あれから本当に、三鷹先輩はラインで取材の質問に回答してくれた。
最初はスマホを部屋に置いたまま食事をしていたので気づかなかった。
部屋に戻ってスマホに表示された通知を見て思わず声が出る。
「え?もう?」
急いでラインを開くと、影響を受けた曲やアーティストなんかはリンクも貼ってくれていて。僕は先輩のことをたくさん知れて嬉しくて、それなのにもっと知りたくなって。
その魅力を全部伝えたくて、かえって原稿は難渋した。
それでも締め切りまでになんとか書き上げ、新たな部誌かさねは無事発行された。
それからしばらくは、放課後になるたび文化祭準備に追われた。流石に三鷹先輩に会うことはなくて、時々もらうラインから僕は幸せと元気を貰っていた。
「見よ!このビビットピンクのかさねを!」
今年は佐々木部長たっての希望で鮮やかなピンクの表紙だった。一昨年、去年と提案して却下され続けていたらしい。
「…よかったですね」
「推しカラーかさね、爆誕!」
佐々木先輩の推しアイドルのメンバーカラーがピンクなんだそうだ。ちょっといい加減にして欲しいと思いながらも、ピンクのかさねを2冊受け取る。
「あれ、2冊ありますよ?」
「相澤、それ、三鷹に持って行ってやんなよ。あいつ、渡そうとしたら『紬くんから貰いたいからいらない』とか言って受取拒否して。めんどくせーから」
「あはは。そうなんですか?じゃあライブの後に差し入れしますね」
僕はライブ後の三鷹先輩に会う口実ができたことに、思わず顔が綻ぶ。
今日は文化祭前日。
文芸部も一応、かさねを販売する以外にもちょっとした展示をする。今年は夏目漱石の夢十夜を取り上げている。
軽音部は明日、ライブステージがある。文芸部以上の準備があるだろう。
僕は他の部員たちと展示位置の微調整をしながら明日のライブのことを考えていた。
三鷹先輩は僕に「聴いて欲しい曲がある」と言っていた。
ここ数日、それが楽しみで仕方なかった。
去年のあの曲もいいけれど、今度はどんな世界を曲で表現してくれるのだろう?
早く明日になって欲しくてたまらなかった。
文化祭当日、僕はライブ会場となる講堂の後方の席で胸を高鳴らせながら軽音部のライブが始まるのを待っていた。
本当はもう少し前の席に行きたかったけれど、向かう途中に迷子の案内をしていて遅くなってしまった。残念だけどそれでも、三鷹先輩の演奏を聴けるのは変わりない。
生徒会の司会進行役が出てきて、次が軽音部の演奏だと告げると途端に歓声が上がった。
所々で三鷹先輩やその他のバンドメンバーの名前を呼ぶ声が聞こえる。
僕も叫びたかったけれど、気恥ずかしくなって躊躇してしまう。
「蓮先輩、マジでかっこいいよね」
「それなー、彼女とかいるのかな?聞いたことないよね?」
「もしかして…この中にいたりして」
「えー、やだー!」
すぐ後ろで、女子の話し声が聞こえる。三鷹先輩の人気をあらためて実感して、たとえエッセイのことがあるとしても、僕が仲良くしてもらっているのが不思議だった。
程なくして、演奏が始まる。力強いドラムの音にベースの低音が重なり、そして三鷹先輩のギターの音が混ざり合ってゆく。
僕は美しい音の洪水に飲まれるように三鷹先輩の歌声に浸った。
やっぱり、歌詞が一番好きだ。三鷹先輩の思いが詰まっているように感じる。そしてそれは僕の心を掴んで離さない。
2曲、3曲と続けていて、気がついたら最後の曲になっていた。
三鷹先輩は演奏する手を止めて、誰かを探しているかのように辺りを見渡した。
目が合ったような気がした。
そしてその瞬間、マイクに向かってこう言った。
「この曲は、俺が大切な人のために作った曲です。Falling Star」
それは、優しく穏やかな調べだった。
僕はそっと目を閉じて耳を澄ました。
暗い暗い空にひとつ
僕を見下ろす 小さな光
あなたは優しく僕を照らし
静かに そっと 導いた
僕はその星に 密かに恋をする
いつかきっと僕のところに
落ちてくることを願って
今日も僕は
暗い空を見上げて
星の光に焦がれてる
あぁ…、これは誰かに向けたラブソングだ。
不意に胸に重苦しいものが落ちてくる。
三鷹先輩が、大切な人のために作った曲…。
駆け抜けるように、僕の中の三鷹先輩との記憶が蘇っては消えていく。
部室でした取材も、図書館での出来事も、交わしたラインの数々も。
全部全部、僕の中で輝いていた。
僕は、この曲が自分の為だったらいいと願っている。
「はは…、なんてバカなこと考えてるんだろう」
僕は誰に言うともなしに呟いて、そっとため息をついた。
ライブが終わり、僕はどうしても気分が乗らなくて部室に行った。
少し一人になりたかった。
このぐちゃぐちゃの感情のまま三鷹先輩に会ったら、僕はきっとうまく話せない。
気持ちを落ち着けて、素敵な歌でしたねと笑顔で言えるように。
椅子に腰掛けて、かさねを見る。
自分の書いた文章は、今思うと憧れだけでは語れない熱量だ。
なんで気づかなかったんだろう?
