それは、色鮮やかな音楽だった。
高校1年の文化祭で出会った。
柔らかな歌声が旋律に乗って僕の中に流れ込んできた。優しいのに胸に残る悲しさを含んだメッセージは、今も口ずさんでしまうほどに心に残っている。
ステージ上で輝くように演奏している先輩は、すごく遠くにいるように見えた。
あんな素敵な曲を作るなんて。
僕は時折夢を見る。憧れてしまったあの人を。
ボールペン片手に、あの時の情景をそっと思い浮かべる。
「鮮麗な世界であなたと〜♪」
「それ、去年の軽音部の曲?」
急に声をかけられて、驚いて顔を上げる。
目の前には佐々木部長がいた。
「はい、すごく耳に残っていて。最初オリジナルとは知らなくてCDショップで探しちゃったんですよ」
「はは。それ、三鷹が聞いたら泣いて喜ぶぜ」
「三鷹さん?」
「その曲作ったやつ。三鷹蓮。俺の友達なんだ。軽音部の部長だよ」
「え?仲良いんですか?僕、今回のエッセイ、その曲にまつわる話にしようと思ってるんです」
放課後の部室。
僕は6月の文化祭で発行する文芸部部誌『かさね』用のエッセイを書いていた。
「相澤、本当に気に入ってるんだな。もし良かったら、三鷹を取材するか?」
「え?取材ですか?」
「そう。必要なら俺が三鷹に頼むけど。あいつ絶対喜ぶから」
「いいんですか?」
嬉しくて思わず顔が緩んでしまう。あの繊細な曲はどんな人が作ったのだろう?
「相当入れこんでるな、顔に感情がダダ漏れだぞ?三鷹に都合いい日聞いとくから、決まったら連絡するよ」
「ありがとうございます!」
僕は意識してきゅっと口を結んで、それでも三鷹先輩と会える日に思いを馳せた。
それから程なくして部長から連絡があり、僕は三鷹先輩と放課後に会うことになった。
場所は軽音部部室。文化部棟二階の一番奥の部屋だ。微かにギターの音が聞こえてくる。
期待と緊張でどうにかなりそうだった。僕は小さく深呼吸してから、そっと扉をノックした。
「どうぞ」
柔らかく優しい声と共に扉が開かれる。
ああ、この声だ。
あの時の情景が自然と浮かんでくる。
僕は思っていたよりもずっと心を奪われていたらしい。
「失礼します」
「そんなに緊張しないでいいよー。俺しかいないから」
少し長めの前髪の奥、長い睫毛に縁取られた目が弧を描く。綺麗な笑顔に思わず目を奪われた。
「あ、あの…僕、2年の相澤と言います。よろしくお願いします」
「大丈夫。知ってるよ。紬くん、ここ座って?」
まだ名前を言っていないのに。
一瞬不思議に思ったが部長が伝えているのだろう。
僕は言われた通りに椅子に腰掛ける。
三鷹先輩はスタンドにそっとギターを立てかけると、僕に向かい合うように座った。
「今日は時間を作っていただいてありがとうございます」
「タメ口でいいよ。よろしくねー。それで何を知りたいのかなあ?」
「先輩にタメ口なんてそんな!このまま話させてください」
「紬くんは礼儀正しいんだねえ。いい子いい子」
言いながら三鷹先輩は小さく伸びをした。
掴みどころがないというか…中性的なルックスも相まって独特な雰囲気を纏っている。
僕は咳払いをして三鷹先輩に質問を投げた。
「去年の文化祭で三鷹先輩が作った曲を聴いて、僕すごく感動して。曲調と歌詞がとてもあっていて素敵でした。どうやって曲を作ってるんですか?」
「どうやってかぁ、そうね、割と何かを見たり体験した時に1フレーズだけふっと出てきて、そこから広げていくかなぁ」
「それは歌詞もですか?」
「うん。というか、歌詞が先にできちゃう時もあるよ。どうしても伝えたい内容とか」
「三鷹先輩の歌詞って、語彙が豊かで表現も独特ですよね。それなのにするっと入って来ちゃう。僕も文章を書くので気になるんですけど、何かコツというか、気をつけていることってありますか?」
「うーん、何かあるかなぁ?強いて言えば、自分の気持ちや伝えたいことにフィットする言葉選びをしてるつもり。…ねぇ、紬くん固いねえ、もうちょいリラックスして?そんなんじゃ疲れちゃうでしょう?」
