地球の果ての島の物語

(夏椎)

「空たかー⋯⋯」

 鋭い爪がパーカーを突き破って肩が痛い。でも、もうそんな事はどうでもよくなるくらい空高く舞い上がらされている。
 
 警察庁を出た。
 ら、いきなり掻っ攫われた。
 
 誰も何も反応出来なかった。それくらい速かったし、的確だった。
 このままどこへ連れていかれるのだろうか。姿はほとんど見えなかったけど、鋭い爪のようなもので運ばれているので恐らく鳥類かな。雛鳥のエサになるのは嫌だなぁ⋯⋯。
 下を見ると、住宅街を駆け抜けながら翔真と晃が追ってきてくれている。
 翔真はさすが足速いなぁ。
 なんてのんびり考えていると、いきなりピタリと運搬者の動きが止まった。

「あっ」
「あっ、じゃねぇよ。何してんだお前」

 目の前に柚木さんがいる。
 何やら見たことの無い巨大な白い鳥に乗った柚木さんは、運搬者に咎めるような目を向けている。運搬者は、女性のような高い声で淡々と答えた。

「ゼウス様に連れてくるよう言われたから、連れていくだけ」

 いや、どこに?
 俺が口を挟む暇なく、柚木さんはため息をついた。

「あのなぁ、柊。本人の許可なく連れていくのは誘拐っていうんだ」
「許可なら今とる」
「だってよ、夏椎」
「許可しません」

 俺は咄嗟に答えた。
 一刻も早く家に帰って父さんに連絡をとりたいのに、他のところへ寄り道している暇はない。それに、食べられるかも知れない場所へ自ら飛び込む理由もない。

「そう⋯⋯」

 柊さんと呼ばれた女性は、残念そうに声を落とす。
 しんと静寂が訪れた。柚木さんは困惑したように眉根を寄せている。柊さんは俺を離す気がないらしく、このままでは埒が明かなさそうなので俺は折衷案を出すことにした。

「あの、明日なら大丈夫ですから⋯⋯」
「明日⋯⋯」
「ゼウスには俺から言っとくから、とりあえず夏椎を離してやれよ」
「それなら助かる」

 突然、体がふっと宙に浮いた。
 柊さんが俺を離したからだ。肩の痛みがなくなったと同時に、重力がかかる。
 空中へ放り出された体が、為す術なく地面に吸い寄せられるように落ちていく。さすがに、死ぬ。血の気が引いていく俺の体が、今度はふんわりとした感触に包まれた。

「柊!地面に下ろしてやれよ!」
「あ、ごめん」

 気付けば目の前に柚木さんがいた。どうやら、先回りした柚木さんが俺を受け止めてくれたらしい。
 
 びっくりした。びっっくりした!
 
 バクバクとうるさいくらいに心臓の音が聴こえる。まさかパラシュートなしでスカイダイビングを経験する羽目になるとは思わなかった。
 それにしても、柚木さんが乗る白い鳥は柔らかい。つい肌触りを確かめるために全身の神経を集中させる。

「これが羽毛⋯⋯」
「おい、しっかりしろ」

 羽毛の幸せに埋没していると、柚木さんにデコピンされた。地味に痛い。額を押さえる俺の前に、ずいっと綺麗な顔立ちの女性が近付く。

「明日、これくらいの時間に迎えに来る」

 柊さんの、肩まで伸びた薄桃色の髪がふわふわと揺れている。
 腕に鳥の羽根が生えた、奇妙な出で立ちの女性だった。睫毛や瞳までもが桃色で、くりくりとした瞳が伺うように俺を見上げている。

「あの⋯⋯どこに行く予定だったんですか?」

 一応尋ねると、柊さんは柔らかく微笑んだ。

「ゼウス様が、神族の気配がするけど知らない奴だから連れて来いって」
「し、しんぞく⋯⋯?親族?」
「柚木地区長、ちゃんとゼウス様に言っておいて。サボりだと思われたら困る」
「あーはいはい。もう、そういう事なら先に言えよ。お前だって警察官なんだから」

 警察官が誘拐するなんて⋯⋯。

 俺は何とも言えず押し黙った。とりあえず柚木さんをじっと見つめておく。柚木さんは苦笑いを浮かべて、去っていく柊さんへ手を振った。

「口下手な同僚が悪いことしたな」
「全くもって何も理解できてないんですが、なんで俺攫われたんですか?」
「あぁ、あー⋯⋯」

 柚木さんは何度かあー、と唸った後、はぁ、と深いため息をつく。

「⋯⋯いや、もう面倒くせぇな。俺の疑問をそのままぶつけるなら、なんでお前は人間のガワを着てんだ?」
「がわ?」

 何を言われているのかさっぱり分からない。
 白い巨鳥は優雅に羽ばたいている。とても静かな羽音だった。だから、柚木さんの声もよく耳に届く。
 澄んだ声が、疑念をはらみながら俺を射抜くようだ。

