久しぶりの大阪だった。
史誠くんは、黒紋付き羽織袴姿だった。第一礼装だ。私は、成人式で着た、明るめの青色(史誠くんが言うには縹色らしい)の地に流れるように白色や桃色の花が描かれた振袖に、銀色の帯を合わせていた。そして、シクラメンが彫られた、水晶の帯留め。
振袖は母の成人の時に仕立てたもので、帯もその当時のものだ。実家に置いてあったのを、先週連絡して送ってもらった。史誠くんが、第一礼装で来てほしい、と言うから。振袖なんて大げさすぎないだろうか、とためらったが、いや、みんな礼装やねん、と押しきられ、しぶしぶ実家に連絡した。そして美容院を予約し、ヘアセットと着付けを頼んだ。
「これ」
美容院に入る前、手のひらサイズの赤い巾着袋を史誠くんに握らされた。
「なに?」
硬いものが入っている感触がある。
「わあ」
息が詰まった。これは、だって、あの配信の時に史誠くんが見せていた根付によく似ている。
透明なガラス――水晶? でできた、半立体のシクラメンだった。花の部分だけじゃなくて、茎、葉ふくめ、株全体を横から見た形だ。平らな裏側には、なにかを通すような金具が二つ付いている。
「きれい。これって帯留め?」
「せや。水晶の。るりさんのために作ってもらったねん」
「これって配信の時、見せてた根付と……」
「せや。おそろい」
史誠くんは自分の帯の上を指し示した。水晶のシクラメンがあった。
むやみにうれしくて、胸がいっぱいになった。こんなにすてきなものを、これまでもらったことはない。
「シクラメン、育ててたやろ?」
なんで知っているんだろう、ああ、初対面の時にベランダで? それを、覚えてくれていたの?
「そうだけど、もう葉っぱだけになってたのに」
「長生きしてるから、いろいろ知ってんのや」
「ありがとう。うれしい、大事にする」
「……今日も着けて」
「うん」
すべすべとなめらかなシクラメンをそっと撫でる。
美容院を出たら、史誠くんは
「めっちゃきれいや」
と褒めてくれた。
薄闇の中で、白木の大きな建物が外灯で光っていた。壁には「呉服はるや」と立派な看板がかかっている。バッグを持つ手が、汗でぬるりと濡れた。
音もなく、引き戸が開いた。
「あら。もう来たの」
黒留袖を着た女性が出てきた。金と銀の帯、裾回りの模様があざやかだ。四、五十代くらいか。目元が史誠くんに似て、潤んだようなきれいな瞳をしていた。私は背筋を伸ばした。
「初めまして、染谷るりと申します。本日はお忙しい中、お時間を取っていただき、ありがとうございます」
頭を下げる。鼻で笑われた気配がして、心臓が凍った。顔を上げると、女性は明らかな作り笑いを浮かべて私を見ていた。
「いえいえ、よう来てくれました。母の悠です。入ってください」
「ありがとうございます。――お邪魔します」
お母さんもあやかしなら、もっと若い見た目のはずじゃないかな、とふと気になった。二十四歳までに成長を止めるのなら……。魔力で老けさせているのか。
広い玄関だった。上がってすぐの場所に赤い華やかな振袖がかけられ、色あざやかな反物が重ねられている。草履を脱ぎ、お母さんと史誠くんについて奥に進んだ。廊下を何度か曲がる。そっと帯の上のシクラメンを撫でる。おまもりだ。
「どうぞ」
お母さんがふすまを開けた。着物姿の多くの男女の視線が突き刺さって、思わず息を止めた。着物姿の男女は、中央を空けて向かい合って正座していた。男性は黒紋付き、あるいは色紋付きの羽織袴姿、女性は黒留袖、色留袖、あるいは振袖姿だ。圧倒される。百人は下らないだろう。座敷の大広間で、正面奥には掛け軸がかかっている。照明が煌々としている。史誠くんが礼装を勧めた理由を体で理解する。
――それにしても、広すぎる。魔力で拡張されているのか……? それに、これはもはや、昔の嫁入りと同じではないだろうか。そして、私が嫌で出てきた、田舎の空気によく似ている。私の親戚は誰一人いないけれども。
掛け軸の前には、臙脂とも紫とも言いがたい色の、分厚い座布団が二枚、並べられていた。それと、入口ふすますぐ近くの座布団が一枚空いている。
「さあ、お入りください」
呑み込まれる。自分が場違いであることをひしひしと感じた。みな若く、それぞれに美しい見た目をしている。
「前に座るから」
と史誠くんにささやかれた。目が合う。ほっとして、私は軽くうなずいた。史誠くんが広間に入る。
「失礼いたします」
震えずに言えた。史誠くんに続いて広間に足を踏み入れる。
史誠くんについて中央を通り、掛け軸の前の座布団横で、向こう正面に向き直った。お母さんが静かにふすまを閉め、ふすま近くの座布団に座るのが目に入った。
史誠くんが一礼するのに合わせて、一礼する。みなも一礼する。
