僕らのノイズ ※最後の願いは、よく考えたうえで送信してください。


 その後も、朋美としばらく電話していた。
 その電話で、先生が大会で私の代理を務める部員を申請していなかった理由も教えてもらった。

 私にしか歌えない、エース組の四人のなかでも、私がふさわしいと判断していたからだったらしい。

 そう聞かされて、朋美はどう思っているのか、聞くに聞けなかった。

 きっと、悔しかったんじゃないか、と思ったから。


 あれから数日経ち、今日から合唱部に復帰して、合同定期演奏会に向けて練習に参加することになった。
 もちろん、あのソロを歌うために。
 必要とされている以上、断る理由が浮かばなかった。

 私は、仮想空間での、後輩たちや他の部員から浴びせられた言葉、視線、空気のとげとげしさ、憂鬱さを思い出し、ドアに伸ばしかけた手を止めた。
 まだ、ここで引き返すなら間に合う。

 でも、ここで逃げたら、私は私に一生嘘をついて生きていくことになるんじゃないか。

 ドアの向こうで、誰かが私の存在に気がついたのか、ドアを私より先に開けた。

「夕夏、おかえり」

 朋美が私の手を引いて、部室に連れ込んだ。
 私は、その様子を、まるで映画のワンシーンかのように見つめた。

「佐々木、これ合同定期演奏会で歌う曲な。……ソロ、いけるか?」

 不安そうな顔をした先生から渡された楽譜の表紙には、知っている曲名が記されていた。

「この曲って」
「歌えるか? 事故で、歌えなかったとはいえ、思い出させてしまうかもしれないかな、と心配ではあるんだ。校長先生が二学期の始業式で話していたこと、どうも頭から離れなくてな……」

 思い出さないわけがない。
 それでも、思い出してしまうかもしれない気持ちよりも、「またみんなで歌いたい、ソロを歌いたい」と、心の底から、強く願う自分を、偽ることのほうが嫌だと思った。嘘をつくほうが、何倍、何十倍も苦しいことなのではないかと。

「歌います」

 私は、先生の目をまっすぐ見つめて、宣言した。

 もう、以前の私のような――嘘をつくこと、自分を偽ることを何とも思わない自分――には戻れない。正直に生きると決めた、それが例え、社会に出て自分を苦しめることになるかもしれない。それでも……。
 
 私は横に長く三列に並んだ、みんなのほうに体を向けて、頭を下げた。

「一緒に歌わせてください」

 震える声を隠すことなく、そのままの私で、みんなに願った。

 しばらく、音楽室に沈黙が流れる。気まずくなって、まずいことを言ってしまったんじゃないか、とそわそわしてくる。
 楽譜を持つ手が汗ばんで、紙がべたついてくる。

「異論がある人、挙手」

 朋美の声だった。
 私は顔を上げて、みんなを、一人ひとりの顔を見つめた。

「いいんだよ、みんな、定演のことじゃなくてもさ、ぶっちゃけな。今しかないかもよ、発散するなら」

 朋美が両手を叩いてみんなを煽る。

「じゃ、じゃあ、私から良いですか」

 後輩の一人、同じアルトパートで隣同士で練習して、歌い続けてきた女の子。その子がおそるおそる左手を挙げ、朋美に指名され、立ち上がる。

「私、朋美先輩の姉御肌っぽいところは尊敬しています。でも、正直怖いです! その点、夕夏先輩はいつも優しくて、廊下で会ったら会釈してくれました! 二人を足して二で割れば、ちょうど良くなると思います!」

 朋美が口をぽかんと開け、周りの部員があっけにとられている。
 先生が私の隣で、声をあげてゲラゲラと笑っていた。

「そうだなあ、桜木と佐々木、真逆な二人だけど、うまくやればちょうどよくなるなあ」

 他の部員もつられるように、同じようなことを言い始めた。
 
「ちょ、ちょっと待って! うちのことじゃなくて、夕夏のこと! 夕夏に言いたいこと言いなさいよ!」
「一緒に歌いたい気持ちは、以前お話しした通り、全会一致ですから、今あえて言わなくてもいいかな~って」
「もう……」

 朋美が少し嬉しげに話しながら、一つ、ためいきをついた。音楽室に全員の笑い声が響く。
 お互いに顔を見て笑顔でハイタッチする人、楽譜を抱えてそこに顔を埋めて泣いている人、私に向けて拍手を送ってくれる人、那月が朋美に「ニコイチだねぇ、ほんと、妬けちゃう」と話す姿。
 引き出しの奥にしまいこんでいたいつかの記憶が、まるで大好きな曲のイントロのように流れ始めた気がした。
 
 高校入学直後だった。
 合唱の界隈で名の知れたこの高校で、合唱部に入ったばかりの頃、朋美と二人で固まっていた時のこと。
 
 " 二人とも、双子みたいね "

 名前はもう忘れてしまったけれど、先輩にそう言われて、「ニコイチ」なんてあだ名も一緒に付けられたこと。
 パート分けのために一人ひとり、全員の前で歌わされたあの日、朋美が、表情筋が凝り固まってしかめ面になっていた私を笑わせようと、変顔していたこと。
 パートが別々になってしまっても、部活が終われば、二人で毎日一緒に帰ったこと。
 
 すべてが愛おしく思えて、私もみんなと同じように、お腹を抱えて、涙を流しながら、笑っていた。