「ほら、これあげる」
そう言って幼い兄から手渡されたのは、お世辞にも上手とは言えない布とワタの塊。
所々を不器用に縫われたそれはかろうじてクマである事が分かる程度の完成度だったけど、オレは小さな手をそれに向かって必死に伸ばした。
胸に抱き締めた不格好なクマは、すぐにオレの涙に触れて柔らかな体にシミを作る。
鼻をすするオレの頭を兄貴が優しくなでた。
「兄ちゃんがずっとそばにいるから…だから、もう泣いちゃダメだよ」
それはオレが5歳、兄貴が6歳の頃の記憶。
母さんが病気で死んですぐの、ある遠い日の事だ。
***
「灯季…灯季、起きて」
誰かが優しく肩を叩いた。
ぼやけた思考の中、徐々に明確になる意識と共に重いまぶたを開く。
寝ぼけまなこに映ったのは見慣れた存在。
「兄貴…?」
視線の先で兄貴がふわりと笑った。
一回り大きな手がオレの頭を遠慮もなくなでる。
「うん、兄ちゃんだよ。起きたかい?」
「ん…」
右手で目元を軽く擦りながら頷く。
固いイスの上に座ったまま、小さく伸びをした。
あんな昔の夢を見たのは、やはりこの場所が原因だろうか。
目の前に広がるのは学校の中にある教室の一角。
兄貴が所属している手芸部の部活動が、今まさに終わろうとしていた。
「輝矢部長、お先に失礼しま~す」
「うん、皆お疲れ様」
頭を下げ部室から去って行く女子生徒達に笑顔で手を振る兄貴を見つめる。
「ごめん、見学に来たのにオレ寝ちゃってて…」
「いいんだよ、そんなの。最近あまり寝れてないんだろう?無理しなくていい」
そう言って兄貴が背を向ける。
クーラーのよく効いた部室の中、閉ざされた窓の向こうからセミの鳴き声が僅かに聞こえた。
この高校に入学してから初めての夏。
外を見ると、運動部の生徒達が滝のように汗を流しながら走り込みをしていて、少しだけ罪悪感を覚えた。
「冷房、寒くないか?」
リモコン端末を持った兄貴が優しい声色で問いかける。
「うん、大丈夫…っくしゅっ…」
「あはは、寒いんじゃないか。我慢しなくていいよ」
ピピッと音が鳴り、温度が調節される。
兄貴はリモコンを机の上に置くと、イスにかけられていたブランケットを両手に持ちオレの肩にかけてくれた。
「…ありがとう」
素直にお礼を言って手編みのそれにくるまる。
柔らかな手触りの毛糸のブランケットは兄貴お手製の作品だった。
「どういたしまして」
そう言って笑う兄貴は並んだイスの一つに腰掛けて、なにか作業を始めた。
オレはブランケットに包まれたままイスから立ち上がり、兄貴の作業を横から眺める。
骨張った手先には、不釣り合いのモコモコとした物体。
