友達以上。恋人以上になりたくて。

「今日はカップケーキを作ります! 各グループ、材料揃ってる? トッピングはお好みだからあってもなくてもOKだよー!」

 山上部長の声が家庭科室に響く。
 俺と翠はおろしたてのエプロンをつけて山上部長の話を聞いていた。
 今日は部活で初めて料理をする。料理といってもお菓子作りだけど。
 料理部には男子部員が4人しかいない。俺と翠、2年の牧野先輩、浦田先輩だ。
 そして今回は、男子だけの方が気楽だろうという部長の気遣いもあり、この4人のグループでカップケーキを作ることとなった。

「圭人、カップケーキ作ったことある?」

 翠が少し不安そうに俺の顔を見た。

「あるよー。姉ちゃんに命令されて」

 不安そうな顔が途端に驚いたような顔に変わる。

「命令なの?」
「あはは。なんだよその顔! まあ、本人は可愛くおねだり、とでも思ってるかもだけど、自分と同じ顔にそんなこと言われても命令にしか聞こえないってだけ」
「ああ、そういうこと」
「そ」

 実際、カップケーキに限らず俺の作るお菓子は家族に評判がいい。命令とは言ったけれど、俺自身、作るのも食べるのも好きだ。

「泉くんは家でもお菓子作るんだね。なんか似合うな」

 浦田先輩が型にグラシン紙を敷きながら言った。

「料理もしますよー。弁当もたまに作ってます」

 バターも卵もすでに室温に戻っている。
 俺はボウルにバターを入れて泡立て器で練るように混ぜる。
 それを見た翠が、俺を真似るようにボウルにバターを入れた。

「綾瀬くんは完全に初めてみたいだね」
「はい。卒業したら一人暮らししようと思ってて、それで料理を覚えたいなと思って」
「そうなんだ。今日はカップケーキだけど、普通の料理も作るから楽しみにしてるといいよ」

 そう言う浦田先輩はもう何度も作っているのかやはり手際が良かった。

「綾瀬くん、もう砂糖混ぜても良さそうだよ。あ、半分だけね」

 牧野先輩が優しく言った。
 同じ4人でも、坂井や森本と一緒の時とは違って穏やかな時間が流れる。方向性の違う居心地の良さでリラックスできた。

「翠、そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。こんなの科学の実験と変わんねーから」
「ごめん、圭人。俺、科学の実験のが緊張するかも」
「あはは。泉くん、面白いこと言うね。まあ実験は薬品とか使うし怖いよね」
「そうそう。その点こっちはバターと砂糖だし爆発しないよ」

 先輩たちは笑いながらも手を止めることなく作業している。

「男子ー! 1年と仲良くなるのはいいけど、喋ってないで手も動かして!」

 山上部長の声が飛んできた。

「はいはい。動かしてますよー!」
「もううるさいなー」

 牧野先輩が小声で言ったのを俺は聞き逃さなかった。

「怒られちゃうから真面目にやるかー」
「そうですね」

 俺と翠は顔を見合わせた。
 山上部長は少し男子に厳しいのかもしれない。気をつけよう。
 卵を混ぜ、バニラオイルを数滴。そしてふるった粉をさっくりと混ぜ合わせる。
 これであとは焼くだけだ。

「さて、何か入れる? チョコチップとかジャム、ドライフルーツも美味しいよ」

 浦田先輩が用意された材料の前で両手を広げて言った。

「あ。俺、アーモンドスライス入れたい」

 牧野先輩が小さく手を上げた。
 浦田先輩がそれを遮るように手で制して、たしなめるように言った。

「お前は後。可愛い後輩優先だから」
「ええー! でもマジでこいつら可愛いから我慢する」

 2人とも優しくて、料理部に入って良かった。この和やかな感じが心地よい。

「あはは。じゃあお言葉に甘えて、俺、チョコチップ入れたいです」
「お前、ほんとチョコ好きだよなー」

 俺は翠の顔を見る。

「うん。大好きだよ」

 柔らかい笑顔と共に返ってきた言葉にドキッとした。
 ……翠が好きなのはチョコだ。
 俺は動揺を隠すようにわざと大きな声で浦田先輩に聞いた。

「……俺! 俺は紅茶の葉っぱ入れたいかも。ありますか?」
「泉くん、元気いいね! あるよー! 香りもいいしアールグレイにしようか」
「いいですね! 俺、好きです!」

