「あぁもうっ!」
親も、大人も、みんなみんな、うるさい。大嫌い。全然思い通りにならない。なってくれない。誰も――私の話を聞いてくれない。
冷静になろうと、目を閉じ、深呼吸を繰り返す。鼻から吸い込んだ冷気は、お腹の底からふつふつと湧き上がった熱と共に、口から抜けていく。
後頭部が痛くて、ポニーテールを固く結っているヘアゴムを外した。顔をバサバサと横に揺らして、こげ茶色の髪の毛を振り解く。
なんとなく「こんなことで楽になるなら」と、袖口から覗く白い左腕にヘアゴムを通し、一度だけパチンと弾いた。赤色の線がほんのり浮き上がる。それがどうにも、今の私を嘲笑っているようで。悟られないように、腕から視線を外した。
赤紫色の夕陽が、ゆっくり沈んでいく。公園のベンチに腰かけたまま、私はバッグから入試前最後の期末考査≪四十点≫の答案用紙を取り出した。それを両手で丸め、目の前のゴミ箱に投げ入れた。
「ここから成績上げろって……そんなの無理」
証拠隠滅。お母さんから怒られる確率を減らには、こうするしかない。
中学三年、十二月。
朝のニュースで、天気予報士がはきはきとした声で「夕方は七度近くまで下がり、朝方にかけて凍えるような寒さになるでしょう」と解説していた。……実際はもっと低いだろう。かじかむ両手をこすり合わせて、はぁっと手のひらに息を吐く。
目の前をぼてぼてと歩いている二羽の黒いカラスを、じっと強く睨む。すると、二羽は一緒に真っ黒の羽を大きく広げて、遠くへ羽ばたいていった。その姿が豆粒より小さく、しだいに目視できないほど小さく溶けていくのを見つめた。
いいなぁ、どれだけ嫌なことが起きたとしても、自由に、どこへでも逃げられて。
自由、か。
部活を引退してから、どうにもこうにも、受験に集中できなくて、毎日イライラしている。
理由の一つは、この前初めて受けた模試の結果のせい。しかも、受験前最後という最悪なタイミングで受けたから、会場の雰囲気に飲み込まれて、頭が九割、真っ白になってしまった。
今朝、家を出る時にポストに入っていた結果には、学習全体の基礎が不安定であることが記載されていた。
公立高校の受験にはもう、間に合わない、と心のどこかで気づいていた。それでも、私は内申書に書かれるはずの部活の実績と生活態度で十分、地元の公立高校には余裕で行けると思っていた。
何度もしつこく親や先生達、しまいには合格圏を維持し続けている同級生にまで説得されてしかたなく、志望校を変えた。結局、私立高校――芝原学院高等学校――を第一志望で受験することにした。……させられることになった。
納得なんかしていない。「親のお金で通うことに変わりないんだから」と先生やお母さんに怒られたから。私の人生なのに、私には選ぶ権利がない。
だから、せめてのも抗いとして。ひたすら、歌うことだけを考えて過ごしてきた。
中学三年間、私は、合唱コンクールの全国大会で歌いたくて。そのために、勉強そっちのけで歌ってばかりだった。だから、勉強なんてものは、平日の五日間で受ける授業と、毎日出される膨大な量の課題のみで済ませてきた。
当然の結果と言われればそれまで。それくらいわかっている、つもりだった。でもいざ、客観的な分析結果を突き付けられると、どうしたらいいのかわからなくなる。
合唱の世界に飛び込んだ人間なら、誰もが一度は憧れるあのホール。
今年、やっと関東大会を突破して、全国大会で歌うことが許された。ずっと関東大会で銀賞止まりだったのに、今年は金賞、さらには代表校に選ばれた。
何度も泣いて、先行きが見えないからと、仲間と激しく喧嘩して……。
自由曲の終わりかけは、客席にきらきらした光の雨が降りはじめていて、ステージ上から見惚れてしまうほど綺麗だった。他のどんなステージからも見たことがない、光の輝きに満ちた雨。その雨に圧倒されて視界が滲んで、体がぶるっと震えたのをよく覚えている。
歌い終わると同時に、私の目から、熱を帯びて温かくなった雫が、頬を伝って足元にぽたりと落ちた。
ただただ、静かに泣いていた。
*
あれから、約二年半。
私は一体、いつから、ここまでダメな人間になったのだろう――?
嘘でまみれた世界に、何を期待しているのだろう?
そんな風にうだうだと考えるだけで一日が終わるような、情けない生活を送っている。
自分の気持ちは無視され、他人に都合よく操られる時間。誰も彼もがそこで無理やり生かされているだけだ、と気づいてから、すべてがどうでもよくなった。
"心"があるせいで、消えたくなる。いろんな気持ちを感じては、頭が張り裂けてしまいそうになる。ブラックホールにすべて飲み込まれて、戻ってこれなくなる気がする。
それなら、そんな――"ノイズ"なんてこの手で握りつぶして、跡形もなく、消してしまえばいい。
最初から存在しなければよかったのに、こんなもの。


