〇縁談の話が決まった翌朝、花野の自室
自室で朝食をとっていた花野。
しかし食は進まず、湯気の上がらない、冷え切った味噌汁の椀を指でなぞる。
花野(はぁ……)
花野がため息を吐く背後には障子があり、座って控えている時雨の姿がある。
自分のため息を聞いた花野はハッとし、パンパンと顔を叩く。
花野(ため息なんてよくないわ。せっかくお父さまが良縁を結んでくださったんですもの)
だけど花野の箸は動かず、とうとう膳に置く。ほとんど食べることなく、朝食を終えた。
その音に気づいた時雨が、障子の外から「終わりましたか」と声をかける。
時雨「膳を下げても?」
花野「……お願いします」
時雨「では失礼します」
スッと綺麗な所作で入ってくる時雨は、花野を一瞥するも、すぐ視線をそらして膳を片付ける。
時雨(今日は随分と笑わない)
その理由が縁談だと気づいていた時雨だが、特に声をかけることなく退室する。
だが部屋を出る直前「お嬢様」と、花野に声をかける。
時雨「今日はお出かけのご予定はありますか?」
花野「いえ、特には……」
時雨「それなら都合がいいです。今日私は本部に呼ばれているので、屋敷を離れます。お出かけの際は、他の者を護衛につけてください。そうはいっても、お出かけにならないのが一番ですが」
時雨が「結婚も控えていることですし」と続けると、花野の肩がピクリと反応する。
花野「わかりました……。お気をつけて、行ってきてくださいね」
時雨「……ご忠告痛み入ります。それでは」
時雨が会釈をする。
花野の部屋を退室後、膳を持って廊下を歩く。
時雨(『気を付けて』か。また他人のことだったな)
時雨モノ『自分の状況がどれほど悪かろうが他者を鑑みるなんて』
花野を思い、時雨はキュッと眉根を寄せる。
時雨「お嬢様が自分から何かを望む日はあるのだろうか」
廊下の中央で、ポツリとこぼす。
空高くのぼった太陽が、暗雲に隠されて姿を消した。
〇花野が自室から、台所である土間へ移動中
花野の手には、昨日買った絵葉書がある。
花野(紀美も私も結婚が決まった身。いつ忙しくなるか分からないから、渡せる内に渡さなくちゃ)
花野「朝食が終わった後だから、きっと土間にいるはずよね」
花野は紀美を探して、土間へ近づく。
しかし中から話し声が聞こえ、思わず身を隠した。
使用人「それにしても、相手が枯元家とはいえ、お嬢様の結婚はおめでたいわね」
使用人「そうよね。このまま一生一人身、なんておいたわしくて……。ね、あなたもそう思うでしょ? 同じく結婚する身としてどう、紀美?」
紀美は片づけをしながら、他の使用人へ返事した。
紀美「お嬢様をさしおいて結婚するのは憚られるから、お嬢様の嫁ぎ先が決まってホッとしているわ。相手が枯元家というのはお可哀想だけど……。でもお嬢様の場合は、選り好みをしていられないものね」
花野「!」
ショックな発言に衝撃を受けていると、他の使用人も「そうよね」と賛同する。
使用人「そろそろ結婚しなければ、名家としての威厳も落ちていくでしょうし、この辺りが頃合いよね」
使用人「旦那様の喜びようも凄かったし。気丈に振る舞われていただけで、内心は不安だったんでしょうね」
その後「さ、仕事仕事」という使用人の一声で、みんなは再び仕事に集中する。
花野は身を翻し、元来た道を小走りで戻った。
手には、渡すはずの絵葉書が残ったまま。
花野「はぁ、はぁ……っ」
花野は無我夢中で走り、いつの間にか外へ出ていた。
時雨の言った言葉をすっかり忘れたまま。
花野回想『お出かけの際は、他の者を護衛につけてください』
いつの間にか絵葉書も手から落ちてなくなっている。
それに気づかない花野は、走り続ける。
花野(誰も私の悪口なんて言っていない。言っていないのに、どうしてこれほど心が苦しいの……っ)
泣きそうな顔になる花野。
その顔に、ぴちゃと雨粒が一つ落ちる。
回りの家々では「雨が降るぞ」と言い、洗濯物をしまい始める。でも今の花野に、その喧騒は届かない。
花野「はぁ、はぁ……っ」
走り疲れた花野は、ただあてもなく歩く。
花野(お父さまとお母さまが喜んでくれる。使用人の人達だって。それに、きっと枯元家におられる私の将来の旦那さまだって、きっと喜んでくれるはず……っ)
花野が顔を伏せて歩く。
昨日と同じく、ドンと人にぶつかる。
花野「あ、すみません……」
謝る花野の耳に、低い声が聞こえる。
男「本当に、見えてないんだな」
花野「え?」
その瞬間、花野はふわりと宙に浮く感覚を覚える。
その直後、背中に痛い衝撃が強く加わる。
花野「い、た……っ」
起き上がることもできないまま、花野は小さくうめく。
すると着物の胸倉を、男――枯元の長男につかまれた。
枯元の長男「お前なんかと結婚させられるせいで、俺は、『目の見えない女と結婚するしかない無能な奴』とバカにされたんだぞ!」
花野(もしかして枯元家の長男、忠司(ただし)様?)