 翠に制服の袖を掴まれた。
 俺はその手を払って翠の背中に手を回す。

「そうかあ、じゃあさ、焼いてる間に紅茶、淹れようか」

 浦田先輩がティーポットとカップを4つ持ってくる。

「マジですか? ありがとうございます!」
「綾瀬くんはどうする? コーヒーもあるよ?」
「俺はミルクティーがいいです。甘いの」 

 恥ずかしそうに言う翠の背中を軽く叩く。すると腰に手を回されて、そのまま脇腹をくすぐられた。

「OK! 泉くんは砂糖とミルクどうする? レモンもあるけど」

 俺はくすぐられていて即答ができない。

「……おい翠! やめろって! すいません。ストレートでお願いします!」
「あはは。2人とも仲良いね。よし、じゃあオーブンも温まってるし焼いちゃおう!」

 俺たちはカップケーキが焼けるまでの20分、優雅なティータイムを過ごした。



 甘い香りが家庭科室に漂ってくる。

「そろそろ焼ける頃だな」

 牧野先輩が椅子から立ち上がってオーブンの前に行く。
 それとほぼ同時に、オーブンが焼き上がりを知らせる音を鳴らす。お菓子作りはやっぱりこの瞬間が一番楽しい。

「どうですか? いい感じに膨らんでます?」

 俺はワクワクしながらオーブンのそばに行く。

「いい感じいい感じ! めっちゃ上手に焼けてるよ」

 牧野先輩はそう言いながら、そっと天板をオーブンから取り出す。花柄のミトンが妙に可愛らしかった。

「すごい! 美味しそうだね!」

 翠の笑顔が眩しい。
 甘いもの好きだから無理もないか。
 つられて口元が緩む。

「冷ましてからホイップクリームでさらにデコレーションするのもアリだけど、どうする? ちなみに男子にはハンドミキサーの使用権ないから手動だけど」

 浦田先輩が俺たちに向かって言った。

「え! やりたいです! 俺、ホイップクリーム作りたい!」

 翠が目を輝かせている。手動での泡立てが結構キツいのを知らない目だ。面倒なことは翠に任せよう。

「俺はパス。翠の泡立てたクリーム使う!」
「いいね、泉くん。楽できるとこは楽しよう」
「ですね!」

 俺と牧野先輩は目を合わせるとニヤリと笑った。

「圭人はやらないの?」

 翠が訝しげにこっちを見る。

「俺はもう家で何度も作ってるし。1パック分あれば十分だから翠が泡立ててよ」
「そうなの? でも俺コツとかわからないから教えてよ」

 それくらいならお安いご用だ。

「了解。じゃあまずはボウルを2つ用意して……」

 浦田先輩がすかさずボウルを俺たちの前に持ってくる。

「なんで2つなの? 圭人は作らないんだよね?」
「ああ、生クリームって冷たいほうが固まりやすいから冷やしながらやった方がいいんだよ。下のボウルに氷水入れて、その上に生クリーム入れたボウル。んで、ぐるぐる回すんじゃなくて切るように混ぜる感じ。あ。砂糖忘れてた!」
「ほい! 砂糖」

