黒蝶の巫女と最強退魔師の婚約  死蝶は呪われた退魔師と謎を解く

 目の前にそびえ立つ大きな白い建物。
 きらびやかで、豪奢で、紫穂は思わず目を見張った。

「立派なデパートですね」

 紫穂が来たことがないデパートだった。恐らく、紫穂が十二歳になった後から出来たものだろう。
 矢内の屋敷から近いデパートに行こうと提案したのは和颯だった。

『ね、せっかくだし、寄っていこう』

 と言う和颯に紫穂はうなずいたのだ。

「じゃ、行こうか」

 和颯に手を引かれて、紫穂はひどく戸惑う。

(え? 手!?)

 びっくりする紫穂を他所に和颯は当然とばかりにデパートの入り口に向かう。
 デパートに入ったところで紫穂はやっとの想いで言った。

「あ、あの……和颯さん。て、手が」
「あ、嫌だった?」

 ぶんぶんと首を横に振る。

「そういうわけではないのですが」
「なら、良かった。まずは服でも買おうか」
「え? ですが、もうたくさん貰いましたし……」
「でも、せっかくだしさ。デパート来たのに、これなのもどうかなって思って」

 和颯は自分と紫穂の服装を交互に見た。お互い、どこかの使用人に見えるかもしれない。

「ですが」
「駄目かな? 俺も買いたいし」
「……わかりました」

 そうして、紫穂と和颯は婦人服の階にエレベーターに乗って向かう。
 到着すると、和颯が訊ねる。

「どれがいい?」
「特に……えっと、なるべく質素なものを……」
「うーん、じゃ、これを」

 和颯が女性店員にとある着物を指さす。

「え?」

 紫穂はその着物を見て驚く。その花柄の紫の着物は紫穂が見ても高価なものと一目でわかった。

「駄目です、駄目です。高いものでは?」
「今日のお礼ということで」
「お礼?」
「紫穂ちゃんに聞き込み調査してもらったお礼」
「たいしたことでは」
「そんなことないよ」

 紫穂は少し、考えてから言った。恥ずかしい、と思いながらも。

「……婚約者で……いずれ妻になるのですし、このくらいは当然のことかと。夫婦になるのですから助け合うのは当然と言いますが何と言いますか……」

 そういえば、和颯は少し沈黙した。

(へ、変なこと言っちゃったかな?)

 紫穂が言わなければ良かったと思っていると、和颯がにやりと笑って言う。

「婚約者……妻……。確かにね。それなら、将来の夫から将来の妻に贈り物をするのは当然だろう」

(夫……! 妻……!)

 自分で夫婦になるのだからなどと言ったくせに和颯の口から出ると顔が赤くなってしまう。
 紫穂が混乱しているうちに和颯は着物を買ってしまった。

「紫穂ちゃん、買ったよ。今、着ちゃう?」
「え? あ、はい」

 紫穂のぐるぐる回る思考から和颯へと意識を戻す。しかし、和颯の今の言葉はろくに聞こえていなかった。『はい』と思わず反射的に言ったのだ。

「更衣室はこちらです」

 女性店員が言う。

「更衣室?」
「はい」

 と笑顔の女性店員。

「紫穂ちゃん、俺もパパっと買い物してきちゃうね。その着物着た姿、楽しみにしてるね」
「え。は、はい」

 思わず紫穂はそう言ったのだった。

★☆★☆

 紫穂が着替え終わって、元の場所に戻ると和颯はまだ居なかった。周りに人もいない。
 だが、すぐに戻るだろうと紫穂は気にしなかった。
 そして、自身の着物を見た。指先で触れる。

(うん、高いものだ……)

 こんなもの着たことない。申し訳なさもあるが、嬉しさもあった。

(和颯さんが戻ったらちゃんとお礼を言わないと)

 紫穂がそんなことを考えていると。
 馴染みのある、しかし久しぶりに感じられる声がした。

「紫穂?」

 鈴を転がすような声。

(百代……?)

 声の方を振り返れば、桃色の着物の可愛らしい少女がそこにはいた。少女は、女中を連れている。
 少女――百代は目を丸くして紫穂を見ていた。

「……百代」

 ポツリとこぼれた紫穂の言葉に、ハッとしたような表情を百代は浮かべる。

「百代? 百代様と呼びなさいよ」
「……」
「は? 私に逆らうの? また痛い目にあいたい?」

 百代が紫穂を睨みつける。
 紫穂は少し怖じ気つく。それに気づいた百代が鼻を鳴らした。

「ふん。やっぱり黒蝶は黒蝶。……家から出て行ってずいぶん良い暮らししてるみたいね。そんな綺麗な着物、お前には似合わないわ」

 百代は値踏みするように紫穂の着物を見た。

「私にそれ、よこしなさいよ。紫穂には似合わないわ」

 紫穂はその言葉を聞いた途端、考えるより前に言っていた。

「いや」
「はあ?」

 百代の顔が歪む。見下していた紫穂に断られて苛立ったのだろう。

「このお着物は和颯さんからもらった大切なものだから譲れない」
「は? だったら何なの? 和颯さんに見初められたからって調子乗ってんじゃないわよ。だいたい私には敬語で話しなさいって言ってるでしょ?」
「調子に乗っているわけではないの。とにかくあげられないから。それに私はもうあなたに仕えているわけでもないの。だから敬語は使わない」

