私の護衛だった特級獣人と送る、慎ましやかな夫婦生活―ただし契約結婚です―【マンガシナリオ】

〇前回の続き(秋之橋家、花野の部屋)

花野の問いを悟ったように、時雨が再び口を開く。

時雨「あなたの生き方はひどくもどかしくて、見ていられない。私が隣にいることで少しでも笑顔が増えるなら、それもいいかなと、そう思った」

花野モノ(時雨さんの話し方が違う……)

若干崩した話し方に、花野の緊張も少し解け、さっきより安心した顔になる。

花野モノ(私のような人にもそう言って頂けて、この上ない光栄なことだわ。
だけど……)

花野、胸の前で両手を重ねる。少し頭を下げる。

花野「お気持ちは嬉しいですが、私と一緒になればあなたは幸せになれません。さっきの忠司様のお話しでお気づきのように、私の異能は弱い。秋之橋家は、父が軍を退陣した瞬間から衰退していくでしょう。……何も残りません。私と結婚してくださっても、あなたに何もさしあげることが出来ないのです」

花野は「ごめんなさい」と顔を下げる。
時雨は、眉間にシワを寄せた。

時雨(どうして、こんなことになったんだ。ただお嬢様を助けるだけだったのに、どうして求婚までしているんだ、私は)

時雨、内心では慌てている。

時雨(ただ、あまりにも真っすぐで、故に不器用な生き方に物申したくなった。他人のことばかりではなく、もっと自分の身を大切にしたらどうだ、と。それが、どうして求婚になるのか)

モノ『ほぼ勢いだった、というのは間違いない。時雨は、本当にただ勢いで、忠司の前で啖呵を切った。
しかし求婚したことを取り下げる気にはならない、それもまた、時雨にとって間違いないのだ』

時雨(確かに人間と獣人の結婚は禁止されていないが、しかし許されるのか? ここでお嬢様が「結婚します」と言っても、軍に反対されれば、またそれで傷つけることになるのではなかろうか)

仏頂面で考え込む時雨。
しかし花野の下がった眉を見て、ある光景が脳裏に浮かぶ。


〇時雨過去回想

軍「獣人なんかが軍に入るなんて」
軍「本部から去れ。ここは人間だけがいていい場所だ」
軍「役職をもらってご満悦か? いいように使われているだけだと気づきもしないで」

時雨モノ『重なる。枯元忠司に好き放題に言われ、見下された目の前の女性と、過去の自分が』

モノ『獣人をよく思わない人間は一定数いる。しかも昔、軍と獣人は敵対関係。深くできた溝を、争いが終わったからとすぐ修復できはしない。敗者が勝者に悪く言われるのも、致し方ないことだった』

時雨モノ『重なるからこそ同情する。あの時の「誰からも手を差し伸べられない絶望感」は苦痛だった。この女性も今、同じ物を抱えているだろう』

モノ『だけど花野は笑って耐えている。過去、歯を食いしばって耐えてきた時雨には、決して出来なかったことだ。
だからこそ時雨の中で「そこまで頑張るな」と、花野に言いたかったのかもしれない』

時雨モノ『どうしたら、彼女は笑ってくれるのだろう――』


〇現代に戻る

時雨「……笑え」
花野「え?」
時雨「だけど無理して笑うな。気丈に振る舞うな。
……少なくとも、私の前では」
花野「!」

時雨モノ『この時、不覚にも思ってしまった。
彼女の、雨をも晴らすようなあの笑顔がまた見たい――と。
また、そうさせるのが自分であれば嬉しい、と』

花野「あ、あの……っ?」

突然「笑え」と言われ、花野は困惑する。
そんな花野を見て、時雨は自嘲的な笑みを浮かべる。

時雨(私は、あの笑顔に絆されてしまったのだろうか。
それとも、彼女の不器用な生き方を放っておけないのだろうか。
どちらにせよ、己の未熟さが招いたことだ)