微笑みかけられて、自然とつられて笑顔になる。なんか、とても不思議な人だ。
「ありがとうございます。少しだけ緊張がとれました」
僕は先ほどまで三鷹先輩が持っていたギターに目をやる。黒いエレキギターはよく見ると所々に傷があるがよく手入れされているように見えた。
「ギター、気になる?」
「はい。近くで見るの初めてなので。先ほども丁寧に立てかけてたので、大切にしてるんだなと」
「うん。そのギター、兄貴のお下がりなの。家で弾く姿見て、かっこいいなーって思って始めたんだ。もう兄貴は音楽やめちゃったんだけどね」
「大切なギターなんですね」
「そうだね。これからもずっと大切にするつもり」
そう言って、三鷹先輩は少し淋しそうな顔をした。
「…三鷹先輩?」
触れてはいけない話題だったのかもしれない。
僕は心配になって、少しだけ顔を覗き込んだ。どこか儚げな印象が魅力的な人だけれど、そんな表情をされると胸が苦しくなる。
「なんでもないよー。あ、ギター触ってみる?」
柔らかい笑顔が戻っている。僕はほっとして小さく息を吐いた。
「大切なギターなのに、いいんですか?」
「いいよー。だって紬くん、大切に触ってくれるでしょう?」
スタンドから取り上げて僕に渡してくれる。
三鷹先輩は持ち方や弾き方を丁寧にレクチャーしてくれた。その時に触れた指先の硬さに、何度も繰り返し弦を弾いた積み上げを感じた。
不意に三鷹先輩が口を開く。
「ねえ、俺からも質問してもいい?」
「はい。僕に答えられることならなんでも」
「紬くん、俺の歌、気に入ってくれてるんだよね?佐々木から聞いた時嬉しかった。ありがとう。ねえ、どこが一番好き?」
「…一番、ですか?」
「うん」
「一番、って言われると悩むんですが…そうだな…聴いていて自然と自分の中に情景が浮かんでくるところ、ですかね。さっきも言いましたけど、言葉の選び方とか言い回しとか、文芸部の僕よりよっぽど上手ですし」
「ありがとう。でもそれは褒めすぎ」
三鷹先輩は少し照れたように言って、髪を掻き上げた。通った鼻筋や少し薄い唇が見えた。
「先輩もやっぱり読書とかお好きですか?」
「うん。好きだよー。だからそのおかげもあると思う。佐々木と仲良いのも、その繋がりなんだよ」
「そうなんですね!」
「うん。だから紬くんも読書好き同士仲良くしてね?」
「はい!こちらこそ」
憧れの三鷹先輩にそう言われて、僕は嬉しくて思わず笑顔になった。
次の質問はどれにしようかと悩んでいるうちに、最終下校時刻を告げる予鈴が聞こえてくる。
「あっ、もうそんな時間…」
僕はがっかりして思わず心の声が漏れてしまう。
「もう帰る時間だね。楽しい時間は過ぎるのが早いねえ」
「はい。今日はありがとうございました!もっとたくさん質問したいことがあったのに残念です」
「俺ももっとお話ししたかったな。一緒に帰ろうかあ」
「いいんですか?」
「もちろん」
一緒に立ち上がって、思っていたよりも三鷹先輩の背が高いことに驚く。171センチの僕よりも5センチ以上高い。
「どうかしたー?」
「…背が高いなと思いまして」
「思っていたより高かった?」
「…そうですね、すみません。僕とそんなに変わらないと思ってました」
「いいのいいの。よく言われるから。猫背だからかなあ?これでも178あるんだよ」
三鷹先輩がギグバッグにギターをしまいながら、僕の失礼な言葉をなんでもないことのように言う。
「そんなにあるんですね。羨ましいです」
僕は言いながら窓の戸締りを確認して、リュックを背負って三鷹先輩のそばに行った。
「戸締りありがとね。じゃあ行こっか」
スクバを脇に抱え、ギグバッグを背負う三鷹先輩の横顔を見上げる。それに気付いたのかこちらを向いて笑顔で言った。
「いつでも取材、受けるからね、またお話ししようね」
初めて会ったはずなのに、居心地が良くていつまででも話していられる気がした。次もまた話せるんだ、と思うと嬉しくて自然と口元が綻ぶのを感じた。
憧れの人が、少しだけ、手の届く存在になった。それだけで僕は幸せだった。