史誠くんが座るのに少し遅れて、座る。座布団はふっくらとしていた。息の吸い方と吐き方がわからなくなる。苦しくなりながら、閉じられたふすまに目をやった。山水画というのか、山々、そして川が描かれていた。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
史誠くんが口を開いた。堂々とした声だった。
「突然の発表となりますことをお許しください。染谷るりさんです。彼女は人間で、諸条件を満たしている運命の人です。ただ、私といたしましては、あくまで私の火傷を癒すという意味のみの運命の人ととらえております」
――え? 思わず史誠くんを盗み見てしまった。史誠くんは私を一瞥もせず、顔色も変えなかった。
「私は人間になるつもりはございません。現家長、現族長は私であり、今後も私が務められるよう、精進する所存です。そのため、一般的に言われる、私を人間にすることのできる『運命の人』だとはとらえておりません。もちろん、条件は満たしていますが」
声がより大きくなる。
「しかしながら、火傷を癒す意味のみであっても、私にとって重要な人であることに変わりはございません。彼女を傷付けようとする言動は、誰であれ、なんのためであれ、断じて許しません」
広間の空気が揺れたのがわかった。私は、どう考えればいいのか、混乱していた。史誠くんは一呼吸置き、
「みなさまが今感じてらっしゃる通り、るりさんはこのことに驚いています。すべては私が望み、私が決めたことでございます。そのことをお忘れなきよう、よろしくお願いいたします。本日は、るりさんのお披露目にお集まりいただきまして、誠にありがとうございました」
史誠くんは両手を畳につき、頭を深々と下げた。私もあわてて同じように頭を下げる。いぐさが香り立つ。
史誠くんが頭を上げたから私も上げたが、内心の混乱はおさまらなかった。
「いいかしら」
お母さんが座っていたはずの場所には、いつのまにか二十代くらいの女性がいた。……いや、お母さんの本来の姿なんだろう。
お母さんはくすり、と笑い、
「常には、老けたように魔力をかけているんですよ」
と私の疑問を読み取ったように、かつ、あざけるように言った。
「火傷を癒す、という一点にそちらの方の価値を置くのであれば、強い魔力を持つあやかしでなんの不足もないはずですよ。わざわざ人間の方のお手をわずらわせる必要はないのではないの?」
――それはそうだ。
「いえ、それでは……。この場を借りてお伝えしておきますが、私は結婚する気はございませんので」
思わず私は眉をひそめた。どういう意味。
「あなたねえ、結婚もしない、子もなさない、それで千年以上って異例ですよ。しかも家長の身で。――結局あなたが執着しているのは、千年も前のあの人間でしょう」
あの人間? お母さんは私をちらりと見た……お母さんは史誠くんに話すふりをして、その実私に聞かせたいのだ。奥歯を噛みしめる。
「そんなことはございません」
史誠くんの声はぶれなかった。だけど、私の胸には暗い渦が巻いた。その人間は誰か、なんのことか、史誠くんは聞き返さなかった。心当たりがある、そして、今もすぐに記憶から取り出せるくらい覚えているのだ。
「そうかしら。よく見ると似ているところもあるようだし、面影を求めているだけではないの?」
「ですから」
史誠くんが苛立った声を出した。
「るりさんを傷付ける言動は許さないと申し上げたはずです。彼女とるりさんは別の方です」
「あらあら、今の言葉が一番そちらの方を傷付けるとは思わないのかしら? あなたが結婚の誓いを立てたのは、千年前のあの方だけでしょう」
心臓が凍りついた。史誠くんが私に顔を向けたのがわかったが、私はお母さんを、その着物を、見続けることしかできなかった。
「嘘なら、そうおっしゃったら?」
お母さんのくちびるが動く。気分が悪くなった。
「……過去は過去です。千年も前、とおっしゃった通り、千年も前の過去のことはどうしようもありません。今、このお披露目と過去のことはなんの関係もございません」
史誠くんの声が遠ざかる。頭が痛い。意識が――。
目を開けたら、薄暗かった。知らない天井が目に入った。木の輪っか状の模様が気持ち悪い。身じろぎすると、
「るりさん」
史誠くんに覗き込まれた。
「……史誠くん」
声がかすれた。史誠くんは瞳をゆがめた。
「倒れたんや。ごめんな、俺の力不足やわ」
「なにが……今、何時……? というか、ここって……?」
「午後十時。実家の離れ。俺がいつも泊まるとこ。それより、大丈夫? 体、起こせる?」
史誠くんに背中を支えられ、体を起こす。布団に寝かされていたのだ。え、服。ぎょっとした。振袖は脱がされて、黒っぽいワンピースを着させられている。
