地球の果ての島の物語

(夏椎)

 戸建てや集合住宅の建ち並ぶ住宅エリアを横目に見ながら、3人で並んで歩道を歩く。
 人通りは少ないけれど、上を飛んでいく人型のなにかが通る度落ち着かない。時折、側を通っていく人たちにくすくすと笑われてしまうけど、ふたりとも手を離してくれる様子はなかった。
 
「ねぇ、こんなにくっつかなくても大丈夫だと思うけど」
「油断、ダメ、絶対」
「そうだぞ。ところ構わず連れて行かれる」
 
 全く信頼されてない。俺、そんなにひ弱に見えるのかな。
 いや、確かに為す術なく掴まれたし、為す術なく空へ飛んだ。この島の人外達には人間相手の常識は通用しない。それは先程(じか)に痛感したところだ。
 
「夏椎、着いたよ!」
 
 翔真がニコリと笑って扉を指さした。
 褪せたダークブラウンの扉。扉の上に小さな木の看板がかけられており、鮮やかな赤で『兎の目』と書かれている。
 その他には特に主張もしていない、喫茶店かどうかも判断し難い外装だった。さっきは中から出たから気付かなかったけど、外観はあまりにもシンプルだ。
 
「マスター、ただいま」
 
 扉を開けて、翔真が店内へ声をかけた。
 
「おかえり、翔ちゃん」
 
 カウンターから、ハスキーな女性の声が返す。マスターさんはエメラルドの瞳を優しげに細めた。
 
「無事に晃くんは捕まえたかな?」
「捕まえられてきたぞ」
「いやいや、自分から出てきたじゃん」
 
 何故か自慢げな晃に翔真が突っ込む。俺が扉の前で立ち尽くしたままでいると、マスターさんに手招きされてはっとした。
 
「ほら、帰るんでしょ?」
「帰る⋯⋯」
 
 もちろん、帰りたい。
 父さんに連絡を取らなければ。学校はもういいとして、つけっぱなしのテレビも気になる。スマホも寝室に置いたままだ。
 
 でも。
 
「⋯⋯あの」
 
 帰れる。
 その現実を前にして、俺は悩んでいた。
 あちらに親しい友人はいない。優しく気にかけてくれる誰かがいるわけでもない。それは、俺の方から人との関わりを徹底的に避けていたからだ。
 
『志賀龍司』の息子だとバレるのが怖かった。その事で、父さんにどんな迷惑をかけるか分からなかったから。
 でも、翔真も晃も、父さんのことを聞いてこない。知っているはずなのに、父さんよりも自分のことを一番に気にかけてくれる。
 
 心地いいと思った。

 俺にとって、初めて友達と呼べる存在が、あまりにも温かくて。
 
「⋯⋯また、ここに戻ってこれますか?」
 
 つい口から出た言葉は、甘えのような疑問符だった。
 マスターさんはそんな俺に向かって、優しい笑みを見せてくれる。
 
「もちろん、椎ちゃんが望むならずっと繋げててあげるよ。でも出入口がテレビのまんまだと不便だから、場所は変えさせてもらってもいいかな?」
「⋯⋯はいっ!」
 
 俺は素直にほっとした。自由にここへ来られるなら、色んな選択肢が出来る。
 アメリカからこちらへ通ってもいいし、父さんと連絡が取れたなら一緒にこちらへ引っ越してもいい。
 
「じゃあ繋ぎ直すから、しばらく待っててくれる?晃くん、核返して」
「あ、あのどれくらいかかりますか?」
「んー、こっちのポイントをいじるだけだから、1時間くらいで出来ると思うけど」
「いちじかん⋯⋯」
 
 こちらに来てからどれくらいの時間がたっているのか分からない。俺がここへ来たのはスクールバスが到着する前、間違いなく朝方だったはずだ。
 そもそも、アメリカと日本では14時間くらい時差があるはずだけど、―――どうなってるんだ?
 
「と、とりあえず連絡取りに帰ってもいいですか!?」
「連絡?」
「父親が心配性なので、一報だけ入れたいんです。そしたら、1時間待ちますから⋯⋯!」
「ここでも連絡は取れるはずだよ?」
「スマホ持ってきてないんです!」
 
