合唱部は今日も朝練があったのか、部室のドアには鍵がかけられていないままだった。
人が行き交う廊下や階段を走ってきた。だから、私も朋美も、二人で同じように膝に手をついて、肩を上下させ、汗が滲んだ顔を見つめ合いながら息をきらしている。
「あんた……何様のつもりなの……」
朋美が怒りを溶かした声で訊ねてくる。その鋭い目つきに、私の目は吸い込まれそうになり、視線を床に落とした。
「何様のつもりでもないよ、ただ――」
ハッとして、心臓が止まりかける。息の吸い方なんて考えなくてもわかるはずのことが、頭から抜けていく。
私は、衝動のおもむくままに、無計画に、朋美をここに連れてきた。それを、初めて自覚した。
「ただ、何よ」
朋美は、最大レベルの警戒心でいる猫のように、ひやりと冷たい、刃のような声を私に突き付ける。
「朋美と、……話がしたかった」
私は、目の前をどんどん流れていく言葉に埋もれないように、今一番言いたい言葉を、絞って吐き出した。
もうこのまま、自分の考えを、思いをそのまま伝えるしかない気がするから。
……じゃなきゃ、最後に願ったことが、叶えられない。叶うタイミングが、もう二度と、やってこない。そんな気がしてしまうから。
「うちは話すことなんかない! だいたい、もうあと半年も過ぎれば……うちらは……無関係、になるんだから」
私だって、そんなことくらい、言われなくてもわかっている。わかっているから、だから――。
「だからだよ!」
「は?」
朋美はきょとんとした顔を少し前に出して、変な声を出した。
私が膝に両手をついて前かがみになっていた自分の体を正すと、朝練のときにつけていたであろうエアコンの冷気が、ほんのりと頬を撫でていった。首筋に一滴、汗が伝う。
朋美の言い方を変えれば、確かに、半年後、私たちはそれぞれの進路にわかれて、それぞれの人生で生きていくことになる。
だから、
「私は朋美とまた、普通に話せるようになりたい」
朋美は目を見開いて、私が発した内容に対して、口をぽかんと開けていた。
「私、ずっと寂しかったんだよ? 事故の後、朋美と昔みたいに話せなくなって、一緒に歌えなくなって、ずっと……寂しかった」
朋美が向けてくるまっすぐな瞳が、私の心を奥深くまで突き刺してくるように感じる。その眼差しに、首をぐっと掴まれるような感覚がして、少し息苦しく感じる。
「いじめられるようになって、毎日、心が重くてどこかに逃げたかった。でも、朋美はいつも、何かを私に言いたいけどうまく言えなくて隠しているような気がして、完全には『やめてほしい』と言えなかった。――私、朋美は変わってくれるはずって、どこかで期待していたんだと思う」
「隠してなんか――」
朋美の左目から、一粒の涙が頬を伝って落ちていくのが見えた。
「自分にすら隠している本音に気がついてしまったら、そこで、崩れてしまう、壊れてしまうかもしれなかった」
私は、朋美だけではなく――かつての自分に言い聞かせるように告げた。
人間は、どうしようもないくらい、脆くて、弱くて、壊れやすい生きものだから、独りになるのだけは避けようと、あらゆる手段を使って、人と繋がろうとする。一人になりたいくせに、独りでいることは避けたがる。
そのことに、やっと、気がついたから。
「ほんと、昔からあんたのそういうところが……大嫌い」
「……そういうところ、って」
朋美がぷはっと吹き出し、あはは、と声を出して笑う。
私がうまく理解できないで混乱しかけていると、朋美がその場で座って「あんたも座りなよ。今更、見下ろされたくない」と私も同じように床に座るよう、促してきた。
「一言でいえば、うちより先に行って理解してるところ。あ、勉強じゃないよ? それならうちのほうが成績良いし? もっとこう……生き方っていうか」
朋美は不器用に手をひらひらさせながら話す。話しながら、小さい頃みたいにいろんなことを話している感覚で、懐かしくなる。
「生き方……?」
首をかしげる。
私は朋美に言われたその言葉を、頭の中で浮かばせた。
「うちは、あんたが……夕夏が羨ましかった。だから、あの事故の話を知ったとき、正直『ざまあみろ、調子乗ってるからだ』って思ったよ。でも、夕夏が復帰するって知らされて、なぜか、その気持ちを隠しきれない気がした。だから、この際、無理やり退部させようと思った。それで、那月たちを使ってさ」