「姉が着替えさせたから」
史誠くんがあわてた口ぶりで言う。
「姉の服。やけど、ほとんど着てへんから、あげるって」
「それは……また洗って返させて」
「……姉に怒られたわ。着慣れてない振袖着せて、みんなの前に出させて。もうちょっとやりようがあったやろって。ほんまごめんな」
――姉の言葉を、言葉通りの意味で取っていいのだろうか、と思って、自分がすべてにおいて疑心暗鬼になっているのを自覚する。お姉さんは本当に心配してくれているのかもしれないのに。
部屋を見まわす。十畳ほどの座敷だった。私の振袖はふすまの前にかけられ、布団の横、風呂敷の上に帯や小物、バッグがまとめられていた。その中にむき出しの帯留めを見つけ、手に取った。包み込む。すごく、大切なもの。
「水、飲める?」
お盆に水さしとグラスが用意されていた。
「……うん」
史誠くんが水さしを傾けた。
一口飲むと、ひと心地ついた。グラスは分厚く、口当たりがやわらかだった。
「今日はここに泊まったらええから」
私はすぐに返事ができなかった。お披露目の時の記憶がよみがえって、胸に重いものがあった。千年も前、とはいえ、結婚の誓いを立てた人間の女性がいたのだ。史誠くんは否定しなかった。ただ、過去は過去だと言っただけで。
「嫌?」
「……できたら帰りたいけど……」
口にしてから、帰りたいというより、一人で考えたいのだ、と気が付いた。だけど、その前に、
「……千年前に結婚の誓いをした方が、人間の女性がいるっていうのは本当?」
否定してほしかった。
「……うん」
心が揺れた。史誠くんは目を逸らしたりはしなかった。吸い込まれそうになる。私は目を落とした。
「せやけど、正式に結婚が認められたわけやないし、今はるりさんだけやから」
史誠くんが真剣にそう言うなら、それでいいだろうか。私だって、片想いだったけど好きな人がいた。それなのに、彼だけを責めることはできない……と理性は言うけど、気持ちはちがう。――心ときめかせるのは、私が初めてであってほしかった。わがまますぎる。だけど。
それに、
「……結婚する気はないってどういう意味?」
声が硬くなった。
「あれは、あれやって、なんというか。母の頭にあるんは、史華なんや。史華は、俺の火傷を魔力で治してくれる言うんやけど、その代わりに結婚してくれって。せやから、史華と結婚する気はないっていう話や。……るりさんとは結婚したい」
――本当に?
「なんで、火傷を癒すためのみだって言ったの?」
「そう誤魔化しとかんと、るりさんがより狙われるねん」
「それは……そうなのか……」
部屋の前、廊下でなにかの気配がした。
史誠くんが大きく息をついて立ち上がり、その場で一回転した。姿が消える。
「お目覚めかな」
ハスキーな声がふすまの向こうでした。
「……人払いしとるんやけど」
史誠くんの抑えた声がする。
「血縁の濃さは魔力をも超える。常識やろ」
「そんなことはわかっとる。自分こそ、人払いの意味も知らんと、非常識やな」
「自分に言われたないわ。お披露目なんかするから、母さんにやられんねん」
「どうせばれるんや。先に言うた方が牽制になるやろ」
「それと染谷さんの負担と、どっちが大きかってん」
「……」
「ええけどな、誰にも心は許すなよ」
「せやったら、自分にも心許さんから」
「そらそうや」
ハスキーな声が笑って、それからひそめられた。私は耳をそば立てた。
「……実際問題、どうすんねん。どうするにせよ、もめるで」
心が固くなった。
「いや、……心配せんでええ」
「ふーん、まあ、魔力強いから、どうにでもなるんやろけど。そしたら、お手並み拝見、やな」
「……さっさと帰れ」
「言われんでも帰るわ。明日も仕事やのに」
会話はそこで途切れた。
息を吐いた。こわかった。わからないことばかりで、漠然と不安がこみ上げる。帯留めを思わず握りしめた。
気配が消えた。部屋の中に史誠くんが現れて、私のすぐそばに座った。
「……兄や。父親はちがうけど」
「そうなんだ。……今日いた人たち、みんなきれいだったね」
「そうかな」
史誠くんは困ったような顔をした。
「うん。……千年前のその……結婚の誓いをした人の写真……はないよね、似顔絵? とかないの」
「ない」
「でも、覚えてるよね」
「……せやけど、もう亡くなったから」
「魔力でよみがえらせたりできないの」
「そんなのは無理」
「だけど、もしも、現れたら?」
「現れんって。そんなん聞いてどうするん?」
「その人を選ぶんじゃないの?」
意図せず声が揺れた。かなりの昔に亡くなった人に嫉妬しても仕方ない。でも、永遠の命の鬼にとって、千年ってそんなに昔じゃないのでは?
