地球の果ての島の物語

(夏椎)

 ものものしい雰囲気の中、黒い檻と白い檻の間を抜けるようにグレーのカーペットの上を歩いていく。近くへ来ると、漆作りの仕事机には積まれた書類以外にも様々な仕事道具らしきものがおいてあった。
 ファイルや筆記具、何故か針のようなものや、用途のよく分からない金具もある。

「ここはなに?」
「森谷さんの仕事場だよー」
「森谷さん⋯⋯?」

 さっきの人は柚木さんと呼ばれていた。
 柚木さんも、森谷を探してくると言って出て行った。推測するにこの警察庁の人なのかな。
 革張りのソファーに座る翔真が、俺を手招きする。隣に座ると、俺を挟むようにして晃も座った。
 それにしてもソファーが柔らかい。応接テーブルらしいテーブルもよく磨かれて綺麗だった。

「晃も翔真も何度かここに来たことあるの?」
「おれは何回か来たことあるくらいだけど、晃はしょっちゅう来てるよね」
「そうなの?」
「バイトだ」

 警察でバイト。意味が理解できず俺が目をパチクリさせていると、晃は説明を補填するように口を開く。

「俺の能力は何かを運ぶのに便利だからな」
「そういえば俺も出し入れされたっけ」

 言われてみればついさっき影の中に押し込まれたところだった。任意で影の中にしまったり取り出したり出来るのは確かに便利だ。

「晃の影の中どうだった?怖かった?」
「怖くなかったよ」

 夢の中の世界のような独特の浮遊感はあったけど、視界はなくても危害を加えられるような恐ろしさは感じられなかった。
 俺の言葉を聞いて、晃はわずかにほっとしたような表情を見せる。怖がられたと思っていたのかな。静かな空間は嫌いではないのだけれど、と思ったところで俺ははっとした。

「――そうだ、晃。俺、お前と話をしなきゃいけないと思って」

 俺が目を合わせると、晃は少したじろいだ。
 逃げ出されると困るので、腕を掴んで視線で射抜く。晃は視線を逸らすけど、今度は逃げ出したりはしなかった。

「俺はここで過ごしていた記憶がないんだ。思い出せるのは引っ越してからで、病院の中からなんだ」

 病院、と聞いて晃と翔真がぴくりと肩を揺らした。

「でも、思い出せなくても別にふたりと仲良くしたくないわけじゃないんだ。⋯⋯覚えてない俺はいやかもしれないけど、また友達として始めるのはどうかな⋯」

 友達のいない俺は、初めて出来そうな友達に縋っているだけかもしれない。
 今まで他人を避け続けていたから、こんな時に何を言うのが正解なのか見い出せない。そもそも本当に俺で合っているのかも分からないけど。

 このふたりの側にいるのは居心地がいい。

 知らないけど、覚えている。脳裏の片隅に開かない小箱があって、その奥から溢れる温もりが呼び掛けてくる。

「いやじゃない」
「トーゼン、いいよ!」
「良かった⋯⋯」

 安堵して肩を落とすと、翔真が背中からのしかかってきた。
 重いけど、嫌ではない。翔真は人の姿でも、懐っこい笑顔とスキンシップがまるで犬のようだ。

「夏椎、全然変わってないよ!」
「そう⋯⋯?」
「うん!おれねぇ、夏椎が変わってなくて嬉しいの!」

 俺が視線を向けると、翔真の尻尾がずっと左右に揺れている。
 ポメラニアンの翔真がふと浮かんだ。つい促されるように俺は口を開く。

「ふたりとも、昔はどんな姿だったの?」
「翔真はただの犬だった」
「晃はこーんな丸かった!」
「へぇ、想像つかないな」
「そもそも、夏椎。夏椎とおれたちが出会った時に、この島は現世と同じだったんだよ」

 俺は驚いた。――と同時に、すんなりと納得もした。
 だから柚木さんは俺が「ここは地球なんですか」と言った時、あんな怪訝そうにしていたのか。

「あの時はもっと人が住んでて、おれみたいな生き物もいなかった。でも、10年前に急に白い光がぶわってなって、――それから、全部変わっちゃったんだ」

 今度はしょぼんと肩を落とす翔真の表情が、くるくる変わって忙しない。

「すごく眩しくて、おれ何がなんだか分かんなくて。気がついたら夏椎はいないし、夏椎の家には誰もいないし、おれ⋯⋯めちゃくちゃ心配したんだよ」
「俺の家?」
「うん。小さい夏椎が住んでて、おれも何度かこっそり連れて行ってもらったことがあるよ。龍司さんも一緒に住んでた」

 龍司、と翔真は言った。それは、紛れもなく父さんの名前だ。
 
 ―――そうか。そうだ。翔真が昔の俺を知っているなら、父さんの名前を知っていてもおかしくはない。
 
 本当に、ふたりは昔の自分を知っているんだ。
 
 息を飲んだ。翔真は、ずっと言っていた。「夏椎を探していた」と。半ば夢物語のような話は、いざ現実を目の当たりにすると息が詰まってしまう。

 ―――嫌だ。

 咄嗟に、思った。怖い。思い出さない方がいいような気がする。
 
 白い光。
 
 赤色。

 地面に染まる、赤黒い華―――


 ☆
 

「お前ら!悪いけど、森谷のやつ外出してるみたいで――」

 扉を開けた柚木が、ピタリと静止した。
 その異様な光景に、一瞬、躊躇した後、スタスタと歩いて夏椎の目の前で両手をパン!と叩く。

「夏椎」
「はぇ、あっ⋯⋯はい」

 ふ、と夏椎の瞳が元に戻った。
 晃と翔真もゆっくり息を吐く。ちらりと柚木に目配せすると、柚木は小さく首を振った。

「悪いんだけど、森谷のアホが所用で帰ってこねぇらしい。だからこのまま元の世界へ帰れ」
「もとのせかい」
「島の外だよ。島の外にはここほどウヨウヨ人喰いはいねぇし、安全だろ。明日また来い」

 夏椎はしばらくぽかんとしたあと、やがて、こくりと頷いた。確かに、あちらで人外は見たことがない。

「おれも行く!」

 切り替えの早い翔真が、夏椎に飛びつきながら言った。
 晃はまだ固まっている。
 柚木は助け舟を出すように、晃の頭を軽く叩いた。

「おい晃、さっきの人喰い出していけ。聞きたいことがある」
「⋯⋯あ、あぁ」
「夏椎、翔真。先行ってろ」

 柚木は2人の手を引いて、扉の外にポイと放り出した。ややあって、中からショッピングモールで聞いた2人組の声が聴こえてくる。

「部屋にね、牢屋があったでしょ?人喰いはあそこで森谷さんに裁かれるんだよ」
「さっきも言ってたけど、森谷さんって誰?」
「警察庁の偉い人だよ。あ、晃来た」

 晃も扉から出てくる。晃は何も言わずに、夏椎の傍にそっと寄り添った。
 
 なんだか、頭がぼんやりする。
 
 何か、思い出しかけたような⋯⋯。だけど、もうその記憶の蓋は開きそうにない。

「とりあえずマスターのところに帰ろっか!」

 翔真の明るい声に、夏椎も晃も何も言わずに頷いた。