夏野はド短期バイトをやりたい

 映画論も文化人類学も社会調査入門も欠席可能回数の上限ギリギリだが、呑気に講義を受けている場合じゃない。クラブ棟のフリースペースで僕は刻みネギを混ぜた卵焼きを口の中に放り込みながら、左手の親指でスマホの画面をスクロールしていく。

 長年の片思い相手、三輪の誕生日まであと一週間。

 欲しがっていたスニーカーだけならギリギリ買えるけれど、この想いの強さを表すには全然足りない。キャップなどの小物類も一緒にプレゼントしたいのに、如何せん、今のままでは全くもって金が足りないのだ。

 勿論、三輪は白いTシャツにデニムみたいなシンプルな出で立ちでも十分、いや千分恰好良い。そんなことは統計を取るまでもなく、百人中百人が答えるに決まっている。なんなら回答者たちが飼っているペットだって頷くだろう。

 とはいえ、だ。

『僕が選んだアイテムで、より輝きを増した三輪の姿、見たくないかぁ?』

 脳内に響く問い掛けに、僕は全身全霊を掛けて叫ぶ。

 “見たい”に有り金全部賭けても惜しくないぐらい、見たーい!

 故に僕は、残された日々の全てを日払いの一日ド短期バイトに費やして稼ぐだけ稼ぐことに決め、只今絶賛リサーチ中なのであった。

「もーらい」

 からかうような声が頭の上から降って来たかと思ったら、鶏肉の磯辺揚げに伸びる手が見えた。
 人差し指に嵌められたシルバーの指輪が鈍く光る。
 三輪だ。

「んまっ」
「おま、勝手に取んなよ」
「『もーらい』って言ったじゃん。あ、何コレ、中に梅干し入ってる。俺、コレ好きだわ」

 隣の椅子に腰を掛けると、目を閉じて口の中に広がる味をじんわりと楽しみながら三輪は感想を述べた。

 鶏胸肉を薄く伸ばして大葉と叩いた梅干しを包んだら、青のりを混ぜた衣に潜らせて揚げる。色々なアレンジを楽しめる磯辺揚げは僕の得意料理のひとつであり、今日の弁当のメインでもあった。

「今日のおかずは……、今食ったのとネギの卵焼き、ひじきと人参の煮物、ピーマンのきんぴらか。お前、本当に男子大学生なのか? 前世で弁当屋のバイトでもしてたのかよ」
「昔超えて『前世取った杵柄』ってヤツな。うん、そうかもしれない」
「いや、軽くボケたつもりだったから、そこは受け入れずに上手いコト返してくれ」

 何だボケだったのか。
 三輪の言うことは神の言葉とばかりに全てを肯定して生きているから、僕の前世は弁当屋だと信じたのに。

「本当旨そうなモンばっかだよな。今日もデザート付きだし」

 曲げわっぱに詰められているおかずやラップに包まれたカップケーキに、三輪は満遍なく視線を注ぐ。三輪は僕が弁当を食べていると、いつも何かしらのおかずを搔っ攫っていくから、自然と作るものが『三輪の好きそうなモノ』ばかりになっているのは内緒だ。

「夏野、日払いのバイト探してんの?」
「え」

 ヤバい、一番見られちゃマズいヤツに見られた。
 動揺が顔に現れたのか、「わりぃ、さっきちょっと画面が見えたから」と三輪が謝る。

「何で? 今やってるのじゃ足りねぇの?」
「あ、その、えぇと」

 あぁ、駄目だ。
 三輪の前では嘘が吐けない。
 濃い茶色がかった少し釣り気味の三輪の目が、『吐け』とばかりに僕の顔をじっと見ている。

「……ちょっと急ぎでお金が必要で」

 何で、とは訊かないでくれ。
 僕は背中に変な汗を感じながら、それだけ答える。
 三輪は「急ぎって……、もしかして、誰かに騙されたり脅されたりとかしてねぇよな?」と心配そうな表情を浮かべた。

 まったく、想い人が優しくて困るなんて贅沢過ぎるな、僕。

 ニヤけないよう顔の筋肉を引き締めながら、「そういうのじゃない」とだけ答えると、三輪は「だってお前、よく引っ掛かってんじゃんか」と言った。

「大丈夫だって、流石にもう誰彼構わず一人暮らしの家の玄関に上げたりしないよ」
「んなこと言ってさ、この間も誰か来たとか何とか言ってただろ」
「あぁ、そのことなら問題ない。めちゃくちゃ良い人だったよ。一子相伝で二千年もの歴史に渡って受け継がれてきた自家製のお味噌を作ってるらしくてね、今年の出来が当たり年だった八百年前のものと同じだって言うんだよ。それだけでもう歴史のロマンを感じるよね! それをさ、色んな人に食べて欲しいからって、靴をボロボロにしながら背中に重たいお味噌の樽を担いで一生懸命伝えてまわってるって言うもんだから、応援したくなっちゃって。しかも、特別なお味噌ってことで十キロ五万円するところを今なら二万円で良いって言われたら、そりゃ買うよねぇ」
「いや買わねぇよ!!!」