驚きつつも花野は、自分の胸倉をつかむ忠司の手を握る。
花野「おやめ、ください……っ」
枯元「うるさい! この気の毒令嬢が! お前はそうやって、いつもいつも他人から同情されていればいいんだ!そうやってお恵みをもらっていれば、一人で生きていけるだろ!」
花野「っ!」
花野の眉が、悲しみでガクッと下がる。
花野(あぁそうだ。誰も私の悪口を言わないのに心が苦しかったのは、同情されていたからだ。皆が当たり前に持っている物を私かに私は持たないけれど……だからと言って情けをかけられるのが、たまらなく惨に思えて悲しかったんだわ)
花野モノ『だから自分を「お荷物」だと思っていた。情けをかけられるだけの自分なんて、生きている意味がないと思っていたから』
すると耳元でヒュッと空を切る音がする。
目の前の影が、だんだんと迫ってくるのが分かる。
花野(もしかして殴られる……っ!?)
花野はグッと歯を食いしばる。
同時に大粒の雨が降り始めた。
〇同日の朝、花野と行動を別にした時雨。
軍本部、少佐の執務室
モノ『群には獣人ばかり集められた「特異獣人護衛隊」があり、特級獣人の時雨は、そこの大尉を務めている。今日は大尉として、珍しく軍から招集がかかっていた』
弱々しそうな男「して、時雨大尉。秋之橋家の娘さんは、どんな感じかな?」
広い机に両肘をつく男は、両腿にピタリと手をつけ背筋を伸ばす時雨を見る。
楽しそうな表情を浮かべる男を前に、時雨は眉をピクリと動かす。
時雨「どうもこうも護衛が必要ないくらい平和です。俺が配属されなくても良かったのでは? ――水落少佐」
水落は、虫も殺さないような笑みを浮かべる。
水落「でも名家も名家の秋之橋家だしねぇ。しかもご息女一人でしょ? その子に何かあったら秋之橋家はおとりつぶしだよ。それは、あまりにも可哀想じゃないか」
時雨「いかにもなことを言ってますが、異能者の血が途絶えるのが惜しいだけでしょう」
時雨はため息を吐きながら話す。水落は「ご名答」と笑みを深める。
水落「秋之橋家は異能の力が強い。その辺の名家の追随を許さないほどにね。だからこそ、血を絶やしてはいけないと思うんだ」
時雨「それは、我々獣人を力で押さえつけるためですか? 異能がなくなったただの人間は、獣人の獣力に勝てませんものね」
水落「ふ、そういう的を射た質問はしないに限るよ。虚しくなるだけでしょ?」
時雨「……肝に銘じておきます」
時雨がグッと握りこぶしを握る。
それを水落が愉快そうに見つめる。
水落「それにお嬢さんに関しては、それほどの力は持ってないんだよ。これは秋之橋長房により、あまり公になっていない情報なんだけどね」
時雨「というと?」
水落「盲目だからかな。現当主長房ほどの力が出ない。弱い異能って訳じゃないけど……。この先が心配だよね」
ナレ『つまり長房が軍に関与している間は秋之橋家の体裁は守られるが、彼が退陣した後、その娘の花野が実力をもたないのであれば秋之橋家の衰退は免れない――ということだ』
水落「だから枯元が『秋之橋家と縁ができる』と両手を挙げて喜べるのも今のうちだろうね」
時雨「……」
時雨モノ『それはつまり、彼女は「しなくてもいい縁談をしている」事になるのだろうか。どうせ両家が落ちぶれる未来が確定しているのであれば、何も無理に結婚しなくても』
そこまで考えて、時雨はハッと目を開く。
時雨(何を思っているんだ、私は)
悲しそうな花野が脳裏に焼き付いていたため、慌てて消し去る。そうして時雨が落ち着く頃合いを見計らっていたのか、水落が「それで」と話を切り出す。
水落「今日君を呼んだのは、気になる情報を手にしてね。件の枯元家についてだ」
時雨はハッとした顔をする。
水落「やはり彼女の能力が弱い所を、枯元家も不安に思っているんだろうね。ちょっときな臭いんだ。これを見て」