時雨モノ『突発的な求婚も、それを止められない自制の弱さも、全てが未熟故に』

時雨(ならば、彼女がただの一度だけ求婚を断ったからからといって話をなかったことにするのではなく、最後まで縋り付くのが筋というものか)

時雨の顔に、障子を越えた日光がさす。

時雨「……では、こういうのはどうだ。
もし私たちが結婚すれば、私は獣人のしがらみを越え箔がつくし、あなたは家の体裁を保てる。つまり契約結婚だ」
花野「契約結婚……?」
時雨「互いに利がある。これなら結婚に負い目を感じなくて済むだろう」
花野「なるほど……」

モノ『目を瞑ったままの花野の表情は読み取りづらい。
落胆しているのか、喜んでいるのか、はたまた――』

時雨は花野の手を握る。

時雨「だから結婚しよう。例え、そこに愛がなくても」
花野「……」

花野は何も言わない。
時雨も同じで、花野の返事を聞くまでは微動だにしない。

花野モノ『人生で、幸せな瞬間は必ずあるはずだと、そう信じて生きてきた』

花野(握られた手が温かい)

モノ『温かくて良かった。もし冷たかったら、今までの時雨の話を信じてはいないだろう。
盲目の花野にとって、体温は第二の顔なのだ』

花野(時雨さんが本当にこの話を「前向きに進めたい」と。そう思っていると捉えて間違いない、のかしら……)

モノ『好きだと言われたわけではない。結婚してほしいとは、確かに言われたけど。しかしそこに愛があるわけではない。互いの利を追究した、契約結婚だ。つまり、この「利」が損なわれない限り、時雨から三下り半は突きつけられない』

花野(例え契約の下だとしても、それでも私は今、時雨さんに必要とされている)

モノ『今まで目の上のたん瘤のように腫物扱いされてきた花野にとって、「必要とされている」実感はどこにいても皆無だった。さきだって忠司にこてんぱんにのしをつけて返されたばかりだ。だけど、時雨は違う』

花野「私を、必要としてくれますか?」
時雨「私には花野が必要だ」
花野(前は渋っていたのに、名前で呼んでくださった。それに……)

モノ『花野にとって、「必要だ」と言い切ってくれた時雨の言葉は、今まで過ごしてきた人生の中で、花野の心の一番近い所にストンと落ちた。それがまるで暖炉のように、花野の体を内側から温める』

花野は姿勢を正し、その場でキレイなお辞儀をする。

花野「こんな私ですが、何卒よろしくお願いいたします」
時雨「……あぁ。こちらこそ」

花野(今、笑った?)

笑い声は聞こえなかったが、時雨の声が今までで一番優しい。

花野(結婚を嬉しいと思ってくれているのかしら? もし、そうだとしたら……私も嬉しいわ)

モノ『二人は契約結婚をする。そこに愛はない。しかし心が喜んでいる。
花野は今日がきて初めて、心から笑った』

花野(私の人生における幸せな瞬間は、きっと今この時なんだわ)

時雨「やっと笑ったな」(小声)
花野「え?」
時雨「……いや。私はこれから軍と秋之橋家当主の両面に話をしに行く。朝と同じくしばらく護衛につけないと思うが……」

時雨、ジト目で花野を見る。

時雨「そう言えば今日、どうして外にいたんだ。極力出るなと言ったはずだが……」
花野「す、すみません。つい、うっかり……」

モノ『本当は紀美へ絵葉書を渡すはずが、紀美の意外な言葉を聞いてしまったショックで家をでてしまった。ついでに、時雨に選んでもらった海の絵葉書もどこかへ落としてしまった――』

自分の不甲斐なさに、花野はズーンと肩を落とす。
時雨、花野の肩に手を乗せる。

時雨「最近はアヤカシの活動が頻繁になっている。目の代わりに、気配を辿ることはできるか?」
花野「はい、大体の気配なら。それに弱いですが炎の異能は使えるので対処できます」
時雨「それなら急きょ家を出ることになっても大丈夫だろうが……」

