鏡の前でくるりと回ってみる。身支度は出来た。今日は帝都を巡る。
紫穂は楽しみにしている自分に気づいた。最初、断っていたくせに、と自分で思う。
昼過ぎから出かける予定だ。
(それにしても……お昼近くまで寝てたなんて……)
こんなことは、とても久しぶりだった。どうも、あのふかふかのベッドに安心して寝入ってしまったらしい。疲れていたのもあるだろう。
起きて、日が空の真ん中あたりまで昇っているのに気づいて、慌ててしまった。
百代に術を使われる……! と。
しかし、すぐに柳家ではないことに気づいた。烏藤の屋敷に今はいるのだ。そして契約結婚をすることになったのだ。
そのうち、紫穂が起きたのに気づいた女中が朝食の準備をいたします、と声をかけてくれたのだが紫穂は断った。もう昼近い。昼過ぎには出かける予定なのだ。街中で何か食べてフルーツパーラーにも行くと行っていたから、今、食事を取ると食べられなくなってしまう。
紫穂が先ほどまでのことを思い返していると、突然。
部屋の外から和颯のよく通る声が聞こえた。
「ようこそ、お客様。烏藤退魔なんでも屋へ」
(お客様? 烏藤退魔なんでも屋のお客様?)
気になって自室から出て、階下を紫穂は見下ろした。
すると、一人の娘がそこにいた。
恐らく紫穂とたいして年齢は変わらない。
赤の着物に髪には簪を挿す少女。
和颯と何か話している。
和颯がふと、上を見上げた。紫穂と視線が合う。和颯が笑みを浮かべて言った。黒の宝石のペンダントを相変わらず彼はしている。
「紫穂ちゃん、きみもおいで。なんでも屋のお客様だ」
「は、はい」
呼ばれるとは思わなかった。驚いたものの、紫穂は階段を降りて二人のもとへ行く。
近くで見ると少女の着物や簪がかなり値が張るものだと紫穂はわかった。
透き通るような肌とつややかな黒髪。よく手入れされているのだろう。
それに、豊かで上質な霊力。白蝶の夢見鳥の巫女でもおかしくないほどの。
そして、手には巾着と紙袋。
「俺の婚約者の柳紫穂ちゃんだよ」
と和颯に紹介される。
ペコリと頭を下げつつ考える。
(そういえば、いまの身分は和颯さんの婚約者になるんだ……)
少女も頭を下げ返す。
「私は河島夏乃と申します」
(河島……。退魔名家の一つ)
聞き覚えがある名字だった。
そして違和感。なぜ、退魔名家がなんでも屋を頼るのか。
自身が夢見鳥の巫女でないにしても身内の退魔師か夢見鳥の巫女を頼ればいい。身なりを見たところ、冷遇されているわけでもないだろうに。
それにお付もなく一人とはどういうことなのか。
次々疑問が浮かぶ。
「応接間に案内するよ」
和颯が言う。そして三人は和颯について応接間へ向かった。
応接間には長いテーブルと長椅子が二つ置かれていた。
同じ長椅子に和颯と紫穂が座る。残りの長椅子は、夏乃一人が座った。
「あの、これを。よかったら」
夏乃は持っていた紙袋から白い紙箱を取り出した。そして、それを開く。
出て来たのは可愛らしい花を模したバターケーキ三つだった。
「私の家では海外事業も行ってまして。これも西国のお菓子職人に作らせたものです」
「そうか、ありがとう」
和颯が礼を言ってから、女中に紅茶を持ってくるよう指示を出す。
そして、女中が人数分の紅茶とフォークを持ってきてから、和颯は訊ねた。
「改めて、用件を」
「はい」
夏乃が小さくうなずく。
「私のお友達の矢内静香さんが亡くなった件についてです。退魔師であらせられる烏藤様はご存知かもしれませんが」
「知っている。河島中尉……きみの兄君の河島孝治中尉の婚約者だね。だが、誰かに恋焦がれ、河島中尉との結婚を嫌がり霊力を身体から限界まで放出させて自殺したと聞いている」
「自殺なんてありえません」
強い瞳で、夏乃が断言する。
「なぜ、そう思う?」
「兄様と静香さんは愛し合っておりました。それに静香さんは誰かに恋して……好きでもない男と結婚するようなことになっても自殺するような性格ではありません。私は幼い頃から静香さんとお友達でしたから彼女のことはよくわかっているつもりです」
「河島中尉は何と?」
「兄様は意気消沈しておりました。最近は元気になりましたが。……兄様は『俺が不甲斐なかったせいだ。彼女の気持ちに気づかず申し訳ない。婚約破棄したいと言われたら受け入れたのに……』と」
「静香さんの婚約者だった河島中尉は、静香さんの自殺と考えているわけか」
(兄妹で意見が違うってことかな……?)
