〇とある日の朝、家族用の食堂(ダイニングルーム)
父と母と食事する花野。その後ろに立って控える時雨。
母「花野、たまには町で買い物をしたら? 今日はお天気もいいし」
父「そうだな。獣人もついているから、心配もないし」
「護衛」と言わず、わざわざ「獣人」と言った父の言葉に、時雨の眉がピクッと動く。
モノ『花野の父、長房(ながふさ)は強い異能を使えるため軍に所属しており、有事の時は出動する。「有事の時は」というのは、もう歳を召しているため半分隠居しているからだ。それ故、日常では軍ではなく家に居ることがほとんどだ。
軍人のほとんどは獣人を良い目で見ていない。この長房も、その一人』
時雨(故に、私への態度が素っ気ないのだろうな)
事情を察した時雨も思うところがあったが顔には出さず、胸に手を置き、長房に向かって浅くお辞儀する。
時雨「……お嬢様のことはお任せください」
長房が満足そうに頷く。
花野は「ごちそうさまでした」と箸を置いた。
花野「では、今日は時雨さんと外へ行って参ります」
時雨「……」
花野が「獣人」でもなく「護衛」でもなく、名前で呼んだことに時雨は驚く。
しかし座ったままの花野にチラリと顔を後ろへ向けられ、すぐさま姿勢を正す。
花野「よろしくお願いしますね、時雨さん」
時雨「……かしこまりました」
少し頭を下げる時、時雨は皆に分からないように、困った顔をする。
時雨「名前で呼ばれると、それはそれで調子が狂うな」(小声で)
花野「え?」
時雨「いえ、なにも」
花野はハテナを浮かべる。時雨はフイと、逃げるように顔をそらした。
〇同日の昼、帝都
路面電車が走り、洋館が並ぶ。往来は人でにぎわっている。
花野は着物、時雨は軍服で街を歩く。
しかしは盲目の花野は歩き慣れず、人にぶつかる。
花野「きゃ。今日は、人が多いのですね」
時雨「……帝都はいつも、こんな物ですよ」
花野「そうなのですね。私、あまり外へ出なくて……。いい社会勉強になります」
時雨(盲目のため、あまり外に出られないのか)
時雨がやや同情していると、花野に笑みを向けられる。
花野「時雨さんは、帝都にお詳しいのですか?」
時雨「軍の本部が近いので、自ずと」
花野「まぁ、それなら心強いです」
両手をパタンと合わせた時、またしても花野は人にぶつかる。
時雨は気にはするものの、花野を一瞥するだけ。
一方の花野も時雨に助けを求めず、いつものように自分が先頭を歩いた。
花野「なんだか陽気な音楽が流れていますね」
時雨「ジャズ、というものです。若者が集っていますね」
花野「この匂いは何ですか? ちょっとツンとするような」
時雨「カレーライスという食べ物です。人気の洋食です」
花野「あ、それなら食べたことがあります。でも家で食べた物より、刺激がありそうな匂いですね」
時雨「……苦手ですか?」
時雨(しまった、つい)
質問してしまい、時雨は手で口を押さえる。
時雨(昨日「変な娘だ」と認識してから、あまり関わらないようにしようとしていたのに)
そんな時雨の事情を知る由もない花野が、笑顔で答える。
花野「カレーライスは好きです。実は私、おかわりをしたことがあって――」
楽しそうに話す花野。
しかし時雨は市民とすれ違いざま、花野の噂を聞く。
市民「『気の毒令嬢』?」
市民「そう、秋之橋家のご息女だよ。子宝に恵まれず、生まれたのは女だけ。しかも目が見えないってんだから、どの名家も秋之橋家やその令嬢に同情してるんだとよ」
市民「そういや窪田家も縁談を断ったとか」
市民「いくら金のなる木でも、目が見えないんじゃな。負担がでかいってもんだ」
花野を見ながら話す市民を、時雨がジッと見る。
市民「ひ、護衛の獣人だ」
市民はそそくさと撤退する。
時雨(あやつら、わざと『聞かせた』な)
時雨が花野を見ると、花野は笑みを浮かべているものの眉が下がっている。
追究する気はないらしく、再びご飯の話に戻る。
花野「私、コロッケも食べてみたいんです……って。食いしん坊なことばっかり言ってますね、すみません」
時雨「……聞こえていたんだろう?」
はた、と時雨は眉間にシワを寄せる。
時雨(また、質問してしまった。距離を取ろうと、頭ではそう思っているのに)
時雨は後悔する。しかし聞いてしまったからには、花野の気持ちを聞いてしまおうと開き直る。
花野は足を止め、時雨へ向き直る。
花野「……聞こえていました」
時雨「だったら、なぜ笑う? どうして咎めない? さっきの奴らは、明らかに非礼だった」
花野は笑みを絶やさない。
花野「でも、事実ですから」
時雨「……」
