ミツは紫穂の発言に目を白黒していたが、屋敷の中から出て来た女中に「奥様が呼んでるよ、ミツ」と呼ばれ、ハッとしたような顔をした。
「あの、その、すみません、とりあえず行かなくては! 昼休憩がありますから一時になりましたら、また外に出ます! 続きの話はその時に!」
そう言って、屋敷の中へ言ってしまった。
ミツが消えると、背後から声がかけられた。
「話は出来そうだね」
「……和颯さん!」
振り返れば、長身の美青年がそこにはいた。
「すみません、勝手に正体をバラしてしまいました」
和颯を笑って、
「気にすることないよ。その方が誠実と思ったんでしょ? 俺、紫穂ちゃんのそういうところ、好きだな」
「す、好き……」
(好き、好きって……。いや、勘違いしちゃ、駄目、紫穂! この好きは人間として好ましいみたいな意味のはず!)
顔を赤くする紫穂に和颯は何がたのしいのやら笑みを深めたのだった。
★☆★☆
一時になって、宣言通りにミツは屋敷から出て来た。
ミツは、紫穂と和颯を視界に入れると目を丸くする。
「あなたは……」
「この間も会ったね。奥様には浄化の際にお世話になった」
書生のような姿の和颯を見やってミツがポツリとこぼす。
「ずいぶん、印象が違います……烏藤和颯様」
「それよく言われるね」
「一瞬、別人かと思いました」
「でも、どちらにしろ色男でしょ?」
「……あはは、確かに」
和颯の軽口にミツは少し笑う。
「まずは、ここじゃあれだから移動しても? 純喫茶なんてどう? 個室がある店を知っている」
「……わかりました」
和颯の提案をミツは受け入れたのだった。
★☆★☆
矢内の屋敷からさほど遠くない場所にある純喫茶の個室に入ると、三人とも昼食がまだであったのもあって、ライスカレーを注文した。
すぐにライスカレーが食欲をそそる香りをまとわせながら運ばて来た。
大きな骨付きの鶏肉が入っていた。
「ここのライスカレーは絶品でね。紫穂ちゃん、花山さん、食べてみて」
「はい」
紫穂はライスカレーを一口、口に運ぶ。辛めの味付け。ドロドロというよりかは少しサラサラめのカレーよくスパイスが効いている。
「美味しいです」
「良かった」
ニコニコ笑いながら和颯もまたライスカレーを食べた。
「やっぱり、ここのライスカレーは美味しいね」
そして、一通り食べ終わって食後の珈琲が運ばれてくると和颯は本題を切り出した。
「それで、なのだが、花山さん。矢内静香さんのことを聞かせて欲しい」
ミツはちらっと和颯を見て言う。
「……わかりました。本当は、もう誰にも……というか特に退魔師の方にはお話したくなかったのですけれど」
「話をしてくれる気になってありがとう」
「お礼なら紫穂様に。私がその気になったのは紫穂様の誠実さを感じたからなので。私に身分を偽って話をあのまま聞くことも出来たでしょうに。わざわざ明かしてくださった。……別にあなたを信用しているわけではありません」
そこで言葉を切ってミツは紫穂に目を向ける。
「烏藤様のことを紫穂様はご信用なさっているように思えたので。……ならいいかな、と」
(信用……。確かに)
と紫穂は思った。まだ出会ってから、たいして経っていない相手。しかし、いつの間にか紫穂の中で彼は信用出来る人物となっていた。
「そうか……。紫穂ちゃんのおかげだね。ありがとう」
「い、いえ。たいしたことはしてませんから」
縮こまる紫穂に和颯は笑って手を振った。
「まさか。たいしたことさ」
「いえ」
「否定することないのに。我が婚約者は可愛くて誠実で有能な女性だよ」
「か、可愛くて……、誠実で……、有能……ってほ、褒めすぎです……! 私はそんなにすごい人ではありません!」
紫穂は顔が紅潮するのを感じた。
(和颯さんは優しい人だもの。だから深い意味があるわけじゃなくて……。それに私が有能なわけない。黒蝶なのに……)
その様子を見ていたミツが、口を開く。
「いちゃいちゃしているところを邪魔して、すみませんがまず伺いたいことが。なぜ、お嬢様のことを調べているのです?」
(い、いちゃいちゃ!?)
