「紫穂。お前、水山家に行け」
いつものように家事をしている最中、父の書斎に呼び出され、言われた言葉は開口一番それだった。
(水山家に行く……? え? 水山家ってあの水山家? 違法薬物で儲けているって噂がある……?)
女中たちが水山家について噂をしていたのを耳にしたことがあった。
「え……? どういうことでしょうか?」
なぜ突然、そんなことを言い出すのか。
わけがわからない。
「水山家に行くのだ」
聞き分けの悪い子どもにいうように茂正が言う。
「あの……なぜですか?」
「水山家のご当主だ。新しい妻を探しているらしくてな。『無能』でも構わないそうだ……。お前をやると話をしようと思う。若いそれなりの家の女なら誰でもいいそうだ。ただし……」
茂正がいったん言葉を切る。
「黒蝶であることは隠せ」
「……」
(水山のご当主……)
記憶を探る。確か、すでに六十を過ぎていた気がする。そして女癖も大変悪い。しかし、かなり羽振りが良かったはずだ。
そして水山家は柳家より名家だ。
「あの……なぜ水山のご当主様と?」
「なぜ?」
茂正は、軽薄に笑う。
「いいだろう。最後にこのくらい教えてやる。水山様は羽振りがいいだろう? お前が嫁げば金の融通が、さらに利くはずだ」
「……!」
つまり、娘を金で売り飛ばすつもりらしい。
五年前にこの父が紫穂をどうでもいい存在として認識していたのはわかっていた。
しかし、心のどこかで期待していたのだろう。
紫穂は心が急速に冷えていくのを感じた。
そして思う。
(逃げよう……)
もしかしたら今よりひどいことになるかもしれない。それでも。もう、言いなりになりたくなかった。
「水山殿には私から話をしておく。……もう出ていっていい」
「はい」
紫穂は頭を下げ、書斎から退出する。
「あらー。紫穂! 嫁ぎ先が決まって良かったわね」
書斎から出ると、百代がそこにいた。
桃色のワンピース姿。この桜国では、洋装の女性はそれほどいない。そして洋服は高価だ。しかし百代は何着も持っていた。
「……はい」
「ふふっ。まぁ、私はあんな爺さんなんてお断りだけど……! せいぜい新婚生活を頑張りなさい」
「……」
「何か言いなさいよ? つまらないわね」
「……すみません」
「ま、いいわ。私、これからお父様とお母様とフルーツパーラーに行くから。留守番していなさい」
「はい」
百代は笑い声を上げながら書斎に入った。
「お父様! 早くフルーツパーラーに行きましょ! パフェを食べたいですわ!」
紫穂はその場を後にした。
そして、自身の部屋へと移った。
ガランとした部屋だ。
特に持っていけるものはない。
身一つ、ということになる。
「……」
紫穂は茂正、多江、百代が家からいなくなったら出ていくことにもう決めていた。
(……今からどうなるかはわからない。でも……)
紫穂は深呼吸したのだった。
そして、立ち上がり部屋を出て外へ向かう。
敷地の外に出るのは久しぶりだった。『家の恥だから外に出るな』と言われていたのだ。
それが嫁げ、と言われるとは。
空は晴天の青空。
門をくぐりぬけ、外に一歩踏み出す。実にあっさりとした一歩。
不思議な気分だった。屋敷を振り返る。
最近は和洋折衷や洋式の屋敷も増えてきたが、柳家は和風邸宅だ。
「……さようなら」
きっともう戻ることはあるまい。
紫穂は家に背を向ける。
(あの新聞の女中募集の広告……烏藤家に行こう)
紫穂はそんなことを考えながら歩き出した。
柳家は帝都にある。そして帝都中心部までは遠くない。ただし、歩くと遠く感じるが。
どのくらい歩いただろう。
すでに日が暮れている。すでにガス燈が輝き始めていた。
だが、だいぶ歩いたおかげで目的地まで来れた。
「えっと、ここだよね?」
十二歳までは帝都でよく遊んだが、それから五年は外に出ていなかったのだ。
土地勘はあるのだがないのだが怪しいところだ。
しかし、紫穂が住所が合っているのか、迷ったわけは他にもあった。
目の前の家は洋式の屋敷だった。しかし柳家よりこじんまりしている。
烏藤家は名家ではなかったのか。なのに、家が柳家より小さい。しかも、『烏藤退魔なんでも屋』という怪しげな、しかし達筆な看板が置いてある。烏藤、という家の屋敷なのは間違いあるまい。それにここまで来たのだ。
「……」
そっと、扉を叩こうとしたその時。
「何用かな?」
低く心地よい声がした。
パッと紫穂は振り返る。
そして、頭を下げて言った。
「私、柳紫穂と申します!! 新聞の女中募集を見て参りました! どうか雇ってくださいませ」
ポンッと頭に何か乗る感触。重くはない。軽い。
「……?」
「これは驚いた」
「えっと?」
「とりあえず、顔を上げて」
男性の言葉に従い、頭に何かを乗せたまま顔を上げる。
「……!」
そこにいたのは琥珀色の瞳の美しい一人の男性。切れ長の目。すっと通った鼻筋。薄い唇に白い肌。服装は中にシャツ。そして着物に袴。書生のような服装。そして、黒い宝石のペンダントをしている。首筋に星に似た痣のようなものがある。年の頃は二十代前半か。
そして紫穂が今まで見てきた中で一番美しい人物だった。
「きみはずいぶん霊力が豊かだね。柳家は退魔家系のあの柳家で合っているかな?」
「……はい」
「柳家の長女は異能を持たず、病弱で家から出られないと聞いていたが」
(ああ、私はそういうことになっていたの)
紫穂は納得した。さすがに長女を女中扱いしているとは外にも言えまい。
(それにしてもこの人、霊力がすごい。何者? 退魔師の方? でも服装見る限り、烏藤の方じゃないような気もするし……違う家の退魔師の方? それにあのペンダントの宝石……妖魔を封印するたのもの?)