言われたままの花野に、時雨はムッとする。
その間また花野は人にぶつかってしまい「きゃ」と短い悲鳴を漏らす。
気づいた時雨が花野に手を伸ばす。
時雨「気に入らないな」(小さい声で)
花野「え、わっ」
時雨は花野の手をとる。自分の方へ引っ張り寄せた。
二人の隙間がなくなり、横並びでピッタリくっつく。
時雨「お嬢様がそれでいいなら何も言いません。
でも私は警護として隣にいるんだ。
あらゆる物から守らせてくれないと意味が無い。
だから……これくらいは、いいでしょう?」
花野は、人にぶつからないよう支えてくれる時雨を見上げる。(見えないが)次に、力強く握ってくれる手を見る。
するといつもの作った笑みではなく、心から笑うことができた。
花野(私はいつも自分をお荷物だと思っていた)
〇花野の過去回想
名家から縁談を断られる度に、暗い顔をする両親。
長房『あの子の目さえ見えていたら……』
聡子(さとこ/花野の母)『花野、可哀想に……』
そんな両親を、襖の隙間からこっそり見る花野。
瞑りっぱなしの目から涙が零れる。
〇現代に戻る
花野(現にお荷物だったし、だからこそ人から噂されても何も思わなかった。
周りが『気の毒令嬢』って同情してくれてると思えば、辛くはなかったし。
だけど……)
仲人『今回は、お断りさせていただきます、とのことで……』
市民『いくら金のなる木でも、目が見えないんじゃな。負担がでかいってもんだ』
花野(少しだけ、心が冷えてしまった。だからこそ、さっきの時雨さんの言葉が嬉しかった)
花野回想『あらゆる物から守らせてくれないと意味が無い』
時雨に強く握られる、自分の手を見る花野。
花野(守ってくれる存在がいると、私はお荷物じゃなくて、ちゃんとここにいていいんだって思える)
花野「ありがとう、時雨さん」
花野がキュッと握ると、時雨は驚いた顔をする。
時雨「……仕事ですから」
そうは言いつつも、さっき花野が加えたのと同じ力で、時雨から手を握り返される。
花野(なんだかくすぐったい、けれども心は温かいわ)
花野は、また心から笑った。
花野「時雨さん、今日はこのまま案内して頂いてもよろしいですか?」
時雨「えぇ、もちろんです」
やっと自分を頼った花野に、時雨の口角が僅かに上がる。
花野は見えないが、何となく分かり時雨が嬉しそうにしている雰囲気が分かり、不思議がる。
花野「今、笑われました?」
時雨「……気のせいです。それよりお嬢様、どうして今日は買い物に? 何か欲しいものでも? 私がお遣いをしてもよかったのですよ?」
花野(怒涛の質問……。なぜだかさっき笑ったことを必死に誤魔化しているように聞こえるわ)
花野は「ふふ」と笑い声が盛れる。
隣の時雨は、少し不満げに歩く。
花野「今日は、ご結婚のため辞められる使用人の方へ、感謝の気持ちを込めて贈り物をしたくて来たんです。紀美(きみ)さんは、小さな頃から仲が良かったので。
だから、一緒に選んでいただけますか?」
時雨の表情は暗くはないが、口がへの字に曲がっている。
時雨「……こんな時でも自分ではなく人のため、か」(小声)
花野「え?」
時雨「いえ、なんでも」
二人は並んで歩き、色んな店を回る。
そうして文房具店に行き、花野が時雨に相談しながら絵葉書を選ぶ。
〇買い物が終わり、秋之橋家への帰路
帝都の中心を離れ、雑踏から抜ける。
時雨が手を離す。それでも二人は横に並んだまま歩く。
時雨「良かったのですか? 私が選んだ物なんかで」
花野「『なんか』、ではないです。私の代わりに選んでくれてありがとうございます。海の絵葉書、必ず気に入ってくれる。この絵葉書を使って、紀美さんが私に近況を書いてくれると嬉しいです」
時雨「その時はお嬢様に代わり、私がお読みしますよ」
花野「ありがとうございます、でも……」
花野は足を止める。
気づいた時雨も「お嬢様?」と止まる。
花野「お嬢様ではなく、名前で呼んでください」
時雨「え」
花野「花野、と。私も、時雨さんと呼んでいることですし。一方的に私が呼ぶだけでは心苦しくて」
花野が絵葉書を包んだ風呂敷を持ち、嬉しそうに笑う。
時雨は「え」と一瞬固まったが、すぐ我に返る。しかしすぐさま呆れながら、花野から風呂敷を取った。
時雨「すみませんが、これまで通りに呼ばせて頂きます」
花野「あら、残念です」
花野が笑っていると、屋敷の前まで帰って来る。
門の前では、花野の両親が、使者に頭を下げていた。
訝しんだ時雨は、眉間にシワを寄せる。
時雨(車を使わないケチな相手に頭を下げるほどの『何か』があるのか?)