朋美が泣きながら笑っている。それなのに、どうしても、哀しそうに見えてしまって、まだ「どうにかしたい」と思う。助けてあげたい、と思ってしまう。
私は、タツさんが読み上げていた内容と、私がずっと思い悩んで最後に願ったことを思い出した。そして、両手のひらを床につき、前のめりになって口を開けた。
「もう、やめない?」
「え?」
「私、自分だけの力で変われるほど、強くないから、その……」
私は言い出す勇気が、あと一歩足りなくて俯きそうになる。それでも、ぐっと踏みとどまって、顔を上げて朋美の瞳をまっすぐ見つめた。
「一緒に、生きてほしいの」
口が、自然とそう伝えていた。
不思議と、朋美も同じことを考えているような気がして、私はもう、自分を偽ることはできないと思った。
これが正しいかはわからないけれど、今は、これ以外の言葉が浮かんでこないから。
「相変わらずだっての、そういうところ!」
朋美は口角を上げ、ニヤッと笑った。
「昔から、うちらは結局同じことを考えちゃうんだね。……悔しいけど、認めるわ」
私は二回頷いた。
私たちは、二人で一緒にいる時間が、誰よりも一番長くて、あまりにも長すぎて。正反対の性格をした人間、血のつながりもないのに、まるで双子のように似ている部分もあって。気づいたら、私たちは同じことを考えている。
今になってみれば、進路がここまで同じだったのも、ただの偶然ではなくて、必然、そうなる運命だったんだろうとさえ思う。むしろ、そうであってほしい。
「でもさ、すぐには無理かもしんない」
朋美が立ちあがる。
「うちはきっと、これからも夕夏にイライラするだろうし、大嫌いな部分は大嫌いなまま。……無理でしょ? 嫌いなのに、それを破って好きになるなんて」
私は何も言い返せない。その通りだと思ったから。
「それでも、……夕夏が『一緒に』って言うならさ」
朋美が左手を私の目の前に差し出してきた。
「ほら、ホームルーム始まっちゃうから、行くよ」
ほら、早く。そう急かされて、私は朋美の手に引っ張られて立ち上がり、音楽室を後にした。
人が行き交う廊下や階段を走ってきた。だから、私も朋美も、二人で同じように膝に手をついて、肩を上下させ、汗が滲んだ顔を見つめ合いながら息をきらしている。
「あんた……何様のつもりなの……」
朋美が怒りを溶かした声で訊ねてくる。その鋭い目つきに、私の目は吸い込まれそうになり、視線を床に落とした。
「何様のつもりでもないよ、ただ――」
ハッとして、心臓が止まりかける。息の吸い方なんて考えなくてもわかるはずのことが、頭から抜けていく。
私は、衝動のおもむくままに、無計画に、朋美をここに連れてきた。それを、初めて自覚した。
「ただ、何よ」
朋美は、最大レベルの警戒心でいる猫のように、ひやりと冷たい、刃のような声を私に突き付ける。
「朋美と、……話がしたかった」
私は、目の前をどんどん流れていく言葉に埋もれないように、今一番言いたい言葉を、絞って吐き出した。
もうこのまま、自分の考えを、思いをそのまま伝えるしかない気がするから。
……じゃなきゃ、最後に願ったことが、叶えられない。叶うタイミングが、もう二度と、やってこない。そんな気がしてしまうから。
「うちは話すことなんかない! だいたい、もうあと半年も過ぎれば……うちらは……無関係、になるんだから」
私だって、そんなことくらい、言われなくてもわかっている。わかっているから、だから――。
「だからだよ!」
「は?」
朋美はきょとんとした顔を少し前に出して、変な声を出した。
私が膝に両手をついて前かがみになっていた自分の体を正すと、朝練のときにつけていたであろうエアコンの冷気が、ほんのりと頬を撫でていった。首筋に一滴、汗が伝う。
朋美の言い方を変えれば、確かに、半年後、私たちはそれぞれの進路にわかれて、それぞれの人生で生きていくことになる。
だから、
「私は朋美とまた、普通に話せるようになりたい」
朋美は目を見開いて、私が発した内容に対して、口をぽかんと開けていた。
「私、ずっと寂しかったんだよ? 事故の後、朋美と昔みたいに話せなくなって、一緒に歌えなくなって、ずっと……寂しかった」