広い机にバラバラ出された報告書。
写真つきで、枯元忠司について書かれている。
水落「不必要な異能の行使が、相次いで目撃されている。しかも枯元家が術を発動させた後は、決まって行方不明者が出ている。関係がないともいえないし、あるとも言えない。こちらとしては『証拠を握った後に』問い詰めたい」
時雨「だから私に、証拠を握ってこい、と?」
水落は頷く。
水落「枯元家には、公にできない隠し事があるかもしれない。枯元家は現在、急速に衰退している。それを止めようと、何かよからぬことを企んでいるのかもしれない。
縁談が決まり、秋之橋家と枯元家はこれから密に関わっていくだろう。護衛につく君もね。だから証拠を集めてきてほしい」
時雨「そんな簡単に……」
はぁとため息つきそうな時雨を、水落がにんまりと見る。
水落「簡単でしょ? 獣人の、それも龍の力を使えばさ」
時雨「……それは『強力すぎる』と、そちらが封印したんでしょう。封印を破らない限りは使えませんよ、それでは」
パタンとドアを閉めると、中から「え~」という声が聞こえる。
時雨は眉間のシワを深める。
時雨(何が「え~」だ。封印できて安心、と思っているくせに)
モノ『獣人、しかも特級獣人となると、獣力がとんでもなく強力になることがある。それを謀反に使わないかと危惧した軍が、入隊する際にあらかじめ力を封印するのだ。
もちろん全てではない。令嬢を守れるだけの力は残しておく。
もちろんこの封印について、多くの獣人は納得いっていない。時雨もその一人だ』
時雨はため息を着く。
時雨(とにかく枯元家を探らないとな)
部屋を出ると、たくさんの軍人と鉢合う。
モノ『特異獣人警護隊は別に棟が立っているので、本部への出入りがほとんどない。だからこそ、たまに訪れると珍しがられ、挙句の果てには奇異の目で見られる』
軍人「おい、あれって」
軍人「獣人だぜ。なんでここにいるんだか」
軍人「謀反でも起こしにきたのかよ、ってな」
あからさまに耳に入ってくる内緒話に、時雨は目を細める。
時雨「やはり噂など、聞いていて何も楽しくない」
時雨は、いつも笑みを浮かべる花野を思い出す。
時雨「周りから向けられる視線は、決していいものばかりではないだろうに。不快感の中、よくもあれだけ笑えたものだ」
感服した後、時雨は本部を出るため歩き出す。
時雨(しかしどんな時も他者を思いやる、あの清い心を持つお嬢様の結婚相手に、何か裏がありそうとはな)
時雨の頭の中に浮かぶ「笑顔の花野」がグニャリと歪む。
同時に何か嫌な怖気が走り、時雨の体がピクリと揺れた。
時雨「嫌な予感がする……」
その瞬間、足で床を蹴り上げる。
同時に一匹の大きな白い龍へ姿を変え、窓の外へ出ると光の速さで移動した。
自室で朝食をとっていた花野。
しかし食は進まず、湯気の上がらない、冷え切った味噌汁の椀を指でなぞる。
花野(はぁ……)
花野がため息を吐く背後には障子があり、座って控えている時雨の姿がある。
自分のため息を聞いた花野はハッとし、パンパンと顔を叩く。
花野(ため息なんてよくないわ。せっかくお父さまが良縁を結んでくださったんですもの)
だけど花野の箸は動かず、とうとう膳に置く。ほとんど食べることなく、朝食を終えた。
その音に気づいた時雨が、障子の外から「終わりましたか」と声をかける。
時雨「膳を下げても?」
花野「……お願いします」
時雨「では失礼します」
スッと綺麗な所作で入ってくる時雨は、花野を一瞥するも、すぐ視線をそらして膳を片付ける。
時雨(今日は随分と笑わない)
その理由が縁談だと気づいていた時雨だが、特に声をかけることなく退室する。
だが部屋を出る直前「お嬢様」と、花野に声をかける。
時雨「今日はお出かけのご予定はありますか?」
花野「いえ、特には……」
