あなたとつむぐ恋のうた

 取材から二週間が経った。
 あれからすぐテスト準備期間に入ってしまったこともあり、三鷹先輩とは学校で会った時に挨拶するくらいで取材できていない。結局原稿も手につかずそのままになっている。
 締切も近づいているけれど、憧れている人のことだからこそ適当には書きたくなかった。
 三鷹先輩はいつでもと言ってくれたけれど、受験勉強だってあるだろう。
 僕はどうしようか悩んでいた。
 もう話せないのかな。
 こんなことなら、勇気を出して連絡先を聞いても良かったかもしれない。
 僕はため息をついて、手に持っていた読みかけの本を伏せた。
「ため息ついて、どうしたの?」
 その時、後ろから柔らかな声が降ってきた。
 それは夢に見るほど聞きたかった声、そのものだった。驚いて振り返った。
「三鷹先輩!」
「紬くん、しー。図書館では静かに、だよ?」
 口元に人差し指を当ててそう言った後、三鷹先輩は僕のすぐ隣の席にスクバを置いた。
「ここ、空いてる?座ってもいいかなあ?」
「どうぞ、もちろんです」
 僕は言いながら出会えた幸運に感謝した。
 すいっと目線が同じ高さになって、微笑みかけられる。
「久しぶりだねー。でもここだと、この前の続きは難しいねえ」
「覚えてくれていただけで嬉しいです。今日は…やっぱり受験勉強ですか?」
「そうだねー、文化祭準備もあるけど、やっぱり受験勉強もしないとだから。忙しくて悲しくなっちゃうねえ」
 三鷹先輩はため息をつきながら、勉強道具一式を机に出してスクバを足元に置いた。
「悲しいだなんて」
 僕は苦笑して三鷹先輩の顔を覗き見た。
 眉根は寄せているけれど、どこかわざとらしいのは気のせいだろうか?
「だってさ、紬くん、取材、終わってないでしょう?せっかく紬くんと知り合えたのに、お話しする機会がなかなか作れないとか悲しいじゃん?」
「…!」
 気にしていてくれたんだ…!
 びっくりして声も出ない僕を気にしてか、三鷹先輩は続けて言った。 
「ちゃんと時間取るから安心してねー。紬くんは、今日はやっぱり読書?」
「…はい。リクエストしていた本が入ったので」
「そうなんだね。今度おすすめの本、教えてほしいなあ」
「…!じゃあ、僕にはおすすめの曲教えてもらえますか?」
 普段本ばかり読んでいた僕も、去年の文化祭を境に音楽を聴くようになった。だけど三鷹先輩の曲ほど僕の心に漣を立てるものに出会えていなかった。
 でも三鷹先輩セレクトなら楽しめそうだ。
「いいよー。ところで紬くんはよく図書館にいるの?」 
「そうですね。割といますよ」
「じゃあさ、俺、ここで放課後は毎日勉強するから、紬くんの暇な時はここに来て、俺を起こしてくれる?きっと寝ちゃうから」 
 小声でヒソヒソ話すのがなんだかとても楽しくて、僕は本そっちのけで三鷹先輩に気を取られていた。
「起こすのも受験勉強のお手伝いですね。がんばります」
 きっと冗談だろうと思いながら約束をする。そばにいてもいいよと許可をもらったみたいで嬉しかった。
 あんなに楽しみにしていた本も、頭に入ってこない。勉強する三鷹先輩に話しかけたくなるのを我慢して、そっと隣を盗み見る。
 頬杖をついて、教科書をずっと眺めているようだ。手が止まっているのを見ると、難問に当たって悩んでいるのかもしれない。
 しばらくそうしているのを目の端で感じていた。
 けれど時々うなづくように頭が動く。
 あれ?これは…もしかして、船を漕いでいる?
 そっと顔を覗き込む。
 …寝ていた。
「えっ?本当に?…えっ?三鷹先輩?」
 肩をそっと揺すると、それに合わせて少し長めの髪がサラサラと動く。
「ごめん。本当に寝ちゃった…」
 まさか、本当に寝てしまうなんて。三鷹先輩の放っておけない一面を見て少しだけ身近に感じた。
 時々隣を確認しながらする読書は意外なほど楽しくて、手が止まっている三鷹先輩の顔を覗き込んでは小声で話しかけた。
 そんなことをしているうちに、最終下校時刻を告げる鐘の音が鳴った。
 いつもより時間が経つのが早い気がする。
「勉強、進みました?」
「うーん。まあまあかなあ?」
 三鷹先輩は小さく首を振った。
「そろそろ下校時刻ですね」
「じゃあ帰ろっか?」
 机の上の筆記用具とノートをしまう三鷹先輩に僕は声をかける。
「僕、本の貸出手続きしてきますね」
 その瞬間、制服の袖を引っ張られて僕は立ち止まる。
 え?
 振り向きざまに、今度はすっと腕を掴まれた。
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。
 僕は息を呑んで三鷹先輩の顔を見た。
「あっ、今日も一緒に帰ろうね?」
 三鷹先輩の少し長い前髪がさらりと揺れた。
 大きな手と指先の硬さが儚い外見にはミスマッチで、鼓動がうるさくなるのを感じた。
 先輩に対して可愛いなんて言ったら失礼だろうか?
 でも僕はその時、三鷹先輩が可愛くて一瞬でも離れるのが名残惜しく感じた。
「…はい。今日も一緒に駅まで帰りましょう。手続き、時間かかるかもなので、入り口の扉のとこで待っててもらえますか?」
「うん。ありがとう!待ってるねー」
 すぐに表情が優しい笑顔に戻って、僕もつられて笑顔になる。
 下校時刻間際の貸出窓口は三人ほど並んでいた。待ちながら、荷物を片付けて扉に向かう三鷹先輩を目で追っている自分に気づいて、僕は少し気恥ずかしくなった。
 