すると両親が花野に気づく。
長房が「喜べ」と近寄り、花野の両肩を掴んだ。
長房「花野の嫁ぎ先が決まった。枯元(かれもと)家だ」
花野「え……」
花野の顔が一瞬曇る。
だけど嬉しそうな声色の長房を前に、すぐに笑顔を浮かべ直した。
花野「お父さまお母さま、素敵な縁談を組んでくださり、ありがとうございました」
長房「よかったな、花野」
笑顔の長房とはうって変わり、聡子は曇った表情だ。
聡子「あの枯元家なんて……」
時雨「……」
その声は時雨にだけ聞こえた。
時雨(枯元家といえば、落ちぶれた弱小名家で、息子はお嬢様より二回りも上のはず)
聡子の憂いの元が分かった時雨は、花野を見る。
枯元家をよく知る花野の顔には、尚も笑みが浮かんでいた。
父と母と食事する花野。その後ろに立って控える時雨。
母「花野、たまには町で買い物をしたら? 今日はお天気もいいし」
父「そうだな。獣人もついているから、心配もないし」
「護衛」と言わず、わざわざ「獣人」と言った父の言葉に、時雨の眉がピクッと動く。
モノ『花野の父、長房(ながふさ)は強い異能を使えるため軍に所属しており、有事の時は出動する。「有事の時は」というのは、もう歳を召しているため半分隠居しているからだ。それ故、日常では軍ではなく家に居ることがほとんどだ。
軍人のほとんどは獣人を良い目で見ていない。この長房も、その一人』
時雨(故に、私への態度が素っ気ないのだろうな)
事情を察した時雨も思うところがあったが顔には出さず、胸に手を置き、長房に向かって浅くお辞儀する。
時雨「……お嬢様のことはお任せください」
長房が満足そうに頷く。
花野は「ごちそうさまでした」と箸を置いた。
花野「では、今日は時雨さんと外へ行って参ります」
時雨「……」
花野が「獣人」でもなく「護衛」でもなく、名前で呼んだことに時雨は驚く。
しかし座ったままの花野にチラリと顔を後ろへ向けられ、すぐさま姿勢を正す。
花野「よろしくお願いしますね、時雨さん」
時雨「……かしこまりました」
少し頭を下げる時、時雨は皆に分からないように、困った顔をする。
時雨「名前で呼ばれると、それはそれで調子が狂うな」(小声で)
花野「え?」
時雨「いえ、なにも」
花野はハテナを浮かべる。時雨はフイと、逃げるように顔をそらした。
〇同日の昼、帝都
路面電車が走り、洋館が並ぶ。往来は人でにぎわっている。
花野は着物、時雨は軍服で街を歩く。
しかしは盲目の花野は歩き慣れず、人にぶつかる。
花野「きゃ。今日は、人が多いのですね」
時雨「……帝都はいつも、こんな物ですよ」
花野「そうなのですね。私、あまり外へ出なくて……。いい社会勉強になります」
時雨(盲目のため、あまり外に出られないのか)
時雨がやや同情していると、花野に笑みを向けられる。
花野「時雨さんは、帝都にお詳しいのですか?」
時雨「軍の本部が近いので、自ずと」
花野「まぁ、それなら心強いです」
両手をパタンと合わせた時、またしても花野は人にぶつかる。
時雨は気にはするものの、花野を一瞥するだけ。
一方の花野も時雨に助けを求めず、いつものように自分が先頭を歩いた。
花野「なんだか陽気な音楽が流れていますね」
時雨「ジャズ、というものです。若者が集っていますね」
花野「この匂いは何ですか? ちょっとツンとするような」
時雨「カレーライスという食べ物です。人気の洋食です」
花野「あ、それなら食べたことがあります。でも家で食べた物より、刺激がありそうな匂いですね」
時雨「……苦手ですか?」