「なんでそんなこと言うねん。過去やって言うたやん」
「そうかもしれないけど、それと想いの強さは別なんじゃないの?」
「なんて言うたら信じるねん」
史誠くんが勢いよく立ち上がった。ああ、怒っている。このまま愛想を尽かされるかもしれない。ためらった。だけど、口が止まらなかった。
「だって、偶然、条件を満たしただけじゃない。そんなの、私じゃなくたって」
史誠くんがふっ、と笑った。嫌な感じだった。
「偶然のなんがいかんねん。……このまま休んで。俺、ちょっと出るわ。……また朝、来るから」
「待っ……」
止める間もなく、史誠くんは一回転して消えてしまった。
涙が出た。
止まらなくなる。
私って欲深い。そして、自分勝手だ。私こそが、条件に甘えているのかもしれない。火傷を癒せるから必要とされるだろうって。そうじゃなくて――私自身を必要としてもらえるように。私も、史誠くん自身を見る。……難しいなぁ……。
翌朝、史誠くんはなにごともなかったみたいな態度だった。拍子抜けしたし、一瞬怒りがよぎったけど、ありがたくはあった。
「ご飯食べれる? 簡単なやつしかできへんけど」
「ああ……食べなくていいかな。食欲あんまりないし」
一瞬、史誠くんの顔が固まった。
「……そうなん?」
誤解させたことに気が付いてあわてて手を振った。
「いつものことだから。朝は軽くしか食べられなくて」
「そうなんや……」
「……人間の感情食べるのって、朝、昼、晩、って感じで食べるの?」
「いや、そんなに規則正しくなくて、食べれる時に食べておくって感じやな。けっこう持つから」
「そうなんだ」
うらやましく思う。
「せやけど、人間の方がええで」
――しんみりした声を出さないでほしい。――人間になったら、史誠くんはさびしくなくなるのだろうか。
「アパートまで送るわ。飛んで帰るんしんどいなら、新幹線でもええけど」
「大丈夫だと思う」
ほとんど寝ていないし、悩みは深いけれど、ほかの誰とも会いたくなかった。
「せやったら、もうちょっとして出よか」
「うん。あの、ごめん、ここで泊まっちゃって。昨日も集まりの最中にみんなの前で気を失って、迷惑かけて」
「そんなん気にせんでええねん」
史誠くんはそっと笑った。その表情に、心底ほっとした。
私は帯留めを巾着袋に戻して、いつも持ち歩いているポーチに入れた。
「……るりさん」
浅い夢の中で、史誠くんの声がした気がした。
「……るりさん」
どれだけ史誠くんのことを考えているんだと、自分であきれながら、ふっと目を開けたら、史誠くんの顔が目の前にあった。一瞬、ここがどこか混乱した。自分の部屋のはずだ。史誠くんの実家から帰って一週間くらいにはなる。仕事にも行っている。
「ごめん、突然」
史誠くんのはっきりした声に、一気に目が覚めた。私はあわてて体を起こした。
「……なんで?」
声がかすれた。
「……はかられた」
「え?」
なんの話だろう。意味がわからなかった。
「熱愛報道が出るって、俺のSNSに週刊誌からDMがあった。内容確認して返事しろって」
見せられたスマホは薄闇に煌々と光った。私が史誠くんとともに史誠くんの実家に入る写真があった。それと文章が。私は年上のOLとある。交際期間はここ数か月で、私が史誠くんの、というか、隼人のファンで、私から近付いたという関係者の証言が載っている。
心臓が干上がる心地がした。
「誰がこんなこと……」
史誠くんは大きく息を吐いた。
「わからへん。せやけど、タイミングからしたらうちの親戚か族のもんや。週刊誌に売ったんやろ。……くそっ」
「……でも、そんなことする必要あるのかな」
「俺の仕事が減るんを狙ったんかも。それか、これで俺がるりさんをあきらめるとでも思ったんやろ」
史誠くんはくちびるを噛んだ。それからあわてたように、
「あきらめへんからな」
と付け足した。
だが、私の胸には不安が広がった。なんでこんなことになったのだろう。というか……私と出会わなければ、史誠くんが困ることはなかった。気持ちが深く沈み込んでいく。
史誠くんは、黒紋付き羽織袴姿だった。第一礼装だ。私は、成人式で着た、明るめの青色(史誠くんが言うには縹色らしい)の地に流れるように白色や桃色の花が描かれた振袖に、銀色の帯を合わせていた。そして、シクラメンが彫られた、水晶の帯留め。
振袖は母の成人の時に仕立てたもので、帯もその当時のものだ。実家に置いてあったのを、先週連絡して送ってもらった。史誠くんが、第一礼装で来てほしい、と言うから。振袖なんて大げさすぎないだろうか、とためらったが、いや、みんな礼装やねん、と押しきられ、しぶしぶ実家に連絡した。そして美容院を予約し、ヘアセットと着付けを頼んだ。