高校1年の文化祭で出会った。
柔らかな歌声が旋律に乗って僕の中に流れ込んできた。優しいのに胸に残る悲しさを含んだメッセージは、今も口ずさんでしまうほどに心に残っている。
ステージ上で輝くように演奏している先輩は、すごく遠くにいるように見えた。
あんな素敵な曲を作るなんて。
僕は時折夢を見る。憧れてしまったあの人を。
ボールペン片手に、あの時の情景をそっと思い浮かべる。
「鮮麗な世界であなたと〜♪」
「それ、去年の軽音部の曲?」
急に声をかけられて、驚いて顔を上げる。
目の前には佐々木部長がいた。
「はい、すごく耳に残っていて。最初オリジナルとは知らなくてCDショップで探しちゃったんですよ」
「はは。それ、三鷹が聞いたら泣いて喜ぶぜ」
「三鷹さん?」
「その曲作ったやつ。三鷹蓮。俺の友達なんだ。軽音部の部長だよ」
「え?仲良いんですか?僕、今回のエッセイ、その曲にまつわる話にしようと思ってるんです」
放課後の部室。
僕は6月の文化祭で発行する文芸部部誌『かさね』用のエッセイを書いていた。
「相澤、本当に気に入ってるんだな。もし良かったら、三鷹を取材するか?」
「え?取材ですか?」
「そう。必要なら俺が三鷹に頼むけど。あいつ絶対喜ぶから」
「いいんですか?」
嬉しくて思わず顔が緩んでしまう。あの繊細な曲はどんな人が作ったのだろう?
「相当入れこんでるな、顔に感情がダダ漏れだぞ?三鷹に都合いい日聞いとくから、決まったら連絡するよ」
「ありがとうございます!」
僕は意識してきゅっと口を結んで、それでも三鷹先輩と会える日に思いを馳せた。
それから程なくして部長から連絡があり、僕は三鷹先輩と放課後に会うことになった。
場所は軽音部部室。文化部棟二階の一番奥の部屋だ。微かにギターの音が聞こえてくる。
期待と緊張でどうにかなりそうだった。僕は小さく深呼吸してから、そっと扉をノックした。
「どうぞ」
柔らかく優しい声と共に扉が開かれる。
ああ、この声だ。
あの時の情景が自然と浮かんでくる。
僕は思っていたよりもずっと心を奪われていたらしい。
「失礼します」
「そんなに緊張しないでいいよー。俺しかいないから」
少し長めの前髪の奥、長い睫毛に縁取られた目が弧を描く。綺麗な笑顔に思わず目を奪われた。
「あ、あの…僕、2年の相澤と言います。よろしくお願いします」
「大丈夫。知ってるよ。紬くん、ここ座って?」
まだ名前を言っていないのに。
一瞬不思議に思ったが部長が伝えているのだろう。
僕は言われた通りに椅子に腰掛ける。
三鷹先輩はスタンドにそっとギターを立てかけると、僕に向かい合うように座った。
「今日は時間を作っていただいてありがとうございます」
「タメ口でいいよ。よろしくねー。それで何を知りたいのかなあ?」
「先輩にタメ口なんてそんな!このまま話させてください」
「紬くんは礼儀正しいんだねえ。いい子いい子」
言いながら三鷹先輩は小さく伸びをした。
掴みどころがないというか…中性的なルックスも相まって独特な雰囲気を纏っている。
僕は咳払いをして三鷹先輩に質問を投げた。
「去年の文化祭で三鷹先輩が作った曲を聴いて、僕すごく感動して。曲調と歌詞がとてもあっていて素敵でした。どうやって曲を作ってるんですか?」
「どうやってかぁ、そうね、割と何かを見たり体験した時に1フレーズだけふっと出てきて、そこから広げていくかなぁ」
「それは歌詞もですか?」
「うん。というか、歌詞が先にできちゃう時もあるよ。どうしても伝えたい内容とか」
「三鷹先輩の歌詞って、語彙が豊かで表現も独特ですよね。それなのにするっと入って来ちゃう。僕も文章を書くので気になるんですけど、何かコツというか、気をつけていることってありますか?」
「うーん、何かあるかなぁ?強いて言えば、自分の気持ちや伝えたいことにフィットする言葉選びをしてるつもり。…ねぇ、紬くん固いねえ、もうちょいリラックスして?そんなんじゃ疲れちゃうでしょう?」