時雨は視線をうろつかせ、閃く。

時雨「花野、右手を」
花野「こうですか?」

差し出された時雨の左手に、花野が右手を乗せる。
時雨は、手の甲に口づけを落とす。

花野「ひゃっ⁉」
時雨「…………」

時雨は「そこまで驚かなくても」と言わんばかりの顔をする。

時雨「すまない……。その、まじないだ」
花野「まじない?」
時雨「何者かがお前に触れた瞬間、私が気づくことができる」
花野「気づいて……どうなさるのですか?」
時雨「龍になって飛んで行く。すぐに行く、お前を守るために」
花野「っ!」

モノ『時雨の言葉が、真っすぐ刺さる。故に花野は、どう反応したらいいか困ってしまう』

花野(今までだって守ってもらっていたから、何を言われても慣れているはずなのに)

モノ『それでも「護衛として守る」ことと、「夫として守る」ことでは、図ることのできないほど意味の差があるような気がして、花野の顔が茹であがっていく』

時雨「どうした、熱でもあるのか」
花野「い、いえ……っ」

花野、パッと顔を伏せる。

時雨「では、まずは軍に行く。獣人が人間と結婚できるか確認してこよう」
花野「ならば私は、両親と話をします」
時雨「話しなら、私が」
花野「いえ」

花野は、下げていた顔を上げる。

花野「私も力になりたいので。その……夫婦に、なるのであれば、私も頑張らねば」
時雨「!」

時雨おどろいた顔をする。
しかし僅かに口角が上がる。

時雨「ならば頼もう。私も軍で用事が終われば、すぐに戻ってくる」
花野「っ、はい」

花野モノ『頼ってくれたことが嬉しい。だからこそ頑張りたいと思う』

時雨が花野の部屋から出て行く。
花野も両親に話をするため自室を出た。

花野(枯元家との縁談を断って、護衛であり獣人である時雨さんと結婚すると言えば、きっとお父さまとお母さまは目を回すに違いないわ)

モノ『しかし全く勝算がないわけではなかった。花野も分かっていたのだ。父が軍を退けば、秋之橋家の名家としての力は弱まる一方だと。その件を、長房が憂いていることを』

花野(時雨さんに対して、どこかお父さまはそっけない。……話し声で分かる。でも秋之橋家が落ちぶれるのは、お父さまも避けたいはず。時雨さんは特級軍人で、獣力も高い。我が家が没落していく未来に一石を投じてくれると、きっと希望を抱くはず)

花野「だから大丈夫よ」と繰り返しながら、両親の部屋へ向かう。
枯元家とのことは既に耳に入っていたのか、両親が「花野」という声は元気がない。
花野は二人に近づく。

花野「お父さまお母さま、お話しがあります――」


モノ『そうして二人は、互いに「結婚してもいいか」と関係各所へ確認をとった。
すると思ったよりも、各方面からすんなり「可」と返答があり、滞りなく婚約できたのだ。

時雨は「獣人の持つ獣力を、人間も扱うことが出来たら――という軍の思惑があるのだろうが、実験台にされているようでいい気がしない」と言ったが……。

しかし、そんなことを危惧していられないほど、婚約を終えた日からバタバタした。
そうしてあっという間に、花野と時雨の婚約生活が始まった』


〇都市部に近い、別邸。夜。時雨と花野の二人の新居(大きな屋敷ではなく、一般の家と変わらない大きさ)
居間、中央に丸テーブルが置かれてある。和室

花野「時雨さん、ご飯です」
時雨「あぁ」

時雨、軍服ではない着流し姿で、居間に来る。
花野は、テーブルの上におかずを置いていく。

時雨、てきぱき晩ご飯を用意する花野を驚いた目で見る。

時雨「毎度不思議なんだが」
花野「どうかされましたか?」
時雨「お前の順応力には驚かされる」

時雨「いただきます」と行儀よく手を合わせる。
花野も続き、晩ご飯を食べ始める。

時雨「ここに引っ越してまだ一週間ほどだが、どうして物に躓くことなく家事ができるんだ?」

ポカンとした花野を見て「気を悪くしたらすまない」と、時雨は謝る。

時雨「しかし不思議でな。お前の直感が優れているというのか……」
花野「見えないからこそ、他の感覚が冴えているのかもしれません。でも最初は苦労しました」
時雨「そうだったな」