紫穂はさらに頬が赤くなるのを感じる。リンゴのようになっていたかもしれない。
「んー、詳しい事情は話せないが、『何でも屋』をやっていてね。その仕事の一貫だよ」
「『何でも屋』は知っています。烏藤の坊っちゃんが変なことを始めたと旦那様が話していたのを聞いたことありますから」
「変かなぁ」
ぼやく和颯。
「変ではないかと」
と紫穂。
それを聞いたミツは何とも言えない顔をしていた。
珈琲をミツが一口飲んでから、話を始める。
「珈琲も美味しいですね。……夏乃様に頼まれたのでしょう?」
紫穂は目を見開く。なぜわかったのか。
和颯はまったく表情を変えない。
「それは言えないかな」
「わかりました。……でも、お嬢様と夏乃様は親しかったですから。私にも大変よくしてくださって。いまだに河島家の女中を介して私にお菓子までくださるくらいで……。それに夏乃様は突飛なところもございますし、『何でも屋』にお嬢様の件を依頼するほどお嬢様と親しくて突飛な方といえば夏乃様しかいらっしゃいません」
「さてね?」
と和颯が笑う。
「……それで、ですが。どこからお話すればよろしいでしょう?」
「『他に好きな男がいた。でも、婚約者と結婚しなくてはならない。それに絶望して自殺した』ということになっているでしょ? 相手の男の名前はリクヒトというらしいね。その男については何か知っている?」
「いいえ、知りません。そもそもお嬢様が婚約者の孝治様を裏切るなんてありえませんよ。お嬢様は孝治様をお慕いしていましたからね」
「でも、それは形だけで他に好きだった男がいた可能性は?」
「ありませんよ。何でそんなことを?」
「殺人事件なら、その相手の男に殺された可能性がある」
紫穂とミツは同時に息を呑む。
「それは……あっ」
紫穂の脳裏にひらめくものがあった。
「静香さんの遺書は『これから死にます』みたいな内容ではなかったはずです。確か、愛をつづった内容」
「え? どういう意味です?」
ミツが目をパチクリさせる。
紫穂は自身の考えを述べる。
「あの遺書、遺書ではなかったのでは?」
「え?」
「遺書ではなく恋文としても成立してもおかしくない……いいえ、恋文の方がしっくりくる内容でした」
「どういうことですか?」
釈然としない顔のミツ。
紫穂は、胸が早鐘を打つのを感じながら話す。
「あれは遺書ではなく恋文だった可能性があります。恋文を書くように『リクヒト』さんという方が頼んで……。それを渡す前にリクヒトさんに殺された。文章が短かったのは書きかけだったからでは? 遺書には『愛するリクヒトさんへ』とはあっても『静香より』という文章もなかった。書きかけだったからではないですか?」
「……紫穂ちゃん、すごいね」
ひどく感心したような表情を和颯は浮かべる。
「いえ、でも。和颯さんも同じ考えだったのでは?」
「そこまで、言語化はしてなかったよ」
本当なのか、本当ではないのかわからない口ぶりである。
和颯は、ミツに視線を向ける。
「と、言う訳なんだよね」
「……ですが、それだとお嬢様は婚約者がいるにも関わらず他の男性と……ということになります。それはありえませんよ! そんなことあったら、私に言うはずですし」
納得し難い、と言わんばかりの形相のミツ。
和颯は、そんなミツに言う。
「心の底から愛していたかはわからないよ。脅されて書いた可能性もある」
「脅しですか?」
「そう。例えば、『言うことを聞かなければ、家族や友人に危害を加える』とかね」
「でも、そんなに静香さんを求めていたならリクヒトさんはなぜ殺したのでしょう?」
紫穂の疑問に和颯が答える。
「それは本人にしかわからないけれど……自分のものにならないなら殺してしまおうなどという事例はある。それか衝動的に殺したか。恋文がたまたま遺書として機能した」
「身勝手な!」
ミツが怒鳴る。
「……とはいっても、本当のところはまだわからないけれど」
と和颯が言う。
いまだ、怒りが収まらないような表情のミツは珈琲を一口飲んだ。そして、ため息をつく。
「犯人を捕まえなければ。いくらでも協力します」
ミツがはっきりとした口調で宣言する。
「ありがとう。……では、静香さんには婚約者の河島中尉以外の男の影はなかったと?」
和颯が訊ねる。
「ええ、私が知る限りは。でも、お嬢様は私のことを信頼してくださっていましたから秘密の恋人がいたら教えてくださったと思うのです。私にも隠していたのなら……脅されていたに違いありません」
