九月まであと二週間。
刻一刻と迫ってくるその日を、私は嫌わずにはいられない。
九月とは、昔から相性が悪い。一年に一度、決まって九月に高熱を出すし、怪我をして体育祭のリレーを走れなくなったこともあった。九月にあった小学六年生の修学旅行では、好きな男の子と気まづくなった思い出もある。
それに加えて「しぐれ」の閉店。私の嫌いなものリストに入れざるを得ないくらいの存在だ。
お昼の時間、友達の明美ちゃんと一緒に「しぐれ」で宿題をして、お昼ご飯を食べた。十五時を過ぎると彼女は塾へ向かい、私はそのまま残って受験勉強に取り組んだ。シャープペンを握る手に疲れを感じ、休憩をしようとカウンター奥の暖簾を潜ろうとした瞬間だった。
「なっちゃん…!」
懐かしい声が私の名前を呼ぶ。
振り返ると、小学生の頃に大好きだった長谷川碧翔(あいと)くんがいた。
「あら〜お久しぶりね~!」
おばあちゃんは嬉しそうな声を上げ、彼の後ろにいるご両親に声をかける。
彼と私は、関係値で言うと幼馴染にあたると思う。彼のご両親がまだ恋人になる前の頃、初デートで「しぐれ」に訪れたらしく、そのまま常連客になった。私と彼は物心がつく前からここで会っていて、親同士も仲がいい。
けれど中学に上がる前の春休み、彼はお父さんの転勤でこの街を離れた。あまりに突然で、ちゃんとお別れを言えずにいた分、彼は私の心残りだった。
「久しぶりね、なっちゃん、大きくなったね〜」
「さやちゃん、久しぶり」
彼のお母さんは私の頭を愛おしそうに撫でる。目線を彼に移すと、満足そうに微笑んでいた。
「あっくん、背伸びすぎ。誰か分かんなかった」
「えー僕は後ろ姿でもなっちゃんだって分かったのにな」
彼はそう言いながら、家族でいつもの窓際の四人席に座った。
「せっかくだしなっちゃんもおいでよ」
さやちゃんに言われるまま私は彼の向かいに座る。
「えっと、アイスコーヒー二つと、カフェラテ一つ。それとプリンってまだあります?」
「あるある~」
「やった!しーちゃんのプリンほんとに美味しいから楽しみにしてたの!じゃあプリン三つ!お願いします」
おばあちゃんは軽やかな足取りでカウンターの中に入っていく。久しぶりに娘も同然くらいのさやちゃんに会えて嬉しいんだと思う。
「ここ閉まるから、来たの?」
つい口に出てしまった言葉に、自分でハッとする。すると、目の前の彼と目が合った。
「久しぶりに来れて嬉しいよ、なっちゃんにも会えたし」
そう言って、また満足そうに微笑む。その姿がなんだかむず痒い。
「カフェラテって、あっくん珈琲飲めるようになったの?」
「ううん。珈琲単体はまだ飲めない。ミルクが入ってるカフェラテなら飲めるんだ」
「へ~」
「なっちゃんは未だにりんごジュース?」
「…ばかにしてるの?」
「してないよ、懐かしいなって思って」
彼は時々、おじいちゃんみたいに意地悪をしてくる。カフェラテは飲めるようになっても、そんな所は変わってないんだと思った。
*
「あっつー」
「ほんと…暑いから早くしぐれ戻ろうよ」
彼はプリンを食べ終わってしばらくした後、私に「ちょっとふたりで話そうよ」と言った。
シャッターが閉まっている商店街を歩きながら、このお店まだやってるんだとか、ここなんのお店だったっけと、思い出に浸っている彼をみると、暑さからなのか段々と苛立ちが芽生えてきた。
「あのさ、何か話したいことがあったんじゃないの?私の勘違いかな」
人気のない商店街の真ん中。私は立ち止まって彼の背中に言葉をぶつけた。
「僕ね、ずっとこの街に帰ってくるきっかけを探してたんだ」
彼が、一瞬立ち止まって、また歩き出すから、私もその後を着いて行く。
「…きっかけ?そんなの必要?」
「僕には必要だった。ちゃんとお別れできずにこの街を出て、なっちゃんともそれっきりだったでしょ。小六の修学旅行覚えてる?」
「…覚えてる」
「僕ね、あれ本当は嬉しかったんだよ」
九月の修学旅行。私の気持ちを知った一人の男子が、みんなの前で私と彼を茶化した。
