友達以上。恋人以上になりたくて。

 夏休みが終わり、いつもの日常が戻ってきた。普段は憂鬱に感じるはずの休み明けが、嬉しくて仕方なかった。
 あれから翠と何度か会っているけれど、家が遠いこともあって頻繁とは言い難かった。
 そう、俺は翠に会いたい。
 でもやっぱり翠の告白に答えられるのかというと…。
 結局答えは出ずにそのまま現状維持。
 翠が辛い思いしてるのはわかっているのだけど。
「おはよう」
「はよー」
 真っ黒に日焼けした森本に声をかけられて返事をする。
「あれ?なんか泉君、元気ないね」
「んー、俺的にはいつもどおりだけど」
 いつもどおりの朝食を食べ、チャリでのんびり登校した。強いて言うなら最近翠のことを考えてすっきり眠れていない。寝不足といえばそれまでだけど、体調を崩したというほどじゃない。
 そこに翠と坂井が登校してきた。
「おはようございます!今日も1日がんばりましょう!」
「おはよ。坂井君、その挨拶…」
「あ、綾瀬君おはよう。ねえ、なんか泉君元気ないと思わない?」
「俺の挨拶は無視かよ。んんー?そうだな、言われてみれば?」
「圭人、大丈夫?」
 みんなから心配されて少し気まずく感じた俺は顔の前で手をふって否定する。
「大丈夫大丈夫、ちょい寝不足なだけ」
「寝不足かあ、まだまだ暑いもんね。寝苦しいし、わかる」
「授業中寝ちゃダメだよ?」
 俺の頭を撫でながら、首を傾げて翠が言う。その手をとり、自分の頬に当てる。
「なんか、翠の手、冷たい…」
「さっき自販機で飲み物買ったから。ほら。あ、目が覚めるかもだし、飲む?」
「ちょーだい」
 翠が手を離そうとしたところに自分の手を重ねて置いた。そして坂井と森本の方を見て言った。
「蓋開けて?」
 無言で見ていた2人は顔を見合わせた。森本がペットボトルを取り蓋を開けて渡してくれる。
「サンキュー。翠、あとで返すから」
 俺は翠にペットボトルを支えられて飲んだ。
「あのさ」
「なに?」
「元気ないっていうか…おかしくない?」
「?」
「えーと、お前ら前から距離近かったけど、なんていうか…バグってる?」
「そうかな?前からこんなもんだろ?」
 俺はそう言って翠を見た。
 翠は少しだけ困ったような顔をして首を傾げる。
「…こんなもんかな?」
「お前がそういうなら、それでいいよ」
 坂井が苦笑いしたように言って、森本を見た。
「まあ、そうだね。2人がそう言うなら。外野がどうこう言うことじゃないし」
 森本は思い出したようにペットボトルのキャップを机に置くとそう言った。
 そうこうしてるうちに予鈴がなって、教室が慌ただしくなる。
「じゃあ、席戻るから」
「またな」
 2人は足早に去っていき、翠が残った。
「俺も行くね」
 席替えをして少し遠くなった翠の席は誰もおらずぽっかり空いている。
 俺は淋しくなったけれど、引き止めることは流石にできなかった。



 国語の授業が終わり、みんな慌てるようにして教室で作業着に着替える。
 今日、最後の授業は溶接の実技だ。
 更衣室は女子にしか用意されていない。それについて文句を言う者1人もいなかった。
 いつもより体を動かすのが億劫な気がする。本当に体調良くないのかな?そう思いながらも急いで着替えた。
 目の端に翠を見つける。ふと翠と目が合って微笑みが返ってきて安心する。
 あれからいつも目で追ってしまう。すると翠もいつの間にか俺を見つけて笑顔をくれる。
 やっぱり翠を好きだと思う。
 けれど…。
 自分の中にあるはずの答えを見つけられなくてモヤモヤする。
 大きく息を吐いて、気持ちを切り替える。溶接の授業でぼーっとしていたら危険だ。今は余計なことは考えないようにしないとまずい。
 俺は着替えを終えたいつものメンバーと実習室を目指した。



 溶接の授業といえば、暑い。
 エアコンもない中、長袖の作業着を着て、革製のグローブをはめる。そして金属を溶かすほどの高温を扱うのだから当たり前といえばそれまでだが、熱気がこもっている。
 空気が乾燥しているのか肌がひりつく感じがする。そしてそこにバチバチという音が緊張感を増長させていた。
 翠が近くで作業しているのが目に入る。こういう実技系は俺より翠の方が得意だった。
 ふと、あのバイト先まで行った日のことを思い出す。
 あの日は刺すような日差しが痛くて辛くて。
 これで最後と思ったその店で、翠を見つけて。そして、告白された…。
 我に返ってハッとする。俺は意識して、それを考えないようにする。
 集中力が切れそうになるところをなんとか耐えて授業は終了した。
 一刻も早く実習室から出て、エアコンの効いた教室に戻りたかった。
 あくびが出て慌てて口元に手を当てた。
 なぜかいつも通りに歩けない。ふわふわと揺れているように感じる。
「圭人、大丈夫?」
 後ろから翠の声がする。
「大丈夫じゃないかも。マジであつ…」
 翠の方に身体を向けた途端、視界がぐらついた。
 あ、これ、ヤバいやつだ…。
 俺はその場にへたり込むように座った。
 眩暈ってこんな感じなんだと他人事のように思った。
「圭人!」
 普段は大きな声なんて滅多に出さない翠が、俺の名前を叫んでいる。
 すぐに目の前に翠の長い足が来て、そして両膝をついて俺の顔を覗き込んだ。顔面蒼白にした翠の顔があった。
「…翠、顔色わる…」
「俺のことなんかどうでもいいから!」
 そう言いながら、翠は手早く俺の作業着の前を開ける。少しだけ涼しくなる。
「圭人、保健室行くよ」
 脇と膝に手が入ったかと思ったら、すっと目線が高くなった。
「翠、流石に恥ずかしいかも…」
「何言ってるの?危ないからこのまま行くよ!…ごめん、坂井君。先生に伝えといて」
 翠は近くにいる坂井にそう伝えると、保健室を目指して歩き始めた。
「わかった!気をつけろよ!」
 坂井の返事とクラスメイトのざわめきが少しずつ遠ざかっていくのを感じながら、俺は翠の首元にしがみついた。