「これ」
美容院に入る前、手のひらサイズの赤い巾着袋を史誠くんに握らされた。
「なに?」
硬いものが入っている感触がある。
「わあ」
息が詰まった。これは、だって、あの配信の時に史誠くんが見せていた根付によく似ている。
透明なガラス――水晶? でできた、半立体のシクラメンだった。花の部分だけじゃなくて、茎、葉ふくめ、株全体を横から見た形だ。平らな裏側には、なにかを通すような金具が二つ付いている。
「きれい。これって帯留め?」
「せや。水晶の。るりさんのために作ってもらったねん」
「これって配信の時、見せてた根付と……」
「せや。おそろい」
史誠くんは自分の帯の上を指し示した。水晶のシクラメンがあった。
むやみにうれしくて、胸がいっぱいになった。こんなにすてきなものを、これまでもらったことはない。
「シクラメン、育ててたやろ?」
なんで知っているんだろう、ああ、初対面の時にベランダで? それを、覚えてくれていたの?
「そうだけど、もう葉っぱだけになってたのに」
「長生きしてるから、いろいろ知ってんのや」
「ありがとう。うれしい、大事にする」
「……今日も着けて」
「うん」
すべすべとなめらかなシクラメンをそっと撫でる。
美容院を出たら、史誠くんは
「めっちゃきれいや」
と褒めてくれた。
薄闇の中で、白木の大きな建物が外灯で光っていた。壁には「呉服はるや」と立派な看板がかかっている。バッグを持つ手が、汗でぬるりと濡れた。
音もなく、引き戸が開いた。
「あら。もう来たの」
黒留袖を着た女性が出てきた。金と銀の帯、裾回りの模様があざやかだ。四、五十代くらいか。目元が史誠くんに似て、潤んだようなきれいな瞳をしていた。私は背筋を伸ばした。
「初めまして、染谷るりと申します。本日はお忙しい中、お時間を取っていただき、ありがとうございます」
頭を下げる。鼻で笑われた気配がして、心臓が凍った。顔を上げると、女性は明らかな作り笑いを浮かべて私を見ていた。
「いえいえ、よう来てくれました。母の悠です。入ってください」
「ありがとうございます。――お邪魔します」
お母さんもあやかしなら、もっと若い見た目のはずじゃないかな、とふと気になった。二十四歳までに成長を止めるのなら……。魔力で老けさせているのか。
広い玄関だった。上がってすぐの場所に赤い華やかな振袖がかけられ、色あざやかな反物が重ねられている。草履を脱ぎ、お母さんと史誠くんについて奥に進んだ。廊下を何度か曲がる。そっと帯の上のシクラメンを撫でる。おまもりだ。
「どうぞ」
お母さんがふすまを開けた。着物姿の多くの男女の視線が突き刺さって、思わず息を止めた。着物姿の男女は、中央を空けて向かい合って正座していた。男性は黒紋付き、あるいは色紋付きの羽織袴姿、女性は黒留袖、色留袖、あるいは振袖姿だ。圧倒される。百人は下らないだろう。座敷の大広間で、正面奥には掛け軸がかかっている。照明が煌々としている。史誠くんが礼装を勧めた理由を体で理解する。
――それにしても、広すぎる。魔力で拡張されているのか……? それに、これはもはや、昔の嫁入りと同じではないだろうか。そして、私が嫌で出てきた、田舎の空気によく似ている。私の親戚は誰一人いないけれども。
掛け軸の前には、臙脂とも紫とも言いがたい色の、分厚い座布団が二枚、並べられていた。それと、入口ふすますぐ近くの座布団が一枚空いている。
「さあ、お入りください」
呑み込まれる。自分が場違いであることをひしひしと感じた。みな若く、それぞれに美しい見た目をしている。
「前に座るから」
と史誠くんにささやかれた。目が合う。ほっとして、私は軽くうなずいた。史誠くんが広間に入る。
「失礼いたします」
震えずに言えた。史誠くんに続いて広間に足を踏み入れる。
史誠くんについて中央を通り、掛け軸の前の座布団横で、向こう正面に向き直った。お母さんが静かにふすまを閉め、ふすま近くの座布団に座るのが目に入った。
史誠くんが一礼するのに合わせて、一礼する。みなも一礼する。
史誠くんが座るのに少し遅れて、座る。座布団はふっくらとしていた。息の吸い方と吐き方がわからなくなる。苦しくなりながら、閉じられたふすまに目をやった。山水画というのか、山々、そして川が描かれていた。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