 
 
 学校を出て、二人でのんびりと駅に向かって歩く。三鷹先輩は学校最寄りの駅から2駅先に住んでいるそうだ。
 なんでもない話が楽しくて、いつもよりもずっと駅が近く感じる。
 三鷹先輩の隣を歩いているのが2度目なのにまだ信じられない。
 三鷹先輩が歩幅を合わせてくれるのを良いことに、僕は意識していつもよりもゆっくりと歩いた。
「三鷹先輩、次回の取材またお時間いただけますか?」
「もちろんいいよー。俺も紬くんと個人的にもお話ししたいし。明日の放課後とかどう?今度は俺が文芸部の部室に行くよー」
「いいんですか?ありがとうございます!」
 また会ってゆっくり話ができると思うと胸が熱くなる。
 これでようやく文化祭に向けて原稿を書くことができそうだ。
「かさね、楽しみにしてるね」
「部誌の名前、覚えてくれてたんですね!」
 一度取材しただけなのに、かさねの名前を覚えていてくれて嬉しかった。
「そりゃあ覚えてるよー。毎年佐々木から買ってるもの。去年のも読んでるよ」
「あ!貴重な読者様ですね。ご愛読ありがとうございます」
 僕は三鷹先輩に向き直って一礼した。
「そんなにかしこまらないで、俺も楽しみに読んでるから」
「そういえば、部長と仲良いんでしたね。正直意外でした」
「そうかなあ?たまに歌詞のこと相談したりするんだ。あ、次は紬くんが相談乗ってくれない?違う目線も入れたくて。特にタイトルはいつも悩んでなかなか決まらないんだよねえ。一緒に考えてくれる?」
「僕でよければ是非!」
 少し部長を羨ましく思ったところに、自分にも話が来て、たくさん関わりができていくのが嬉しくて、僕は二つ返事で引き受けた。
 少しでも役に立てるのなら、一ファンとして光栄なことだと思った。
 駅に着くまでの徒歩十分が驚くほど早く過ぎてしまって、明日も会えるというのに残念に思う。
「もう駅に着いちゃいますね」
 思わず漏れた僕のセリフを吹き消すように三鷹先輩は言った。
「紬くん、連絡先、交換しよ?」
「連絡先、ですか?」
「だって、歌詞の相談もだし、おすすめの曲だって繋がってたら送れるじゃない?」
「…!そうですね!」
 僕が言い出したくても言い出せなかったその言葉を三鷹先輩から申し出てくれるなんて、夢みたいだった。
 僕は慌ててスマホを出した。
 メッセージアプリを開いて連絡先を交換する。三鷹先輩らしいギターのアイコンが一覧に増えた。
 通知がきて慌ててメッセージを開く。予想外に可愛らしいスタンプが、よろしく、と挨拶しているのを見て思わず笑みがこぼれた。
 僕も急いでお気に入りのスタンプを送った。
 よりいっそう距離が近くなったのを感じた。
「あ、電車来ちゃう!名残惜しいけど、また明日ね」
「はい!また明日、よろしくお願いします」
 手を振って改札を抜けていく三鷹先輩を見送りながら、明日の取材を思って自然と口元が綻ぶのを感じた。
 僕は三鷹先輩が見えなくなるまで見送ってから、のんびりと家路についた。