地球の果ての島の物語

(夏椎)

 とても静かだ。
 家に帰ってすぐに思ったのは、そんな感想だった。
 2人暮らしには広いリビングルームに、漆塗りのテーブル、椅子も同じものをあつらえた。キッチンも俺が使いやすいように少し低めに用意してもらったのはよく覚えている。
 ひとりで留守番することが多くなるからと、自分から父さんにお願いした。
 
 ひとり。
 
 友達なんて呼んだことがない。志賀龍司の息子と知られるのが怖かったから。それは恥ずかしいとかそんな理由ではなく、ただ単純に父さんに迷惑がかからないように。
 この家に来るまで、色んな場所へ行った。定住したのはほんの半年前だ。俺がひとりで居やすいように、父さんと一緒に色んなことを決めて、色んなものを用意して。
 ここに居ると安心した。父さんと選んだものが見守ってくれているような感覚を覚えていたから。
 
 ―――なのに。
 
 少し賑やかに過ごしただけで、こんなにも違うのか。
 
「⋯⋯早く、戻ろう」
 
 寂しくなりたくなかった。この家で、そんな感情は持ちたくなかった。
 俺ははやる気持ちをおさえて、足を進ませる。進ませたかった。でも、全く身体が先へ進まない。
 
「⋯⋯⋯」
 
 晃の影は俺を離すものかと腰元に纏わりついている。俺はそっと晃の影に触れると、出来るだけ優しい声で言った。
 
「すぐ戻るから」
 
 小さな子どもに言い聞かせるように言う。
 けれど、影は離れない。
 
「ちゃんと戻るから⋯⋯」
 
 念を押した。
 影は離れない。
 
「俺そんな信用ないかなぁ⋯⋯っ」
 
 力いっぱい引っ張ってみた。
 それでも影は取れません。
 
「もー!帰ってきた意味なくなるだろー!5分で走るから離して!」
 
 ついに耐えきれず叫んでしまった。ようやく、影が俺から離れていく。俺は思わずため息をついた。
 
「スマホ持ってきたらすぐ帰ってくるから、待ってて」
 
 影に向き直って、宥めるように言い聞かせる。
 この影にどこまで意思疎通ができるかは分からないし、晃と繋がっているのかも分からない。それでも何となく納得はしてくれたようで、俺から離れてふわふわと漂いながら待機してくれている。
 俺は急いで2階へ向かうためにリビングのドアを開けた。階段に足を踏み入れ、ようとしたその時、
 
「――!?」
 
 誰かが俺の腕を引っ張った。
 誰かを確認する暇もなく、何かを口に押し当てられる。濡れている布、だ、と思う間もなく、ぐらりと身体が傾いた。
 
 ―――昏倒する。
 
 抜けていく力と身体は誰かに抱えられたことは理解出来ても、身体の力が入らない。
 為す術なく、俺は意識を手放した。
 

★★★★★


 次に、俺が目を覚ましたのは酷く冷たい床の上だった。
 剥き出しのコンクリートの上に寝かされている。どれくらい寝かされていたのか分からないけれど、身体は痛くないからそんなに長い時間ではなさそうだ。
 
 ⋯⋯誰かいる。
 
 人の気配がする。俺はさっきまでの自分を猛省した。
 いくら自宅であっても、もう少し警戒しておくべきだった。あんなアッサリと後ろを取られるなんて不甲斐ない。
 
 拐われたのはこれで5回目だ。
 
 10歳を過ぎてからはあんなヘマはしなかったのに、寂しさと焦りで周囲への警戒と対策を怠っていた。
 静かに、気取られることのないように、俺は眠っているフリを続ける。
 
 さて、現在の状況を分析をしよう。
 床はゴツゴツしているけれど、何か掴めそうなものはない。近くにテーブルの類もなかった。殺風景なフロアといったところかな。
 ありがたいことに、脳はクリアだ。何か嗅がされたような感じはしたけど、現状身体に違和感はない。
 
