地球の果ての島の物語

(柚木)

「ただいま」
「あぁ〜!!」

 玄関の扉が開いたのと、石田が悲鳴をあげたのはほとんど同時だった。
 おれも柚姫も呆れ顔で石田を眺めている。ベッドにうなだれていく石田の体を、帰ってきたばかりの賢吾が後ろからぎゅっと抱きしめた。
 
「拓次、来てたんだ」
「わっ、おかえり賢吾!」
 
 幸せそうな顔で石田に頬擦りする賢吾は見慣れた光景だ。おれも柚姫も何も言わず、広げたボードゲームをふたりで黙って片付け始めた。
 
「何してたの?」
「今たくちゃんが開拓地送りになったところよ」
 
 賢吾の腕の中でもがいている石田の代わりに、ピンク色のうさぎの耳のついたパーカーを着た柚姫が答える。
 おれも柚姫に言われて紫色のねこの耳のついたパーカーに着替えさせられていた。石田はいつも通りのジャージ姿だ。おれもジャージの方が良かったとは柚姫には言えない。
 
「ひどいんだよ賢吾!香流も柚姫も運強すぎてボコボコ子ども産むんだから!」
「最初にハンデやっただろ。それでも負ける石田が悪い」
「くそー!今度は大富豪しよう!」
「懲りねぇなぁお前も⋯⋯」
 
 石田は単純だから悪い目が出たらすぐに顔に出る。付き合いは長いけど、今まで勝負事で石田に負けたことがない。それなのに勝負を挑んでくる石田は諦めの悪いやつだ。
 
「で、どうだった?」
 
 ボードゲームを片付け終えたおれは、さっきより目線の高くなった賢吾を見上げた。
 帰ってくるなり子どもの姿になってしまったおれは、自分の金色の髪が目に入って少し眉を寄せる。
 身体の調整が上手くいかなくてまだ大人の姿には戻れない。眠気はとんだけど、まるでどこかの回路が塞がれてしまったような違和感が残っている。
 賢吾は石田を抱きしめたまま口の端を緩めた。賢吾は石田がいるといつも幸せそうだ。
 
「滞りなく終わったよ。拓次、志賀先輩覚えてる?」
 
 賢吾が言った途端、石田の身体がガタガタと震え出した。
 まるでバイブレーションのような石田はちょっと嫌だったのか、さすがの賢吾もそっと体を離した。
 
「校庭50周、筋トレ100セット、打ち込み1000回のあの⋯⋯?」
「そう。あの志賀先輩」
「お兄ちゃんは知ってる?」
「知らねー」
「香流は遊び回ってフラフラしてたから!俺、本当に剣道部に入ったの後悔したんだよ⋯⋯」

 よく分からないけど石田がメソメソしている。
 剣道部がやばいと言う話はおれも聞いたことがある。でも賢吾が続けているし全く気に留めていなかった。そんなやばかったんだなと他人事のように思う。
 
「その志賀先輩が夏椎の父親だったよ」
「えっ!?」
 
 石田は目を丸くさせて驚いた。
 
「じゃあ、さっき来年うちに来るって言ってた夏椎って子が、志賀先輩のお子さん⋯⋯!?」
「そうなるねぇ」
「志賀先輩と面談するのやだなぁ⋯⋯」
 
 そっか、もし夏椎が学校に通うようになればそういうことも有り得るのか。
 でも石田なら上手くやれそうな気がする。元剣道部だし、夏椎の父親のことは石田に任せていいかな。適材適所というやつだ。
 
「石田がいるなら安心だな」
「え、香流ってばそんな風に思ってたの⋯⋯?」
「アホだから不興を買わずに済む」
「すぐ!バカにする!」
 
 ばふっと石田がベッドに突撃した。相変わらず反応が面白くておれはけらけら笑った。
 
「お兄ちゃん、あんまりたくちゃんいじめないのよ」
「柚姫⋯⋯!」
 
 よしよしと柚姫が石田を慰める。おれと賢吾は顔を見合せた。
 
「いや、柚姫もアホだからな」
「なんなら柚姫の方が大変だったからね」
「柚姫ぃ!」
 
 そして2人して撃沈した。めそめそするふたりを無視しておれは冷蔵庫へ向かう。ふたりの気分を上げるアイテムを出すためだ。
 
「アイス食べるけど、いる?」
「いるー!」

 振り返るとふたりとも元気に手を上げた。単純すぎてどこかほっとする。
 冷凍庫からカップアイスを4つ出して、テーブルに並べた。何も言わなくても賢吾が紅茶をいれてくれる。おれはミルクのアイスを選んで、椅子に座った。深く座ると足が届かないのがもどかしい。

