あなたとつむぐ恋のうた

 文化祭が終わり、あの日の約束どおり僕はほぼ毎日図書館に通うようになった。
 読書したり勉強をしたり、時には三鷹先輩を起こしたり。
 僕は胸に小さなしこりを抱えながら、日々を過ごしている。
 今日も三鷹先輩と二人で図書館にいた。
「うーん。煮詰まったかも」
「どうしたんですか?」
「志望理由書、今悩み中。……ねえ、紬くん、図書館出てどこか話せるとこ行かない?」
「いいですよ」
 図書館だと小声で話すにも気をつかう。
 僕たちは考えた末に駅前のファミレスに行くことにした。



 平日の夕方、思ったよりもファミレスは空いていた。
 僕たちは店の奥の席についた。
 店内はエアコンがほどよく効いて快適だった。
 ドリンクバーだけ注文して、メニューを眺める。
「何か食べたいもの、あるの?」
「チーズケーキ、美味しそうだなって思って」
「紬くん、かわいいな……。俺が奢るから頼んじゃいなよ」
 言いながら様子を見るように覗き込んでくる。僕は三鷹先輩の申し出を断って、注文用のタッチパネルをテーブルに置いた。
「かわいくないです。奢りなんてダメです」
「話に付き合ってもらうんだから。ね?相談料と思ってくれたら……」
「相談料なんていりませんよ。それより志望理由書の話、でしたよね?」
 二人でドリンクを取りに行き、本題に入る。
「紬くんも知っての通り、俺はバンドばかりやってたからさ、志望理由書にどう書いたらいいか迷っちゃって」
「三鷹先輩の志望校と学部、どこですか?」
「明成大の人文学部だよ」
「あ……」
「どうしたの?」
「僕も前に先生に勧められたことがあるんです」
 三鷹先輩の顔が、パッと輝くように明るくなった。
「そうなんだ!一緒の大学行けるなら俺がんばれそう」
「でも、母からなるべく県内の大学にしてって言われていて」
「そっか。なんで?」
 三鷹先輩は目に見えてがっかりした。
 一喜一憂する三鷹先輩を見て、どうしてそんなに僕にこだわるのか不思議に思う。
 大切なお星様がいるんじゃないの?
 痛む胸を抑えながら僕は答えた。
「一人暮らしは危ないからって。父は逆に何事も経験だから一人暮らしした方がいいって言ってるんですけどね」
「あー、確かに一人暮らしは心配かも。あ!じゃあ俺の家のそばに住めば良くない?なんかあったら助けに行くから」
 さっきまでの悲しそうな顔がふわりと笑顔になる。僕はどうしてと思いながらもつられて笑ってしまった。
 三鷹先輩の言った未来を想像して、現実を思い出して、笑顔のままため息をついた。
「僕の心配より先に、志望理由書の心配しましょうよ」
「ええー、俺は紬くんが心配かもー」
「じゃあその心配は僕の受験の時まで取っておいてください」
 僕は三鷹先輩の手を取った。
 完全に無意識だった。
 気づくと同時にかあーっと頭に血がのぼる。
「紬くんから初めて触ってくれた」
 解けないほどにぎゅうっと握り返されて、蕩けるような笑みが僕の目の前にあった。
「あ、あの、すみません!」
「なんで謝るのー?俺は嬉しいよ?」 
「離してください」
「やだ」
「もう……志望理由書、どうするんですか」
「それはやるけど離さない……あ、俺のこと名前で呼んでくれたら離す」
「なんですか、それ」
「俺は最初から呼んでるじゃん?俺のことも名前で呼んでよー」
「……蓮先輩」
「この際、先輩もいらなくない?」
「先輩は先輩ですから!」
「じゃあ今はそれで我慢するよー」
 僕は離された自分の手をそっと握り込む。蓮先輩の手の感触が残っていた。
「……本題に戻りますよ?三鷹先……」
「名前で呼んでないじゃん」
「……蓮先輩は作詞もしてるしそのために読書もしてる。その辺りを人文学部と絡められませんか?」
「あー、確かに。その方向性はありかも」
 天井を見上げて、蓮先輩は考え始めた。
 少しは役に立てただろうか?
 そう思ってしばらく様子を見ていると、蓮先輩は僕の方を見て少し微笑む。
「ん」
 そして注文用のタッチパネルを操作した。
「何か注文するんですか?」
「うん。チーズケーキ」
「結局、蓮先輩が食べたくなっちゃったんですか?」
 僕は笑いを堪えきれずにむせてしまう。
「違うよー。紬くんに」
「え?」
「だってアイデア出してくれたじゃない?ありがとね?」
「ええ?」
 状況が飲み込めないうちに、テーブルにチーズケーキが到着する。
「俺、甘いもの苦手だから紬くんがちゃんと食べるんだよ?」
 目の前のチーズケーキは写真のとおりに美味しそうな焼き色で、僕の食欲を誘惑してくる。
「……じゃあ、お言葉に甘えます。……蓮先輩が食べないなら、もったいないですしね!いただきます」
 フォークで一口分すくって、口に入れた。
 程よい酸味とレモンの香りが口の中に広がる。
「美味しい……」
「本当?それならよかった!俺も紬くんの幸せそうな顔見れて嬉しいな」
「蓮先輩も、一口どうですか?……あ、甘いものダメでしたね」
「紬くん……それはずるいよ……食べる。ちょうだい?」
「?……はい、どうぞ」
 皿ごと渡そうとしたら、なぜか両手で突き返された。
「食べさせてよ」
 一瞬、いつもの冗談かと思った。
 けれど蓮先輩は口を開けて待っていて。
 僕は戸惑いながらも一口分だけフォークですくって持っていった。
 少し薄い唇に僕が使っていたフォークが触れるのが見えた。
「今まで食べた中で一番美味しい」
 蓮先輩は僕をじっと見つめた。そして、右手の親指で唇をなぞった。
 その様子に見惚れてしまった僕は慌てて
「そんなにですか?」
 と、そっけない返事をした。
 僕はそのフォークで残りのケーキを食べる。
 目の前の蓮先輩は静かに微笑んでいた。
 僕は急に怖くなる。
 この笑顔が、僕以外の誰かに向けられる日が来る。
 Falling Starに込められたあの告白は一体誰へのものだろう?
 僕の思いはきっとずっと消えないから。
 それならば、遠くからそっと見守るだけでいい。
 その日を境に、僕は少しずつ蓮先輩の視界に入らないようにそっと、そっと距離を置いた。