 三輪は「味噌の当たり年って何だよ、ボージョレ・ヌーボーかよ!」とか「八百年前のものと同じ味かどうかなんて、どうやって証明すんだ!」とか「マンション九階のお前の部屋までずっと樽担いでる訳ねぇだろ、台車だよ台車!」とか「十キロ五万もありえねぇけど二万だって十分高ぇわ!」とか「一人暮らしの癖に味噌十キロとか、料理で使い続けるにも限界あんだろうが!」とか色々前のめりで元気いっぱいに指摘した末、言った。

「バイト、俺が決めてやるから候補を言え」

 僕の口から「は」と言葉が漏れる。

「いや、自分で決めるから大丈夫だって」
「いいから目星付けてるの、教えろ」

 三輪は右手の人差し指で僕のスマホ画面をコンコンと叩く。
 仕方がない。
 お前の誕生日プレゼントを買うためにバイトを探しているという理由さえ言わなければ良いか。
 僕はひとつめのバイト候補を画面に出した。

「コンサート会場の設営・撤去、ね」
「そうそう。荷物を運んだりとかネジを締めたりとか、そういう感じらしい。初心者OKって書いてあるし、補助が中心みたいだから出来そうかなって」

 体力はないけど、三輪の喜ぶ顔を想像しながらだったら頑張れそうだしね。

「問題です」
「え」
「『上手(かみて)』ってどっちだ?」
「どっちって、え?」
「『下手(しもて)』は?」
「どうしたんだよ、急に」
「ジャッキって何か知ってるか?」
「ビール注ぐヤツ」
「それジョッキな」
「父さんが言うところのベストのことか」
「それチョッキな」
「分かった! 香港国際警察の人だ!」
「それジャッキーな」

 ブブー、全問不正解ですと、三輪は両手で大きくバツ印を作り「そのバイト、向いてねぇよ」と却下した。

「今のクイズ、何か関係あるのか?」
「あるある、オオアリクイだ」
「オオアリクイかぁ」
「『上手』も『下手』もステージの方向を指す、いわば専門用語だな。客席から見た時に『上手』は右側、『下手』は左側だけど、こういうところじゃ普段耳慣れない色んな用語がバンバン飛び交うのに、基本的な言葉もロクに知らないで行ってみろ。現場で右往左往するお前の様子が目に見えるようだぜ」

 なるほど、確かに。
 三輪の言う通り、セットを組む人たちの邪魔になっちゃ悪いもんな。

「しかもこういう体力勝負なバイトに応募するヤツは男ばっかりだし、お前みたいにちっこくてほそっこいヤツには向かねぇよ」
「そっか、分かった。三輪がそういうなら止やめておく。じゃあこっちのバイトはどうかな」
「どれどれ」

 業務内容は中元商品の箱詰めだ。
 缶ビールやジュースなどのソフトドリンクを決められた箱に詰めていくもので、恐らく流れ作業になるのだろう。
 ひとつのことを淡々とやり続けることは嫌いじゃない。
 立ち仕事だったとしてもそこまで体力を消耗することはないと思うのだが、募集内容を読んだ三輪は顔をしかめた。

「お前さ、受験勉強の時に一日何時間ぐらい英語の勉強してたか覚えてる?」
「英語の勉強? そうだなぁ、長文やったりイディオム覚えたりで、なんだかんだで二時間ぐらいしてたような」
「その二時間の中で、英単語を覚える時間はどれぐらい取ってた?」
「んー、休み時間とか通学時間とか使って細切れでやってたから何時間か聞かれるとちょっと分かんないけど、大体一時間程度じゃないかな」
「じゃあ、その一時間ずっと休みなく動詞の『play』だけをひたすら書いたことは?」
「はは、ある訳ないじゃん。もしやったら『playはもういいから他の単語も書かせろ!』て、開始三分ぐらいでなりそう」
「中元商品の箱詰めバイトって、そういうヤツな」
「マジか」

 聞けば、三輪は以前このバイトをしたことがあるらしい。
 君はオレンジジュース、君はパイナップルジュース、君はトマトジュース……といった具合に担当の飲み物が割り振られ、コンベアの上にセットされた段ボールが流れてきたら決められた場所にひたすらドリンクを収めていくのだという。