 ―――いや、違和感はある。両腕と両足が縛られている。
 
 動かそうとすると締め付けてくる。感触は縄のようだ。そこまで理解した俺は、うっすらと目を開けた。
 
(背が高くて固そうなのがひとり、背は高くないけど重そうなのがひとり⋯⋯)
 
 四方のコンクリート壁が見える。部屋は狭くて、ドアはひとつしかない。そのドア付近に立つ2人の腰にホルスターのようなものが見えるので、もしかしたら銃を持っているかもしれない。
 武器を持っているなら現状打破がかなり楽になる。俺は目を閉じて耳へ神経を集中させた。
 
「⋯⋯おい、まだか」
 
 くぐもった男の声が聞こえる。
 
「まだ連絡はないよ。ゆっくり待ちな」
 
 もう片方は女の声だ。
 
「せっかく80万ドルで買ったんだ。鮮度のいい内に抜かないと買い叩かれるぞ」
「あの薬なら大丈夫だろう。仮死状態にするだけだよ」
「売人のやつ、金持ってそうな家から連れてきたって言ってたぞ。さっさとしないと親が探し始めるんじゃないのか?」
「いや、それはないね。親はドイツ行きの便に乗ってるよ」
 
 ―――どういうことだ?
 
「なんだ、そこまで調べがついてるのか?」
「あぁ、何でもハリウッドのお偉いさんのボンが依頼主らしいよ。狙っていた役を取られただのなんだの、要するに逆恨みさ」
「ハリウッド絡みか。という事はこいつは⋯⋯」
「志賀龍司の隠し子か兄弟か、何にせよ身内には間違いないな」
 
 身体がすっと冷えていくのを感じる。
 血の気が失せていく。父さんと俺は正真正銘親子なのは間違いない。でも、父さんは子どもがいると公表はしていないし、俺だって志賀龍司が父親だと誰かに言ったことは無い。
 このことを知っているのは父さんのマネージャーさんと、極わずかな人達だけだ。
 
(世間に出る前に情報を消さないと)
 
 父さんの仕事に支障をきたしてしまう。
 マネージャーさんに言われたことがある。父さんはまだ若いから、14歳の息子がいるのは心象が悪いと。
 生きているだけで父さんの重荷になっていると分かっている。それでも、父さんをひとりにしないために俺は生きていなければならない。
 あの優しい父親は、存外寂しがり屋だから。
 
「世界のリュウジの身内を捌いても大丈夫なのか?」
「寧ろそのまま売るよりは足がつかんだろう」
「へぇ、それはそれは徹底的な嫌がらせだな。コイツも可哀想に」
 
 足音が聴こえる。どちらかが近付いてきた。
 眠ったふりをひたすらに続ける。その間に、いくつかの脱出プランを脳内で組み立てていく。
 俺には、一人暮らしをするに当たって父さんと決めたことがいくつかあった。
 
 ひとつ、自立できること。ひとり暮らしが出来ないと父さんを快く送り出せないと思ったからだ。
 
「言われてみれば似てるかぁ?」
 
 男の声が近くで聴こえる。髪を握られているらしい。脱力させた身体が宙に浮く感覚がするけれど、俺は一切の力を加えない。
 
 ひとつ、勉学を疎かにしないこと。将来の選択肢は多い方がいいとマネージャーさんに言われた。俺は俳優業に興味はないし、何より人前に立つことは得意ではない。
 
「コイツは男か?女か?」
「そこまでは知らん」
「確認しようぜ」
 
 ひとつ、自分の身は自分で守ること。
 
 男の手が足縄の付近で動いている。―――運がいい。お陰で足が自由になった。
 仰向けに寝かせられ、ズボンに手がかけられる。
 俺は目を開けた。
 
「がっ!」
 
 狙うなら顎。真下から両足蹴りを繰り出すと、男が後ろに仰け反る。
 そのまま、男の両肩に足をかけて上体を起こして頭突きをお見舞いした。男が後ろに倒れていく流れに乗って、足が地面に着いた瞬間今度は女目掛けて走り出す。
 
