嫌われた九月

窓際のいつもの席で、慣れないカフェラテを飲む。
おばあちゃんに作って貰ったけれど、やっぱり私にはまだ苦くて、シロップを四つ入れて何とか飲んでいる。
ふと、横の壁に作られた本棚に目がいく。

「喫茶しぐれ日記…?」

分かりやすく置かれた一冊の日記帳。いつもここに座っているのに、私はみたことが無い。

「おばあちゃん、これなに?」
「ん?ああ、それね、昨日少し片付けをしていたら見つけたんだよ。昔の常連さんがよく書いてってくれた日記帳でね、読んでみると面白いよ」
「へー」

一ページ目を捲ってみると、日付が1986年と書かれている。

「四十年前じゃん!」
「そうよ、一ページ目は初めてのお客さんが書いてくれて、確か…近所に住む私と同い年の女の人だったかしら」

日記帳に視線を戻すと、確かに女性が書いたような綺麗な字で、日付の後に「恵子」と名前が書かれている。

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たまたま通りかかって入ったお店が、
開店初日だなんて、運命だと思いました。
一生忘れられない思い出になりそうです。
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次のページを捲ってみる。次は「忠義」と書かれているから男性だろう。

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こんなにも居心地のいい喫茶店は他にありません。
毎週来ているけれど、
コーヒーや食事に飽きたことがない。
しーちゃんもマスターも最高です。
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次は、字が少し崩れていた。小学生が一生懸命に書いたように見える。

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お母さんとここに来るのが私の楽しみ。
ずっと続いて欲しい。大好き。
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次も、その次のページも、私は手が止められなくなる程、日記帳に夢中になった。何十年も前に書かれた文字に、言葉に、胸が暑くなった。
中には、私が知っている常連のおばさん達の名前や、夫婦の名前、あっくんの両親の名前があった。

こんなにも「しぐれ」は愛されてきた。こんなにも長い間、大勢の人の居場所になったんだ。

すると私はいつの間にか泣いていて、おばあちゃんに背中を摩られるまで自分でも気が付かなかった。

「なっちゃんも、書いてみる?」

おばあちゃんがそう言って、私の前にボールペンを置く。
開かれた最後のページはまだ真っ白だった。



涙を拭き取り、日記帳との睨めっこ。

私は「しぐれ」の最後に、何を言いたいんだろう。
どんな言葉が言えるんだろう。

そんなことを考えていると、目の前の窓ガラスが、コンコンと鳴り、顔を上げると、目の前にはあっくんが居た。
私の泣き顔に驚いたのか、あっくんは慌てて自転車を停め、店内に入ってきた。

「なっちゃんどうしたの」
「別に…てか、そっちこそなんで居るのよ」
「僕、残りの夏休みこっちで過ごすことにしたんだ。だから親戚の家泊まってる」
「へ、へーそうなんだ」

この前、ふたりで「しぐれ」に戻ってくると、あっくんの両親は最後の挨拶をおじいちゃん達にしている所だった。
てっきりもうあれっきりになると、寂しく思っていたから、また会えたことを嬉しく思う。けれどなんだかむず痒くて、素直に喜べない。

「あ、それしぐれ日記だ」
「あっくん知ってるの?」
「うん、お母さんから聞いたことあって。父さんと書いたんだって嬉しそうに何度も話してくるよ」
「そっか…。何度も思い出すくらい、素敵な思い出ってことだよね」
「うん、だと思うよ」

あっくんは、おばあちゃんにカフェオレを頼み、カバンを下ろした。

「私さ、しぐれが閉店するって聞いて、私の居場所が無くなるって思ったの」

あっくんは優しく頷く。

「学校終わりには必ずここに来てさ、珈琲の匂いに包まれて安心してた。そんな私だけの場所が、なくなるなんてどうしようって」
「でも違ったんだね。これ読んで気づいたの。ここは、みんなの居場所だった。みんなに愛されて、ここまでやってきた、悲しくない人なんて居ないよね」

また、涙がこぼれそうになる。
永遠だと思っていた場所を失うのは、どうしてこんなにも苦しいのだろう。
これは仕方がないことで、みんなが同じ気持ちで、なのにどうしてこんなにも悲しくなるの。

するとあっくんは、最後のページの真ん中に一本の線を引いた。そして下の枠に、何かを書き始めた。

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沢山の思い出をありがとう。
喫茶しぐれ、お疲れ様。
2026/8/21 長谷川碧翔
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「悲しいと思う分、一緒に、ありがとうって伝えよう。マスターにもしーちゃんにも、しぐれにも」

その言葉に私はまた涙を流すから、あっくんは少し困った顔をして、そっと右手を握ってくれた。
大丈夫だよって言われてるみたいで、安心して、心が暖かくなった。