 牧野先輩が笑いながらグラニュー糖を渡してくれた。俺はそれを受け取ってボウルに入れる。

「混ぜちゃっていいの?」
「いいよ。翠がんばれ!」

 翠は言われた通り、縦に切るように生クリームを泡立てる。かしゃかしゃと混ぜる音が響いている。

「結構、力仕事だね」

 そう言いながら、手を止めてふっと息をつく姿がなんだか妙に色っぽかった。

「あれ? 生クリーム泡立ててるんだ。ハンドミキサー使う?」

 山上部長が悪戦苦闘する翠を見つけて言った。

「おい! 男子は使用禁止じゃなかったのかよ?」

 牧野先輩のツッコミが入る。

「え? だって綾瀬くんも泉くんも綺麗だしいいよ」
「ちょっと待て。俺たちは汚いってこと!?」
「ううん。普通かな。今年の1年が神なだけ」
「おい!」

 俺は翠と顔を見合わせて苦笑する。こんな時どうするのが正解なのかといつも迷う。

「まあまあ、牧野落ち着け。事実だからしゃーない」

 浦田先輩が2人の間に割って入る。

「わかってんじゃん」

 山上部長がさも当たり前といった様子で頷いた。それを受けて牧野先輩が呟いた。

「……まあ、そうだな。こいつら女子より可愛いもんな」
「ちょっと、どういうこと?」
「だって神なんだろ?」
「……そうね。神の前に人は無力だわ」
「それな」

 なんだかんだ言って、この2人は仲がいいのかもしれない。

「さて、どうする? 綾瀬くん、ハンドミキサー使わせてもらう?」

 なにごともなかったかのように浦田先輩が言った。
 この部活の人間関係がなんとなくわかった気がした。

「どうしようかな……」

 翠は迷ったように俺を見た。

「使わせてもらえよ。泡立て器じゃ大変だろ?」
「圭人、もしかして知ってた?」
「うん。ある意味、常識」
「うーん。すみません。お言葉に甘えて使わせてください……」
「いいよー! 綾瀬くんに使われるならこの子も本望でしょ」

 そう言って山上部長はピンクのハンドミキサーを持ってくる。

「ありがとうございます!」

 翠は受け取って早速生クリームを泡立て始めた。

「すごい! さっきまでが嘘みたい!」
「だろ?」

 そんな話をしているうちに、みるみるうちに生クリームが固くなっていく。

「翠、そろそろいいんじゃない? 固まり具合を見てみよう」
「うん。確か、ツノが立つくらい、だよね?」

 そう言って、翠がハンドミキサーを持つ手を少し上げた。その途端、生クリームがぶるるっと小さく飛び散る。
 翠は慌ててスイッチを切る。

「ごめん。めっちゃ飛んだよね」
「そうでもないよ。大丈夫大丈夫。俺の説明不足だし、逆にごめん。……あ。翠、顔に生クリームついてる」

 俺は翠の頬についた生クリームを右手の人差し指ですくって、一舐めする。
 甘く優しい味が口の中に広がった。

「……圭人」

 なぜか翠がハンドミキサーを手に固まっている。

「どした?」

 ふと見渡すと、先輩たちも固まっていた。

「え? え? どうしたんですか?」

 俺は慌ててみんなに問う。

「……んーん。なんでもない」
「うん。なんでもないね」
「そうね」
「えっと、生クリームこのくらいでいいんじゃない? しぼり袋に入れようか」

 まるでなにごともなかったかのように、浦田先輩が言った。

「えー! なんですか? 気になるじゃないですか!」
「いーのいーの。気にしない気にしない」

 山上部長の言葉に、俺は黙るしかなかった。

「泉くんもデコレーションしなよ、ほら」

 牧野先輩が呼んでいる。

「あ! やります!」

 俺は釈然としない気持ちを抱えながら、カップケーキを前にしぼり袋を構えた。



 目の前に綺麗にデコレーションされたカップケーキが所狭しと並んでいる。
 まあ、中には歪なものもあるがそこはご愛嬌だ。

「すごいね! 自分で作ったと思うと感動する!」

 翠は隣で目を輝かせて感動している。

「生クリーム乗ってるのは今食べちゃおうか。残りは家に持って帰ってもいいし、友達にあげてもいいよ」

 浦田先輩が本日2度目の紅茶を淹れてくれる。甘いカップケーキにストレートティーの程よい渋みが美味しかった。

「あとで坂井と森本に持っていってやらない? あいつらまだ部活中だろ」
「そうだね。俺の初料理をみんなに披露したいかも!」

 俺はそう言う翠の手からカップケーキを奪い取って口に入れた。

「もーらい!」
「どうしたの? 圭人が作ったのがあるのに。そっちのが美味しいでしょ」
「んー。それだと翠の初料理を俺だけ食べられないじゃん」
「……。じゃあ、圭人のもちょうだい?」
「いいよ。はい」

