「先生っ、俺たち──今日付けでこの映像制作部を退部します!」
放課後。
広いはずなのに機材やら資料やらで埋め尽くされて圧迫感が漂う部室。
かろうじて確保されたスペースでは、部員たちがひとつのテーブルを囲むように並んでいる。
開いた口が塞がらない、とばかりに彼らを見るのは顧問の先生──と、部員側の中央に立つ僕。
──えっ、待って。
──部長なのに僕、何も聞いてないんだけど!?
「わっ、私が悪いんです!先輩たちが優しくしてくれたのが嬉しくてつい……っ」
「そうだよ全部テメェのせいだよ!」
「やめろ、リラたんは悪くない!」
「寂しい思いをさせた俺たちが悪いんだ、これからは部活を忘れてリラへの愛に生きる!」
「うるせぇっ、部室で“あんなこと”しといてよく言えたなお前ら!!」
つい先月入部してきた一年の女子が泣き崩れ、両隣にいた男子たちは彼女を庇うように副部長の叱責を受けている。その光景でなんとなく事情を察してしまって、気まずくなった僕は目を逸らした。
「神聖な部を穢されて我慢出来ねぇ。倉田《くらた》には悪いが、俺は辞めさせてもらう!」
「そっ、そんなぁ……!」
名指しする割にこちらを見向きもしない副部長に、慌てる僕の両手には私物のスマホ。このミーティングの後、中のト書きをみんなに共有するつもりだったのに。
──これはきっと悪い夢か、新作の企画を斬新な方法で発表してるだけだ。
──そうですよね?九条先輩……。
今はもうここにいない人に思いを馳せれば、呼応するように手の中のスマホが震えた。
◇◇
映像制作部。
その名前から想像出来る通り、映像作品を作って発表する部活動だ。
新入生歓迎会で流す学校紹介のVTRや、毎年開催されるコンクールに出品するドキュメンタリー・ドラマなど手掛ける内容は多岐に渡る。
「倉田、すまん!」
今日付けで辞めると宣言した部員たちが帰ってから少し経った部室。
彼らに付いて行く形で一度外へ出て、戻ってくるなり僕に向かって勢いよく頭を下げてきたのは顧問の中原先生だ。
「こんなことになるまで気づかなかったなんて、俺は顧問失格だ……っ」
「なっ、中原先生は悪くないです!僕も全然知らなかったですし……」
声を震わせる先生の前に屈み、宥めるように言う。
──本当に、何も知らなかった。
──まさかうちの部があんな泥沼な状況になっていたなんて。
現状唯一の女子部員だった一年生の彼女は、同学年はもちろんひとつ上の──つまり僕ら二年生部員にも片っ端から声をかけて関係を持とうとしていたらしい。……ちなみに、その中でも僕だけは最後まで誘われることはなかった。
ようするにこの高校の映像制作部……略して“映作”は、たったひとりの女子を巡る痴情のもつれで崩壊したのだ。
──そんなことってある!?
──入部した時あの子、『女の子にしか撮れない映画を作りたいです!』って意気込んでたのに!
なんとか中原先生に頭を上げてもらい、次に僕が見たのはさっきから震えっぱなしのスマホ。
【なんか在校生めっちゃ抜けたんだけど!】
【何があった!?】
【碧海ちゃんは無事か!?】
【電話出て碧海ちゃん!!】
【落ち着け九条!】
【まずは倉田の話を聞かないと】
業務連絡や情報交換のために作られた映作専用のグループトークは部員たちの一斉退室を受けてか、今年の始めに卒業していった先輩方の心配のメッセージで溢れている。
──九条先輩の電話には気づいてたけど……声を聞いたら泣いてしまいそうで出られなかった。
──“碧海ちゃん”と呼ばれて可愛がってもらってたつい数か月前が恋しい。
【碧海です。ご心配おかけしてすみません、今後の対応を中原先生と考えています】
【文化祭でやる映画はほとんど撮影終わってるので大丈夫なはずです!】
そう続けて送信すれば、すぐに【無理すんな!】、【何かあったらいつでも呼べよ!】と温かい言葉が返ってくる。
“文化祭でやる映画”。
うちの部では毎年、短編映画を制作して文化祭で上映するという伝統がある。一昨年まではそれ目当てに来場する人もいたくらいの名物企画だ。
……だけど去年の文化祭はインフルエンザの大流行と重なり、室内でやるような出し物は全部自粛──例に漏れず映作も映画の公開はおろか完成させることすら叶わなかった。
当時の三年生が部活から引退する日。寂しさのあまり号泣する僕に、ある先輩は言った。
『あとは任せたぞ、碧海ちゃん』
自分たちの代で伝統が途切れた悔しさと、次の世代への期待がその一言に詰まってる気がした。
だから僕は決めた。
みんなでひとつの映画を作る楽しさを教えてくれ──……密かに淡い恋心を抱いていた同性の先輩の無念を晴らすため、翌年の文化祭では最高の映画を作ろうと。
──なのに。
スマホから目を逸らすように俯く。
余計な心配をかけたくなくてグループトークでは“大丈夫”なんて言ったけど……実際映画はほとんど出来てるとはいえ、残りの作業を僕と中原先生だけでこなすのは厳しい。そもそも僕以外が退部してしまった今、映作は存続すら危ういんじゃないか。
「一体どうすれば……」
「……どうにもならないわけじゃない」
思わず漏れた心の声に、自分のスマホからグループトークを見ていたらしい中原先生が応えた。
「出て行った奴らと交渉して籍だけは残させた。生徒会や、他の教員に嗅ぎ付けられない限り部の存続は出来る」
「で、でも実際に動ける人がいないと映画が……」
「そこも考えてある!」
不安を隠しきれない僕をよそに、力強く頷く先生。
「部室に戻ってくる前、電話で助っ人を頼んだ!」
「……助っ人……?」
「まだ校内に残ってるみたいだから、もうじき来るはず」
中原先生がそう言った直後。コンコン、と軽いノックの音が響く。
「──叔父さん?来たけど」
こちらの返事を待たずに開いた扉の向こうから現れた見覚えある人影に、僕はフリーズした。
“烏の濡れ羽色”とはこういうのを言うのか、と腑に落ちるような艶のある黒髪。
細身で、180は確実に超えてるであろう長身をさらに際立たせるピン、と伸びた背筋。
白黒映画に映えそうな、まつ毛と目鼻立ちがくっきりとした端正な顔。
「俺の姉貴の息子……つまり甥の陽生だ!同じ学年なんだから、お互い見たことくらいあるだろ?」
「は、はい」
彼の横に立ち、紹介してくれる先生に答える。
少なくとも僕の方は知っている。佐藤 陽生くんといえば、新二年生にして学校イチのイケメンと噂される有名人だ。
その容姿から数多くの芸能事務所から連日スカウトを受けていて、ことごとく断っているんだとか。
──そんな人が、映作の助っ人に?
