「……無礼にもほどがあるわ!」
鵠寄りも先に声を上げたのは、鈴香だった。絹の帳を震わせるほどの甲高い声で喚くだけでなく、腰を浮かせて玄に指をつきつける。
「鵠様は、美しく慈悲深く、そして強い神であらせられる! もう何百年も何前年も、白玲山を守ってきた御方なのよ!? その御力を疑うなんて恥知らずな……!」
仮にも神に対して、恐ろしくなるくらいの剣幕だ。間もなく珠の巫女になるはずの者として、主であり伴侶である鵠への疑いが許せないのだろう。
「これまでの功績があればこそ、神楽寮もまずは調査を、と考えたのだ。そして、古く強い神の相手は人の役人には荷が重いから、俺が使者を買って出た」
直接怒りを向けられているわけではない瑞穂でも、思わずひれ伏して許しを乞いたくなるほどの勢いなのに。そして、玄のほうこそ怒って当然の無礼なのに。けれど、玄はどこまでも冷静に、そして鵠に対してだけ言葉を紡いだ。
(神楽寮……楽巫女を養成し、祭祀を行い、神と人との間を取り持つ官庁、だったはず……)
白玲山を含めた各地の主だった社や神域も、神楽寮の管轄になる。
もちろん、神が人の都合や命令に従うはずもないけれど、長きにわたって尊ばれ、歌舞や祈りや供物をささげられてきたことへの、情を感じる神も多い。だから、丁重な依頼があったうえでその神の考えに沿うことならば、神楽寮の要請に応じる神も稀にいるらしい、とは瑞穂も何となく知っていた。
(人の頼みに応じるなんて……では、この方は優しい神様なのかしら)
巨大な狼の姿を見ても恐ろしいと思わなかったのはだからかしら、と。瑞穂は納得した。けれど、鈴香はまた違った感想を持ったようで、ますます眉を吊り上げた。
「人間の使いをするなんて。狼ではなく、犬の神だったのかしら!? 鵠様、早くこの獣を追い出してくださいませ……!」
狩衣の袖に縋る鈴香の細い指を、鵠は無造作に払いのけた。
「人間に心配をかけたのはすまなかったな」
「そんな、鵠様……!」
鈴香の、悲鳴のような抗議の声にも構わず、鵠は美しい微笑を玄に向ける。
「だが、私の傷心も思い遣って欲しいものだ。伴侶と見込んだ珠の巫女に裏切られて、これまでと変わらず務めを果たすのは難しいというものだ。お前なら分かってくれるだろう、瑞穂?」
「は、はい……」
瑞穂に同意を求める鵠の声は柔らかくとも、その底には冷え切った怒りが感じられた。それに、鈴香が燃えるような目で睨んでくるのも分かったから、瑞穂の答えは蚊の鳴くようなごく小さなものになった。
それでも、瑞穂の怯えた風情に満足したのか、鵠は笑みを深めて鈴香を抱き寄せた。
「こうして、瑞月に代わる珠の巫女を迎えたことだし。これからは東雲の守りも盤石となろう。帝都にはそう伝えるが良い」
「……ええ! 鵠様の仰る通りよ。私が珠の巫女になったからには、瑞穂とかいう女よりもよほどしっかりと、鵠様をお支えします!」
鵠の抱擁と甘い言葉に、鈴香の機嫌は瞬時に治ったようだった。まばゆいばかりに美しいふたりが、晴れやかな笑みで寄り添う姿に何を思ったのか――玄は、軽く顔を顰めた。
「……そちらの巫女の歌は、ここへ降りる時に聞こえた。お前が良いなら、趣味をとやかく言う気はないが――」
「まあ……!」
鈴香の怒りの呟きは無視して、玄はすっ、と立ち上がった。本性の狼を思わせる、音のないしなやかな身のこなしで、洋装に包まれた長身が、瑞穂に近づく。
「瑞穂といったか、瑞月の娘を連れ帰らせてもらう。母の最期のこと、白玲山の内部のこと――聞きたいことは山ほどある」
「え――」
座ったところから見上げると、玄の鋭い目は空に輝く星のようだった。威圧感を感じても良いはずなのに、なぜか庇われている、と思えて安心できた。彼が対峙しているのは、瑞穂が誰より慕い、信じる鵠なのだから、とてもおかしなことなのだけれど。
「珠の巫女とは、神にとってさえ唯一無二の掌中の珠、かけがえのない宝物であり半身に等しい伴侶。……そうでは『ない』娘なのだから、良いな?」
「良くないな」
玄の詰問めいた強い語調に対して、鵠はうっすらと微笑を浮かべて答えた。玄がほとんど呑んでいない盃を傾けると、鈴香が慌てて神酒を満たす。
「先ほども言っただろう。母の轍を踏ませはしない、と。ゆえに、瑞穂はこの先ずっと私の手元に置かねばならない。私と鈴香が並ぶ姿を見る度に、母が罪を犯さなければ、と考えねばならない」
「……鵠様?」
滔々と語る鵠に、その言葉に、鈴香は瓶子から神酒の雫を滴らせたまま固まった。
(どういうことなの……?)