どちらの意見が正しいかは紫穂にはわからない。
「はい」
夏乃は和颯の言葉を肯定する。
「静香さんの自殺の調査をしたのは兄様なのです。警察に協力して……。それで……兄様は霊力を限界まで放出させて自殺したのだろうと。でも、私は静香さんが自殺するようには思えなくて……。でもすでに、この件は片付いたものとして扱われています。兄様も自殺と結論づけていますし。だったら……軍や警察の外の方にお願いしようかと家をこっそり抜け出しました」
「えっ。こっそり抜け出したのですか。お家の方がかなり心配されるのでは」
紫穂はびっくりして思わず言ってしまう。
夏乃の視線が紫穂に抜く。
「はい、抜け出しました。どうにかこうにか。今日は集中してお勉強したいから部屋に入らないように使用人に言いつけましたから……まだバレてないと思いますが。兄様もこの時間はお仕事ですし」
「……そういえば河島中尉とは幾度も会ったことも任務をともにこなしたこともあったが、夏乃さんと会うのは初めてだね。夏乃さんは身体が弱く屋敷から出ないようにしていると聞いていた。だが、白蝶を操ることが出来るほどに夢見鳥の巫女の才があると」
しかし、夏乃は元気そうだ。
病弱、には見えない。
「前はそうだったのです。ですが、今はすっかり元気でして。でも兄様は、まだまだ心配だから屋敷にいろと。ほとんど外出が出来ないのです」
夏乃はそう言うと、紅茶に口をつけた。
「美味しいです」
「それは良かった。……夏乃さん、依頼は受けよう」
「ありがとうございます……!」
「だが……何も分からない可能性もある。それに自殺という結論が出る可能性も」
「はい、構いません。兄様や周りが言うように本当に自殺だった、という可能性はあるでしょう。でも、私には違和感がある。静香さんの友達として調べたいのです。それで、結論が変わらなかったとしても。自己満足ですが……」
「この件について、夏乃さんが知っていることは?」
和颯が訊ねる。
「私は兄様の話を聞いたくらいなのです。自殺したということ。私はそうは思いませんが。……遺書を残していたこと。恋焦がれた誰かがいたこと。先月に桜鈴園で自殺したこと。このくらいです」
「遺書の詳しい内容は? 恋焦がれた相手は誰か知っているかな?」
「私は詳しい内容はわからないのです。恋焦がれた相手はリクヒトさんという方です。しかし名字もわかりませんしどこの誰かもわかりません」
「わからない?」
「はい、遺書には名前は『愛するリクヒトさん』としか書かれていなくて……。でも静香さんの周りにリクヒトさんという名前の方はいなかったのです。私や兄様知らないうちに逢瀬していた可能性はなくもないですが」
「そっか……」
和颯は難しい顔をした。紫穂は前途多難なのではないか、と思った。
「静香さんの性格や趣味、交友関係は?」
和颯の問いかけに、夏乃が答える。
「交友関係は……私、詳しくないのです。ずっと屋敷にいて、でも兄様の婚約者の静香さんは屋敷に遊びに来てくれましたから仲良くしてくださいましたが。性格は優しく正義感が強い方でした。趣味は読書です」
そこで夏乃は言葉を切った。
「私が知っていることは以上です」
「わかった。教えてくれてありがとう」
「いえ……申し訳ありません。知っている事が少なくて……それと……私が、静香さんが自殺ではないのではないか? と思う理由がまだありますの……」
「と、いうと?」
和颯がうながす。
「白蝶の夢見鳥の巫女の斎藤キヨ様が行方不明でしょう? 静香さんも白蝶の夢見鳥の巫女でした。どうも不吉に思えて……連続殺人事件の可能性があるのでは? と思えて……」
「白蝶の夢見鳥の巫女を狙った事件、という線もありえるね」
「はい……兄様にもお話しましたが、たまたまだろうと言われてしまいました。……それと」
夏乃が巾着袋から何かを取り出し、机に置いた。キラキラ輝く宝石のついた指輪。
「ダイヤモンドの指輪です。これでお願い出来ますか?」
「ずいぶん高そうに見えるね」
「兄様に誕生日に頂いたものです」
「大切なものでは?」
「……はい。ですが、これが私が持っているもので一番価値があるものです」