「他人が知らないような静香さんの一面は?」
少し、考えるようにミツが無言になる。
「そうですね……。お嬢様は裏表のない方でしたよ。他人が知らない一面ですか……ああ、でもそれなら……」
「それなら?」
「お嬢様は本がお好きで……それは皆様、ご存知でしたが。実はこっそり小説を書いていたのですよ。それで、小説雑誌に投稿されてました。私が郵便局まで持ってって。旦那様は、小説は低俗だとおっしゃる方なので、秘密にしていたのです。お嬢様が読書家……特に小説がお好きなのもよく思っていらっしゃらなかったのに、こっそり小説を書いて投稿していたと知ったらお嬢様は折檻されたかもしれません。……なので、お嬢様の小説執筆を知っているのは私と孝治様だけです」
「なるほど」
「ごめんなさい、あまり役に立ちませんよね」
「いや、そんなことはないよ。……もし脅した男がいたのなら、親しくなって秘密を握ってから脅したのかもしれない。小説の件を父親に知られたらまずいことになるだろう? みたいに脅したのかもしれない」
「……あり得るかもしれません。お嬢様は小説がお好きでしたから。旦那様に知られたら二度と小説を書けなかったでしょうから。……旦那様に思うところはありますが、きょうだいがたくさんいますし女中を辞めるわけにはいかないのですよ……」
「そっか……。それと。きょうだいがたくさんと言っていたけれどミツさんの名前は三番目の子だなら『三』と?」
「ええ、その通りです」
ミツは、壁時計を見る。時刻は二時。
「そろそろ休憩時間が終わりです。もう帰らなければ。……私に協力出来ることがあれば、何でもします」
「今日はありがとう」
「ミツさん、ありがとうございました」
紫穂と和颯が礼を述べるとミツは小さく首を横に振ったのだった。
ミツが立ち上がる。そして、その際にコホンと小さな咳をする。
「大丈夫ですか?」
と紫穂が訊ねる。
「大丈夫です。風邪を引いたみたいで。その風邪がちょっと長引いてるだけですから」
そうミツは返すと「これ、お代です」とテーブルに置く。
和颯は首を横に振る。
「いらないよ」
「ですが……」
「聞き込み料ってこで。ねっ?」
和颯がイタズラ気に笑えばミツは、少ししてから言った。
「ごちそうになります。……では」
そして、ミツは身を翻して純喫茶から去ったのだった。
「あの、その、すみません、とりあえず行かなくては! 昼休憩がありますから一時になりましたら、また外に出ます! 続きの話はその時に!」
そう言って、屋敷の中へ言ってしまった。
ミツが消えると、背後から声がかけられた。
「話は出来そうだね」
「……和颯さん!」
振り返れば、長身の美青年がそこにはいた。
「すみません、勝手に正体をバラしてしまいました」
和颯を笑って、
「気にすることないよ。その方が誠実と思ったんでしょ? 俺、紫穂ちゃんのそういうところ、好きだな」
「す、好き……」
(好き、好きって……。いや、勘違いしちゃ、駄目、紫穂! この好きは人間として好ましいみたいな意味のはず!)
顔を赤くする紫穂に和颯は何がたのしいのやら笑みを深めたのだった。
★☆★☆
一時になって、宣言通りにミツは屋敷から出て来た。
ミツは、紫穂と和颯を視界に入れると目を丸くする。
「あなたは……」
「この間も会ったね。奥様には浄化の際にお世話になった」
書生のような姿の和颯を見やってミツがポツリとこぼす。
「ずいぶん、印象が違います……烏藤和颯様」
「それよく言われるね」
「一瞬、別人かと思いました」
「でも、どちらにしろ色男でしょ?」
「……あはは、確かに」
和颯の軽口にミツは少し笑う。
「まずは、ここじゃあれだから移動しても? 純喫茶なんてどう? 個室がある店を知っている」
「……わかりました」
和颯の提案をミツは受け入れたのだった。
★☆★☆
矢内の屋敷からさほど遠くない場所にある純喫茶の個室に入ると、三人とも昼食がまだであったのもあって、ライスカレーを注文した。
すぐにライスカレーが食欲をそそる香りをまとわせながら運ばて来た。
大きな骨付きの鶏肉が入っていた。
「ここのライスカレーは絶品でね。紫穂ちゃん、花山さん、食べてみて」
「はい」
紫穂はライスカレーを一口、口に運ぶ。辛めの味付け。ドロドロというよりかは少しサラサラめのカレーよくスパイスが効いている。
