あなたとつむぐ恋のうた

 夏休みに入り、蓮先輩とはラインを交わすだけの穏やかで寂しい日々が続いている。
 それでも毎日日課のようにくるメッセージに、唯一の小さなな幸せを感じていた。
「会いたいなあ」
 自分で距離を置いておきながら、勝手なことを言っているのは承知の上でそう思う。
 でも会いたいのだからしょうがない。
 蝉の悲鳴も聞き飽きる頃、人生で一番憂鬱だった夏休みが終わった。



 勇気を出して階段を上る。
 始業式も終わり、後は帰宅するだけとなった昼前の喧騒はどのフロアも似たようなものだった。
 僕は3年D組の教室を目指していた。
 どうしよう…。
 たどり着いたはいいけれど、面識のない先輩に声をかける度胸は持ち合わせていなかった。
「あれ?相澤じゃん。どうしたー?」
 振り返ると、佐々木部長がそこにいた。
「あ、部長!いいところに!」
「もう引退して、ただの佐々木だけどな」
「そんなことより、れんせ…」
「紬くん!」
 僕の台詞をかき消すように、よく通る柔らかな声が響いた。
「あー、そゆこと?じゃあ俺は退散するわ」
 人をかき分けて近づいてくる蓮先輩を認めると、元部長は光の速さで離れていった。
 そして程なくして蓮先輩が僕の目の前までやってきた。
「どうしたの?こんなところまで」
 ああ、やっぱりこの人は輝いて見える。蓮先輩は僕にとっての光だなと思う。
「お久しぶりです。実は蓮先輩に渡したい物があって」
 嬉しそうにしてくれるのが、逆に切なかった。
「え?俺に?わざわざ届けにきてくれたの?なんだろう?」
「大した物じゃないんですけど…、合格祈願のお守りです。帰省した時に寄った神社が学問の神様で有名らしくて」
「ありがとう。…じゃあ、佐々木と俺に?」
「え?そういえば元部長も受験生だ…すっかり忘れた…蓮先輩のことしか頭になかったです」
「…え?マジで?…嬉しい…」
「あの…、元部長には黙っていてください」
「俺、マジで頑張れるかも」
「マジで頑張ってもらわないと困りますよ」
「…約束、覚えてる?」
 ちくりと胸が痛み出す。
「覚えてますよ」
「俺、絶対合格するから。そしたらデートだよ?」
「デート!?」
「二人でお出掛けするんだもの。デートでしょう?俺はそのつもり…」
 僕はあの時みたいな苦しい思いはしたくなくて、蓮先輩の言葉を遮るように早口で言った。
「とにかく、応援してますから!いい結果報告、待ってますね!じゃあ僕、この後予定あるんで!」
 そしてその場を後にした。
 蓮先輩の久しぶりに見る笑顔が眩しくて、僕は複雑な気持ちになりながらも、やっぱり幸せだった。
 僕はやっぱり蓮先輩が好きなんだ。
 久しぶりにあって、嬉しいのに胸が痛い。
 人を好きになるのがこんなに辛いなんて、知らなかった。



 移動教室の時、学食の一角、ふとした時に見かける蓮先輩を、僕は遠くから眺めている。いつの間にか探して目で追っている。
 不思議なことに蓮先輩は、そうしている僕をすぐに見つけて手を振ってくれる。
 日課のようになったライン。返ってくる何気ない言葉。
 穏やかで優しい残酷な日々を、僕は幸せと寂しさを感じて不安定に過ごした。
 蓮先輩は今頃どうしているのだろう?
 考えることはそればかりだった。

 暑さが和らぎ、ちらほらと木々が色づき始めた頃、蓮先輩から大学合格の連絡が入った。
『合格したよ』
『おめでとうございます!』
 素直に、自分のことのように嬉しかった。卒業したら会えなくなってしまうけれど。
『約束、覚えてる?』
 不意にデートという言葉が脳裏をよぎる。
 忘れていたわけじゃない。考えないようにしていた。だって、楽しみだったから。
 僕は複雑な思いを殺して返信をする。
『デート、ですよね?』
『覚えてくれたんだ!嬉しい!紬くん、今度の日曜日空いてる?』
『空いてますよ』
『どこか行きたいとこある?』
『蓮先輩のお祝いなんですよ?蓮先輩が行きたいとこ行きましょう』
『ほんと?ありがと!実は観たい映画があるんだ。一緒に観よ?じゃあ待ち合わせは駅に10時で』
『楽しみにしてますね』
 僕はスマホをベッドに投げた。
 蓮先輩に会いたいし、デートだって嬉しい。だけど僕の中で文化祭のFalling Starがずっと流れてる。僕は蓮先輩の星じゃないのはわかっている。
 ため息をついて、ベッドに倒れ込む。
 それでも僕は、少しだけ期待してしまう。
 デート、何を着て行こう。
 ぼんやりと思った。



「紬くん、待たせてごめん」
 改札前、先に着いていた僕に蓮先輩は申し訳なさそうに言った。
「そんなに待ってないので大丈夫ですよ」
 私服姿の蓮先輩を見るのは初めてだった。
 想像していた通り、おしゃれで格好良い。
「それならいいんだけど…、ところで紬くん、かわいいね。その服、すごく似合ってる」
 蓮先輩の僕を見る目は優しい。
 僕は褒められて顔が赤らむのを感じた。
「そんな…。でもそう言ってもらえると嬉しいです。蓮先輩、お洒落で格好いいから」
 二人並んで、映画館を目指す。
 週末の街中は混みあっていた。
 映画を観て二人で感想を言ったり、別メニューをそれぞれ注文して食事をシェアしたり。
 楽器店や本屋に寄ってお互いの好きなものをプレゼンしたり、僕たちは1日を楽しんだ。
 あっという間だった。
 落ちてゆく陽の早いことを少し恨めしく思う。楽しい時間はもうすぐ終わるんだと淋しく思った。
「ねえ、紬くん、まだ時間大丈夫?」
 スマホを見る。18時を少し回ったところだ。
「あと1時間くらいなら」
 蓮先輩の言葉が嬉しかった。
「じゃあ、もう少しだけ一緒にいよう。…駅前のあのファミレス行こう」
「はい」
 初夏の記憶が蘇る。
 あの日から、蓮先輩と呼び始めた。
 僕は、あの時から全然変わらないな。
 今でも蓮先輩のことを好きでいる。
 …違う。あの頃より、もっとずっと好きになっている。
 すっと蓮先輩の手が伸びてきて、僕の手を取った。
「おいで」
 僕はその手を握り返した。