地球の果ての島の物語

(夏椎)

 食事を終えた俺達は、カウンターテーブルに腰掛けて他愛のない話をした。
 
 学校の話。
 アメリカでの生活。
 翔真と晃がどうやって生きてきたかの話。
 
 こんなに父さん以外の人と話をしたのは初めてだ。話が弾んでいた俺達の上から、マスターさんがテレビからにゅっと帰ってきた。
 思わずビクッと肩を揺らす。なるほど、自分たちもあんな出入りの仕方をしていたのか。それは出入口がテレビのままでは都合が悪いし、営業妨害だ。
 
「ただいま。椎ちゃんのお部屋は寝室のお隣で良かったかな?勉強道具があるからそうかなと思ったんだけど」
「はい、合ってます」
「それで、こっち側のゲートだけど⋯⋯どうしようか」

 俺の部屋とこちらを繋ぐ扉をどうするか。
 翔真と晃が同時に手を挙げた。俺は見て見ぬ振りをして、あの、と躊躇いがちに手を挙げる。
 
「とりあえず、テレビ以外ならどこでも⋯⋯」
 
 喫茶『兎の目』のテレビは、壁掛けテレビなので手の届かない位置にある。
 あれでは大きいものは運べない。移動させたいのはやまやまだけど、こちらのことをまだよく知らないのですぐに答えは出てこなかった。だからと言って誰かの家では父さんが来た時に後々困るから安易に決めることは出来ない。
 
「どこかのマンホールの下とかじゃダメですかね?」
 
 上がダメなら下から出入り。
 誰の迷惑にもならない場所だと思ったけれど、マスターさんは苦笑混じりに小首を傾げた。
 
「ここから知らない人がそっちに行ったら困らない?」
「困ります」
 
 見られて恥ずかしいものはないとは言え、知らぬ間に知らない人に家に入られているのは何か嫌だ。
 腕を組む俺に微笑んで、マスターさんが人差し指を立てて提案をした。
 
「椎ちゃんさえ良ければ、住むところが見つかるまでうちのロッカーに繋げようか?」
「ロッカー⋯」
「最初に買った時に間違えて、5個くらい届いちゃったんだよね」
「あー、あの開かずのロッカー?」
 
 翔真がぽんと両手を打った。どうやら心当たりがあるらしい。
 
「もう、おれん家にしたらいいのに」
「俺も見られて困るものはない」
「ダメ。いずれ父さんも出入りするんだから、父さんとふたりで住めるところを探すよ。だから2人の家には住まない」

 成人するまでは一緒に暮らそうと約束している。それを息子の俺から破るわけにはいかない。
 キッパリ言うと、2人の肩がしゅんと落ちた。でも、俺だって父さんとの約束だけは譲れない。
 
「じゃあ、とりあえずここのロッカーに繋いでおくね。またアメリカに戻る時に場所を教えるから、ゆっくりしてて」

 マスターさんが厨房の扉を開けて入っていった。
「厨房の真横がロッカールームなんだよ」と翔真が教えてくれる。
 
「家を借りるためはどこへ行けばいいんだろう」
「大人がいないと無理なんじゃない?」
「父さん、半年くらい帰ってこないって言ってたから、3月くらいまでどこか仮住まい出来たらいいんだけど⋯⋯」
「そうなんだ。あ!4月になれば高校生になるね!」
 
 翔真が嬉しそうに両手を打った。そっか。翔真に言われるまで失念していた。
 
「日本とアメリカじゃ学校制度も違うもんね」
「そうなの?」
「こっちは9月に新学期が始まったばかりだったんだけど、⋯⋯そう言えば2人とも学校は?」
「サボった!」
「あまり行ってない」
「自信満々に言うことかなぁ?」
 
 まぁ俺も人の事言えないか⋯⋯と考えて、肩を落とした。
 
「マスターが戻ってきたらアメリカ行く?」
「荷物取りに行きたいし、そうしようかな」
「また攫われたらどうするの?」
 
 翔真が神妙な顔で手を握ってきた。そんな1日に何度も攫われたらたまったものじゃない。
 
「すぐ戻るよ」
「さっきもそう言ってた!」
 
 翔真がぎゅうっと抱き着いてくる。人間の状態だと抱き着かれると少し重い。
 
「ニールで必要なもの買いに行こうよ〜。おれん家に歯ブラシも余ってるよ。パジャマも貸すから!」
「えー⋯⋯じゃあ一緒に俺の家に行くのは?」
「犬になっちゃうからやだ」
 
