友達以上。恋人以上になりたくて。

「ヤバい、ガチでヤバい、うあぁぁぁ……」
 放課後の教室に坂井の悲痛な叫びが轟いた。頭を抱え、体をくねくねさせている。
 教室にいるクラスメイトが遠巻きに見守る中、翠が恐る恐る尋ねた。
「えっと……どうしたの?」
「テストがヤバいんだよ、……テストが!」
 要領を得ない坂井に代わって森本が補足する。
「坂井くん、前回の中間テスト、2教科赤点だったじゃん? 今度の期末でも赤点取ったら、部活の夏合宿と補習がかぶるんだよ。それで顧問や先輩にも色々言われちゃって」
 同じ部活ゆえか森本も困り顔だ。
 やばいならそれを嘆くより対策すればいいのにと思う。
 ……まあ、気持ちはわかるけども。
 俺はスクバに付けたマスコットをこねくり回しながら誰に言うともなく呟いた。
「っても今、部活停止期間じゃん? 勉強すれば良くね?」
 が、それを聞いた地獄耳坂井は俺に詰め寄り、机を叩いて捲し立てる。
「それでなんとかなれば苦労しないんだよ! いいよなあ! 泉は。学科で1位、特進込みの5教科でも学年3位だもんな! あと森本! 赤点2教科じゃなく3教科だ!」
 あまりの剣幕に赤点の数が増えたことに突っ込むことすらできない。
 逆ギレしたところでなんの解決にもならないのにな。
 俺はため息をついて翠と森本を見やった。2人とも俺と同様困り果てた様子で坂井を見ている。
 実は俺は成績がいい。
 高校を決める際も、進学校受験を担任から薦められていた。
 しかし家から遠いことと就職希望を理由に断って工業に来ている。
 俺がなんと言おうか迷っていると、森本が名案を思いついたとばかりに声を上げた。
「じゃあさ、泉くんに教えてもらえばいいんじゃない? 俺も手伝うからさ」
 森本、待って。それは名案じゃない。
「ちょ……」 
「あ、俺も英語やばいんだよね。圭人、教えてよ」
 俺のセリフに被せるように翠も言った。
「よし! じゃあ泉、頼むわ!」
 坂井は満面の笑みを浮かべている。
 俺はさらに大きなため息をつく。
 もうこれは完全に教えなきゃならない空気が出来上がっている。
 え、人に教えるの苦手なんだけど。
 どうすんだこれ。なるようになるのか?
 ってか、坂井に至っては勝手に決定事項にしてるし。
 本日3度目のため息をつく。
「しゃーねーな」
 仕方なく俺は覚悟を決めた。

 坂井の理解度はどの教科も正直酷いものだった。
 スポーツ推薦とはいえよく入学できたものだ。
 その点、森本は成績が良いらしく、俺の教える手が回らないところをカバーしながら自分も効率よく勉強している。
 翠も英語以外は大丈夫だろう。
「翠、坂井、書き出せた?」
 俺は2人の手元を見る。
 英語の基本はやっぱり単語力ということで、まずテスト範囲で覚えていない英単語や英熟語を書き出し、暗記するように伝えていた。
「俺、多すぎて書き出しきれない」
「うーん、坂井の勉強法はもう少し考えてみるけど、とにかく気合いでやって」
「赤点回避……できるのか?」
「とにかく覚えるしかねーだろ、がんばれ! 翠はどう?」
「まだあと1ページ分ある」
「おけ。終わったらそれを暗記な。俺はノートまとめて、あと出そうな問題いくつか作っとくから」
 とりあえず最悪丸暗記で赤点回避はできるくらいのものを作らないといけない。
 翠はともかく坂井にもわかりやすいように、となると骨が折れそうだ。
「圭人は自分の勉強しなくて大丈夫?」
 考え込んでいると、翠が心配そうに声をかけてきた。
「んー、まあこれも復習にはなるし。それにテスト前にざっと教科書読めばいける」
「そうなの ?じゃあ前回もそんな感じの勉強方法?」
「うん。俺、勉強嫌いだもん」
 俺たちの会話を聞いて、坂井が横槍を入れてきた。
「泉!」
「どした?」
「嫌味か?」
 坂井は俺を睨みつけている。
 勉強嫌いなのに成績いいのが気に入らないのだろう。
 でも俺に言わせれば嫌いだからこそ要領よくやってるだけなんだけど。
「何が?」
 あえて気が付かないふりをしてとぼけて見せる。
 すると諦めたのか軽くため息をつき、そしてとんでもない計画とぶち込んできた。
「もういい……今度の土日、お前んちに泊まり込みで勉強会な」
「え? なんで俺んちなの?」
 翠も話に乗ってくる。
「いいね! 俺も勉強会できるならしたいかも。一人だと気が散ってやらないし」
「そうだね。でもどこでやるかってなると難しいね」
 いつの間にか森本も加わって勉強会をする方向で話が動き始めている。
 放課後だけだと確かに時間は足りなさそうだしアリだとは思う。
「でもなんで俺んち? 坂井んちじゃダメなん?」
 俺の質問を受けて、何故か森本へ質問を投げる坂井。
「森本ー! あのうるさい中で勉強できると思うか?」
「坂井くんち、まだ小さい双子の弟がいるんだよ。ちなみに俺んちも、母さんが嫌がるからダメだと思う」
「翠のとこは遠いし、じゃあやっぱり俺んちじゃん」
 家の都合以前に、定期のない俺たちが翠の家に集まるのは現実的ではないと思う。
 そうなると消去法で俺んちだけど、落ち着いて勉強できる環境かどうかは正直怪しい。
 ただ泊まりで勉強会ってちょっと楽しそうなんだよな……。
 少し悩んで、翠を見る。
 目が合って微笑みかけられた。
 うーん、みんなと土日も会えるのはいいかもしれない。
「多分大丈夫だけど、ちょい聞いてみるわ」
 俺はスマホを取り出して、母さんにラインする。
『今週末、うちで泊まりで勉強会してもいい?』
『いいよー、何人?』
 光の速さで返事が来た。
「いいって」
「「「はやっ」」」
 3人の声が揃った。
 実はOK出るのは薄々わかっていた。
 最近しつこく友達について聞かれるし、連れてくるよう言われているのだ。
「よし、土曜に泉んち集合な!」
 坂井が小さくガッツポーズを作る。
 俺も同じくガッツポーズを作って言った。
「やるからには絶対赤点取らせねぇからな!」
 