ポケットの中のスマホが叫ぶ。
そんな気分じゃないけれど部活の業務連絡かもしれない。無視できずに僕はディスプレイを見た。
「三鷹先輩だ…」
僕は急いでスマホを耳に当てた。
「紬くん、どこにいるの?」
ライブ後だからだろうか?
三鷹先輩は少し息を切らせながら、困ったような声で言った。
「部室です。ちょっと忘れ物があって…」
僕は些細な嘘をつく。
「そうなんだ。じゃあ今からそこに行くから、絶対に待っててね?」
ぷつりと通話が切れて、僕は思考を再開する。三鷹先輩は、どうして僕に会いにくるんだろう?
階段を駆け上がる音が聞こえて、少し乱暴に扉がノックされる。
「どうぞ」
僕は扉を開けて、三鷹先輩を招き入れた。その時。
三鷹先輩の両腕がふわりと僕の背中に回った。そしてきゅっと抱きしめられる。
「いなくなっちゃったかと思った。もうマジで焦ったんだよ?…ライブ、良くなかった?」
いつもより近く、耳元で聞こえるその声はやっぱり僕の心を溶かす力を持っている。
この人の、この優しさに僕は壊される。
「…すみません。三鷹先輩に渡すかさね、忘れたので取りに戻ってたんです。…ライブ、すごくよかったです」
僕も三鷹先輩の背中に腕を回そうかと迷って、やめた。怖いほど冷静な自分がいた。
「そうなんだね、見つけて嬉しくてハグしちゃった、ごめん」
離れていく三鷹先輩を、抱き寄せてしまいたかった。
「いえ、僕もひとこと連絡すればよかったです」
「…Falling Star どうだった?」
ズキリと胸が痛んで、言葉に詰まる。
「…すごく素敵でした。胸が苦しくなるくらい」
「俺の思いは伝わってるかなあ?」
「きっと、伝わってますよ。…僕が女の子なら絶対に好きになる」
「…そう思うの?でも、俺のお星様はなかなか落ちてこないみたい」
悲しそうに微笑んでから、三鷹先輩は言った。
「あ、三鷹先輩、新しいかさね、差し上げますね」
僕は話題から逃げるようにピンクの冊子を手渡した。
この話は、もうしたくない。
触れた指先の硬さも、あの柔らかな声も、僕のものではないんだ。
離れようとしたその瞬間、腕を掴まれた。
「またどこか行っちゃうの?」
「…どうしてそんなこと言うんですか?」
「紬くん、今、消えていなくなっちゃいそうだよ」
「…じゃあ!じゃあ、僕を捕まえればいい…!」
腕に感じる三鷹先輩の体温は、僕をゆっくり狂わせてゆく。
「…絶対に、逃さないよ?それでもいいの?」
返ってきた台詞が、突き刺さって痛い。
好きだと言ってしまいたかった。
そうだ、僕は三鷹先輩のことを好きなんだ。
言葉にしてはいけない気持ちをぐっと飲み込んで無理やり微笑む。
「文化祭の続き、見に行きませんか?三鷹先輩と行きたくて」
ああ、きっとあなたは僕のところには落ちてこない。
「行こうか。…それでもいいって、言ってくれたらいいのに」
不意に頭を撫でられて、僕の手に三鷹先輩の手が絡みつく。
「紬くんが逃げないように」
いつもより低い声が何故か機嫌が悪そうに聞こえて、僕はそっと三鷹先輩の顔を盗み見た。
そこには無表情の綺麗な顔があった。
最初はスマホを部屋に置いたまま食事をしていたので気づかなかった。
部屋に戻ってスマホに表示された通知を見て思わず声が出る。
「え?もう?」
急いでラインを開くと、影響を受けた曲やアーティストなんかはリンクも貼ってくれていて。僕は先輩のことをたくさん知れて嬉しくて、それなのにもっと知りたくなって。
その魅力を全部伝えたくて、かえって原稿は難渋した。
それでも締め切りまでになんとか書き上げ、新たな部誌かさねは無事発行された。
それからしばらくは、放課後になるたび文化祭準備に追われた。流石に三鷹先輩に会うことはなくて、時々もらうラインから僕は幸せと元気を貰っていた。
「見よ!このビビットピンクのかさねを!」
今年は佐々木部長たっての希望で鮮やかなピンクの表紙だった。一昨年、去年と提案して却下され続けていたらしい。
「…よかったですね」