 自分でもこんなことを言うとは、と紫穂は驚く。
 ここから一端、離れようとくるりと紫穂は百代に背を向ける。が、百代はその背中に言葉を投げた。

「いい気になるんじゃないわよ? 和颯さんなんて……どうせすぐ死ぬもの。すぐ死んじゃう男と婚約なんて可哀想に。……和颯さんが死んだ時、お前がどうなるか見ものね! 早くお前のその時の顔が見てみたいわよ。和颯さんが死ぬ時が楽しみね」

 紫穂は、その言葉に振り返り、ずかずかと百代の前まで来た。

「何よ?」

 百代がにやりと笑う。紫穂を怒らせたことが気分がいいのだろう。
 パァンと音がなる。

「キャッ!!」

 紫穂が百代を叩いた音だ。

「何するのよ、黒蝶が!」
「……『和颯さんが死ぬ時が楽しみね』ですって? よくもそんなことを!」
「そのくらいいいじゃないの!」

 そう言った百代は、周りの店員や客が何事かという顔をしてこちらを見ているのに気づいたようで表情を変えた。

「……これ以上、揉めるような行動とらないで。私の名誉に傷がつくじゃないの」

 小声で百代が言う。
 紫穂が口を開こうとした、その時。

「紫穂ちゃん、遅くなってごめん。どうした?」

 肩にぽんっと手が置かれる。

「和颯さん!」

 紫穂は、ホッとした。スーツ姿の和颯がいた。やはり、書生のような服装とはだいぶ受ける印象が違う。書生じみた装いもいいが、スーツ姿もよく似合うと紫穂は思う。
 百代は和颯を見て、笑みを浮かべた。

「あら、和颯さん。ごきげんよう」
「ああ、こんにちは」
「……『お姉様』と少しお話しておりましたの。でも、お姉様ったら気が強いところがあって……少し叩かれてしまいましたわ」

 と、百代はこれ見よがしに赤くなった頬を見せた。

「それはそれは」

 紫穂は不安になる。叩いたのは事実だ。やりすぎた、と思う。
 和颯は百代の頬を見ながら言った。

「……俺の調べでは百代さんは普段は紫穂ちゃんのことを『紫穂』と呼び捨てにしていたらしいね」
「え」

 百代があんぐりと口を開ける。
 紫穂もびっくりした。

(いつの間にそんなことを調べていたの!?)

 と紫穂は一瞬、思ったが、そもそも紫穂の置かれた状況に和颯は最初から気づいてたいではないか。それから、詳しいことを調べたのだろう。
 
「それに、俺の屋敷に訪ねてきた紫穂ちゃんはボロボロの状態だった。きみもその場にいたよね? まだ誤魔化せると思っていることにびっくりだよ」
「それはその……。私が何かしたわけでは」
「日常的に叩いたり、術を使って苦しめたり、紫穂ちゃん一人に大量の洗濯物を押し付けたり……色々としていたらしいね?」
「……まさか」

 と百代は言うもののその声は震えている。そして、後ろの女中を睨んだ。女中は首を横に振る。
 お前がバラしたのか? という疑念が百代の顔には浮かんでいた。

「そんなことはしていません。ですが、そんなこと……誰から聞いたのです」
「さて? でも、金で動く人間はたくさんいるからね」
「……」
「それにきみの家の噂についてだが――」

 和颯が何か言いかけた途端、百代は顔色を変えてパッと頭を下げる。

「和颯さん、私、忙しいのです。これから河島さんと予定もありますので」

 そして、さっさっと女中を連れて消えてしまった。

「河島……。河島孝治中尉のことか……?」

 和颯がつぶやいたが、すぐに紫穂に視線を向ける。

「紫穂ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫です」

 和颯本人に百代が『和颯さんが死ぬ時が楽しみね』と言っていたと伝えるのは気が引けた。だから、『大丈夫です』とだけ返すことにした。

「全部は見てなかったのだけど、『和颯さんが死ぬ時が楽しみね』って百代さんが言って紫穂ちゃんが叩いた場面は見たんだよね」
「え……その、すみません」
「何で謝るの?」
「……」
 
 と紫穂が口ごもると和颯が笑う。

「本当のことを言うと嬉しかった。俺のことで紫穂ちゃんが怒ってくれたのが」
「えっ」

 紫穂は予想外の和颯の言葉に、目を見開く。

「……こんなこと言うのはどうかとも思うけれど」
「そんなことありません」
「……それにデパートに来たのは気晴らしだったのに嫌なことが起きてしまったね。ごめんね」
「いえ、和颯さんのせいではありません」

 そう言いつつ、紫穂は気づく。デパートに来たのは紫穂が矢内静香の件で沈んだ気持ちになったのを和颯が気を使ったからなのか。

「和颯さん……ありがとうございます」

 紫穂は、そう言って深く頭を下げた。そして思う。

(私、この人のことが好き)

 それは自然にすとんと心に落ちてきた。同時に和颯が長くないという事実に心が淀む。
 和颯は紫穂の礼に、笑って言う。

「どういたしまして。紫穂ちゃんこそ、ありがとう」
「ありがとうですか?」
「うん、俺、紫穂ちゃんが来てから毎日楽しいからさ」
「……お役に立てて良かったです」
「あはは」

 変な返し方だったろうか。和颯が笑うなら、いいかと紫穂は思う。

「じゃ、気分を変えて楽しもうか」

 紫穂に和颯は手を差し出す。紫穂はその手をしっかり握ったのだった。