 マスターさんと翔真は同時に「あー⋯⋯」と晃を見た。晃は何故か誇らしげに頷いている。
 
「そういう事なら、スマホだけでも取りに帰る?」
「は、はい!」
「じゃあ晃くん、テレビまで持ち上げてあげて」
「⋯⋯⋯⋯」
 
 晃はうんともすんとも答えない。
 聞いていないフリをしている。現実逃避も甚だしいその姿に、俺は思わず両肩を掴んだ。
 
「ちゃんと帰ってくるって言ってるだろ!?」
「一分一秒でも夏椎のいない空間に耐えられない」
「いや、今日まで離れてただろ⋯⋯」
 
 どんだけ執着されてるんだよ。俺は心の中で突っ込みを入れた。
 
「もういい。じゃあ自力で何とかする」
「まだ核は俺が持ったままだぞ」
「金輪際晃の前では口きかない」
 
 はっ、と晃は鼻で笑った。
 
「夏椎と同じ空間にいて同じ空気を吸って、何ならただ夏椎がそこに存在しているだけで幸せだが?」
「やべーやつじゃん」
 
 翔真がバッサリと突っ込んだ。晃はそれでも怯む様子はない。
 
「⋯⋯っ!俺は困ってる!」
「困ってる夏椎も可愛いと思う」
「⋯⋯こーぉ?」
「その目はダメだ。可愛いが過ぎる」
 
 ――コイツ、話が通じなさすぎるだろ⋯⋯。
 
 一緒に戻ってきてくれたから、帰るのを了承してくれていたのかと勘違いしていた。普通に違った。それはただの俺の希望的観測であって、晃はただ影から出てきただけだった。
 どうしよう、ここまで来てめんどくさい壁が立ち塞がるなんて。
 力ずくでなんとかなる気がしない。そもそも勝てる気もしない。晃の所有する能力が厄介すぎる。影の中に隠されればこちらからはどうしようもないなんて、まるでバグだ。チート過ぎる。
 
 俺は、ただスマホを取りに行きたいだけなのに。
 
「⋯⋯分かった」
 
 俺はしぶしぶため息をついた。
 出来れば、この提案はしたくなかった。
 でも、あるいはこれなら。いや、もう分かっている。晃の心を動かすには、これしかない。
 
「⋯⋯⋯帰ってきたら、ひとつだけ、なんでも言うこと聞くから」
 
 背に腹はかえられない。
 何を言われるか想像がつかない。でも、俺の持つ交渉術は夏椎(これ)しかなかった。
 ピクリ、と晃の肩が反応した。
 分かりやすい反応だ。俺は晃を見上げる。
 
「⋯⋯何でも」
 
 晃の影から細長い1本の黒い影が伸びてきた。
 俺は思わず手を伸ばす。すると、パチン、と影が弾けると中から小さな紫色のビー玉のようなものが現れた。
 鈍く、それでいて淡く光っている。ところどころ光彩が違うように見えた、まるで生きているような、そんな不思議な球体。
 
「晃」
 
 俺が言うより早く、晃は黒い手で俺を抱き上げた。
 ふわりと身体が宙に浮く。
 
「⋯⋯10秒、いや5秒だ」
「分の間違いではなく?」
 
 リビングに着いて階段を上って、寝室に行ってスマホを持って帰ってくるのに5秒はさすがに無理ゲーすぎる。
 
「スマホ取ったらすぐ戻ってくるから」

 さすがに5秒は無理でも、走って取りに行くから。
 寂しそうな顔を見せる晃が、一瞬誰かと重なったようだった。俺は宙に浮く体をよじって、ふたりへと体を向ける。
 
「夏椎、気をつけてね!」
「家に帰るだけだよ」
 
 翔真がブンブンと手を振ってくる。晃はまだ名残惜しそうだけれど、はぁ、とため息を着いてゆっくり俺をテレビの方へと運んだ。
 
「椎ちゃん、核もったまま突っ込んで大丈夫だよー」
「了解です」
「念の為向こうに着いたら晃くんの影に核を預けてくれる?向こうで失くしちゃうとゲートが途切れちゃうから」
 
 そんなことを言われると、途端に不安になる。俺は言われるがまま核を影に押し当てた。
 
「もうセッティングしとくから!」
「さすが夏椎」
「すぐ戻るからね!」

 叫ぶように言って、ふ、と視界が暗転する。
 初めてここを通った時と同じ感覚。晃に影の中に押し込められた時と同じ暗闇に包まれながら、俺はぐんと何かに体が引っ張られていった。


 ★★★★★


(翔真)

 夏椎が向こうへ行ってしまう。
 本当は、行って欲しくなかった。10年も探し回ってようやく見つけた大事なご主人様が、また手の届かない場所へ連れて行かれてしまう。怖くて怖くて仕方がないけど、おれは何も言えなかった。