時雨「それなら都合がいいです。今日私は本部に呼ばれているので、屋敷を離れます。お出かけの際は、他の者を護衛につけてください。そうはいっても、お出かけにならないのが一番ですが」
時雨が「結婚も控えていることですし」と続けると、花野の肩がピクリと反応する。
花野「わかりました……。お気をつけて、行ってきてくださいね」
時雨「……ご忠告痛み入ります。それでは」
時雨が会釈をする。
花野の部屋を退室後、膳を持って廊下を歩く。
時雨(『気を付けて』か。また他人のことだったな)
時雨モノ『自分の状況がどれほど悪かろうが他者を鑑みるなんて』
花野を思い、時雨はキュッと眉根を寄せる。
時雨「お嬢様が自分から何かを望む日はあるのだろうか」
廊下の中央で、ポツリとこぼす。
空高くのぼった太陽が、暗雲に隠されて姿を消した。
〇花野が自室から、台所である土間へ移動中
花野の手には、昨日買った絵葉書がある。
花野(紀美も私も結婚が決まった身。いつ忙しくなるか分からないから、渡せる内に渡さなくちゃ)
花野「朝食が終わった後だから、きっと土間にいるはずよね」
花野は紀美を探して、土間へ近づく。
しかし中から話し声が聞こえ、思わず身を隠した。
使用人「それにしても、相手が枯元家とはいえ、お嬢様の結婚はおめでたいわね」
使用人「そうよね。このまま一生一人身、なんておいたわしくて……。ね、あなたもそう思うでしょ? 同じく結婚する身としてどう、紀美?」
紀美は片づけをしながら、他の使用人へ返事した。
紀美「お嬢様をさしおいて結婚するのは憚られるから、お嬢様の嫁ぎ先が決まってホッとしているわ。相手が枯元家というのはお可哀想だけど……。でもお嬢様の場合は、選り好みをしていられないものね」
花野「!」
ショックな発言に衝撃を受けていると、他の使用人も「そうよね」と賛同する。
使用人「そろそろ結婚しなければ、名家としての威厳も落ちていくでしょうし、この辺りが頃合いよね」
使用人「旦那様の喜びようも凄かったし。気丈に振る舞われていただけで、内心は不安だったんでしょうね」
その後「さ、仕事仕事」という使用人の一声で、みんなは再び仕事に集中する。
花野は身を翻し、元来た道を小走りで戻った。
手には、渡すはずの絵葉書が残ったまま。
花野「はぁ、はぁ……っ」
花野は無我夢中で走り、いつの間にか外へ出ていた。
時雨の言った言葉をすっかり忘れたまま。
花野回想『お出かけの際は、他の者を護衛につけてください』
いつの間にか絵葉書も手から落ちてなくなっている。
それに気づかない花野は、走り続ける。
花野(誰も私の悪口なんて言っていない。言っていないのに、どうしてこれほど心が苦しいの……っ)
泣きそうな顔になる花野。
その顔に、ぴちゃと雨粒が一つ落ちる。
回りの家々では「雨が降るぞ」と言い、洗濯物をしまい始める。でも今の花野に、その喧騒は届かない。
花野「はぁ、はぁ……っ」
走り疲れた花野は、ただあてもなく歩く。
花野(お父さまとお母さまが喜んでくれる。使用人の人達だって。それに、きっと枯元家におられる私の将来の旦那さまだって、きっと喜んでくれるはず……っ)
花野が顔を伏せて歩く。
昨日と同じく、ドンと人にぶつかる。
花野「あ、すみません……」
謝る花野の耳に、低い声が聞こえる。
男「本当に、見えてないんだな」
花野「え?」
その瞬間、花野はふわりと宙に浮く感覚を覚える。
その直後、背中に痛い衝撃が強く加わる。
花野「い、た……っ」
起き上がることもできないまま、花野は小さくうめく。
すると着物の胸倉を、男――枯元の長男につかまれた。
枯元の長男「お前なんかと結婚させられるせいで、俺は、『目の見えない女と結婚するしかない無能な奴』とバカにされたんだぞ!」
花野(もしかして枯元家の長男、忠司(ただし)様?)