「紬くーん」
 放課後、僕を呼ぶ柔らかな声が教室に響いた。よく通るそれは、蓮先輩のものだ。
 クラスメイトの視線が一斉に僕に突き刺さる。
「え?軽音の三鷹先輩だよね?」
「メロすぎるんだけど……」
 ここまで来られては仕方がない。
 教室内がざわつく中、急いで蓮先輩の元に向かった。
 僕は、意識的に距離を置いていた。
 そんな時、わざわざ蓮先輩がクラスまでやってきたのだ。
「こんなところまで、どうしたんですか?」
「なかなか図書館来てくれないから、迎えに来ちゃった」
 優しい微笑みが、僕を誘惑する。
 それを断ち切るように下を向いて静かに言った。
「受験勉強の邪魔、したくなかったんです」
「俺はキミがいるから頑張れてるよ?」
 僕の顔を覗き込みながら、いつもより少し低い声で囁くように言われた。
 いつもと違う気がする。視線が痛かった。
「……そんなこと言われても」
 吐息がかかりそうなほど近くに蓮先輩の顔があって、うまく話せない。
「俺と一緒にいるの、嫌?」
 耐えられなくなって提案した。
「……場所、変えませんか?急いで支度するので!」
 僕は足早に自分の席に戻って、机の中の教科書や課題をリュックに詰め込む。クラスメイトの視線が痛くて早くこの場から去りたかった。
「相澤と仲良いんですかー?」
 クラスの一軍女子が蓮先輩に話しかけているのが聞こえる。
「仲いいよー、でも俺はもっと仲良くなりたいんだよねー」
 蓮先輩の言葉を聞いて、ペンケースを落としてしまう。そんなことはお構いなしで会話は続いていた。
「えー!相澤って、めっちゃ真面目だし三鷹先輩と合わなそう」
「真面目なところがいいのに。かわいくない?」
 僕は咳払いして蓮先輩に話しかけた。
「お待たせしました」
「待ってないよ、行こっか。じゃあまたね」
「ええー、もう行っちゃうんですかー?もっと話したいかも」
 軽く手を振って女子たちの甘ったるい声を適当にあしらう。
 ……三鷹先輩の所作に余裕を感じる。 
 いくら気に入ってもらったとして、やっぱり僕とは住む世界が違う。
 ぼんやりとそう考えていた。
 その時、大きな手が僕の手を絡め取った。
「え?」
「手を繋いでるんだよ。紬くんが逃げないように」
「……逃げませんよ」
「本当?じゃあ解放してあげる」
 手が緩められて、ほっとすると共に少し淋しくなった。
 本当はずっと繋いでいたいんだ。
 でも僕にはその勇気がない。
 だって、みんなの言うとおり、僕と蓮先輩は釣り合わないから。



 誰もいないから、と軽音部の部室に通された。蓮先輩と初めて会った場所だ。
 今思えば、あの時から僕の憧れは恋に変わってしまったんだろう。
「紬くん、俺のこと避けてるよね?」
 低い声で問われて、顔を上げることができない。
「……避けてないですよ?でも……」
「でも?」
「僕がいたら、勉強の邪魔になるから」
「邪魔になってない」
 叫ぶように言われて、ハッとして顔を上げた。そこには今にも泣きそうな顔の蓮先輩がいた。
「そうですか?僕がいると、いつも話が脱線して、手が止まりますよね?」
「……それは!」
「……ほら、自分でも気づいてるじゃないですか」
「……」
 黙ったままの蓮先輩に、本当は一緒にいたいと伝えてしまいたかった。
 でも、それは絶対に違う。
 僕の距離を置きたい、気持ちの整理をしたい、という気持ちだけじゃなく、蓮先輩の受験のためにも大事なことだった。
「僕は蓮先輩に無事に合格して欲しいです」
「わかった。俺のために言ってくれてるんだよね?」
「はい」
 沈黙が流れる。
 重苦しい空気がまとわりつくようで、うまく息ができない。
 我慢できなくなって何か言おうかと顔を上げた時、蓮先輩は叫ぶように言った。
「……じゃあ!じゃあ合格したら、俺と付き合ってくれる?」
「え?」
 ドキッとして、蓮先輩の顔を見る。『付き合う』という単語に僕はフリーズする。
「合格祝いに、おでかけ。紬くんの時間を俺にちょうだい?」
 胸がギュッと苦しくなる。
 どこかに一緒に出かけることを『付き合う』というのは、特に珍しい表現じゃない。なのに『付き合って』という言葉に、交際を申し込まれたと思う僕は馬鹿だ。あまりの自分の壊れ具合に泣きたくなる。
 蓮先輩、もう苦しいよ……。
 叫び出したい思いを抑えて、僕は何でもない顔をする。
「いいですよ。蓮先輩の行きたいとこ、行きましょう」
 蓮先輩は綺麗な笑顔を浮かべていて。それがやけに僕の心に突き刺さる。
 僕は息を整えるように小さく深呼吸する。
 蓮先輩の前で泣いてしまわないように。