烏藤といえば名家ではないか。だというのに格好が簡素すぎはしないか。
「その長女が女中になりたいと」
「はい」
「――」
男性が何か言おうと口を開きかけた時だった。
「見つけたわよ!」
多江の叫び声がした。
「……!」
声のほうに視線を向ければ使用人の男たちを引き連れた多江がそこにいた。
「さぁ、帰るのよ」
「……か、帰りません!」
「何ですって!? お前は結婚するのよ!?」
「嫌です!」
「生意気な!」
ずんずんと多江がこちらへ近づいてくる。
すっと、男性が進み出て多江の前に立ちはだかった。
「は? 何よ、お前は。この家の書生か何かかしら?」
「いいえ。この家の主人の烏藤和颯ですよ」
(え!? あの!?)
烏藤和颯。百代が言っていた。国一番の退魔師で美男。しかし、身を蝕む呪いは祓えないものだから身体は長く持たないだろうと。
「嘘をつくのはおやめ」
「本当ですよ」
「ふん、どこが本当なの? お前、書生か何かでしょう?」
多江は嘲笑する。
「……ナナ」
そう和颯が呼びかければ、ぽんっと頭の重さが消えた。
バサバサと一羽の小鳥が和颯に向かう。その小鳥は頭が黄色く、身体は灰色。頬には特徴的な赤丸。ちょこんと頭に羽があった。
小鳥が、輝いたと思うとさぁっと風が吹き荒れ、姿が変化する。
小鳥とは言えない大きさ。
巨大な羽は宝石のようにきらめく。黒い巨鳥の脚は二本ではなかった。
普通の烏にはない三本目の脚がある異形の姿。八咫烏だ。
八咫烏の黒曜石のような瞳が多江を射抜く。
(綺麗……)
黒蝶と同じ美しい黒の鳥がそこにいた。
「ひぃっ!!」
多江は尻もちをついた。
「うわぁ!!」
「妖魔だ!!」
使用人たちはその場から多江を見捨てて逃げ出した。
やがて異形――八咫烏は光につつまれ大太刀へと姿を変える。
それを和颯は地面に落ちる前につかむ。
重そうな大太刀なのに軽々と扱い、多江に見せびらかすように振った。
大太刀は、光り輝き冷たい気配を漂わす。
「これで証明になりました?」
(八咫烏……。強大な妖魔の一つ。それと契約しているということは間違いない。烏藤和颯さんだ……)
退魔師の中には妖魔と契約して妖魔を倒すものがいる。妖魔は武器に姿を変えて退魔師の力となる。
契約を交わした武器姿の妖魔は退魔師の支配下だ。退魔師には逆らえない。
妖魔は退魔師の霊力を、そして斬った妖魔の霊力を喰らう。安全に霊力を喰らうという点ではいちいち人を襲って霊力を喰らうより効率がいいのだろう。人を襲えば討伐される危険性がある。しかし退魔師に協力すればその恐れはない。
太古の昔より退魔師に、協力する妖魔は少ないながらも存在する。
「えっ、何これ!? お母様!? それに和颯様!?」
今度は百代の声がした。桃色のワンピース姿のままだ。
「何事だ!?」
茂正も百代の後に続いて現れたのだった。
そしていつの間にか周囲には見知らぬ人が集まっていた。騒ぎを聞きつけたのか。
いつものように家事をしている最中、父の書斎に呼び出され、言われた言葉は開口一番それだった。
(水山家に行く……? え? 水山家ってあの水山家? 違法薬物で儲けているって噂がある……?)
