着物や洋服が何着も入っていた。三十着はあるのではないか。
(こんなに……! というか、お高いのでは……? ……いえ、というかこれって……)
「あの……これって呉服屋で私が気にしていたお着物やお洋服ばかりなのでは……」
実がうなずく。
「ああ。和颯から話を聞いてな」
(和颯さん、よく覚えてたな……というか、私が断ってたからお兄様の実さんに頼んで……?)
紫穂は着物と洋服を少し見つめてから言った。
「こんなに申し訳ありません」
「謝らなくていい」
と実。
「……ありがとうございます」
「ああ」
紫穂は今度は和颯に礼を述べた。
「和颯さん、ありがとうございます」
「大したことじゃないよ。それに俺は着物と洋服選んだだけだし」
「いえ、大したことです。本当に」
力強く言う紫穂の言葉に和颯が目を瞬く。
「そうかな?」
「はい」
「あはは、そっか」
紫穂は、何度も二人に頭を下げた。
「本当に……ありがとうございます。とても嬉しいです」
「気にするな」
「そうそう。兄上の言う通りだよ」
「……お前は私に感謝しろ」
「えー?」
「色々と勝手なんだ、お前は……。軍を勝手に辞めたり、何でも屋とやらを始めたり……」
「あはは、すみません。でも、許してくださりありがとうございます、兄上。……今回の結婚承諾の件も」
「それは……まぁいい。……紫穂さん、これから和颯を頼む」
最後の言葉は実は紫穂に視線を向けて言ってきた。
紫穂は背筋を伸ばして実の目を見つめ、
「はい」
としっかり答えたのだった。