「別のことに気ィ取られて詰めるタイミングがズレたりしたら、そのレーン全体に迷惑が掛かるし、ジュースを取って箱に入れていくっていう同じ動きしかやんないから腰と腕と肩がめっちゃ痛くなんだわ。同じ仕事を何日もやってるヤツが俺みたいな一日バイトを束ねるリーダー的ポジにいたんだけどさ、そいつもちょっとエラそうでヤな感じだったんだよな」

 今思い出してもムカムカすると三輪は言い、「お前の丁寧で真面目な性格は、別のバイトで発揮されるべきだと思うぜ、俺は」と僕の肩を叩いた。

 なるほど、確かに。
 三輪の言う通り、変にストレスが溜まりそうだし、身体中を痛めて肝心のプレゼントを買いに行けなくなっては元も子もない。
 せっかく三輪が僕の性格を丁寧で真面目だと褒めてくれたのだ、それにぴったりなバイトにしよう。

「だったら、これとか良いかも」
「どれどれ」
「加工工場でトウモロコシのヒゲを一本残らずむしる仕事」
「場所は」
「十勝平野が広がる北の国だよ」
「交通費はどうなってる」
「上限千五百円まで支給」

 三輪が僕の頭を後ろから平手で綺麗にスパーンとはたく。
 痛い。けど嬉しい。

「アホか、夏野。ここ本州だぞ。どう考えても十勝まで行くのに千五百円超えるだろうが。稼ぎに行ってんのに足代がオーバーするとか意味分かんねぇわ」
「なるほど、確かに」

 泊まり込みなら宿代も必要になるだろうし、それではプレゼントどころではない。

「分かったよ、三輪。僕はド短期バイトだからって、効率を求めすぎていたのかもしれない」
「高ぇ交通費と宿泊費を掛けてわざわざトウモロコシのヒゲを毟りに行くとか非効率極まりないと思うが」
「やっぱ大切なのは誰かの役に立ちたいという奉仕の精神だよな」
「急ぎで金が要るヤツの口から奉仕の精神を説かれることの意味不明さよ」
「そんな訳で、ベストなのはこのバイトじゃないだろうか」

 僕は自信満々で三輪にスマホの画面を示す。

「年老いた女性の家を訪問して、大切なキャッシュカードを孫に届ける愛の配達人だ」
「はいダメ、もう絶対アウト、それ完全に闇のヤツ!」
「え、そうなの?」
「『え、そうなの?』じゃねぇよ。むしろこんなあからさまに書いてんのに気付かないお前の防犯意識に驚くわ」
「家に来られる訳じゃなくて僕が行く方だから大丈夫かと思って」
「全然大丈夫じゃねぇ、犯罪だぞ! あぁもう、味噌野郎のせいで夏野の判断基準がおかしくなってやがる! クソがぁぁぁ!」
「ささやかに韻を踏みながら憤慨する三輪、恰好良いね」
「うるせぇ、感心する前に安心させてくれ」

 本当にコイツは俺がいないとヤベェな……と呟いた三輪はルーズリーフを一枚取り出すと、ボールペンを走らせた。

「お前のバイトはコレだ」

 少しぶっきらぼうな仕草で紙が差し出される。
 そこに書かれていた文字を僕は読み上げた。

「『誕生日のためのイチゴのショートケーキ製造および試食』」

 誕生日?
 僕は続きの文字を黙読する。

 勤務日、一週間後。
 ツマミ作れる人、別途手当アリ。
 福利厚生、各種ゲームおよび動画閲覧。
 宿泊、可。

 しゅく、はく、か???

 見間違いかと思い何度か瞬きをしたが、『宿泊、可』の文字は消えない。
 ボールペンを鞄に片付けると、三輪は軽く伸びをして言った。

「プレゼントとかサプライズとか、何にも要らねぇからな」

 げ。何でバレてるんだ。
 戸惑う僕に三輪からのデコピンが炸裂する。

「痛ッ」

 じんじんする痛みよりも三輪の指が額に触れた嬉しさで、一気に顔が赤くなる。
 その様子を見た三輪は僕の鼻先二センチまで顔を寄せると、「聞け、夏野」と言い聞かせるような口調で告げた。

「お前は身体ひとつでウチに来て、俺の生誕を祝えば良いんだよ」

 分かったかと念を押すように三輪が付け加える。
 僕はコクコクと頷きながら、一日限りのド短期バイトから契約を延長してもらうためにはどうすれば良いのかを必死で考え始めた。