 
 
 ——勉強会当日——
 翠が遠方住まいな上に、誰も俺の家を知らないため、一旦全員で最寄駅に集合した。
 駅から家までは徒歩10分程度。
 7月の初旬、夏らしさはそれほどないが、梅雨明け前の蒸し暑さで汗ばんでくる。
「暑いねー」
「今からこんなに暑くて夏を乗り切れる気がしない」
 中身のない話をしながら、のんびり家を目指す。
「結局その場のノリで泉くんちに決めちゃったけど大丈夫?」
 森本が様子を伺うように聞いてくる。
「大丈夫。うちの家族みんな基本ノリで生きてるから。でもその分うちも静かじゃないからな?」
「そうなの?」
「父さんは単身赴任でいないけど、母さんも姉ちゃんも割と自由だし、犬2匹いるし」
 すかさず坂井が聞いてくる。
「お姉さんかわいい?」
「俺と似てる」
「は? マジか! それじゃあ、めっちゃかわいいじゃん」
 1人テンション爆上げしているが、勉強目的なの忘れてるんじゃないだろうな?
「坂井くん、勉強しにきたんだからね?」
 森本が釘を刺しているが聞いている様子はない。
 こいつ、俺が出した宿題やって来てるんだろうな?
 疑惑の目を坂井に向ける。
「真面目に勉強しろよ?」
「わかってるって!」
 あまりわかっているように感じられないが大丈夫なんだろうか。

「ただいま」
「「「お邪魔します」」」
「いらっしゃい。暑かったでしょ」
 玄関で出迎えた母さんに、それぞれが挨拶をする。
 みんな手土産持参で来てくれていた。
 そんな気を使わなくていいのにとも思うが、貰えたらやっぱり嬉しいんだよな。
「すげー! サンキュな」
「みんな、ありがとう。早速おやつに出させてもらおうかな」
 母さんは笑顔で礼を言った。
 そこで翠が妙に緊張した面持ちで母さんに向き直る。
「この前圭人くんにお弁当もらいました。ありがとうございました。美味しかったです」
「あー! あのお姉ちゃんの分? こちらこそ食べてくれてありがとう」
 安心したようにふわっと微笑む翠。
 それを見て、母さんがニヤニヤしながら俺を小突いてくる。
「圭人、たまに2つ作るお弁当は綾瀬くんの分?」
 あの例の弁当2つ事件以降、俺が自分で作るときは翠の分も作っている。といっても週に1回2回くらいだけど。
「そう。俺たち友達以上恋人未満の関係だから」
 翠の腕を掴んで引き寄せた。
「ちょ、圭人!」
 頬を赤くして抗議されたが、無視して腕を絡めた。
「ふふ、綾瀬くん、圭人を末永くよろしくね!」
「まさかの母公認」
 ぼそっと森本が呟くのが聞こえたが、そのまま無視してみんなを部屋に案内する。
「ところで、宿題ちゃんとやってきただろうな?」
 わざとにっこり微笑んで坂井へ問いかける。
「やるだけはやった」
 まあ、とりあえずやってあるだけよしとしよう。
 