 だって、夏椎が行きたいって言う場所を犬のおれが止めるわけにはいかないから。
 
 今は我慢。我慢。我慢しなきゃ。
 10年近く、待ったんだから。
 
 完全に夏椎が見えなくなった後、しばらくして、晃の表情が少し曇った。どうやら夏椎が影から離れていったらしい。
 
 それからしばらく、おれも晃も無言だった。
 晃の影はテレビの前で待機している。おれも晃もカウンターに座って、じぃっと、夏椎のことを待つ。
 待つのはもう慣れた。夏椎が帰ってくると分かっているならいくらでも待てる。
 けれども。
 5分、10分、15分⋯⋯
 
「⋯⋯さすがに、遅くないか?」
 
 晃が小さな声で呟いた。
 おれの背筋がぞっとするのが分かる。マスターを見ても、マスターも困ったように首を傾げていた。

 いや、嘘だよね。⋯⋯まさか。
 
 おれがぐるぐる考えていると、店の扉が開けられた。
 
「お、ちゃんと戻ってたな」
 
 柚ぽんだった。店に入ってくる柚ぽんに飛びついて、おれはぎゅっとしがみつく。勝手に体が震え出すおれの頭を、柚ぽんは優しく撫でてくれた。
 
「どうしたんだ?」
「うーん、何かトラブルかなぁ」
 
 柚ぽんの疑問には、マスターが不思議そうに答えてくれた。おれは何も言えなくて、ただ柚ぽんの温もりに甘えながら必死で心を落ち着かせる。
 
「あれ、夏椎は?」

 おれは弾かれたように顔を上げた。おれの顔を見て、柚ぽんは何かを察したのかおれと目線を合わせてくれる。
 
「エリック、夏椎はどれくらい帰ってきてないんだ?」
「うーん、かれこれ30分くらいかな」
「そんな深刻な顔する時間かぁ?」
「すぐ帰ってくるって言ったもん!」
 
 おれはつい大きな声をあげた。
 
「夏椎は、嘘、つかないもん⋯⋯!」
 
 ボロボロと涙が溢れてくる。
 不安で不安で仕方がない。また、離れるなんて考えたくもない。あんなに探して、願って、ようやく見つけた大事な大事なご主人様なのに。
 
「⋯⋯すぐ帰ってくるって言ったのか?」
 
 柚ぽんの声色が変わった。珍しく落ち着いたような声色に、おれはなんとか声を振り絞るように答える。
 
「スマホ、とったらすぐかえるって」
「⋯⋯分かった」
 
 おれの声は震えてたけど、柚ぽんは宥めるようにおれの頭をぽんぽんと優しく撫でてくれた。
 柚ぽんに撫でてもらえると安心する。おれが柚ぽんを見上げていると、柚ぽんは晃の方を向いて手招きしていた。
 
「晃も来い。行くぞ」
「分かった」
「どこ行くの?」

 おれが聞くと、柚ぽんは壁掛けテレビを指さしてさらっと答えた。
 
「当然、夏椎の家」
「柚ぽん、勝手にこの島出ちゃダメって昔からおれたちに言ってたじゃん!」
「俺がいる時はいーの」
 
 柚ぽんはいたずらっ子のように笑って、すぐに板張りの床に手を置いた。
 
玄武(げんぶ)
 
 一言。
 柚ぽんが言うなり、ぼこん、と床が波打った。
 その波は柚ぽんの手を中心に、外側へと広がっていく。少し歪な丸の形に波状が固定された後、ゆっくりと盛り上がっていく。板張りはいくつも重なり合った巨大な岩のように変化て、その周りを黒い紐状の何かが巻きついていた。
 隆起した黒い岩の端から、にょきっと黒い亀の顔が顔を出した。

 でっかい亀は、少し昔にも見たことがある。柚ぽんのペット?みたいな亀で、柚ぽんが呼ぶとすぐに来てくれる不思議な存在だ。
 
「エリック、ちょっとテレビ借りるぞ」
「はい、気をつけて」
 
 お店の床がぼこっと盛り上がってたのに、マスターは何も言わない。でも、おれがもう一度床を見るともうボコボコした床はすっかり元に戻っていた。
 
「玄武、あのテレビまで行くから首伸ばしてくれ」
《何だ、用はそれだけか》
 
 黒い亀が、にょきにょきと長い首を伸ばしてくる。柚ぽんは黒い亀の頭のテッペンをぽんぽん撫でた。
 
「なんだよ、不服か?」
《不服なものか。顔を見られて感謝する》
 
 亀の周りに巻きついていた、黒い蛇も柚ぽんの手の甲に頬を擦り寄せている。柚ぽんは大きな蛇を怖がる様子もなく、長い体も撫でてあげていた。
 
「後で戻るから、邪魔にならないよう待機よろしくな」
《了解した》
「エリック、悪ぃけどよろしくな!」
「分かったよ。椎ちゃんをよろしくね」
 
 柚ぽんはひょいと大きな亀に乗り上げると、おれ達に向かって手を伸ばした。
 
「落ちないように気をつけろよ」
 
 おれも晃もよく知らないけど、柚ぽんは時々よく分からない生き物を連れてお仕事している。
 亀だったり、竜だったり、今は一緒にいないけどあの白い鳥だって柚ぽんのお仕事を手伝っているペットだ。
 柚ぽんはたくさん動物を従えていて、でもその中におれはいない。
 おれのご主人様は夏椎なんだ。おれは頷いて、柚ぽんに手を伸ばした。
 