モノ『引っ越してきたばかりの時。時雨は花野に付きっ切りだった。どこに何があるかをずっと言って周り、ようやっと昨日その生活に終わりを告げ、個々が自由に動けるまでになったのだ』

花野「その節はお世話になりました」
時雨「いや、当たり前のことをしただけだ」
花野「!」

花野(「当たり前」……私のことを荷物と思っていないように聞こえて嬉しい)

花野は顔を赤くさせ、満面の笑みを浮かべる。

花野「……はいっ」

花野の顔が綻ぶのを見て、時雨の口角も緩む。

時雨「しかし、お前のその目は生まれつきなのか?」
花野「いえ、昔は見えていました。両目とも」
時雨「それが、いつから見えなくなったんだ?」
花野「詳しくは覚えていないのですが、三歳ころだったとお母さまから聞いています。川に行ったそうで、危ない遊びでもしていたのでしょう。自業自得なのです」
時雨「川……」

時雨の箸の動きがピタリと止まる。
花野、音がしなくなったことを受け、不思議がる。

花野「川がどうかしましたか?」
時雨「龍は水属性でな。ようは水が好きなんだ。だから川に行って水浴びをする物も多くいたが……戦いが終わった今、めっきり減ってしまった」
花野「時雨さん……」

眉を下げる花野。
時雨は「空気を重くしてすまない」と、みそ汁をすする。

時雨「お前は、水が好きか?」
花野「……はい、好きです。夏は冷たくて気持ちがいいし、冬は冬で雪になったり氷柱になったりと、自由自在に形を変える様は見ていて飽きません」
時雨「ふっ、そうか」

花野(今、時雨さんが笑った? 声が弾んでいる)

花野モノ『水属性だから、水が好きと言われて嬉しがったのかしら? それは……なんだか幼い子どもみたいで、可愛らしいわ』

すると時雨から「何をにやけている」と聞かれる。
まさか「可愛らしいと思っていた」とは言えないため、花野は慌てて話を変える。

花野「な、なんだか今日は、時雨さんから色々聞かれますね」
時雨「実際、聞いているからな」
花野「ふふ、聞いてどうするのですか?」

花野がクスクス笑う。
反対に時雨は、真面目に答えた。

時雨「なにも。ただ知っておきたかったのだ。自分の妻になる人のことを」
花野「あ……。そう、ですか……っ」

花野はそれきり固まってしまう。

花野(時雨さんは、急に恥ずかしいことをおっしゃるから、反応に困るわ……)

時雨「花野、どうした」
花野「い、いえ……」

花野(こうやって急に名前で呼ばれるし……。時雨さんって本当に、心臓に悪いお方)

少し顔を赤くした花野が顔を下げる。
時雨は黙々とご飯を食べながら、窓の外に浮かぶ月を見る。

時雨(川、か)


〇時雨回想

幼い頃の記憶のダイジェスト
軍『ハヤセ大尉がいないぞ!』
軍『崖が崩れて巻き込まれたんだ!』
水落少佐『今は行方不明だけど、必ず私たちが見つけよう。もう一人の特級獣人である、君の父を』


〇現代に戻る

花野「時雨さん? どうかされましたか?」
時雨「……いや。何でもない」

花野が不思議がる。
時雨は何でもない様子を振る舞い、ご飯に箸を伸ばした。