その時の彼の反応は、すごく困ってて、嫌そうだった。
「僕、あの時子供だったから、なっちゃんのこと傷つけたよね。それで気まづくなってさ。こうやってちゃんと話すことも出来ずだったからずっと心残りで」
「子供だったって…今も子供じゃん」
「はは、そうだね。でもカフェラテ飲めるようになったから、半分は大人だよ」
「なにそれ変なの」
彼が歩くスピードを落とすから、私と彼は自然と肩を並べた。
「しぐれが閉店するのは僕も、父さんも母さんもみんな悲しい。けど、僕はそのお陰でこうやって帰ってこれた。悲しいけど嬉しい。なんなんだろうねこの気持ち」
暑そうにTシャツの襟元をパタパタさせながら、彼は言った。
私だって、悲しいはずなのに、懐かしい顔が見れたり、彼にまた会えて嬉しい。悲しいはずなのに、「しぐれ」の閉店がきっかけで嬉しいことも増えた。
心が痛い。モヤモヤする。
「ほんと、なんなんだろう。しぐれが無くなるなんて、絶対嫌なのに、受け入れるしか道はなくて。悲しいのに、嬉しいこともあって。どうしたらいいか分からないよ」
「うん、そうだよね。…でも僕さ、新しい大型施設?結構楽しみなんだよね」
「…?なにがどこが?!」
変化球とはこの事かと、また苛立ちが湧いてくる。
「だって、新しい施設のお陰でこの街に人が集まるなら、この商店街も寂しくなくなるのかなって」
「それはそうだけど、しぐれは無くなるんだよ?」
「僕だって出来たらしぐれも残して欲しかったよ。でも変わらなきゃ行けない時が来たんだよ。この街も、しぐれも」
「…」
彼が急に大人びたことを言うから、私は何も言い返せなくなった。カフェラテが飲める彼は、カフェラテすら飲めない私より大人だ。
完全な大人じゃなくても、少しずつ大人へと成長しているし、変化を受け入れられる強さを手に入れ始めている。
じゃあ私は?子供だから弱いの?
子供なりの受け入れ方があるんじゃないの?
私は彼と「しぐれ」へ戻りながら、そんなことをグルグルと考えた。
刻一刻と迫ってくるその日を、私は嫌わずにはいられない。
九月とは、昔から相性が悪い。一年に一度、決まって九月に高熱を出すし、怪我をして体育祭のリレーを走れなくなったこともあった。九月にあった小学六年生の修学旅行では、好きな男の子と気まづくなった思い出もある。
それに加えて「しぐれ」の閉店。私の嫌いなものリストに入れざるを得ないくらいの存在だ。
お昼の時間、友達の明美ちゃんと一緒に「しぐれ」で宿題をして、お昼ご飯を食べた。十五時を過ぎると彼女は塾へ向かい、私はそのまま残って受験勉強に取り組んだ。シャープペンを握る手に疲れを感じ、休憩をしようとカウンター奥の暖簾を潜ろうとした瞬間だった。
「なっちゃん…!」
懐かしい声が私の名前を呼ぶ。
振り返ると、小学生の頃に大好きだった長谷川碧翔(あいと)くんがいた。
「あら〜お久しぶりね~!」
おばあちゃんは嬉しそうな声を上げ、彼の後ろにいるご両親に声をかける。
彼と私は、関係値で言うと幼馴染にあたると思う。彼のご両親がまだ恋人になる前の頃、初デートで「しぐれ」に訪れたらしく、そのまま常連客になった。私と彼は物心がつく前からここで会っていて、親同士も仲がいい。
けれど中学に上がる前の春休み、彼はお父さんの転勤でこの街を離れた。あまりに突然で、ちゃんとお別れを言えずにいた分、彼は私の心残りだった。
「久しぶりね、なっちゃん、大きくなったね〜」
「さやちゃん、久しぶり」
彼のお母さんは私の頭を愛おしそうに撫でる。目線を彼に移すと、満足そうに微笑んでいた。
「あっくん、背伸びすぎ。誰か分かんなかった」
「えー僕は後ろ姿でもなっちゃんだって分かったのにな」
彼はそう言いながら、家族でいつもの窓際の四人席に座った。
「せっかくだしなっちゃんもおいでよ」
さやちゃんに言われるまま私は彼の向かいに座る。
「えっと、アイスコーヒー二つと、カフェラテ一つ。それとプリンってまだあります?」
「あるある~」