 保健室に着くと、俺はすぐに作業着を緩められ、ベッドに横にされた。翠に手伝われて首元や腋に保冷剤を当て、少し落ち着いてから経口補水液を飲んだ。
「軽度の熱中症ね。寝不足だったりすると普段平気でもなりやすいから気をつけて。もうちょっと休んでから帰りなさい」
 養護教諭の山本先生が言った。
「病院行かなくても大丈夫なんですか?」
 翠が祈るように山本先生を見る。
「水分も取れてるし、意識もしっかりしてる。これくらいなら大丈夫だと思うけど、しばらくは安静にして欲しいかな。お家に連絡して迎えに来てもらおうか?」
「あ、もう大丈夫です。それにこの時間は家に誰もいないし」
「圭人、本当に大丈夫なの?」
「気分も悪くないし大丈夫。翠、ありがと」
「職員会議がなければ送ってあげられたんだけど、ごめんなさいね」
 山本先生が申し訳なさそうに俺を見た。
「大丈夫ですって、でももう少しだけここにいてもいいですか?」
「それは大丈夫よ…」
 山本先生が言いかけたところで、保健室の扉が開く音がした。
「「失礼します」」
 坂井と森本の声が同時に聞こえた。
「泉ー、大丈夫か?」
「2人の荷物と着替え、持ってきたよ」
 俺たちの姿を見とめると、ベッドサイドまでやってくる。
「サンキュ、心配かけてごめん」
 2人の顔を見るのが気恥ずかしくて照れ隠しに笑いながら礼を言った。
「マジで心配したから。王子っぷりが凄かったから俺らなんもできなかったけど」
「どうしたらいいかわからなくてかたまってたら、綾瀬くんがドラマみたいに運んでいったんだよ」
 2人の視線を感じた翠は困ったような顔で黙って微笑んだ。
「先生は今から会議だから席外すわね。落ち着いたら身支度して帰りなさい。鍵はかけなくて大丈夫だから」
 少し慌てたように言って、山本先生は保健室を出て行った。
「じゃあ、俺たち部活だから」
「泉君、無理しちゃダメだよ」
 坂井と森本も足早に保健室を去ってゆく。
 2人きりになった保健室でお互い無言で制服に着替え、身支度をした。
「圭人、送ってくよ」
「マジでもう大丈夫だから…」
「俺が送りたいの。ダメ?」
「…ダメじゃない…」
 ダメなはずがなかった。
 俺は翠を見た。
 翠は悲しくなるくらい優しい微笑みを浮かべて俺をずっと見ていた。



 俺の自転車に荷物を乗せて、翠が引いている。手ぶらの俺はその隣をのんびりと歩いた。
 熱中症の症状はもうそれほど感じていなくて、でも本当は一人で帰るのは少し不安だった。だから翠が送ってくと言ってくれた時、凄く嬉しかった。
「…圭人」
「ん?」
 話しかけられて、翠を見る。
 目の前には綺麗な横顔があって、俺の方を見ていないと淋しくなった。
「悩ませてごめん。それで寝不足だったんじゃないの?」
「…!」
 俺は言葉に詰まる。
 実際に翠のことばかり考えて悩んで、それで寝不足だった。
 俺が言葉を探していると、翠は静かに続けた。
「圭人を悩ませて、今日みたいなことになるくらいなら、無理に答えはいらないから。…友達でいられるだけで十分だから」
 俺は、どうしたらいいのかわからなくなって立ち止まる。一歩遅れて翠も歩みを止めた。
 俺は翠が離れていってしまうような気がして怖くなった。待っているという翠の言葉に甘えて、ずっと待たせている。
『圭人はさー、私のこと好きだけど好きじゃないじゃん?別れよ?』
 昔の記憶が突然蘇る。
 好きだと受け入れた後に楽しく過ごしていたって、ある日突然別れはやってくる。過去に未練はないけれど、そこには小さな傷があった。
 俺は翠のことが好きで、でもその好きはどんな意味の好きなんだろう?
 でも!友達のままでと言ったら、大切なものを失ってしまうような気がする。ひどく不安になる。
「待って!絶対にちゃんと答えるから!…もう少しだけ…」
「ごめんね。そんな顔させたいわけじゃないんだ。待ってるって言ったのは俺なのに。ごめん」
 口調は優しいのに、翠がこっちを見ようとしないのが悲しくて仕方なかった。