和颯は、ダイヤモンドの指輪を見つつ言った。
「受け取らない」
「えっ、ですが」
「こうしよう。依頼が成功したら他のものでもいい。何か渡してくれればいい。失敗したら何もいらない」
「……わかりました。ありがとうございます」
夏乃が頭を下げた。ダイヤモンドの指輪を、夏乃は巾着に戻した。
「どうかお願いいたします。……私はお暇いたしますね。そろそろ家を抜け出したのがバレるかもしれません」
「夏乃さんはなにでここまで?」
「人力車です。外に待たせています」
「そうか。俺たちも丁度、外に出る予定があってね。河島家方面だから俺たちも付いていこう……紫穂ちゃんも行こう」
「私もですか?」
紫穂も、ともに行く思わず、目を瞬く。
が、すぐに思い至る。
(お昼過ぎには街に行く予定だったもの)
「うん。……悪いけど、電話して人力車を呼んでから着替えてくる。すぐ終わるから待ってて。話していてケーキを食べる時間がなかったね。二人はケーキを先に食べてて。俺はあとで食べるよ」
「わかりました」
そうして、和颯は応接間を出ていった。
紫穂は、ケーキを口に運ぶ。少し重めのバタークリームは濃厚な味わいだった。
「美味しいです」
紫穂が言えば夏乃がパッと花が咲くよう微笑む。
「そう言っていただけると嬉しいです。河島家はお菓子だけでなく、ドレスなどの洋服作りも力を入れています。紫穂さんはべっぴんさんですからドレスもよくお似合いになるはずです。いつか、河島のドレスも着てくださいね」
「べっぴんさんだなんてそんな……夏乃さんの方がお綺麗です」
夏乃は、巾着を開ける。そして、ダイヤモンドの指輪を取り出す。
「紫穂さん、持っていてくれませんか」
「え?」
「私、あんまり外に出れませんから。また渡せるかどうか。……烏藤様には内緒で。成功報酬というのなら、私の依頼が成されたらそのまま持っていて『夏乃に渡された』と烏藤様に言ってください。……私の依頼が成されなかったら河島の屋敷まで戻しに来るというのはどうでしょう?」
「ですが……」
紫穂がしぶると夏乃は、深く頭を下げた。
「顔を上げてください!」
「では、受け取ってくださいませ」
「……わ、わかりました」
紫穂は、ダイヤモンドの指輪を受け取る。そして、懐に入れた。
そんなやりとりをしていると宣言通り、和颯は五分も経たずに応接間に戻ってきた。
「……」
紫穂は思わず目を見張った。
書生姿ではなくスーツ姿だった。いつものようにペンダントもしているが、肩にはちょこんとナナが乗っている。
(書生みたいな格好もかっこよかったけれど……スーツもお似合い……)
「烏藤様、お似合いです。……それにその子、烏藤様の妖魔ですね。可愛いです」
あっさりと、夏乃が紫穂が思ったのと同じことを言う。
「ありがとう」
和颯が言う。そして紫穂を和颯は見た。
「紫穂ちゃん、どうかな?」
「……お似合いです」
夏乃と同じ言葉ではないか。紫穂は自身の語彙力の無さを呪う。
だが、和颯はその言葉に笑みを浮かべたのだった。
紫穂は楽しみにしている自分に気づいた。最初、断っていたくせに、と自分で思う。
昼過ぎから出かける予定だ。
(それにしても……お昼近くまで寝てたなんて……)
こんなことは、とても久しぶりだった。どうも、あのふかふかのベッドに安心して寝入ってしまったらしい。疲れていたのもあるだろう。
起きて、日が空の真ん中あたりまで昇っているのに気づいて、慌ててしまった。
百代に術を使われる……! と。
しかし、すぐに柳家ではないことに気づいた。烏藤の屋敷に今はいるのだ。そして契約結婚をすることになったのだ。
そのうち、紫穂が起きたのに気づいた女中が朝食の準備をいたします、と声をかけてくれたのだが紫穂は断った。もう昼近い。昼過ぎには出かける予定なのだ。街中で何か食べてフルーツパーラーにも行くと行っていたから、今、食事を取ると食べられなくなってしまう。
紫穂が先ほどまでのことを思い返していると、突然。
部屋の外から和颯のよく通る声が聞こえた。
「ようこそ、お客様。烏藤退魔なんでも屋へ」
(お客様? 烏藤退魔なんでも屋のお客様?)