「美味しいです」
「良かった」
ニコニコ笑いながら和颯もまたライスカレーを食べた。
「やっぱり、ここのライスカレーは美味しいね」
そして、一通り食べ終わって食後の珈琲が運ばれてくると和颯は本題を切り出した。
「それで、なのだが、花山さん。矢内静香さんのことを聞かせて欲しい」
ミツはちらっと和颯を見て言う。
「……わかりました。本当は、もう誰にも……というか特に退魔師の方にはお話したくなかったのですけれど」
「話をしてくれる気になってありがとう」
「お礼なら紫穂様に。私がその気になったのは紫穂様の誠実さを感じたからなので。私に身分を偽って話をあのまま聞くことも出来たでしょうに。わざわざ明かしてくださった。……別にあなたを信用しているわけではありません」
そこで言葉を切ってミツは紫穂に目を向ける。
「烏藤様のことを紫穂様はご信用なさっているように思えたので。……ならいいかな、と」
(信用……。確かに)
と紫穂は思った。まだ出会ってから、たいして経っていない相手。しかし、いつの間にか紫穂の中で彼は信用出来る人物となっていた。
「そうか……。紫穂ちゃんのおかげだね。ありがとう」
「い、いえ。たいしたことはしてませんから」
縮こまる紫穂に和颯は笑って手を振った。
「まさか。たいしたことさ」
「いえ」
「否定することないのに。我が婚約者は可愛くて誠実で有能な女性だよ」
「か、可愛くて……、誠実で……、有能……ってほ、褒めすぎです……! 私はそんなにすごい人ではありません!」
紫穂は顔が紅潮するのを感じた。
(和颯さんは優しい人だもの。だから深い意味があるわけじゃなくて……。それに私が有能なわけない。黒蝶なのに……)
その様子を見ていたミツが、口を開く。
「いちゃいちゃしているところを邪魔して、すみませんがまず伺いたいことが。なぜ、お嬢様のことを調べているのです?」
(い、いちゃいちゃ!?)
紫穂はさらに頬が赤くなるのを感じる。リンゴのようになっていたかもしれない。
「んー、詳しい事情は話せないが、『何でも屋』をやっていてね。その仕事の一貫だよ」
「『何でも屋』は知っています。烏藤の坊っちゃんが変なことを始めたと旦那様が話していたのを聞いたことありますから」
「変かなぁ」
ぼやく和颯。
「変ではないかと」
と紫穂。
それを聞いたミツは何とも言えない顔をしていた。
珈琲をミツが一口飲んでから、話を始める。
「珈琲も美味しいですね。……夏乃様に頼まれたのでしょう?」
紫穂は目を見開く。なぜわかったのか。
和颯はまったく表情を変えない。
「それは言えないかな」
「わかりました。……でも、お嬢様と夏乃様は親しかったですから。私にも大変よくしてくださって。いまだに河島家の女中を介して私にお菓子までくださるくらいで……。それに夏乃様は突飛なところもございますし、『何でも屋』にお嬢様の件を依頼するほどお嬢様と親しくて突飛な方といえば夏乃様しかいらっしゃいません」
「さてね?」
と和颯が笑う。
「……それで、ですが。どこからお話すればよろしいでしょう?」
「『他に好きな男がいた。でも、婚約者と結婚しなくてはならない。それに絶望して自殺した』ということになっているでしょ? 相手の男の名前はリクヒトというらしいね。その男については何か知っている?」
「いいえ、知りません。そもそもお嬢様が婚約者の孝治様を裏切るなんてありえませんよ。お嬢様は孝治様をお慕いしていましたからね」
「でも、それは形だけで他に好きだった男がいた可能性は?」
「ありませんよ。何でそんなことを?」
「殺人事件なら、その相手の男に殺された可能性がある」
紫穂とミツは同時に息を呑む。
「それは……あっ」
紫穂の脳裏にひらめくものがあった。
「静香さんの遺書は『これから死にます』みたいな内容ではなかったはずです。確か、愛をつづった内容」
「え? どういう意味です?」
ミツが目をパチクリさせる。
紫穂は自身の考えを述べる。
「あの遺書、遺書ではなかったのでは?」
「え?」
「遺書ではなく恋文としても成立してもおかしくない……いいえ、恋文の方がしっくりくる内容でした」
「どういうことですか?」
釈然としない顔のミツ。
紫穂は、胸が早鐘を打つのを感じながら話す。