 残念ながら俺の部屋はそれほど広くない。
 4人で勉強するくらいならどうにかなるが、泊まるスペースはない。
 色々考えた結果、空き部屋の和室を使うことにした。
 ここなら4人でも雑魚寝くらいならできるし。
 おやつをつまんだり、飼い犬の乱入があったり、時には勉強に耐えられなくなる坂井を宥めたり、色々あったが思っていたより順調に勉強会は進んでいた。
 この調子でいけば坂井も赤点は免れそうだ。
 だが夜の9時、突然邪魔者が現れた。
 襖が開いて俺によく似た顔がのぞく。姉のみちるだ。
「勉強会中邪魔してごめんね。あ、みんなお土産ありがとう。えっと、圭人借りてもいい?」
 間髪入れず、坂井が口を開く。
「どうぞどうぞ! お姉様! 僕、坂井恭介って言います! 彼女募集中です!」
 俺は坂井を無視してみちるに聞いた。
「何よ」
「シプレとコフレの散歩行ってくれない?」
「今、勉強会中なんですけど」
「ごめん。でも遅い時間はちょっと怖いし」
 それを聞いて坂井が会話に割って入る。
「僕が行きますよ! 女の子に夜道歩かせるなんて危ないですし!」
 坂井が散歩行ってくれたら助かるけど、この勉強会はほぼ坂井のためのものだ。行かせるわけにいかない。
 それに姉ちゃんの言い分も最もだ。
 女1人で夜の散歩はなるべくさせたくなかった。
 俺はため息をついて言った。
「ったく、わかったよ。俺が行く。坂井、お前は勉強」 
「森本、こいつ見張ってて」
「了解」
 立ち上がりかけたところを翠に呼び止められた。
「圭人、俺も行きたい」
「翠は……まあ英語さえなんとかなれば大丈夫か。じゃあ一緒に行こ」
 立ち上がった翠に、森本が声をかける。
「綾瀬君は泉君を1人で行かせるの心配なんでしょ?」
「あはは、気分転換だよ」
 そう言って笑っているが、森本の言葉もあながち嘘ではないのかもしれない。
 目が合って優しく微笑み返される。
 俺も一応男なんだけどなー。
 支度しようと部屋を出る間際に姉ちゃんが思いついたように口を開いた。
「あ、良かったら圭人たち帰って来るまで私教えようか?」
「あー、そうして。姉ちゃん〇〇高校だよ」
「え? ガチ進学校じゃないすか!」
「うふふ、なんでも聞いて!」
 坂井のことはしばらく森本と姉ちゃんに任せておこう。
 
 
 
「青いリボンついてるのがシプレで、ピンクのリボンがコフレね」
 ハーネスをつけながら、翠にミニチュアダックスのシプレとコフレを紹介する。
「かわいい名前だね」
「姉ちゃんがつけたんだよ。アニメのキャラの名前だって」
 右手で2本のリードを引いて、スコップやビニール袋が入った散歩用のバッグを斜めがけする。
 家を出て、いつもの散歩コースをのんびり歩く。
 昼間よりは暑さもマシになった気がする。
 シプレもコフレも最初は翠のことを気にしていたが、今は散歩に夢中だ。
 俺の左手は、翠の右手と繋がっている。
 前から距離は近かったけれど、映画を一緒に観に行ったあたりから、少し距離感が変わったと思う。
 俺が一方的に翠にくっついている感じだったのが、翠からも触れてくるようになった。
 それはいい。自分もしていることだから。
 ふとした時に、その距離を疑問に思い、逆に離れてしまうとどうして? と思う。
 理由を聞いてみたいような怖いような。
 そうやって最近は気がつけば翠のことを考えている。
「月が綺麗だね」
 星空に大きな三日月が浮かんでいる。
 きっと翠は思ったまま言ったのだろう。
 だけど意識してしまう。
 俺は少し考えて、
「2人で一緒に見てるから綺麗なんだよ」
 と答えた。
 手を繋ぐのも、頭を撫でるのも。
 ふざけてじゃれ合うその全てがみんなの前で、友達以上恋人未満だからと笑ってやってることの延長だよな?
「圭人、どうしたの?」
 黙って考える俺の顔を覗き込む翠。
「ん? ああ、帰りがけにコンビニ寄ってアイスでも買おうかなって」
「いいね。何がいいかみんなにラインしてみるよ」
 左手で器用にスマホを操作する。
「翠って左利き?」
「ううん。右だよ。どうして?」
「左だけでスマホ使うからさ」
「手を繋いでたいから。圭人は嫌?」
「嫌じゃないよー」
 俺はあえて気のないそぶりで言う。
 今はもう、これ以上深く考えるのはやめよう。
 手を繋いだまま夜道を歩く。
 町内の掲示板の前で翠が歩みを止めた。
 そこには花火大会のポスターが貼られていた。
「花火大会あるんだね」
「翠、この辺じゃないから馴染みないか。すぐそこの河川敷でやるんだよ。去年はドローンとかも飛んで結構良かったよ」
「そうなんだ。俺も見てみたいな」
「じゃあ見に行こうぜ。夜遅くなるからうちに泊まってさ、今度は勉強抜きで」
「いいの?」
 首を傾げて俺の顔を覗き込む。
「いいよ」
 その言葉だけでは足りない気がして付け足した。
「っていうか俺が翠と一緒に見たい」
 翠の顔が赤くなった気がした。
「楽しみだね」
 お互いに照れくさくなって誤魔化すようにわざと大きな声で言う。
「さて、アイス買って帰るか!」
 俺たちの関係は友達以上、恋人未満。
 ただそれだけ。全て自分の気のせいなんだと、自分にそう言い聞かせた。