 岩みたいなゴツゴツした甲羅の上を、柚ぽんはスタスタと歩いていく。柚ぽんに続いて、おれも細い背中を追った。
 何も言わずに、柚ぽんがテレビの向こう側へ消えていく。―――この先に、夏椎の家がある。おれは、ごくりと生唾を飲み込んだ。
 
 この向こう側に、おれ達の知らない夏椎がいるんだ。
 離れていた10年間、夏椎が何をしていたのかなんて分からない。でも、夏椎は夏椎だった。あの時の、優しい声と笑顔のままだった。
 
 だから、躊躇うことなんて何もない。
 
(早く会いたい)
 
 30分なんて、永遠だ。一分一秒でも離れたくない。もう、どこにも行かないで。ずっと側にいてほしいんだよ。
 視界が暗転する。
 ほんの瞬きの間。けれど長い長い時間の後、おれが降り立ったのはとても静かな部屋だった。
 
(あれ?)
 
 声、出ない。
 キャンキャンと犬の鳴き声しか出ない。それもそうだ。気付けば犬の姿に戻っていた。
 見上げると、晃と柚ぽんがいる。2人とも特に変化はないように見える。どうして、おれだけ?
 試してみても人の姿に戻ることが出来ない。どこかの回路が切れてしまったおもちゃのように、人になると言う動きそのものを止められてしまったようだった。
 
「物音ひとつしないな」
 
 広いリビングルームはとても静かで、誰の気配もしない。それでも夏椎の匂いが残っていて、おれは心の片隅でほっとした。本当にここが夏椎が暮らしていた家なんだ。
 テレビの電気は付いたままだ。賑やかな声がテレビから聴こえてくる。夏椎、映画見ようとしてたのかな。
 柚ぽんは少し考えた後、リビングルームの扉を開いた。
 
(柚ぽんどこ行くの?)
「2階」
 
 キャンキャン鳴いてても、柚ぽんは当たり前のように返してくれる。

「何言ってるか分からんな」
「晃、翔真のこと抱っこしてやれよ。階段危ねぇから」
「分かった」
 
 柚ぽんに言われるがまま、晃がひょいっと抱き上げてくれた。確かに、犬の体は不便だ。早く走れるけど、段差の大きな階段を登るのはちょっと怖い。
 晃に抱っこされて階段を上ると、廊下があった。
 廊下の突き当たりのドアが開いている。夏椎の匂いが色濃くなる。夏椎はここにいたのかな。柚ぽんは躊躇いなくドアの中へ足を踏み入れた。
 
「⋯⋯アイツ、人間にすら攫われんのかよ」
 
 柚ぽんが呆れたように呟いた。
 スマホが床に転がっている。窓が空いている。タンスやクローゼットが荒らされた形跡があった。
 ぞっとする。夏椎の匂いがするのに、夏椎がいない。あんなにすぐに帰ってくるって約束した夏椎が、おれ達から離れていくなんて思えない。
 
「夏椎⋯⋯」
「まぁ待て」
 
 ザワザワと影の揺らぐ晃を、柚ぽんは制する。晃は柚ぽんを睨みつけた。邪魔をするなと言わんばかりの凄みだけど、柚ぽんはそんな晃の額をぺしっと叩く。
 
「落ち着け。土地勘もないのにどこ探す気だ」
「今すぐ探せば見つかるかもしれない」
「そんなわけあるか。――あのなぁ、俺を誰だと思ってるんだよ」
 
 言いながら、柚ぽんは窓から外を覗いた。
 涼しい風が窓から流れてくる。柚ぽんの夜空みたいな黒髪が揺れて、まるで女神様のように見えた。
 
「俺は警察官だぞ」
 
 振り返る柚ぽんの後ろ、窓の外に、無数の生き物が現れる。
 鳥、虫、爬虫類、色んな生き物が柚ぽんの後ろにひしめき合っている。

 おれはちょっと鳥肌が立った。
 
 すごい、凄いけど、せっかく綺麗なのに絵面がやばい⋯⋯。

 目の前の残念な美しさは、なんだか妙に肩の力を抜いてくれた。