時雨(しまった、つい)
質問してしまい、時雨は手で口を押さえる。
時雨(昨日「変な娘だ」と認識してから、あまり関わらないようにしようとしていたのに)
そんな時雨の事情を知る由もない花野が、笑顔で答える。
花野「カレーライスは好きです。実は私、おかわりをしたことがあって――」
楽しそうに話す花野。
しかし時雨は市民とすれ違いざま、花野の噂を聞く。
市民「『気の毒令嬢』?」
市民「そう、秋之橋家のご息女だよ。子宝に恵まれず、生まれたのは女だけ。しかも目が見えないってんだから、どの名家も秋之橋家やその令嬢に同情してるんだとよ」
市民「そういや窪田家も縁談を断ったとか」
市民「いくら金のなる木でも、目が見えないんじゃな。負担がでかいってもんだ」
花野を見ながら話す市民を、時雨がジッと見る。
市民「ひ、護衛の獣人だ」
市民はそそくさと撤退する。
時雨(あやつら、わざと『聞かせた』な)
時雨が花野を見ると、花野は笑みを浮かべているものの眉が下がっている。
追究する気はないらしく、再びご飯の話に戻る。
花野「私、コロッケも食べてみたいんです……って。食いしん坊なことばっかり言ってますね、すみません」
時雨「……聞こえていたんだろう?」
はた、と時雨は眉間にシワを寄せる。
時雨(また、質問してしまった。距離を取ろうと、頭ではそう思っているのに)
時雨は後悔する。しかし聞いてしまったからには、花野の気持ちを聞いてしまおうと開き直る。
花野は足を止め、時雨へ向き直る。
花野「……聞こえていました」
時雨「だったら、なぜ笑う? どうして咎めない? さっきの奴らは、明らかに非礼だった」
花野は笑みを絶やさない。
花野「でも、事実ですから」
時雨「……」
言われたままの花野に、時雨はムッとする。
その間また花野は人にぶつかってしまい「きゃ」と短い悲鳴を漏らす。
気づいた時雨が花野に手を伸ばす。
時雨「気に入らないな」(小さい声で)
花野「え、わっ」
時雨は花野の手をとる。自分の方へ引っ張り寄せた。
二人の隙間がなくなり、横並びでピッタリくっつく。
時雨「お嬢様がそれでいいなら何も言いません。
でも私は警護として隣にいるんだ。
あらゆる物から守らせてくれないと意味が無い。
だから……これくらいは、いいでしょう?」
花野は、人にぶつからないよう支えてくれる時雨を見上げる。(見えないが)次に、力強く握ってくれる手を見る。
するといつもの作った笑みではなく、心から笑うことができた。
花野(私はいつも自分をお荷物だと思っていた)
〇花野の過去回想
名家から縁談を断られる度に、暗い顔をする両親。
長房『あの子の目さえ見えていたら……』
聡子(さとこ/花野の母)『花野、可哀想に……』
そんな両親を、襖の隙間からこっそり見る花野。
瞑りっぱなしの目から涙が零れる。
〇現代に戻る
花野(現にお荷物だったし、だからこそ人から噂されても何も思わなかった。
周りが『気の毒令嬢』って同情してくれてると思えば、辛くはなかったし。
だけど……)
仲人『今回は、お断りさせていただきます、とのことで……』
市民『いくら金のなる木でも、目が見えないんじゃな。負担がでかいってもんだ』
花野(少しだけ、心が冷えてしまった。だからこそ、さっきの時雨さんの言葉が嬉しかった)
花野回想『あらゆる物から守らせてくれないと意味が無い』
時雨に強く握られる、自分の手を見る花野。
花野(守ってくれる存在がいると、私はお荷物じゃなくて、ちゃんとここにいていいんだって思える)