驚きつつも花野は、自分の胸倉をつかむ忠司の手を握る。
花野「おやめ、ください……っ」
枯元「うるさい! この気の毒令嬢が! お前はそうやって、いつもいつも他人から同情されていればいいんだ!そうやってお恵みをもらっていれば、一人で生きていけるだろ!」
花野「っ!」
花野の眉が、悲しみでガクッと下がる。
花野(あぁそうだ。誰も私の悪口を言わないのに心が苦しかったのは、同情されていたからだ。皆が当たり前に持っている物を私かに私は持たないけれど……だからと言って情けをかけられるのが、たまらなく惨に思えて悲しかったんだわ)
花野モノ『だから自分を「お荷物」だと思っていた。情けをかけられるだけの自分なんて、生きている意味がないと思っていたから』
すると耳元でヒュッと空を切る音がする。
目の前の影が、だんだんと迫ってくるのが分かる。
花野(もしかして殴られる……っ!?)
花野はグッと歯を食いしばる。
同時に大粒の雨が降り始めた。
〇同日の朝、花野と行動を別にした時雨。
軍本部、少佐の執務室
モノ『群には獣人ばかり集められた「特異獣人護衛隊」があり、特級獣人の時雨は、そこの大尉を務めている。今日は大尉として、珍しく軍から招集がかかっていた』
弱々しそうな男「して、時雨大尉。秋之橋家の娘さんは、どんな感じかな?」
広い机に両肘をつく男は、両腿にピタリと手をつけ背筋を伸ばす時雨を見る。
楽しそうな表情を浮かべる男を前に、時雨は眉をピクリと動かす。
時雨「どうもこうも護衛が必要ないくらい平和です。俺が配属されなくても良かったのでは? ――水落少佐」
水落は、虫も殺さないような笑みを浮かべる。
水落「でも名家も名家の秋之橋家だしねぇ。しかもご息女一人でしょ? その子に何かあったら秋之橋家はおとりつぶしだよ。それは、あまりにも可哀想じゃないか」
時雨「いかにもなことを言ってますが、異能者の血が途絶えるのが惜しいだけでしょう」
時雨はため息を吐きながら話す。水落は「ご名答」と笑みを深める。
水落「秋之橋家は異能の力が強い。その辺の名家の追随を許さないほどにね。だからこそ、血を絶やしてはいけないと思うんだ」
時雨「それは、我々獣人を力で押さえつけるためですか? 異能がなくなったただの人間は、獣人の獣力に勝てませんものね」
水落「ふ、そういう的を射た質問はしないに限るよ。虚しくなるだけでしょ?」
時雨「……肝に銘じておきます」
時雨がグッと握りこぶしを握る。
それを水落が愉快そうに見つめる。
水落「それにお嬢さんに関しては、それほどの力は持ってないんだよ。これは秋之橋長房により、あまり公になっていない情報なんだけどね」
時雨「というと?」
水落「盲目だからかな。現当主長房ほどの力が出ない。弱い異能って訳じゃないけど……。この先が心配だよね」
ナレ『つまり長房が軍に関与している間は秋之橋家の体裁は守られるが、彼が退陣した後、その娘の花野が実力をもたないのであれば秋之橋家の衰退は免れない――ということだ』
水落「だから枯元が『秋之橋家と縁ができる』と両手を挙げて喜べるのも今のうちだろうね」
時雨「……」
時雨モノ『それはつまり、彼女は「しなくてもいい縁談をしている」事になるのだろうか。どうせ両家が落ちぶれる未来が確定しているのであれば、何も無理に結婚しなくても』