「推しカラーかさね、爆誕!」
佐々木先輩の推しアイドルのメンバーカラーがピンクなんだそうだ。ちょっといい加減にして欲しいと思いながらも、ピンクのかさねを2冊受け取る。
「あれ、2冊ありますよ?」
「相澤、それ、三鷹に持って行ってやんなよ。あいつ、渡そうとしたら『紬くんから貰いたいからいらない』とか言って受取拒否して。めんどくせーから」
「あはは。そうなんですか?じゃあライブの後に差し入れしますね」
僕はライブ後の三鷹先輩に会う口実ができたことに、思わず顔が綻ぶ。
今日は文化祭前日。
文芸部も一応、かさねを販売する以外にもちょっとした展示をする。今年は夏目漱石の夢十夜を取り上げている。
軽音部は明日、ライブステージがある。文芸部以上の準備があるだろう。
僕は他の部員たちと展示位置の微調整をしながら明日のライブのことを考えていた。
三鷹先輩は僕に「聴いて欲しい曲がある」と言っていた。
ここ数日、それが楽しみで仕方なかった。
去年のあの曲もいいけれど、今度はどんな世界を曲で表現してくれるのだろう?
早く明日になって欲しくてたまらなかった。
文化祭当日、僕はライブ会場となる講堂の後方の席で胸を高鳴らせながら軽音部のライブが始まるのを待っていた。
本当はもう少し前の席に行きたかったけれど、向かう途中に迷子の案内をしていて遅くなってしまった。残念だけどそれでも、三鷹先輩の演奏を聴けるのは変わりない。
生徒会の司会進行役が出てきて、次が軽音部の演奏だと告げると途端に歓声が上がった。
所々で三鷹先輩やその他のバンドメンバーの名前を呼ぶ声が聞こえる。
僕も叫びたかったけれど、気恥ずかしくなって躊躇してしまう。
「蓮先輩、マジでかっこいいよね」
「それなー、彼女とかいるのかな?聞いたことないよね?」
「もしかして…この中にいたりして」
「えー、やだー!」
すぐ後ろで、女子の話し声が聞こえる。三鷹先輩の人気をあらためて実感して、たとえエッセイのことがあるとしても、僕が仲良くしてもらっているのが不思議だった。
程なくして、演奏が始まる。力強いドラムの音にベースの低音が重なり、そして三鷹先輩のギターの音が混ざり合ってゆく。
僕は美しい音の洪水に飲まれるように三鷹先輩の歌声に浸った。
やっぱり、歌詞が一番好きだ。三鷹先輩の思いが詰まっているように感じる。そしてそれは僕の心を掴んで離さない。
2曲、3曲と続けていて、気がついたら最後の曲になっていた。
三鷹先輩は演奏する手を止めて、誰かを探しているかのように辺りを見渡した。
目が合ったような気がした。
そしてその瞬間、マイクに向かってこう言った。
「この曲は、俺が大切な人のために作った曲です。Falling Star」
それは、優しく穏やかな調べだった。
僕はそっと目を閉じて耳を澄ました。
暗い暗い空にひとつ
僕を見下ろす 小さな光
あなたは優しく僕を照らし
静かに そっと 導いた
僕はその星に 密かに恋をする
いつかきっと僕のところに
落ちてくることを願って
今日も僕は
暗い空を見上げて
星の光に焦がれてる
あぁ…、これは誰かに向けたラブソングだ。
不意に胸に重苦しいものが落ちてくる。
三鷹先輩が、大切な人のために作った曲…。
駆け抜けるように、僕の中の三鷹先輩との記憶が蘇っては消えていく。
部室でした取材も、図書館での出来事も、交わしたラインの数々も。
全部全部、僕の中で輝いていた。
僕は、この曲が自分の為だったらいいと願っている。
「はは…、なんてバカなこと考えてるんだろう」
僕は誰に言うともなしに呟いて、そっとため息をついた。
ライブが終わり、僕はどうしても気分が乗らなくて部室に行った。
少し一人になりたかった。
このぐちゃぐちゃの感情のまま三鷹先輩に会ったら、僕はきっとうまく話せない。
気持ちを落ち着けて、素敵な歌でしたねと笑顔で言えるように。
椅子に腰掛けて、かさねを見る。
自分の書いた文章は、今思うと憧れだけでは語れない熱量だ。
なんで気づかなかったんだろう?