女中たちが水山家について噂をしていたのを耳にしたことがあった。
「え……? どういうことでしょうか?」
なぜ突然、そんなことを言い出すのか。
わけがわからない。
「水山家に行くのだ」
聞き分けの悪い子どもにいうように茂正が言う。
「あの……なぜですか?」
「水山家のご当主だ。新しい妻を探しているらしくてな。『無能』でも構わないそうだ……。お前をやると話をしようと思う。若いそれなりの家の女なら誰でもいいそうだ。ただし……」
茂正がいったん言葉を切る。
「黒蝶であることは隠せ」
「……」
(水山のご当主……)
記憶を探る。確か、すでに六十を過ぎていた気がする。そして女癖も大変悪い。しかし、かなり羽振りが良かったはずだ。
そして水山家は柳家より名家だ。
「あの……なぜ水山のご当主様と?」
「なぜ?」
茂正は、軽薄に笑う。
「いいだろう。最後にこのくらい教えてやる。水山様は羽振りがいいだろう? お前が嫁げば金の融通が、さらに利くはずだ」
「……!」
つまり、娘を金で売り飛ばすつもりらしい。
五年前にこの父が紫穂をどうでもいい存在として認識していたのはわかっていた。
しかし、心のどこかで期待していたのだろう。
紫穂は心が急速に冷えていくのを感じた。
そして思う。
(逃げよう……)
もしかしたら今よりひどいことになるかもしれない。それでも。もう、言いなりになりたくなかった。
「水山殿には私から話をしておく。……もう出ていっていい」
「はい」
紫穂は頭を下げ、書斎から退出する。
「あらー。紫穂! 嫁ぎ先が決まって良かったわね」
書斎から出ると、百代がそこにいた。
桃色のワンピース姿。この桜国では、洋装の女性はそれほどいない。そして洋服は高価だ。しかし百代は何着も持っていた。
「……はい」
「ふふっ。まぁ、私はあんな爺さんなんてお断りだけど……! せいぜい新婚生活を頑張りなさい」
「……」
「何か言いなさいよ? つまらないわね」
「……すみません」
「ま、いいわ。私、これからお父様とお母様とフルーツパーラーに行くから。留守番していなさい」
「はい」
百代は笑い声を上げながら書斎に入った。
「お父様! 早くフルーツパーラーに行きましょ! パフェを食べたいですわ!」
紫穂はその場を後にした。
そして、自身の部屋へと移った。
ガランとした部屋だ。
特に持っていけるものはない。
身一つ、ということになる。
「……」
紫穂は茂正、多江、百代が家からいなくなったら出ていくことにもう決めていた。
(……今からどうなるかはわからない。でも……)
紫穂は深呼吸したのだった。
そして、立ち上がり部屋を出て外へ向かう。
敷地の外に出るのは久しぶりだった。『家の恥だから外に出るな』と言われていたのだ。
それが嫁げ、と言われるとは。
空は晴天の青空。
門をくぐりぬけ、外に一歩踏み出す。実にあっさりとした一歩。
不思議な気分だった。屋敷を振り返る。
最近は和洋折衷や洋式の屋敷も増えてきたが、柳家は和風邸宅だ。
「……さようなら」
きっともう戻ることはあるまい。
紫穂は家に背を向ける。
(あの新聞の女中募集の広告……烏藤家に行こう)
紫穂はそんなことを考えながら歩き出した。
柳家は帝都にある。そして帝都中心部までは遠くない。ただし、歩くと遠く感じるが。
どのくらい歩いただろう。
すでに日が暮れている。すでにガス燈が輝き始めていた。
だが、だいぶ歩いたおかげで目的地まで来れた。
「えっと、ここだよね?」
十二歳までは帝都でよく遊んだが、それから五年は外に出ていなかったのだ。
土地勘はあるのだがないのだが怪しいところだ。
しかし、紫穂が住所が合っているのか、迷ったわけは他にもあった。
目の前の家は洋式の屋敷だった。しかし柳家よりこじんまりしている。
烏藤家は名家ではなかったのか。なのに、家が柳家より小さい。しかも、『烏藤退魔なんでも屋』という怪しげな、しかし達筆な看板が置いてある。烏藤、という家の屋敷なのは間違いあるまい。それにここまで来たのだ。
「……」
そっと、扉を叩こうとしたその時。
「何用かな?」
低く心地よい声がした。
パッと紫穂は振り返る。
そして、頭を下げて言った。
「私、柳紫穂と申します!! 新聞の女中募集を見て参りました! どうか雇ってくださいませ」
ポンッと頭に何か乗る感触。重くはない。軽い。
「……?」
「これは驚いた」
「えっと?」
「とりあえず、顔を上げて」
男性の言葉に従い、頭に何かを乗せたまま顔を上げる。
「……!」
そこにいたのは琥珀色の瞳の美しい一人の男性。切れ長の目。すっと通った鼻筋。薄い唇に白い肌。服装は中にシャツ。そして着物に袴。書生のような服装。そして、黒い宝石のペンダントをしている。首筋に星に似た痣のようなものがある。年の頃は二十代前半か。
そして紫穂が今まで見てきた中で一番美しい人物だった。
「きみはずいぶん霊力が豊かだね。柳家は退魔家系のあの柳家で合っているかな?」
「……はい」
「柳家の長女は異能を持たず、病弱で家から出られないと聞いていたが」
(ああ、私はそういうことになっていたの)
紫穂は納得した。さすがに長女を女中扱いしているとは外にも言えまい。
(それにしてもこの人、霊力がすごい。何者? 退魔師の方? でも服装見る限り、烏藤の方じゃないような気もするし……違う家の退魔師の方? それにあのペンダントの宝石……妖魔を封印するたのもの?)