気になって自室から出て、階下を紫穂は見下ろした。
すると、一人の娘がそこにいた。
恐らく紫穂とたいして年齢は変わらない。
赤の着物に髪には簪を挿す少女。
和颯と何か話している。
和颯がふと、上を見上げた。紫穂と視線が合う。和颯が笑みを浮かべて言った。黒の宝石のペンダントを相変わらず彼はしている。
「紫穂ちゃん、きみもおいで。なんでも屋のお客様だ」
「は、はい」
呼ばれるとは思わなかった。驚いたものの、紫穂は階段を降りて二人のもとへ行く。
近くで見ると少女の着物や簪がかなり値が張るものだと紫穂はわかった。
透き通るような肌とつややかな黒髪。よく手入れされているのだろう。
それに、豊かで上質な霊力。白蝶の夢見鳥の巫女でもおかしくないほどの。
そして、手には巾着と紙袋。
「俺の婚約者の柳紫穂ちゃんだよ」
と和颯に紹介される。
ペコリと頭を下げつつ考える。
(そういえば、いまの身分は和颯さんの婚約者になるんだ……)
少女も頭を下げ返す。
「私は河島夏乃と申します」
(河島……。退魔名家の一つ)
聞き覚えがある名字だった。
そして違和感。なぜ、退魔名家がなんでも屋を頼るのか。
自身が夢見鳥の巫女でないにしても身内の退魔師か夢見鳥の巫女を頼ればいい。身なりを見たところ、冷遇されているわけでもないだろうに。
それにお付もなく一人とはどういうことなのか。
次々疑問が浮かぶ。
「応接間に案内するよ」
和颯が言う。そして三人は和颯について応接間へ向かった。
応接間には長いテーブルと長椅子が二つ置かれていた。
同じ長椅子に和颯と紫穂が座る。残りの長椅子は、夏乃一人が座った。
「あの、これを。よかったら」
夏乃は持っていた紙袋から白い紙箱を取り出した。そして、それを開く。
出て来たのは可愛らしい花を模したバターケーキ三つだった。
「私の家では海外事業も行ってまして。これも西国のお菓子職人に作らせたものです」
「そうか、ありがとう」
和颯が礼を言ってから、女中に紅茶を持ってくるよう指示を出す。
そして、女中が人数分の紅茶とフォークを持ってきてから、和颯は訊ねた。
「改めて、用件を」
「はい」
夏乃が小さくうなずく。
「私のお友達の矢内静香さんが亡くなった件についてです。退魔師であらせられる烏藤様はご存知かもしれませんが」
「知っている。河島中尉……きみの兄君の河島孝治中尉の婚約者だね。だが、誰かに恋焦がれ、河島中尉との結婚を嫌がり霊力を身体から限界まで放出させて自殺したと聞いている」
「自殺なんてありえません」
強い瞳で、夏乃が断言する。
「なぜ、そう思う?」
「兄様と静香さんは愛し合っておりました。それに静香さんは誰かに恋して……好きでもない男と結婚するようなことになっても自殺するような性格ではありません。私は幼い頃から静香さんとお友達でしたから彼女のことはよくわかっているつもりです」
「河島中尉は何と?」
「兄様は意気消沈しておりました。最近は元気になりましたが。……兄様は『俺が不甲斐なかったせいだ。彼女の気持ちに気づかず申し訳ない。婚約破棄したいと言われたら受け入れたのに……』と」
「静香さんの婚約者だった河島中尉は、静香さんの自殺と考えているわけか」
(兄妹で意見が違うってことかな……?)