朋美が向けてくるまっすぐな瞳が、私の心を奥深くまで突き刺してくるように感じる。その眼差しに、首をぐっと掴まれるような感覚がして、少し息苦しく感じる。
「いじめられるようになって、毎日、心が重くてどこかに逃げたかった。でも、朋美はいつも、何かを私に言いたいけどうまく言えなくて隠しているような気がして、完全には『やめてほしい』と言えなかった。――私、朋美は変わってくれるはずって、どこかで期待していたんだと思う」
「隠してなんか――」
朋美の左目から、一粒の涙が頬を伝って落ちていくのが見えた。
「自分にすら隠している本音に気がついてしまったら、そこで、崩れてしまう、壊れてしまうかもしれなかった」
私は、朋美だけではなく――かつての自分に言い聞かせるように告げた。
人間は、どうしようもないくらい、脆くて、弱くて、壊れやすい生きものだから、独りになるのだけは避けようと、あらゆる手段を使って、人と繋がろうとする。一人になりたいくせに、独りでいることは避けたがる。
そのことに、やっと、気がついたから。
「ほんと、昔からあんたのそういうところが……大嫌い」
「……そういうところ、って」
朋美がぷはっと吹き出し、あはは、と声を出して笑う。
私がうまく理解できないで混乱しかけていると、朋美がその場で座って「あんたも座りなよ。今更、見下ろされたくない」と私も同じように床に座るよう、促してきた。
「一言でいえば、うちより先に行って理解してるところ。あ、勉強じゃないよ? それならうちのほうが成績良いし? もっとこう……生き方っていうか」
朋美は不器用に手をひらひらさせながら話す。話しながら、小さい頃みたいにいろんなことを話している感覚で、懐かしくなる。
「生き方……?」
首をかしげる。
私は朋美に言われたその言葉を、頭の中で浮かばせた。
「うちは、あんたが……夕夏が羨ましかった。だから、あの事故の話を知ったとき、正直『ざまあみろ、調子乗ってるからだ』って思ったよ。でも、夕夏が復帰するって知らされて、なぜか、その気持ちを隠しきれない気がした。だから、この際、無理やり退部させようと思った。それで、那月たちを使ってさ」
朋美が泣きながら笑っている。それなのに、どうしても、哀しそうに見えてしまって、まだ「どうにかしたい」と思う。助けてあげたい、と思ってしまう。
私は、タツさんが読み上げていた内容と、私がずっと思い悩んで最後に願ったことを思い出した。そして、両手のひらを床につき、前のめりになって口を開けた。
「もう、やめない?」
「え?」
「私、自分だけの力で変われるほど、強くないから、その……」
私は言い出す勇気が、あと一歩足りなくて俯きそうになる。それでも、ぐっと踏みとどまって、顔を上げて朋美の瞳をまっすぐ見つめた。
「一緒に、生きてほしいの」
口が、自然とそう伝えていた。
不思議と、朋美も同じことを考えているような気がして、私はもう、自分を偽ることはできないと思った。
これが正しいかはわからないけれど、今は、これ以外の言葉が浮かんでこないから。
「相変わらずだっての、そういうところ!」
朋美は口角を上げ、ニヤッと笑った。
「昔から、うちらは結局同じことを考えちゃうんだね。……悔しいけど、認めるわ」
私は二回頷いた。
私たちは、二人で一緒にいる時間が、誰よりも一番長くて、あまりにも長すぎて。正反対の性格をした人間、血のつながりもないのに、まるで双子のように似ている部分もあって。気づいたら、私たちは同じことを考えている。
今になってみれば、進路がここまで同じだったのも、ただの偶然ではなくて、必然、そうなる運命だったんだろうとさえ思う。むしろ、そうであってほしい。
「でもさ、すぐには無理かもしんない」
朋美が立ちあがる。
「うちはきっと、これからも夕夏にイライラするだろうし、大嫌いな部分は大嫌いなまま。……無理でしょ? 嫌いなのに、それを破って好きになるなんて」
私は何も言い返せない。その通りだと思ったから。
「それでも、……夕夏が『一緒に』って言うならさ」
朋美が左手を私の目の前に差し出してきた。
「ほら、ホームルーム始まっちゃうから、行くよ」
ほら、早く。そう急かされて、私は朋美の手に引っ張られて立ち上がり、音楽室を後にした。