 翔真の尻尾がしょぼんと垂れた。俺は言葉を飲み込みつつ、内心で強く思う。
 ポメラニアンの翔真可愛いのに。

「俺もアメリカ行きは反対だ。何が起こるか分からん」
「でもずっと翔真に借り続けるわけにもいかないでしょ」
「その時は買いに行けばいいじゃん!」
「お金なんか持ってきてないし、それも取りに行かないと⋯⋯」
 
 堂々巡りの会話を続けていると、リンリン、と扉に備え付けられた鈴が音を立てた。
 翔真の犬耳がぴくりと反応する。俺もつられて扉の方を見ふと、そこにはすらりと背の高い男の人が立っていた。
 
「こんにちは」
 
 柔らかな低い声音で、男の人が軽く会釈する。
 緩い天然パーマの黒髪に、スクエアレンズの奥に見える灰褐色の瞳の整った顔立ちの男性だった。濃い緑のタートルネックと、ジーンズ。右腕にはスマートウォッチを付けている。
 
「川崎先生!」
 
 真っ先に翔真が反応した。目を輝かせてブンブン尻尾を振っている。
 翔真の知り合いか。俺は内心ほっとした。でも、川崎先生と呼ばれた男性に人外らしいところはひとつも見当たらない。
 
「柚木に頼まれて来たんだけど、翔真くんと晃くんの間にいるのが夏椎くんかな?」
「は、⋯⋯はい」
 
 答えていいものか迷ったけれど、俺は素直に頷いた。あの柚木さんの知り合いとは言え、俺は同僚の女性に一度連れ去られている。警戒するに越したことはない。
 
「急な仕事が入ったからって代わりを頼まれたんだ。俺は普通の人間だから、君に何か危害を加えられる能力は持っていないよ」
 
 ―――普通の人間。
 普通の人間と、この人は言った。俺はつい口を開く。
 
「迷い子さん⋯⋯?」
「いや、なんと言うのかな⋯。俺はこの島を作った神様と懇意にしているんだ。そう言う立場のただの人間だよ」
「川崎先生はお医者さんだよ!人も犬も人外も診れるいい人だから安心していいよ!」
「翔真はよく怪我して来るもんねぇ」
 
 川崎先生と呼ばれた男性と翔真が朗らかに話している。
 人間で、柚木さんの知り合い。それだけの情報でこの人を信用しても良いものだろうか。
 分からない。判断材料はあれど、信頼に値する決定打がない。
 
「夏椎、大丈夫だよ。川崎先生は優しいんだよ?院長はやなやつだけど」
「院長は動物嫌いだからね」
「でもおれは犬人間だもん!」
「犬って入ってるからじゃないか?」
「晃〜」
 
 翔真よりは明らかに警戒心の強そうな晃が、翔真をからかうように話の流れに入ってきた。
 
「晃も知ってる人?」
「知ってる。この島の大人にしては常識人だと思う」
「晃には言われたくないよね〜」
 
 翔真がからかい返した。幼なじみだからか、何だかんだで仲のいい2人だ。
 
「柚ぽん大丈夫なの?」
「同僚に書類業務放り出して脱走してたらしいから、今頃机で缶詰めかな」
 
 川崎先生はダイニングチェアを引いて、翔真の隣に座った。
 翔真が嬉しそうに尻尾を振っている。俺だけが緊張している状況のアンバランスさに、つい肩の力が抜けるようだった。
 
「柚ぽん書類業務大嫌いって前に言ってたよ」
「香流は動き回ってる方が性に合うんだよ。森の中で育ってるからね」
「野生児じゃん」
 
 翔真の突っ込みに我慢出来ず笑ってしまう。翔真も俺につられて笑い声をあげて、張り詰めた糸が解けていくようだった。
 
「俺と香流―――、柚木は幼なじみなんだよ。君たちも幼なじみなんだろう?」
「うん!おれたち、夏椎が幼稚園の制服着てた時からの友達だもん!」
「可愛かったな、あの時の夏椎も」
 
 しみじみ言う晃も俺と同い年のはずなんだけどなぁ。
 その時、ふと俺はアルバムの存在を思い出した。
 アルバムと言っていいのか、雑に写真が詰め込まれたファイルが寝室に置いてあったはずだ。
 見返すこともないのですっかり忘れていた。もしかするとふたりと撮った写真が残っているかもしれない。
 