どちらの意見が正しいかは紫穂にはわからない。
「はい」
夏乃は和颯の言葉を肯定する。
「静香さんの自殺の調査をしたのは兄様なのです。警察に協力して……。それで……兄様は霊力を限界まで放出させて自殺したのだろうと。でも、私は静香さんが自殺するようには思えなくて……。でもすでに、この件は片付いたものとして扱われています。兄様も自殺と結論づけていますし。だったら……軍や警察の外の方にお願いしようかと家をこっそり抜け出しました」
「えっ。こっそり抜け出したのですか。お家の方がかなり心配されるのでは」
紫穂はびっくりして思わず言ってしまう。
夏乃の視線が紫穂に抜く。
「はい、抜け出しました。どうにかこうにか。今日は集中してお勉強したいから部屋に入らないように使用人に言いつけましたから……まだバレてないと思いますが。兄様もこの時間はお仕事ですし」
「……そういえば河島中尉とは幾度も会ったことも任務をともにこなしたこともあったが、夏乃さんと会うのは初めてだね。夏乃さんは身体が弱く屋敷から出ないようにしていると聞いていた。だが、白蝶を操ることが出来るほどに夢見鳥の巫女の才があると」
しかし、夏乃は元気そうだ。
病弱、には見えない。
「前はそうだったのです。ですが、今はすっかり元気でして。でも兄様は、まだまだ心配だから屋敷にいろと。ほとんど外出が出来ないのです」
夏乃はそう言うと、紅茶に口をつけた。
「美味しいです」
「それは良かった。……夏乃さん、依頼は受けよう」
「ありがとうございます……!」
「だが……何も分からない可能性もある。それに自殺という結論が出る可能性も」
「はい、構いません。兄様や周りが言うように本当に自殺だった、という可能性はあるでしょう。でも、私には違和感がある。静香さんの友達として調べたいのです。それで、結論が変わらなかったとしても。自己満足ですが……」
「この件について、夏乃さんが知っていることは?」
和颯が訊ねる。
「私は兄様の話を聞いたくらいなのです。自殺したということ。私はそうは思いませんが。……遺書を残していたこと。恋焦がれた誰かがいたこと。先月に桜鈴園で自殺したこと。このくらいです」
「遺書の詳しい内容は? 恋焦がれた相手は誰か知っているかな?」
「私は詳しい内容はわからないのです。恋焦がれた相手はリクヒトさんという方です。しかし名字もわかりませんしどこの誰かもわかりません」
「わからない?」
「はい、遺書には名前は『愛するリクヒトさん』としか書かれていなくて……。でも静香さんの周りにリクヒトさんという名前の方はいなかったのです。私や兄様知らないうちに逢瀬していた可能性はなくもないですが」
「そっか……」
和颯は難しい顔をした。紫穂は前途多難なのではないか、と思った。
「静香さんの性格や趣味、交友関係は?」
和颯の問いかけに、夏乃が答える。
「交友関係は……私、詳しくないのです。ずっと屋敷にいて、でも兄様の婚約者の静香さんは屋敷に遊びに来てくれましたから仲良くしてくださいましたが。性格は優しく正義感が強い方でした。趣味は読書です」
そこで夏乃は言葉を切った。
「私が知っていることは以上です」
「わかった。教えてくれてありがとう」
「いえ……申し訳ありません。知っている事が少なくて……それと……私が、静香さんが自殺ではないのではないか? と思う理由がまだありますの……」
「と、いうと?」
和颯がうながす。
「白蝶の夢見鳥の巫女の斎藤キヨ様が行方不明でしょう? 静香さんも白蝶の夢見鳥の巫女でした。どうも不吉に思えて……連続殺人事件の可能性があるのでは? と思えて……」