「やった!しーちゃんのプリンほんとに美味しいから楽しみにしてたの!じゃあプリン三つ!お願いします」
おばあちゃんは軽やかな足取りでカウンターの中に入っていく。久しぶりに娘も同然くらいのさやちゃんに会えて嬉しいんだと思う。
「ここ閉まるから、来たの?」
つい口に出てしまった言葉に、自分でハッとする。すると、目の前の彼と目が合った。
「久しぶりに来れて嬉しいよ、なっちゃんにも会えたし」
そう言って、また満足そうに微笑む。その姿がなんだかむず痒い。
「カフェラテって、あっくん珈琲飲めるようになったの?」
「ううん。珈琲単体はまだ飲めない。ミルクが入ってるカフェラテなら飲めるんだ」
「へ~」
「なっちゃんは未だにりんごジュース?」
「…ばかにしてるの?」
「してないよ、懐かしいなって思って」
彼は時々、おじいちゃんみたいに意地悪をしてくる。カフェラテは飲めるようになっても、そんな所は変わってないんだと思った。
*
「あっつー」
「ほんと…暑いから早くしぐれ戻ろうよ」
彼はプリンを食べ終わってしばらくした後、私に「ちょっとふたりで話そうよ」と言った。
シャッターが閉まっている商店街を歩きながら、このお店まだやってるんだとか、ここなんのお店だったっけと、思い出に浸っている彼をみると、暑さからなのか段々と苛立ちが芽生えてきた。
「あのさ、何か話したいことがあったんじゃないの?私の勘違いかな」
人気のない商店街の真ん中。私は立ち止まって彼の背中に言葉をぶつけた。
「僕ね、ずっとこの街に帰ってくるきっかけを探してたんだ」
彼が、一瞬立ち止まって、また歩き出すから、私もその後を着いて行く。
「…きっかけ?そんなの必要?」
「僕には必要だった。ちゃんとお別れできずにこの街を出て、なっちゃんともそれっきりだったでしょ。小六の修学旅行覚えてる?」
「…覚えてる」
「僕ね、あれ本当は嬉しかったんだよ」
九月の修学旅行。私の気持ちを知った一人の男子が、みんなの前で私と彼を茶化した。
その時の彼の反応は、すごく困ってて、嫌そうだった。
「僕、あの時子供だったから、なっちゃんのこと傷つけたよね。それで気まづくなってさ。こうやってちゃんと話すことも出来ずだったからずっと心残りで」
「子供だったって…今も子供じゃん」
「はは、そうだね。でもカフェラテ飲めるようになったから、半分は大人だよ」
「なにそれ変なの」
彼が歩くスピードを落とすから、私と彼は自然と肩を並べた。
「しぐれが閉店するのは僕も、父さんも母さんもみんな悲しい。けど、僕はそのお陰でこうやって帰ってこれた。悲しいけど嬉しい。なんなんだろうねこの気持ち」
暑そうにTシャツの襟元をパタパタさせながら、彼は言った。
私だって、悲しいはずなのに、懐かしい顔が見れたり、彼にまた会えて嬉しい。悲しいはずなのに、「しぐれ」の閉店がきっかけで嬉しいことも増えた。
心が痛い。モヤモヤする。
「ほんと、なんなんだろう。しぐれが無くなるなんて、絶対嫌なのに、受け入れるしか道はなくて。悲しいのに、嬉しいこともあって。どうしたらいいか分からないよ」
「うん、そうだよね。…でも僕さ、新しい大型施設?結構楽しみなんだよね」
「…?なにがどこが?!」
変化球とはこの事かと、また苛立ちが湧いてくる。
「だって、新しい施設のお陰でこの街に人が集まるなら、この商店街も寂しくなくなるのかなって」
「それはそうだけど、しぐれは無くなるんだよ?」
「僕だって出来たらしぐれも残して欲しかったよ。でも変わらなきゃ行けない時が来たんだよ。この街も、しぐれも」
「…」
彼が急に大人びたことを言うから、私は何も言い返せなくなった。カフェラテが飲める彼は、カフェラテすら飲めない私より大人だ。
完全な大人じゃなくても、少しずつ大人へと成長しているし、変化を受け入れられる強さを手に入れ始めている。
じゃあ私は?子供だから弱いの?
子供なりの受け入れ方があるんじゃないの?
私は彼と「しぐれ」へ戻りながら、そんなことをグルグルと考えた。