 俺は翠の口元に持っていく。
 翠は一瞬ためらいながらも、頭を少し傾けてカップケーキにかじりつく。

「うーん。やっぱり圭人が作ったやつの方が美味しいね」
「そうか? そんなにかわんないよ」

 俺は手に残ったカップケーキを翠の口に押し込んだ。

「ちょっともう、それは大きすぎるから!」
「でも食えたじゃん!」

 俺たちがいつものようにじゃれ合っていると、牧野先輩が紅茶を啜りながら言った。

「2人とも、いつもそんな調子なの?」
「……? はい。いつもこんな感じです」
「あー、なんかすみません」

 翠が苦笑いをして言った。

「いいよ! いいけど、俺、何か目覚めそうかも」

 そのセリフを聞いた浦田先輩が茶々を入れる。

「……おや!? 牧野の様子が……!」

 思わず吹き出しそうになる。
 隣を見ると、翠も笑いを堪えていた。

「俺はポケモンかよ」
「だって、目覚めるんだろ?」
「お前が言ってるのは進化だから」

 俺はなんとか口の中のものを飲み込んで耐える。

「先輩、食べてる時に笑わすのはやめてください」

 翠が口元を抑えながら言った。
 ひとしきり笑ってから、みんなで片付けに入った。
 初の部活での調理実習は想像していたよりもずっと楽しかった。



 俺たちは残りのカップケーキを紙箱に入れて、教室に戻っていた。
 教室にはもう人影がない。みんな帰宅したか部活中のどちらかだろう。
 翠と2人で窓から校庭を眺める。
 そこには、トラックをひときわ速く駆け抜ける坂井がいた。

「お! 坂井じゃん」
「体育の時にもすごいと思ったけど、やっぱりスポーツ推薦なだけあって、坂井くん、速いね」

 翠が感激した様子で声を上げる。

「それな。ほんと見てて気持ちいい。坂井って走ってる時だけはかっこいいよな」
「それは坂井くんに失礼じゃない?」

 翠の言葉を受けて、俺はからかうように質問する。

「そうかあ? じゃあ翠、坂井のかっこいいとこ他に言ってみ?」
「……えーと。なんだろう。眉毛?」

 しばらく考え込んだ後、翠は捻り出すように言った。俺はたまらず吹き出した。

「ぎゃはは! 確かにアイツ、眉毛整えるの上手い!」

 そこに手に水筒を持って、森本が近寄ってきた。そして開いた窓から顔を覗かせて言った。

「楽しそうだね。何話してるの?」

 すでに夕暮れ時だ。
 部活が終わったのだろうか?
 陸上部員はもうグラウンドを後にし始めている。

「いや、走ってる時だけは坂井かっこいいねって話」
「あはは。まあ、走ってる時と眉毛はかっこいいね」
「それ、森本も思ってたんだ」

 3人で笑っていると、そこに坂井も合流する。

「何笑ってんの?」

 翠は坂井の顔を見て、少し吹き出しそうになっていた。それを堪えて2人に質問する。

「ううん。なんでもない。それより部活、終わったの?」
「今日はもうこれで終わり」

 予想通りの答えが返ってくる。

「お! ナイスタイミング! お前ら腹減ってるよな?」
「うん。家庭科室からいい匂いしてるなーって思ってた」

 俺はカップケーキの箱を開けて、2人の目の前に見せびらかすように差し出した。

「うひひ。見てみ?」
「すげえじゃん!」
「ほんと、売り物みたいだね」

 褒められて悪い気はしない。

「教室で待ってるから、早く着替えてこいよ」
「「了解!」」

 2人の返事は驚くほどに揃っていた。



 15分ほどすると、何人かの足音が聞こえてくる。陸上部員のものだろう。

「あ。来たみたいだね」
「だな」

 俺のセリフにかぶって、教室の扉が開く音がした。

「泉、綾瀬、早くちょうだい!」

 坂井が待ちきれないといった様子で俺たちのところにやってくる。その後には森本も続いていた。

「慌てんなよ。あ、お前らも食べる? 部活でカップケーキ作ったんだ」

 俺はもう2人の陸上部員の佐野と伊澤に声をかけた。

「マジで? 俺らもいいの?」
「サンキュー!」

 カップケーキはまだたくさんある。4人が美味しそうに食べる姿は、見ていて気分が良かった。

「どう?美味しいかな?」

 不安そうに翠が聞いている。

「めっちゃうまい!」
「疲れた体に沁みいるうまさ」

 感想を聞いて満足そうに微笑む翠は、夕焼けに照らされて綺麗だった。
 俺は唾を飲み込んでからみんなに言った。

「俺、喉乾いちゃった。なんか買ってくるわ。あ。それ、全部食っていいから」

 1人で教室を出て、自販機に寄りかかって冷えたアイスティーを飲む。
 温かい紅茶もいいけれど、今は冷たいものが飲みたかった。

「圭人」

 見ると、翠がこちらに向かってきていた。

「みんなそろそろ帰るって。見事に全部食べちゃったよ」
「あはは。すげーな」

 俺は飲みかけのアイスティーに蓋をした。

「料理って、楽しいね」

 翠が俺の耳元でそっと囁く。甘い吐息がくすぐったかった。