「なっ⋯⋯!?」
 
 女が銃を構える。
 銃の軌道は直線だ。俺は足を踏みしめると、ジグザグ走行に切り替えた。
 
「コイツ⋯⋯!」
 
 俺は地面を踏みしめて、壁に向かって跳躍する。壁を足掛けにして、女の側頭部目掛けてドロップキックを放った。
 ドスン、と女の身体が倒れる。軽く3桁は超えていそうな体格でも、勢いさえつければ何とかなるものだ。
 俺は一息をつくと、両手の関節を外して縄を解いた。冷めた思考が次の行動を組み立て始める。
 
 とりあえず、銃は借りておこう。
 
 意識を失った女の手から銃を拝借する。護身用の軽いハンドガンだ。威力は少ないけれど、何かの役には立つ。
 部屋が狭いのは俺にとっては有利だ。軽く準備運動をして、銃はズボンのポケットにしまう。
 俺の体重は40Kg程度。この軽さを活かして敵をいなすなら、勢いをつけるか俊敏さで翻弄しろと教えられてきた。
 俺には身を守る術を身につける必要があった。それは、己を死なせないためだ。それは単純に身を守るためでもあり、たった一人の家族のためでもある。
 それに協力してくれたのは、他ならぬ父さんだった。
 
(早く帰ろう)
 
 人外相手の立ち回りは想定していなくとも、人間相手なら幾度となく経験している。
 女は重かった。倒れた時にそこそこ響いたはずだ。
 扉の外側で足音がする。
 俺は扉の内側に立って意識を集中させた。
 
「おい、何の音だ」
 
 無造作に扉が開けられた。なんて緊迫感のない動きだ。でも、俺にとってはありがたいことこの上ない。
 
「ぎっ!?」
 
 瞬時に両膝を撃ち抜く。崩れる男の影に隠れて、背後を確認すると、後2人。正直、全部相手にするのは面倒だ。丁度倒れた男と、背後の男の間に隙間がある。
 
「何だ!?」
 
 その隙間へ猫のように身体を滑らせ、一気に駆ける。
 男達が反応するより先に、開いている部屋へ素早く逃げ込んだ。
 内側に回り込んで、ドアノブに足をかけて扉の上へ登る。そのまま気配を消して、扉の向こうの様子を伺う。
 
 バタバタと外から足音がする。
 
 足音は1、2⋯⋯少なくとも3人はいそうだ。昏倒している最初の2人と、膝を撃ち抜いた1人を介抱している者もいるだろうから、この中には6人以上はいる計算になる。
 扉の外は、コンクリートの廊下だった。姿を目視される前にここへ逃げ込んだため全貌は見られなかったけれど、恐らく、俺がいた部屋の右から3人が来て、左に廊下が伸びていた。
 部屋は先程までいた狭い部屋と、ここと、この部屋の正面にも開いていない扉が見えた。右から3人が来たのだから、右にも扉か、もしくは出入口があるのかも知れない。
 廊下は行き止まりのようにも見えたし、まだ続いているようにも見えた。これは確証がない。確証がないものは触れない方がいい。
 足音が左側へ遠くなる。
 やっぱり廊下は続いていたのか、それとも階段があるのか。
 やがて、足音が聴こえなくなった。ひとまず静かになった空間にほっとする。
 ただ、油断は禁物だ。まずは、現在隠れている部屋を目視する。
 部屋は電気が付けられていた。だからといって誰かがいるわけではなさそうだ。これも運が良かった。誰かがいれば落ち着く前にまた戦闘になっていたところだ。
 俺は軽い。その分、機敏さはあっても攻撃に重みは無いので相手を昏倒させるにはかなりの神経を使う。
 出来るだけ戦闘したくないのは、そういった理由もあった。
 
(棚、台、ライト⋯⋯?)
 