「お前から魔族やら神やら、色んな種族の気配がする」
「⋯⋯はぁ?」
「お前の母親と父親は?」

 俺は首を傾げた。柚木さんの言っていることがこれっぽっちも理解できない。

「父さんは人間だと思いますけど⋯?⋯⋯母さんは、俺が産まれる時死んだので分かりません」

 母さんの写真は見たことがあるけれど、病室で映っていた写真では人間に見えた。
 父さんと母さんは、病院で出逢ったと聞いている。心臓病で長く生きられないと分かっていた母が、どうしても生きた証を残したいと俺を産んだんだと。その命と引き換えに。まだ15歳だった父さんに全てを託して。
 
 そんな2人が人間でないとは、到底思えない。

 俺は何も聞かされていないし、父さんも何も言わなかった。

「⋯⋯そうかよ」

 柚木さんは零すように言うと、そのまま押し黙った。
 そのまましばらく悩むように顔を伏せる。長い睫毛が陰をつくって、本当に綺麗な人だなと俺は悠長なことを考えていた。

「あの⋯⋯」

 俺が口を開きかけたその瞬間、身体がぐいっと引っ張られた。

「夏椎!」

 翔真と晃に同時に引き寄せられ、きつく抱きしめられる。いつの間にか随分地上に降りてきていたようで、俺はほっと肩の力が抜けた。

「柚ぽん、管理不行き届き!夏椎連れてくのダメ絶対!」
「逆らえない上からの命令だそうなので、許してやってくれよ。ちゃんと文句言っとくから」
「当たり前だ!」

 2人に凄まれて、柚木さんはたじろぐように肩を縮こまらせている。
 まるで叱られた小さな子どものようだ。働いている大人のはずなのに、なんだか可哀想に思えてきて俺は思わず口を開いた。
 
「柚木さん、その鳥はなんですか?」
「え?あ、あぁ。俺のペット」

 クゥ、と白い巨鳥が柚木さんに擦り寄った。
 とてもモフモフで素晴らしい羽毛だった。なんならもう一回乗りたい欲を押し込めて、俺は頭を下げる。

「助けてくれてありがとうございました」
「あぁ、気にすんなよ。俺はこのままゼウスのアホに文句言ってくるから、とりあえずお前らは『兎の目』に行っとけ。後で俺も行くから」
「はーい!柚ぽんも早く来てね!」
「分かったよ」

 柚木さんはまた白い鳥に飛び乗ると、空高く飛び立って行ってしまった。
 魔族やら神やら、俺にはなんのことかさっぱり分からない。人間ではないかもしれないと言われても俺に思い当たる節はない。
 
 柚木さんには一体何が見えているのだろう。
 
 柚木さんが何者かは分からない。でも、警察官と言うことを差し引いても、柚木さんからは俺に対する悪意が感じられない。純粋に心配してくれているのが分かるし、空の上から落とされた時もすぐに助けに来てくれた。
 
「夏椎、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」

 ―――パーカーはちょっと破れたけど。
 それは言わずにおいて、俺は立ち上がった。破れたパーカーの中に傷はない。

「も〜、ほんっと⋯⋯心臓に悪い」
「夏椎、手を繋ぐぞ。これなら攫われても一緒だ」
「あ、じゃあおれもつなぐ!」
「いや、さすがに恥ずかしいからやめとこ?」

 翔真も晃も、無視して俺の手を繋いだ。3人で手を繋ぐなんて、まるで幼稚園児みたいだ。
 そうして、ゆっくりと歩道を歩く。道行く人に見られている気がするのは、きっと気のせいじゃない。
 
 でも、安心は出来た。
 まだ少し心臓がうるさかったから。
 それに、柚木さんの言葉がずっと反芻していたから。

「なんでお前は人間のガワを着てんだ?」

 ⋯⋯心の奥底にしまっていた疑問が、蓋を開け出てこようとする。
 
 俺は気付いていた。柊さんに掴まれた時、背中に血が伝わったのを。
 無事なわけがなかった。鋭い爪は、肉を離さず掴む猛禽類の爪だった。
 
 パーカーが赤色で良かった。
 
 気付かれないように。
 悟られないように。
 隣を歩きながら、何食わぬ顔で他愛のない会話を続ける。
 
 まだ、知られたくない。知りたくない。
 一体自分が何者かなんて。
 
 ただ。
 
 物心ついたころから、病気どころかまともな怪我などした事がなかったと。
 そしてそれを父さんも気に留めていなかったことを思い出して、俺は薄ら寒さを覚えた。