花野「ありがとう、時雨さん」
花野がキュッと握ると、時雨は驚いた顔をする。
時雨「……仕事ですから」
そうは言いつつも、さっき花野が加えたのと同じ力で、時雨から手を握り返される。
花野(なんだかくすぐったい、けれども心は温かいわ)
花野は、また心から笑った。
花野「時雨さん、今日はこのまま案内して頂いてもよろしいですか?」
時雨「えぇ、もちろんです」
やっと自分を頼った花野に、時雨の口角が僅かに上がる。
花野は見えないが、何となく分かり時雨が嬉しそうにしている雰囲気が分かり、不思議がる。
花野「今、笑われました?」
時雨「……気のせいです。それよりお嬢様、どうして今日は買い物に? 何か欲しいものでも? 私がお遣いをしてもよかったのですよ?」
花野(怒涛の質問……。なぜだかさっき笑ったことを必死に誤魔化しているように聞こえるわ)
花野は「ふふ」と笑い声が盛れる。
隣の時雨は、少し不満げに歩く。
花野「今日は、ご結婚のため辞められる使用人の方へ、感謝の気持ちを込めて贈り物をしたくて来たんです。紀美(きみ)さんは、小さな頃から仲が良かったので。
だから、一緒に選んでいただけますか?」
時雨の表情は暗くはないが、口がへの字に曲がっている。
時雨「……こんな時でも自分ではなく人のため、か」(小声)
花野「え?」
時雨「いえ、なんでも」
二人は並んで歩き、色んな店を回る。
そうして文房具店に行き、花野が時雨に相談しながら絵葉書を選ぶ。
〇買い物が終わり、秋之橋家への帰路
帝都の中心を離れ、雑踏から抜ける。
時雨が手を離す。それでも二人は横に並んだまま歩く。
時雨「良かったのですか? 私が選んだ物なんかで」
花野「『なんか』、ではないです。私の代わりに選んでくれてありがとうございます。海の絵葉書、必ず気に入ってくれる。この絵葉書を使って、紀美さんが私に近況を書いてくれると嬉しいです」
時雨「その時はお嬢様に代わり、私がお読みしますよ」
花野「ありがとうございます、でも……」
花野は足を止める。
気づいた時雨も「お嬢様?」と止まる。
花野「お嬢様ではなく、名前で呼んでください」
時雨「え」
花野「花野、と。私も、時雨さんと呼んでいることですし。一方的に私が呼ぶだけでは心苦しくて」
花野が絵葉書を包んだ風呂敷を持ち、嬉しそうに笑う。
時雨は「え」と一瞬固まったが、すぐ我に返る。しかしすぐさま呆れながら、花野から風呂敷を取った。
時雨「すみませんが、これまで通りに呼ばせて頂きます」
花野「あら、残念です」
花野が笑っていると、屋敷の前まで帰って来る。
門の前では、花野の両親が、使者に頭を下げていた。
訝しんだ時雨は、眉間にシワを寄せる。
時雨(車を使わないケチな相手に頭を下げるほどの『何か』があるのか?)
すると両親が花野に気づく。
長房が「喜べ」と近寄り、花野の両肩を掴んだ。
長房「花野の嫁ぎ先が決まった。枯元(かれもと)家だ」
花野「え……」
花野の顔が一瞬曇る。
だけど嬉しそうな声色の長房を前に、すぐに笑顔を浮かべ直した。
花野「お父さまお母さま、素敵な縁談を組んでくださり、ありがとうございました」
長房「よかったな、花野」
笑顔の長房とはうって変わり、聡子は曇った表情だ。
聡子「あの枯元家なんて……」
時雨「……」
その声は時雨にだけ聞こえた。
時雨(枯元家といえば、落ちぶれた弱小名家で、息子はお嬢様より二回りも上のはず)
聡子の憂いの元が分かった時雨は、花野を見る。
枯元家をよく知る花野の顔には、尚も笑みが浮かんでいた。