──……でも……。
「陽生、コイツが電話で話した部長の倉田。文化祭でやる映画の制作を手伝ってやってくれ。詳しい流れはこれから説明──」
「……あのっ!」
どんどん話を進める中原先生に待ったをかければ、隣の甥御さんの涼やかな瞳がこちらを向く。
近くで見てもかっこいいな。キャスティングするなら青春ものの主人公か、思い切ってサスペンスの黒幕役……なんて言ってる場合じゃない!
「気持ちは嬉しいのですが、演者はもう足りていて……」
映画ないしドラマを作る時は演劇部に協力をお願いしていて、役者はそちらが務めてくれる。
今回も例外ではなく、残るラストシーンの撮影に向けて主演二人の予定も調整済み。
つまり、彼がどれだけスクリーン向けの容姿をしていたとしても今は出番がないのだ。
「動画編集が得意な人じゃないと残りの作業は難しいと思うんです。佐藤くん、せっかく来てくれたのにごめんなさいっ」
「……」
思い切り頭を下げて言う僕に、佐藤くんはすぐには反応しなかった。
少しだけ目を細めて何かを考えているところすら様になっていて、いつかこの人主体の映画が撮れないものか……なんて頭を過ぎったその時。
「……演者、ね」
ぽつりと、予想外に冷たく低い声が部室に落ちた。
頭を上げてすぐ視界に入ったのは、片側の口角をつり上げる佐藤くん。笑顔って爽やかなもののはずなのに……これは不安になる。
「お前さぁ。俺がその“編集が得意な”奴だって、少しも考えなかったわけ?」
「……え?」
耳を疑う。
──編集?
──今、編集って言った?
いやでも、目の前にいるのは学校イチのイケメンとして有名な……どう考えても撮られる側の人で。
「すまん倉田っ、説明が足りなかった!」
困惑する僕に、慌てた中原先生が両腕を振る。
「陽生は前に、ある動画配信者グループの編集担当やってたんだよ!今も動画編集で金もらってるプロなんだっ」
「えぇっ!?」
衝撃の事実に素っ頓狂な声が出た。
──中原先生は今の映作に本当に必要な人を呼んでくれて……それで彼が来たってこと?
──まずい、完全に勘違いしてた……!
「ごっ、ごめんなさい!僕てっきり──」
「はっ」
嫌な汗が止まらない。
速やかに謝るべく口を開く僕を遮り、鼻を鳴らす佐藤くん。
「面白いくらい上辺で判断するじゃん。そんな奴が部長とか、映像制作部大丈夫か?」
「なっ……!?」
「この分じゃあ“文化祭でやる映画”とやらも期待出来ねぇな」
謝罪の気持ちがさあっと引いていき、代わりに腹の内から怒りがせり上がってくる。
確かに彼を役者枠だと勝手に勘違いして、断ろうとしたのはこっちだけど……この人今、僕のみならず映作を、僕を部長に指名してくれた先輩たちをバカにした!?
「それは今関係ないだろ!!」
気づけば自分でも驚くくらい大きな声が出た。
「いーや、関係あるね」
僕の人生初の怒号をものともせず、両腕を組んだ佐藤くんが切れ長の目をさらに尖らせて睨み付けてくる。
「関係ない!」
「関係ある」
「ない!」
「ある!」
「なーいー!!」
「お、落ち着け二人とも!冷静に話せばきっと仲良くなれ……」
「中原先生っ、僕この人嫌です!チェンジでお願いします!!」
「叔父さん、俺もコイツ無理。顧問権限で部長変えてよ」
「倉田はちゃんとやってくれてるっ、そもそも代わりの部員がいたらお前を呼んでない!!」
機材と資料で溢れた部室に、中原先生のツッコミがこだまする。
──この人と仲良くなれる気がしない。
──向こうも絶対そう思ってる。
掴みかかりたくなるのをぐっと堪えて物理的な距離を取れば、研ぎ澄まされた刃物みたいな視線が頬を突き刺した。
この時は想像もつかなかった。
最悪な出会い方をしたこの彼が、文化祭が終わる頃には僕にとってかけがえのない存在になるだなんて。



