僕らのノイズ ※最後の願いは、よく考えたうえで送信してください。

 朋美がこんなことをするなんて――ありえない。
 いつもだったら、今までの朋美だったら、「おかえり!」って私を抱きしめて、優しく出迎えてくれるはず、なのに。

――酷い。
 
 朋美の後ろですべてを見ていた那月が朋美に駆け寄り、朋美の肩をさすり始める。
 私はその光景を、立ったまま見つめることしかできない。
 今はこの二人以外、誰も、何も言ってはいけない――こんな空気に逆らうなんて、無理に決まっている。

「あんたが……あんたが……」

 朋美は片手で那月を退けたあと、こちらに早足で歩いてくるなり、私の顔を血走った目で睨みながら、私の襟を両手で掴んだ。朋美のせいで息がしにくい。こんな朋美、一度も見たことがない。血走った目も、今みたいに襟を掴むところも。

「あんたがいなければ、うちもみんなも本番で歌えたはずなのに! エース組がいれば大丈夫ってあれだけ信頼されてきて、練習もずっとしてきたのに……。で、この有様? 事故に遭って、エースが欠けました。歌えませんでした。で? はい終わり? ふざけんじゃねえ!」

 朋美の怒声に、自分の耳を疑わざるをえなかった。凍っていた空気が、朋美の怒声で粉々に割れた。
 まるで、リトルクレッシェンドのように従うように少しずつ大きくなっていった朋美の声に、周りは肩を震わせたり、互いに体を寄せあったりして怯えていた。
私は、自分の両手両足が小刻みに震えるのを見られないよう、とにかく全身に力を入れてその場に立っているので精一杯だった。
 そもそも、「歌えませんでした」とは何のことだろうか。コンクールには私以外のみんなが出たはずなのに、「歌えなかった」……?
 身体の震えが止まらない。私はその震えを隠そうとして、思わず、クスっと笑いながら口を開いてしまった。

「まさか、緊張してたから歌えなかったの? でも、それって練習不足が招いていることでしょ? なんで私がここまで責められないといけないの?」

 陸が私のすぐ近くの椅子に座り、大きなため息をつきながら頬杖をついた。

「夕夏、お前、マジで何も知らないの? 先生から聞かされてないの?」
「え? 何も……何かあったの?」
「何か、って……お前、とぼけんのもいい加減にしろよ……お前が事故に遭ったから、ソロが一人いなくなっただろ? それに、まともに練習できていないから、『自由曲をフルで歌い通せない』って先生が俺らに相談すらしないで勝手に判断して、リハーサル直前で出場棄権したんだよ。俺ら全員、あのステージで、大会で歌えずに今、ここにいるんだよ」

 陸の鋭利な目が、私の目の奥を突き刺してくる。

「なんで? 一緒に練習してきて、自分のパートしか音を覚えてなかったってこと? それって変だよね? みんなの音を聴いて歌うのが合唱じゃないの? 普段からそういう練習してたよね、『互いの音を覚えることも練習の一つだから』って。だから、みんな歌えるはずじゃないの? ……代理がいないくらい、なんとかなったはずじゃ」

 陸は、呆れたように大きなため息をまた一つついて椅子から立ち上がり、ぶっきらぼうに部室から出ていってしまった。
 朋美は肩で呼吸をしながら私から離れると、部室の前方中心部に置かれた真っ黒なピアノのほうに歩いていった。

「ほんと、あんたのそういうところが無理。――だいたい、エース組としての恥晒しもいいとこよ。本来、出場申請書にソロの代理を担う生徒の名前を書かないといけない決まりでしょ? 今年はエース組に全ソロを任せていたから、代理は必要ない、なんて勝手に先生が判断して、出場申請書に書かなかった。それだけの話……。そういう意味では、先生にも責任はあるけれど……」

 朋美は、私の胸に≪退部届≫と大きく太字で書かれた一枚の紙を押しつけてきた。

「元々、あんたもあんたで時間ギリギリまで学校で練習して、挙句に走って間に合わせようとしてたんでしょ? しかも、交通事故に巻き込まれた。……バッカじゃないの!? あんたはいつもそう。大事なところで、周りを巻き込んで失敗する。もう、金輪際、ここの合唱部員を名乗らないで。……顔も見たくない」

 スパっと切られた言葉で、私の頭の中は真っ白になった。何一つ、考えられなくなっていた。
 朋美は、後輩たちに「今日は外で全体練習だから」と指示を出すなり、那月たちと部室から出ていってしまった。

 私は一人、静まりかえった部室に取り残されていた。一人になって初めて、緊張の糸が解けて、全身が砂のように崩れ落ちた。
 事故で負った全身の痛みなど、今はどうでもいい、と感じるくらい、心が張り裂けてしまいそうで、涙がとめどなく溢れる。不器用に両手で拭って止めようとしても、嗚咽を漏らしてしまう。
 このままどうにかなってしまうのではないか。
声が枯れてもずっと、小さい子どもみたいに泣き続けた。
 音楽室の反響版が、虚しく私の声を余計に響かせてくる。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。
 いつの間にか、顧問の先生が部室に様子を見に来たらしく、私の背中をゆっくりさすりながら、いろんな言葉で慰めてくれた。けれど、どんな言葉もはね退けてしまうくらい、頭も心も何もかも、滅茶苦茶だった。

 こんなに声を上げて泣いたのは、いつぶりなんだろう。
 その日を境に、私は納得がいかないままの責任をとらされるように部活を辞め、さらには、自分から合唱部員と関わることさえもやめてしまった。

 逃げるしか、なかった。

 *