「翔真、晃。俺、アルバムのことを思い出した」
「アルバム?」
「もしかしたら、2人が写っているかもしれない」
 
 俺の言葉を聞いて、翔真と晃は顔を見合せた。
 
「どうだろ⋯⋯?おれ、直接龍司さんに会ったことないんだよね」
「俺もない」
「えっ、そうなの?」
「⋯⋯龍司?」
 
 川崎先生が、口元に手を当てて父さんの名前を呟く。
 俺が尋ねる前に、翔真が唸りながら腕を組んだ。尻尾がくるりと曲がっている。
 
「だって、夏椎その時変な家に住んでたんだもん。たくさん黒い服のおじさんがいっぱいいる怖い家。みんな犬嫌いって言ってて入れてもらったことなかったもん」
「俺は入ったことあるぞ。でも夏椎の父親は知らん」
「なんでぇ⋯⋯?」
 
 覚えていないのでわけが分からない。あの父さんが俺が出入りさせている子どもを知らないなんてことあるか?
 でも、確かに父さんが翔真を知っているなら絶対にアメリカへ連れて行ったはずだ。よく動物が出るテレビも見ていたから動物好きなのは間違いないし、犬飼いたいなぁと零していたことは覚えている。
 
 じゃあ、父さんは、小さい頃俺の側にいなかったってこと?
 
 そんなわけない、と思うんだけど⋯⋯思うばかりで答えは出てこない。
 
「夏椎くん、名字は?」
 
 悩んでいる俺に、川崎先生が声をかけた。俺は反射的に「志賀です」と答える。
 
「志賀龍司」
 
 川崎先生は口元に手を当てたままふふっと笑った。
 
「あぁ、なるほど。君が志賀先輩の息子だったのか」
「え⋯⋯?父さんのこと知ってるんですか!?」
 
 俺は思わずガタンと音を立てて椅子から立ち上がる。
 
「うん。俺は学生時代剣道部だったんだけど、中学1年生の時に志賀先輩は高校3年生だったよ。卒業してからもちょくちょく教えに来てくれてたからよく覚えてる」
「あ、剣道部にいたことは聞いたことあります!トロフィーも家にありますよ」
「優しいけど、容赦もない人だったな。10年前にこの島を出てからの消息は分からないけど、元気だったなら何よりだ」
「⋯⋯そうなんですね」
 
 10年前。
 
 父さんが俺を連れてこの島を出た理由を、俺は知らない。
 どこに住んでいたのか。誰と過ごしていたのか。父さんは15歳で父親になって、どうやって俺をここまで育ててくれたのか。
 父さんは、母さんの話はよくしてくれたけど、それ以外の親族の話は頑なにしなかった。
 一度だけ、「おじいちゃんやおばあちゃんはいないの?」と聞いた時に、見たことの無い険しい顔をしていたからそれ以上は聞けず終いだったことは覚えている。
 おじいちゃんやおばあちゃんの話をすることは悪いことなんだと。
 そう俺は記憶した。その記憶の仕方が正しかったのかは分からない。けれど、それきり父さんの険しい顔は見たことがないから、きっと父さんにとっての地雷であることは間違いない。
 
「⋯⋯何があったのかな」
「夏椎⋯」

 父さんが、幼少期の話をしたがらなかったのは。
 俺も聞かなかった。父さんはいつも今を大事にしていたから。今やるべき事をするのが大切だと。今の俺が一番大事だといつも話してくれた。
 その言葉に嘘はないと思う。でも、その言葉が昔のことを隠すためだったのなら。
 俺に過去を探らせないようにするための言葉だったのなら。
 それは―――少し、寂しい。
 
「夏椎、大丈夫だよ。今こうしておれ達元気で会えたんだから!元気出そうよ!」
 
 翔真が笑顔を作って俺の腕をとる。
 俺は勢いよく翔真の頭を撫でた。わしゃわしゃと、犬にするように撫でると翔真は嬉しそうに眉尻を下げる。
 
「やっぱり夏椎と一緒なら犬でもいいなぁ」
 
 ぼん、と煙を立てて翔真がポメラニアンなった。俺の膝でゴロゴロと甘えるポメラニアンの翔真を、呆れたように晃が眺める。
 
「お前は脳天気だな」
「犬だからね!」
 
 確かに。俺は納得した。それと同時に、さっきまでのモヤモヤがどこかへ吹き飛んでいくようだった。
 
「川崎先生が、父さんと電話してくれるんですか?」
 
 翔真のお陰で気持ちが切り替えられた。やっぱりもふもふは正義だ。これこそがアニマルセラピーなんだと声を大にして叫びたい気分だ。しないけど。

「うん、そのつもりで来たよ。夏椎くんがこの島に住む許可が下りたってきちんと伝えないとね。香流は志賀先輩のことを知らないから、俺が来て良かったよ」
「柚ぽんは剣道部じゃないの?」
「香流は部活には入ってなかったな。ずっと友達と過ごしてたよ」
「友達いたんだ、柚ぽん」
「うん、いるよ。今もしょっちゅう遊びに行ってるよ」
 