「そう言えば、何で拓次がいるの?」
「急に「腹減ったからなんか食わせろ」って突撃してききた」
「だぁって〜。今日はどうしても香流のご飯が食べたかったんだもん」
 
 石田は学校の寮に住んでいる。住んでいる、のに毎日のように警察庁にやって来る。別に構わないけど、こう毎日来られると石田の自宅がちょっと心配だ。
 
「仕事終わりに柚姫が今日はハンバーグって自慢してくるから。これは行かなきゃ、みたいな」
「だってインスタしなきゃダメって言われてるのよ」
「ハッシュタグ「お兄ちゃんのご飯」って毎回人気だよね」
「⋯⋯⋯」
 
 おれは頭を押さえた。何で世界中に発信してんだこのアホ妹。
 叱りたかったけど、咄嗟に声が出ないのはこの妹には何を言っても無駄だと分かっているからだ。
 
「お兄ちゃんの写真は撮ってないのよ!」
「それをしたらおれは金輪際柚姫に食事は作らない」
「き、気をつけるのよ⋯⋯!」
 
 おれの本気の声に、柚姫はぴゃっと肩を縮こまらせた。
 まぁ、知らなかったのは調べなかったこちらの落ち度でもある。別に作ったものを発信するくらいは許してやろう。
 おれは柚姫の頭を撫でた。柚姫はすぐに抱きついてくる。アホだけどなんだかんだで柚姫には勝てない。まぁおれはお兄ちゃんだからそれも仕方ないか。
 
「良かったねぇ柚姫」
「お兄ちゃん大好き!」
「知ってる」
「今日も一緒に寝るのよ!」
「はいはい」
「たくちゃんもお泊まりするのよ!」
「いいよ!」
 
 石田は賢吾の隣に座りながら嬉しそうに即答した。いつも通り全然帰るつもりがない。
 
「拓次、明日も仕事じゃないの?」
「賢吾も仕事でしょ?一緒に通勤しよ」
「もう住んだらいいのに」
 
 賢吾が石田のおでこにキスをすると、瞬間湯沸かし器のように石田の顔が真っ赤になった。おれと柚姫はいつもの光景なので気にせず黙々とアイスを食べ進める。
 
「も、もおお!不意打ちずるい!」
「口にはしてないよ」
「そういうのは結婚してから!!」
 
 石田が叫んで、アイスの蓋を開けた。石田が来ると毎回賑やかだな。その賑やかさは嫌いではないので、BGMのように聴き流していると柚姫がおれの袖を引いてきた。

「お兄ちゃん、いちごひと口あげるのよ」
「じゃあおれのも食べる?」
「うん!あーん」

 口を開ける柚姫へスプーンを近付けると、柚姫は嬉しそうな顔をして両頬を包み込む。
 おれも同じように口を開けた。口の中へ広がるいちご味のアイスがほどけていくように溶けていく。

「これどこのアイス?」
「中川が持ってきてくれたアイスだからどこのか知らない」
「今度ゆずもお土産買ってくるのよ!」

 柚姫が張り合うように眉毛を釣り上げた。おれはアイスが増えるのは嬉しいけど、冷凍庫のスペースには限りがある。
 それでも、嬉しい。頬を緩ませていると、ふ、と急に空気が冷たさを帯びた。
 全員一斉に立ち上がる。この棟には結界が張られているのに、このひりつくような空気はなんだ。

「香流」
「賢吾、石田、アイス冷凍庫に直しといて」

 おれは言い残すと、ベランダに向かって走り出した。
 裸足のままベランダへ飛び出すと、背中の冷たさが追ってくる。ベランダから一気に身を乗り出して、夜空の中へ飛び込むとルフが後を追うように羽を広げておれの下へ潜り込んだ。

「お兄ちゃん」

 隣から柚姫が顔を出す。着いてきてたのか。おれは柚姫へ頷くと、誰もいない空の上でルフを旋回させた。

 目の前には、タコのようなたくさん脚の生えた顔を持つ何かが浮かんでいた。

 ぞ、と背筋が粟立つ。あれは夏椎へ銃を突きつけたときにいた、よく分からない高次のやつらのひとりだ。
 目も鼻も口もない。ただ、紫色のタコだ。脚には吸盤がついていて、それなのにその下に胴体があるからどこから顔でどこから身体なのかさっぱり分からない。

《記憶を》

 胴体っぽいところから腕を伸ばして、タコが喋った。
 記憶。その単語にぞわっと鳥肌が立つ。おれが黙っていると、柚姫が手を広げておれの前に立ちはだかった。

「分かったのよ」

 柚姫が真っ直ぐにタコを見つめたまま告げると、タコの姿がふっと掻き消えた。
 意味が分からない。なんなんだアイツは。記憶?記憶って誰のだ。誰の、いつの記憶を指している。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 柚姫がルフの上に乗って、体を支えてくれる。
 目が霞む。急に抗えないほど重くなった体が崩れていく。
 身体の芯から冷える感覚がする。アイツのせいなのか。ゾワゾワと肌が粟立つようで、服が擦れるだけでも気持ちが悪い。

「お兄ちゃん⋯⋯!」

 柚姫の声が遠くに聴こえる。
 柔らかなルフの感触が心地いい。おれは重くなっていく瞼に抗えず、そのまま、意識を遠くへ手放した。