微笑みかけられて、自然とつられて笑顔になる。なんか、とても不思議な人だ。
「ありがとうございます。少しだけ緊張がとれました」
僕は先ほどまで三鷹先輩が持っていたギターに目をやる。黒いエレキギターはよく見ると所々に傷があるがよく手入れされているように見えた。
「ギター、気になる?」
「はい。近くで見るの初めてなので。先ほども丁寧に立てかけてたので、大切にしてるんだなと」
「うん。そのギター、兄貴のお下がりなの。家で弾く姿見て、かっこいいなーって思って始めたんだ。もう兄貴は音楽やめちゃったんだけどね」
「大切なギターなんですね」
「そうだね。これからもずっと大切にするつもり」
そう言って、三鷹先輩は少し淋しそうな顔をした。
「…三鷹先輩?」
触れてはいけない話題だったのかもしれない。
僕は心配になって、少しだけ顔を覗き込んだ。どこか儚げな印象が魅力的な人だけれど、そんな表情をされると胸が苦しくなる。
「なんでもないよー。あ、ギター触ってみる?」
柔らかい笑顔が戻っている。僕はほっとして小さく息を吐いた。
「大切なギターなのに、いいんですか?」
「いいよー。だって紬くん、大切に触ってくれるでしょう?」
スタンドから取り上げて僕に渡してくれる。
三鷹先輩は持ち方や弾き方を丁寧にレクチャーしてくれた。その時に触れた指先の硬さに、何度も繰り返し弦を弾いた積み上げを感じた。
不意に三鷹先輩が口を開く。
「ねえ、俺からも質問してもいい?」
「はい。僕に答えられることならなんでも」
「紬くん、俺の歌、気に入ってくれてるんだよね?佐々木から聞いた時嬉しかった。ありがとう。ねえ、どこが一番好き?」
「…一番、ですか?」
「うん」
「一番、って言われると悩むんですが…そうだな…聴いていて自然と自分の中に情景が浮かんでくるところ、ですかね。さっきも言いましたけど、言葉の選び方とか言い回しとか、文芸部の僕よりよっぽど上手ですし」
「ありがとう。でもそれは褒めすぎ」
三鷹先輩は少し照れたように言って、髪を掻き上げた。通った鼻筋や少し薄い唇が見えた。
「先輩もやっぱり読書とかお好きですか?」
「うん。好きだよー。だからそのおかげもあると思う。佐々木と仲良いのも、その繋がりなんだよ」
「そうなんですね!」
「うん。だから紬くんも読書好き同士仲良くしてね?」
「はい!こちらこそ」
憧れの三鷹先輩にそう言われて、僕は嬉しくて思わず笑顔になった。
次の質問はどれにしようかと悩んでいるうちに、最終下校時刻を告げる予鈴が聞こえてくる。
「あっ、もうそんな時間…」
僕はがっかりして思わず心の声が漏れてしまう。
「もう帰る時間だね。楽しい時間は過ぎるのが早いねえ」
「はい。今日はありがとうございました!もっとたくさん質問したいことがあったのに残念です」
「俺ももっとお話ししたかったな。一緒に帰ろうかあ」
「いいんですか?」
「もちろん」
一緒に立ち上がって、思っていたよりも三鷹先輩の背が高いことに驚く。171センチの僕よりも5センチ以上高い。
「どうかしたー?」
「…背が高いなと思いまして」
「思っていたより高かった?」
「…そうですね、すみません。僕とそんなに変わらないと思ってました」
「いいのいいの。よく言われるから。猫背だからかなあ?これでも178あるんだよ」
三鷹先輩がギグバッグにギターをしまいながら、僕の失礼な言葉をなんでもないことのように言う。
「そんなにあるんですね。羨ましいです」
僕は言いながら窓の戸締りを確認して、リュックを背負って三鷹先輩のそばに行った。
「戸締りありがとね。じゃあ行こっか」
スクバを脇に抱え、ギグバッグを背負う三鷹先輩の横顔を見上げる。それに気付いたのかこちらを向いて笑顔で言った。
「いつでも取材、受けるからね、またお話ししようね」
初めて会ったはずなのに、居心地が良くていつまででも話していられる気がした。次もまた話せるんだ、と思うと嬉しくて自然と口元が綻ぶのを感じた。
憧れの人が、少しだけ、手の届く存在になった。それだけで僕は幸せだった。