 くすくすと川崎先生は笑った。
 柚木さんの友達、どんな人なんだろう。川崎先生のように落ち着いた大人の人か、柚木さんみたいに優しい人なのかな。
 
「志賀先輩は今何してるの?」
「アメリカで俳優のお仕事をしてます」
「そうなんだ。志賀先輩なら何でも出来そうだもんね」
「龍司さん俳優さんなんだ。何に出てるの?」
「最近だと『ミスターX』シリーズとか⋯。日本で流行ったのだと『ブラック・メン』とか?」
「えっ、おれそれ見たことある!」
「俺はない」
 
 翔真と晃が口々に言った。晃はともかく、翔真が知っていたのは何となく意外だ。
 
「どこで見たの?」
「ここでバイト中。お客さんがマスターと一緒に見ようってDVD持ってきてたよ」
「そうなんだ」

 こんなレトロな喫茶店で見るような映画じゃないと思うけど。これぞアメリカ映画って感じのなかなか派手なアクション映画なんだけどなぁ。
 
「志賀先輩は今は仕事中?」
「次の撮影場所がドイツなので、まだ空の上だと思います。Wi-Fi使ってメッセージのやりとりは出来るんですけど、さすがに電話はできないみたいで」
「後どれくらいで到着するか分かる?」
「さっき聞いた話では日本時間で夕方の6時には着くそうです。それからホテルに移動して落ち着くのは7時過ぎくらいかな⋯」
 
 川崎先生はスマートウォッチを確認した。俺も壁時計を見上げると、現時刻は4時前だった。夜まではまだまだ時間はある。
 
「そうか。なら、その間はどちらかの家に?」
「おれの家に行くよ!」
 
 翔真がぴょこんと返事をした。俺は了承した覚えはないんだけど、勝手に行き先を決められている。
 
「なら、それくらいの時間に翔真の家にお邪魔するよ。翔真は12階だったかな」
「そうだよー、12階の1205号。晃はその隣!」
「じゃあ、また後で。⋯⋯あ、そうだ」
 
 川崎先生は立ち上がると、ズボンのポケットから財布を取り出した。その中から、メモの切れ端を取り出す。
 
「これ、香流と俺の連絡先。それと、今はアメリカには帰らない方がいいみたいだよ」
「えっ?」
「さっきニュースに上がってたんだけど、人身売買組織が摘発されたのと、とある西洋貴族の不審死で現世は大騒ぎみたい」

 ―――「あと数十分で南方のお貴族様が検品に来る」

 そう言えば、あの時扉の前でボストンバッグ男が言っていた。
 行っちゃったんだ⋯⋯。そして、たぶん食べられちゃったんだ⋯⋯。
 俺から乾いた笑いが漏れた。もう絶対あそこには近付きたくない。

「ねぇねぇ、川崎先生お小遣いちょーだい!夏椎お金持ってきてないんだって!」
「いいよ。一緒に買い物にでも行っておいで」
「えっ!?」
 
 川崎先生は財布ごとぽんと翔真に手渡した。翔真がまた煙を立てて人型へ戻って、大事そうに握りしめる。

「わーい!太っ腹ー!」
「翔真に甘すぎる」
「弟みたいなものだからつい⋯⋯。香流には内緒だよ」
「いや、アイツも翔真には甘いぞ」
「晃も甘やかされてるくせにー」

 勝手に話が進められていく。川崎先生が立ち上がるので、俺は慌てて立ち上がって川崎先生の腕をとった。
 
「あ、あの、後で返しますから!」
「いや、志賀先輩にはお世話になったし気にしないで。子どもはきちんと大人に甘えておきなさい」
 
 川崎先生は柔らかく微笑んで、俺の手を離す。有無を言わさない大人の迫力に俺は戦慄した。

「あ、ありがとうございます!」
「ふたりがいれば大丈夫だろうけど、気をつけてね。何かあったら連絡して」
 
 川崎先生は俺達に手を振ると、扉へ向かって歩き出した。そのまま出ていく背中を見送って、俺ははぁ〜と深い息をつく。
 
「すごくいい人だ⋯」
「でしょ!」
「さ、買い物にでも行くか」
「お菓子買おう、お菓子!」
「無駄遣いはダメだからね!」

 放っておいたら全額使いかねない危機を察して、俺は翔真から財布を奪い取った。不貞腐れる翔真は随分甘やかされて育ったようだ。しっかり俺が監視しなければ。