史誠くんが口を開いた。堂々とした声だった。
「突然の発表となりますことをお許しください。染谷るりさんです。彼女は人間で、諸条件を満たしている運命の人です。ただ、私といたしましては、あくまで私の火傷を癒すという意味のみの運命の人ととらえております」
――え? 思わず史誠くんを盗み見てしまった。史誠くんは私を一瞥もせず、顔色も変えなかった。
「私は人間になるつもりはございません。現家長、現族長は私であり、今後も私が務められるよう、精進する所存です。そのため、一般的に言われる、私を人間にすることのできる『運命の人』だとはとらえておりません。もちろん、条件は満たしていますが」
声がより大きくなる。
「しかしながら、火傷を癒す意味のみであっても、私にとって重要な人であることに変わりはございません。彼女を傷付けようとする言動は、誰であれ、なんのためであれ、断じて許しません」
広間の空気が揺れたのがわかった。私は、どう考えればいいのか、混乱していた。史誠くんは一呼吸置き、
「みなさまが今感じてらっしゃる通り、るりさんはこのことに驚いています。すべては私が望み、私が決めたことでございます。そのことをお忘れなきよう、よろしくお願いいたします。本日は、るりさんのお披露目にお集まりいただきまして、誠にありがとうございました」
史誠くんは両手を畳につき、頭を深々と下げた。私もあわてて同じように頭を下げる。いぐさが香り立つ。
史誠くんが頭を上げたから私も上げたが、内心の混乱はおさまらなかった。
「いいかしら」
お母さんが座っていたはずの場所には、いつのまにか二十代くらいの女性がいた。……いや、お母さんの本来の姿なんだろう。
お母さんはくすり、と笑い、
「常には、老けたように魔力をかけているんですよ」
と私の疑問を読み取ったように、かつ、あざけるように言った。
「火傷を癒す、という一点にそちらの方の価値を置くのであれば、強い魔力を持つあやかしでなんの不足もないはずですよ。わざわざ人間の方のお手をわずらわせる必要はないのではないの?」
――それはそうだ。
「いえ、それでは……。この場を借りてお伝えしておきますが、私は結婚する気はございませんので」
思わず私は眉をひそめた。どういう意味。
「あなたねえ、結婚もしない、子もなさない、それで千年以上って異例ですよ。しかも家長の身で。――結局あなたが執着しているのは、千年も前のあの人間でしょう」
あの人間? お母さんは私をちらりと見た……お母さんは史誠くんに話すふりをして、その実私に聞かせたいのだ。奥歯を噛みしめる。
「そんなことはございません」
史誠くんの声はぶれなかった。だけど、私の胸には暗い渦が巻いた。その人間は誰か、なんのことか、史誠くんは聞き返さなかった。心当たりがある、そして、今もすぐに記憶から取り出せるくらい覚えているのだ。
「そうかしら。よく見ると似ているところもあるようだし、面影を求めているだけではないの?」
「ですから」
史誠くんが苛立った声を出した。
「るりさんを傷付ける言動は許さないと申し上げたはずです。彼女とるりさんは別の方です」
「あらあら、今の言葉が一番そちらの方を傷付けるとは思わないのかしら? あなたが結婚の誓いを立てたのは、千年前のあの方だけでしょう」
心臓が凍りついた。史誠くんが私に顔を向けたのがわかったが、私はお母さんを、その着物を、見続けることしかできなかった。
「嘘なら、そうおっしゃったら?」
お母さんのくちびるが動く。気分が悪くなった。
「……過去は過去です。千年も前、とおっしゃった通り、千年も前の過去のことはどうしようもありません。今、このお披露目と過去のことはなんの関係もございません」
史誠くんの声が遠ざかる。頭が痛い。意識が――。
目を開けたら、薄暗かった。知らない天井が目に入った。木の輪っか状の模様が気持ち悪い。身じろぎすると、
「るりさん」
史誠くんに覗き込まれた。
「……史誠くん」
声がかすれた。史誠くんは瞳をゆがめた。
「倒れたんや。ごめんな、俺の力不足やわ」
「なにが……今、何時……? というか、ここって……?」
「午後十時。実家の離れ。俺がいつも泊まるとこ。それより、大丈夫? 体、起こせる?」
史誠くんに背中を支えられ、体を起こす。布団に寝かされていたのだ。え、服。ぎょっとした。振袖は脱がされて、黒っぽいワンピースを着させられている。
「姉が着替えさせたから」
史誠くんがあわてた口ぶりで言う。
「姉の服。やけど、ほとんど着てへんから、あげるって」