「白蝶の夢見鳥の巫女を狙った事件、という線もありえるね」
「はい……兄様にもお話しましたが、たまたまだろうと言われてしまいました。……それと」
夏乃が巾着袋から何かを取り出し、机に置いた。キラキラ輝く宝石のついた指輪。
「ダイヤモンドの指輪です。これでお願い出来ますか?」
「ずいぶん高そうに見えるね」
「兄様に誕生日に頂いたものです」
「大切なものでは?」
「……はい。ですが、これが私が持っているもので一番価値があるものです」
和颯は、ダイヤモンドの指輪を見つつ言った。
「受け取らない」
「えっ、ですが」
「こうしよう。依頼が成功したら他のものでもいい。何か渡してくれればいい。失敗したら何もいらない」
「……わかりました。ありがとうございます」
夏乃が頭を下げた。ダイヤモンドの指輪を、夏乃は巾着に戻した。
「どうかお願いいたします。……私はお暇いたしますね。そろそろ家を抜け出したのがバレるかもしれません」
「夏乃さんはなにでここまで?」
「人力車です。外に待たせています」
「そうか。俺たちも丁度、外に出る予定があってね。河島家方面だから俺たちも付いていこう……紫穂ちゃんも行こう」
「私もですか?」
紫穂も、ともに行く思わず、目を瞬く。
が、すぐに思い至る。
(お昼過ぎには街に行く予定だったもの)
「うん。……悪いけど、電話して人力車を呼んでから着替えてくる。すぐ終わるから待ってて。話していてケーキを食べる時間がなかったね。二人はケーキを先に食べてて。俺はあとで食べるよ」
「わかりました」
そうして、和颯は応接間を出ていった。
紫穂は、ケーキを口に運ぶ。少し重めのバタークリームは濃厚な味わいだった。
「美味しいです」
紫穂が言えば夏乃がパッと花が咲くよう微笑む。
「そう言っていただけると嬉しいです。河島家はお菓子だけでなく、ドレスなどの洋服作りも力を入れています。紫穂さんはべっぴんさんですからドレスもよくお似合いになるはずです。いつか、河島のドレスも着てくださいね」
「べっぴんさんだなんてそんな……夏乃さんの方がお綺麗です」
夏乃は、巾着を開ける。そして、ダイヤモンドの指輪を取り出す。
「紫穂さん、持っていてくれませんか」
「え?」
「私、あんまり外に出れませんから。また渡せるかどうか。……烏藤様には内緒で。成功報酬というのなら、私の依頼が成されたらそのまま持っていて『夏乃に渡された』と烏藤様に言ってください。……私の依頼が成されなかったら河島の屋敷まで戻しに来るというのはどうでしょう?」
「ですが……」
紫穂がしぶると夏乃は、深く頭を下げた。
「顔を上げてください!」
「では、受け取ってくださいませ」
「……わ、わかりました」
紫穂は、ダイヤモンドの指輪を受け取る。そして、懐に入れた。
そんなやりとりをしていると宣言通り、和颯は五分も経たずに応接間に戻ってきた。
「……」
紫穂は思わず目を見張った。
書生姿ではなくスーツ姿だった。いつものようにペンダントもしているが、肩にはちょこんとナナが乗っている。
(書生みたいな格好もかっこよかったけれど……スーツもお似合い……)
「烏藤様、お似合いです。……それにその子、烏藤様の妖魔ですね。可愛いです」
あっさりと、夏乃が紫穂が思ったのと同じことを言う。
「ありがとう」
和颯が言う。そして紫穂を和颯は見た。
「紫穂ちゃん、どうかな?」
「……お似合いです」
夏乃と同じ言葉ではないか。紫穂は自身の語彙力の無さを呪う。
だが、和颯はその言葉に笑みを浮かべたのだった。