烏藤といえば名家ではないか。だというのに格好が簡素すぎはしないか。
「その長女が女中になりたいと」
「はい」
「――」
男性が何か言おうと口を開きかけた時だった。
「見つけたわよ!」
多江の叫び声がした。
「……!」
声のほうに視線を向ければ使用人の男たちを引き連れた多江がそこにいた。
「さぁ、帰るのよ」
「……か、帰りません!」
「何ですって!? お前は結婚するのよ!?」
「嫌です!」
「生意気な!」
ずんずんと多江がこちらへ近づいてくる。
すっと、男性が進み出て多江の前に立ちはだかった。
「は? 何よ、お前は。この家の書生か何かかしら?」
「いいえ。この家の主人の烏藤和颯ですよ」
(え!? あの!?)
烏藤和颯。百代が言っていた。国一番の退魔師で美男。しかし、身を蝕む呪いは祓えないものだから身体は長く持たないだろうと。
「嘘をつくのはおやめ」
「本当ですよ」
「ふん、どこが本当なの? お前、書生か何かでしょう?」
多江は嘲笑する。
「……ナナ」
そう和颯が呼びかければ、ぽんっと頭の重さが消えた。
バサバサと一羽の小鳥が和颯に向かう。その小鳥は頭が黄色く、身体は灰色。頬には特徴的な赤丸。ちょこんと頭に羽があった。
小鳥が、輝いたと思うとさぁっと風が吹き荒れ、姿が変化する。
小鳥とは言えない大きさ。
巨大な羽は宝石のようにきらめく。黒い巨鳥の脚は二本ではなかった。
普通の烏にはない三本目の脚がある異形の姿。八咫烏だ。
八咫烏の黒曜石のような瞳が多江を射抜く。
(綺麗……)
黒蝶と同じ美しい黒の鳥がそこにいた。
「ひぃっ!!」
多江は尻もちをついた。
「うわぁ!!」
「妖魔だ!!」
使用人たちはその場から多江を見捨てて逃げ出した。
やがて異形――八咫烏は光につつまれ大太刀へと姿を変える。
それを和颯は地面に落ちる前につかむ。
重そうな大太刀なのに軽々と扱い、多江に見せびらかすように振った。
大太刀は、光り輝き冷たい気配を漂わす。
「これで証明になりました?」
(八咫烏……。強大な妖魔の一つ。それと契約しているということは間違いない。烏藤和颯さんだ……)
退魔師の中には妖魔と契約して妖魔を倒すものがいる。妖魔は武器に姿を変えて退魔師の力となる。
契約を交わした武器姿の妖魔は退魔師の支配下だ。退魔師には逆らえない。
妖魔は退魔師の霊力を、そして斬った妖魔の霊力を喰らう。安全に霊力を喰らうという点ではいちいち人を襲って霊力を喰らうより効率がいいのだろう。人を襲えば討伐される危険性がある。しかし退魔師に協力すればその恐れはない。
太古の昔より退魔師に、協力する妖魔は少ないながらも存在する。
「えっ、何これ!? お母様!? それに和颯様!?」
今度は百代の声がした。桃色のワンピース姿のままだ。
「何事だ!?」
茂正も百代の後に続いて現れたのだった。
そしていつの間にか周囲には見知らぬ人が集まっていた。騒ぎを聞きつけたのか。