「それは……また洗って返させて」
「……姉に怒られたわ。着慣れてない振袖着せて、みんなの前に出させて。もうちょっとやりようがあったやろって。ほんまごめんな」
――姉の言葉を、言葉通りの意味で取っていいのだろうか、と思って、自分がすべてにおいて疑心暗鬼になっているのを自覚する。お姉さんは本当に心配してくれているのかもしれないのに。
部屋を見まわす。十畳ほどの座敷だった。私の振袖はふすまの前にかけられ、布団の横、風呂敷の上に帯や小物、バッグがまとめられていた。その中にむき出しの帯留めを見つけ、手に取った。包み込む。すごく、大切なもの。
「水、飲める?」
お盆に水さしとグラスが用意されていた。
「……うん」
史誠くんが水さしを傾けた。
一口飲むと、ひと心地ついた。グラスは分厚く、口当たりがやわらかだった。
「今日はここに泊まったらええから」
私はすぐに返事ができなかった。お披露目の時の記憶がよみがえって、胸に重いものがあった。千年も前、とはいえ、結婚の誓いを立てた人間の女性がいたのだ。史誠くんは否定しなかった。ただ、過去は過去だと言っただけで。
「嫌?」
「……できたら帰りたいけど……」
口にしてから、帰りたいというより、一人で考えたいのだ、と気が付いた。だけど、その前に、
「……千年前に結婚の誓いをした方が、人間の女性がいるっていうのは本当?」
否定してほしかった。
「……うん」
心が揺れた。史誠くんは目を逸らしたりはしなかった。吸い込まれそうになる。私は目を落とした。
「せやけど、正式に結婚が認められたわけやないし、今はるりさんだけやから」
史誠くんが真剣にそう言うなら、それでいいだろうか。私だって、片想いだったけど好きな人がいた。それなのに、彼だけを責めることはできない……と理性は言うけど、気持ちはちがう。――心ときめかせるのは、私が初めてであってほしかった。わがまますぎる。だけど。
それに、
「……結婚する気はないってどういう意味?」
声が硬くなった。
「あれは、あれやって、なんというか。母の頭にあるんは、史華なんや。史華は、俺の火傷を魔力で治してくれる言うんやけど、その代わりに結婚してくれって。せやから、史華と結婚する気はないっていう話や。……るりさんとは結婚したい」
――本当に?
「なんで、火傷を癒すためのみだって言ったの?」
「そう誤魔化しとかんと、るりさんがより狙われるねん」
「それは……そうなのか……」
部屋の前、廊下でなにかの気配がした。
史誠くんが大きく息をついて立ち上がり、その場で一回転した。姿が消える。
「お目覚めかな」
ハスキーな声がふすまの向こうでした。
「……人払いしとるんやけど」
史誠くんの抑えた声がする。
「血縁の濃さは魔力をも超える。常識やろ」
「そんなことはわかっとる。自分こそ、人払いの意味も知らんと、非常識やな」
「自分に言われたないわ。お披露目なんかするから、母さんにやられんねん」
「どうせばれるんや。先に言うた方が牽制になるやろ」
「それと染谷さんの負担と、どっちが大きかってん」
「……」
「ええけどな、誰にも心は許すなよ」
「せやったら、自分にも心許さんから」
「そらそうや」
ハスキーな声が笑って、それからひそめられた。私は耳をそば立てた。
「……実際問題、どうすんねん。どうするにせよ、もめるで」
心が固くなった。
「いや、……心配せんでええ」
「ふーん、まあ、魔力強いから、どうにでもなるんやろけど。そしたら、お手並み拝見、やな」
「……さっさと帰れ」
「言われんでも帰るわ。明日も仕事やのに」
会話はそこで途切れた。
息を吐いた。こわかった。わからないことばかりで、漠然と不安がこみ上げる。帯留めを思わず握りしめた。
気配が消えた。部屋の中に史誠くんが現れて、私のすぐそばに座った。
「……兄や。父親はちがうけど」
「そうなんだ。……今日いた人たち、みんなきれいだったね」
「そうかな」
史誠くんは困ったような顔をした。
「うん。……千年前のその……結婚の誓いをした人の写真……はないよね、似顔絵? とかないの」
「ない」
「でも、覚えてるよね」
「……せやけど、もう亡くなったから」
「魔力でよみがえらせたりできないの」
「そんなのは無理」
「だけど、もしも、現れたら?」
「現れんって。そんなん聞いてどうするん?」
「その人を選ぶんじゃないの?」
意図せず声が揺れた。かなりの昔に亡くなった人に嫉妬しても仕方ない。でも、永遠の命の鬼にとって、千年ってそんなに昔じゃないのでは?