そこまで考えて、時雨はハッと目を開く。
時雨(何を思っているんだ、私は)
悲しそうな花野が脳裏に焼き付いていたため、慌てて消し去る。そうして時雨が落ち着く頃合いを見計らっていたのか、水落が「それで」と話を切り出す。
水落「今日君を呼んだのは、気になる情報を手にしてね。件の枯元家についてだ」
時雨はハッとした顔をする。
水落「やはり彼女の能力が弱い所を、枯元家も不安に思っているんだろうね。ちょっときな臭いんだ。これを見て」
広い机にバラバラ出された報告書。
写真つきで、枯元忠司について書かれている。
水落「不必要な異能の行使が、相次いで目撃されている。しかも枯元家が術を発動させた後は、決まって行方不明者が出ている。関係がないともいえないし、あるとも言えない。こちらとしては『証拠を握った後に』問い詰めたい」
時雨「だから私に、証拠を握ってこい、と?」
水落は頷く。
水落「枯元家には、公にできない隠し事があるかもしれない。枯元家は現在、急速に衰退している。それを止めようと、何かよからぬことを企んでいるのかもしれない。
縁談が決まり、秋之橋家と枯元家はこれから密に関わっていくだろう。護衛につく君もね。だから証拠を集めてきてほしい」
時雨「そんな簡単に……」
はぁとため息つきそうな時雨を、水落がにんまりと見る。
水落「簡単でしょ? 獣人の、それも龍の力を使えばさ」
時雨「……それは『強力すぎる』と、そちらが封印したんでしょう。封印を破らない限りは使えませんよ、それでは」
パタンとドアを閉めると、中から「え~」という声が聞こえる。
時雨は眉間のシワを深める。
時雨(何が「え~」だ。封印できて安心、と思っているくせに)
モノ『獣人、しかも特級獣人となると、獣力がとんでもなく強力になることがある。それを謀反に使わないかと危惧した軍が、入隊する際にあらかじめ力を封印するのだ。
もちろん全てではない。令嬢を守れるだけの力は残しておく。
もちろんこの封印について、多くの獣人は納得いっていない。時雨もその一人だ』
時雨はため息を着く。
時雨(とにかく枯元家を探らないとな)
部屋を出ると、たくさんの軍人と鉢合う。
モノ『特異獣人警護隊は別に棟が立っているので、本部への出入りがほとんどない。だからこそ、たまに訪れると珍しがられ、挙句の果てには奇異の目で見られる』
軍人「おい、あれって」
軍人「獣人だぜ。なんでここにいるんだか」
軍人「謀反でも起こしにきたのかよ、ってな」
あからさまに耳に入ってくる内緒話に、時雨は目を細める。
時雨「やはり噂など、聞いていて何も楽しくない」
時雨は、いつも笑みを浮かべる花野を思い出す。
時雨「周りから向けられる視線は、決していいものばかりではないだろうに。不快感の中、よくもあれだけ笑えたものだ」
感服した後、時雨は本部を出るため歩き出す。
時雨(しかしどんな時も他者を思いやる、あの清い心を持つお嬢様の結婚相手に、何か裏がありそうとはな)
時雨の頭の中に浮かぶ「笑顔の花野」がグニャリと歪む。
同時に何か嫌な怖気が走り、時雨の体がピクリと揺れた。
時雨「嫌な予感がする……」
その瞬間、足で床を蹴り上げる。
同時に一匹の大きな白い龍へ姿を変え、窓の外へ出ると光の速さで移動した。