「あれは遺書ではなく恋文だった可能性があります。恋文を書くように『リクヒト』さんという方が頼んで……。それを渡す前にリクヒトさんに殺された。文章が短かったのは書きかけだったからでは? 遺書には『愛するリクヒトさんへ』とはあっても『静香より』という文章もなかった。書きかけだったからではないですか?」
「……紫穂ちゃん、すごいね」
ひどく感心したような表情を和颯は浮かべる。
「いえ、でも。和颯さんも同じ考えだったのでは?」
「そこまで、言語化はしてなかったよ」
本当なのか、本当ではないのかわからない口ぶりである。
和颯は、ミツに視線を向ける。
「と、言う訳なんだよね」
「……ですが、それだとお嬢様は婚約者がいるにも関わらず他の男性と……ということになります。それはありえませんよ! そんなことあったら、私に言うはずですし」
納得し難い、と言わんばかりの形相のミツ。
和颯は、そんなミツに言う。
「心の底から愛していたかはわからないよ。脅されて書いた可能性もある」
「脅しですか?」
「そう。例えば、『言うことを聞かなければ、家族や友人に危害を加える』とかね」
「でも、そんなに静香さんを求めていたならリクヒトさんはなぜ殺したのでしょう?」
紫穂の疑問に和颯が答える。
「それは本人にしかわからないけれど……自分のものにならないなら殺してしまおうなどという事例はある。それか衝動的に殺したか。恋文がたまたま遺書として機能した」
「身勝手な!」
ミツが怒鳴る。
「……とはいっても、本当のところはまだわからないけれど」
と和颯が言う。
いまだ、怒りが収まらないような表情のミツは珈琲を一口飲んだ。そして、ため息をつく。
「犯人を捕まえなければ。いくらでも協力します」
ミツがはっきりとした口調で宣言する。
「ありがとう。……では、静香さんには婚約者の河島中尉以外の男の影はなかったと?」
和颯が訊ねる。
「ええ、私が知る限りは。でも、お嬢様は私のことを信頼してくださっていましたから秘密の恋人がいたら教えてくださったと思うのです。私にも隠していたのなら……脅されていたに違いありません」
「他人が知らないような静香さんの一面は?」
少し、考えるようにミツが無言になる。
「そうですね……。お嬢様は裏表のない方でしたよ。他人が知らない一面ですか……ああ、でもそれなら……」
「それなら?」
「お嬢様は本がお好きで……それは皆様、ご存知でしたが。実はこっそり小説を書いていたのですよ。それで、小説雑誌に投稿されてました。私が郵便局まで持ってって。旦那様は、小説は低俗だとおっしゃる方なので、秘密にしていたのです。お嬢様が読書家……特に小説がお好きなのもよく思っていらっしゃらなかったのに、こっそり小説を書いて投稿していたと知ったらお嬢様は折檻されたかもしれません。……なので、お嬢様の小説執筆を知っているのは私と孝治様だけです」
「なるほど」
「ごめんなさい、あまり役に立ちませんよね」
「いや、そんなことはないよ。……もし脅した男がいたのなら、親しくなって秘密を握ってから脅したのかもしれない。小説の件を父親に知られたらまずいことになるだろう? みたいに脅したのかもしれない」
「……あり得るかもしれません。お嬢様は小説がお好きでしたから。旦那様に知られたら二度と小説を書けなかったでしょうから。……旦那様に思うところはありますが、きょうだいがたくさんいますし女中を辞めるわけにはいかないのですよ……」
「そっか……。それと。きょうだいがたくさんと言っていたけれどミツさんの名前は三番目の子だなら『三』と?」
「ええ、その通りです」
ミツは、壁時計を見る。時刻は二時。
「そろそろ休憩時間が終わりです。もう帰らなければ。……私に協力出来ることがあれば、何でもします」
「今日はありがとう」
「ミツさん、ありがとうございました」
紫穂と和颯が礼を述べるとミツは小さく首を横に振ったのだった。
ミツが立ち上がる。そして、その際にコホンと小さな咳をする。
「大丈夫ですか?」
と紫穂が訊ねる。
「大丈夫です。風邪を引いたみたいで。その風邪がちょっと長引いてるだけですから」
そうミツは返すと「これ、お代です」とテーブルに置く。
和颯は首を横に振る。
「いらないよ」
「ですが……」
「聞き込み料ってこで。ねっ?」
和颯がイタズラ気に笑えばミツは、少ししてから言った。
「ごちそうになります。……では」
そして、ミツは身を翻して純喫茶から去ったのだった。