「なんでそんなこと言うねん。過去やって言うたやん」
「そうかもしれないけど、それと想いの強さは別なんじゃないの?」
「なんて言うたら信じるねん」
史誠くんが勢いよく立ち上がった。ああ、怒っている。このまま愛想を尽かされるかもしれない。ためらった。だけど、口が止まらなかった。
「だって、偶然、条件を満たしただけじゃない。そんなの、私じゃなくたって」
史誠くんがふっ、と笑った。嫌な感じだった。
「偶然のなんがいかんねん。……このまま休んで。俺、ちょっと出るわ。……また朝、来るから」
「待っ……」
止める間もなく、史誠くんは一回転して消えてしまった。
涙が出た。
止まらなくなる。
私って欲深い。そして、自分勝手だ。私こそが、条件に甘えているのかもしれない。火傷を癒せるから必要とされるだろうって。そうじゃなくて――私自身を必要としてもらえるように。私も、史誠くん自身を見る。……難しいなぁ……。
翌朝、史誠くんはなにごともなかったみたいな態度だった。拍子抜けしたし、一瞬怒りがよぎったけど、ありがたくはあった。
「ご飯食べれる? 簡単なやつしかできへんけど」
「ああ……食べなくていいかな。食欲あんまりないし」
一瞬、史誠くんの顔が固まった。
「……そうなん?」
誤解させたことに気が付いてあわてて手を振った。
「いつものことだから。朝は軽くしか食べられなくて」
「そうなんや……」
「……人間の感情食べるのって、朝、昼、晩、って感じで食べるの?」
「いや、そんなに規則正しくなくて、食べれる時に食べておくって感じやな。けっこう持つから」
「そうなんだ」
うらやましく思う。
「せやけど、人間の方がええで」
――しんみりした声を出さないでほしい。――人間になったら、史誠くんはさびしくなくなるのだろうか。
「アパートまで送るわ。飛んで帰るんしんどいなら、新幹線でもええけど」
「大丈夫だと思う」
ほとんど寝ていないし、悩みは深いけれど、ほかの誰とも会いたくなかった。
「せやったら、もうちょっとして出よか」
「うん。あの、ごめん、ここで泊まっちゃって。昨日も集まりの最中にみんなの前で気を失って、迷惑かけて」
「そんなん気にせんでええねん」
史誠くんはそっと笑った。その表情に、心底ほっとした。
私は帯留めを巾着袋に戻して、いつも持ち歩いているポーチに入れた。
「……るりさん」
浅い夢の中で、史誠くんの声がした気がした。
「……るりさん」
どれだけ史誠くんのことを考えているんだと、自分であきれながら、ふっと目を開けたら、史誠くんの顔が目の前にあった。一瞬、ここがどこか混乱した。自分の部屋のはずだ。史誠くんの実家から帰って一週間くらいにはなる。仕事にも行っている。
「ごめん、突然」
史誠くんのはっきりした声に、一気に目が覚めた。私はあわてて体を起こした。
「……なんで?」
声がかすれた。
「……はかられた」
「え?」
なんの話だろう。意味がわからなかった。
「熱愛報道が出るって、俺のSNSに週刊誌からDMがあった。内容確認して返事しろって」
見せられたスマホは薄闇に煌々と光った。私が史誠くんとともに史誠くんの実家に入る写真があった。それと文章が。私は年上のOLとある。交際期間はここ数か月で、私が史誠くんの、というか、隼人のファンで、私から近付いたという関係者の証言が載っている。
心臓が干上がる心地がした。
「誰がこんなこと……」
史誠くんは大きく息を吐いた。
「わからへん。せやけど、タイミングからしたらうちの親戚か族のもんや。週刊誌に売ったんやろ。……くそっ」
「……でも、そんなことする必要あるのかな」
「俺の仕事が減るんを狙ったんかも。それか、これで俺がるりさんをあきらめるとでも思ったんやろ」
史誠くんはくちびるを噛んだ。それからあわてたように、
「あきらめへんからな」
と付け足した。
だが、私の胸には不安が広がった。なんでこんなことになったのだろう。というか……私と出会わなければ、史誠くんが困ることはなかった。気持ちが深く沈み込んでいく。