ポケットの中のスマホが叫ぶ。
そんな気分じゃないけれど部活の業務連絡かもしれない。無視できずに僕はディスプレイを見た。
「三鷹先輩だ…」
僕は急いでスマホを耳に当てた。
「紬くん、どこにいるの?」
ライブ後だからだろうか?
三鷹先輩は少し息を切らせながら、困ったような声で言った。
「部室です。ちょっと忘れ物があって…」
僕は些細な嘘をつく。
「そうなんだ。じゃあ今からそこに行くから、絶対に待っててね?」
ぷつりと通話が切れて、僕は思考を再開する。三鷹先輩は、どうして僕に会いにくるんだろう?
階段を駆け上がる音が聞こえて、少し乱暴に扉がノックされる。
「どうぞ」
僕は扉を開けて、三鷹先輩を招き入れた。その時。
三鷹先輩の両腕がふわりと僕の背中に回った。そしてきゅっと抱きしめられる。
「いなくなっちゃったかと思った。もうマジで焦ったんだよ?…ライブ、良くなかった?」
いつもより近く、耳元で聞こえるその声はやっぱり僕の心を溶かす力を持っている。
この人の、この優しさに僕は壊される。
「…すみません。三鷹先輩に渡すかさね、忘れたので取りに戻ってたんです。…ライブ、すごくよかったです」
僕も三鷹先輩の背中に腕を回そうかと迷って、やめた。怖いほど冷静な自分がいた。
「そうなんだね、見つけて嬉しくてハグしちゃった、ごめん」
離れていく三鷹先輩を、抱き寄せてしまいたかった。
「いえ、僕もひとこと連絡すればよかったです」
「…Falling Star どうだった?」
ズキリと胸が痛んで、言葉に詰まる。
「…すごく素敵でした。胸が苦しくなるくらい」
「俺の思いは伝わってるかなあ?」
「きっと、伝わってますよ。…僕が女の子なら絶対に好きになる」
「…そう思うの?でも、俺のお星様はなかなか落ちてこないみたい」
悲しそうに微笑んでから、三鷹先輩は言った。
「あ、三鷹先輩、新しいかさね、差し上げますね」
僕は話題から逃げるようにピンクの冊子を手渡した。
この話は、もうしたくない。
触れた指先の硬さも、あの柔らかな声も、僕のものではないんだ。
離れようとしたその瞬間、腕を掴まれた。
「またどこか行っちゃうの?」
「…どうしてそんなこと言うんですか?」
「紬くん、今、消えていなくなっちゃいそうだよ」
「…じゃあ!じゃあ、僕を捕まえればいい…!」
腕に感じる三鷹先輩の体温は、僕をゆっくり狂わせてゆく。
「…絶対に、逃さないよ?それでもいいの?」
返ってきた台詞が、突き刺さって痛い。
好きだと言ってしまいたかった。
そうだ、僕は三鷹先輩のことを好きなんだ。
言葉にしてはいけない気持ちをぐっと飲み込んで無理やり微笑む。
「文化祭の続き、見に行きませんか?三鷹先輩と行きたくて」
ああ、きっとあなたは僕のところには落ちてこない。
「行こうか。…それでもいいって、言ってくれたらいいのに」
不意に頭を撫でられて、僕の手に三鷹先輩の手が絡みつく。
「紬くんが逃げないように」
いつもより低い声が何故か機嫌が悪そうに聞こえて、僕はそっと三鷹先輩の顔を盗み見た。
そこには無表情の綺麗な顔があった。