 ひとつひとつ確認をしながら、俺は心の中で呟く。
 部屋の広さは、最初にいた部屋とほとんど変わらない。違うのはその部屋の構造で、何も無かった最初の部屋と比べて、物が多かった。
 部屋の奥には、棚がある。2つ並んだ棚に、薬瓶や、やや大きめのガラス瓶、ステンレス製の平べったい箱、それと⋯いくつかの薬品が雑然と置いてある。
 中央には、人が1人乗れそうな台。扉側から見て、右側に大きなライトが備え付けてあった。
 これは、まるで⋯⋯。
 
(――なるほど)
 
 最初の2人が言っていたことの合点がいった。
 捌く。売る。要するに、臓器売買のことだ。子どもの臓器はよく売れると言うし、ここはそのための施設ということだ。
 なら、手術台の横に置かれているボストンバッグは?
 
「⋯⋯⋯」
 
 俺は扉から飛び降りて、足音を立てないように手術台へと近付いた。
 近くで見ると血の跡がある。
 俺が何とも言えない気持ちでボストンバッグを見下ろしていると、ボストンバッグの裏側からごそりと音がした。
 思わず息を飲む。俺が視線を逸らせずにいると、小さな生き物がボストンバッグの影からひょっこりと現れた。
 
「うさぎ⋯⋯?」
 
 それは、真っ黒な、瞳まで真っ黒な手のひらサイズの子うさぎだった。
 ぽかんと見つめていると、うさぎが跳ねながら俺の足元へと近付いてきた。何で、こんな所にうさぎ?まさか他に拐われた誰かが連れていたとか?
 俺は咄嗟にうさぎを抱き上げる。うさぎは身動きひとつせず、大人しく抱かれていた。
 
「おい、早くあのガキを探し出せ!」
「捌く前に半殺しにしてやる!」
 
 突然、扉の外から怒号が響いた。
 部屋が狭いせいで、ビリビリと振動している。腕に抱いたうさぎが身をすくませた。
 
「金は先にもらってんだ、さっさと見つけて殺せ!」
 
 掠れた声の男が、叫びながら部屋に入ってくる気配がする。
 俺は台の裏手にしゃがみ込んで、じっと様子を伺う。男はドスドスと不機嫌を足音に表しながら、右側――ボストンバッグの方へ歩いていくようだった。
 咄嗟に、うさぎが身動ぎする。
 
(飼い主だったのかな⋯⋯)
 
 今にも飛び出しそうなうさぎを抑えながら、俺は物音を立てないように男の死角へ移動した。男の動向を見守るためだ。この状況で飛び出すのは悪手になりかねないし、恐らく、男も銃の類を持っている。
 
「こっちもさっさと運んじまえってのに」
 
 男はボストンバッグを抱えると、踵を返した。男が部屋を出ていく姿を見送っていると、うさぎがガブリと俺の指を噛んだ。
 俺は動かない。アレが何か確証はない以上、軽率な行動は取れないからだ。
 
「おい、いたのか!?」
 
 男の足音が遠くなる。他の誰かの声も離れていったところを考えるに、部屋を出て行ったと見て間違いなさそうだ。
 俺はそっとうさぎの口から指を抜いた。噛まれた箇所、左手の人差し指に血が滲んでいる。拭くものがないのでパーカーで拭うと、すぐに血は止まった。良かった、跡を残さずに済んで。
 
(さて、どうしようか⋯⋯)
 
 あの様子だと俺が見つかるまで捜索は止めなさそうだ。
 下手に逃げて父さんに迷惑がかかっても困る。いっそ全面的に対決してしまおうか?
 恐らく家もバレているし、帰ったところでまたあの男達が来てしまうなら逃げる意味が無い。
 視線を感じてふと目線を下げると、じっとうさぎの黒い瞳が俺を見つめている。
 何か言いたげな瞳に、俺は首を傾げた。
 そして、―――うさぎはおもむろに口を開いた。
 
「ねぇ。あのおっきいかばん、取り返して」