玄も、困惑したように口を噤んでしまっている。だってこれでは、鵠が鈴香を娶るのは、瑞穂への罰というか躾の一貫ということになってしまう。
「私に愛され慈しまれたかもしれない『もしも』を思い描いて惜しみ悔やみ妬み、母を恨めば良いのだ。瑞穂、お前の母の罪はそれだけ重い――異存はないな?」
先ほどの「覗き見」の時と同じだ。瑞穂は心から鵠の婚礼を祝福している。鈴香への嫉妬も母への恨みも抱いたことはない。
「わ、私、は……」
「それとも、私のいない帝都で、罪人の娘と後ろ指をさされるほうが良いか? そこの玄も聞き及ぶほどに、瑞穂は秀でた巫女だった。私にも多くの恋敵がいたものだ」
けれど、瑞穂の言い分など、鵠は必要としていないようだった。「はい」との答えがすぐに返らないことに苛立ったのか、一段と低い声が形良い唇から紡がれる。
「その瑞穂を喪わせたお前が、帝都で歓迎されるとでも思うのか?」
鵠は決して怒鳴りはしなかった。それでも、瑞穂にとっては重い石を載せられて押し潰されるような思いがした。がたがたと震えながら、瑞穂は床に張り付くようにして平伏する、
(私は、鵠様のご慈悲がなければ生きていけない。鵠様のほかに、私を気に懸けてくれる人はいない……!)
鵠は瑞穂を厳しくも優しく躾てくれたけれど、常に忍耐強いというわけではなかった。
聞きわけが悪かった時、粗相をした時。雪の中に追い出されたこともあれば、真っ暗な洞窟に閉じ込められたこともある。鵠が思い出してくれなければ、瑞穂を探す者も案じる者もいなくて――寒い中、暗い中で、何度思ったことだろう。このまま誰にも見つからず、死んでしまうのではないか、と。
「お、お許しください。どうか私を、白玲山にいさせてください……!」
瑞穂の、みっともなく裏返って引き攣った声が几帳を揺らした。我ながら恥ずかしくなるほどの大声の残響が消えると、玄がため息交じりのつぶやきが降ってくる。彼は、ずっと瑞穂を守るように見下ろしていてくれたのだ。
「……仕方ないな」
「分かってくれたか」
「ああ。説得する余地はなさそうだ」
鵠の声が弾んだから。そして、玄がうなずいたから、瑞穂は心から安堵した。帝都から遣わされたという狼の神は、これで帰ってくれる。瑞穂を鵠から引き離すとか帝都に連れていくとか、そんな怖いことはもう言わないだろう。
でも――
「お前のいないところで話さねば埒が明かない。――来い」
「え!?」
立ち上がった時と同じく素早く、玄は瑞穂の手を掴んで引っ張り上げた。同時に、彼の輪郭が解ける。黒い洋装は黒い毛並みに。すらりとした手足は、強靭な四肢に変じる。
呆気に取られた瑞穂がほんの何度か瞬きする間に、そこには端正な容姿の青年ではなく、黒い巨大な狼がいた。
鋭い牙が並んだ狼の顎が、大きく開く。そこから轟いた遠吠えは、間近にいた瑞穂の頬をびりびりと震わせ、全身の肌を粟立たせた。
彼女が恐怖と驚きに固まっている間に、狼――玄は着物の袂を器用に咥えると、首を大きく振った。
「きゃ……っ」
気付いた時には、瑞穂は狼の背に乗せられていた。常よりも高い、鵠を見下ろしてしまう視界は怖いし畏れ多い。降ろして欲しいけれど、飛び降りるのも躊躇う高さに、身動きが取れない。……しかも、玄は後ろ脚に力をこめ、跳躍の気配を見せた。
「嫌、止めて!」
瑞穂が叫ぶと、鵠が酒盃を蹴倒して立ち上がった。白く整った顔に、珍しくも怒りと焦りの色が浮かんでいる。
「獣め。渡すものか……!」
鵠が叫ぶと同時に、宙に無数の白い羽根が現れた。ひとつひとつが鋭い白刃の輝きを帯びて、真っ直ぐに玄を指し示す。鵠が命じれば、その羽根は矢のように飛んで瑞穂ごと玄をズタズタにするのだろう。
「――っ」
痛みを覚悟して、瑞穂はぎゅっと目を閉じて玄の毛並みにしがみついた。でも――
ウオオオオーーーーーーン!
狼の吠え声が雷のように轟いたかと思うと、白い羽根は風に散らされる淡雪のようにかき消えた。同時に、鵠ががくりと膝をつく。
「おのれ……」
「鵠様!?」
苦しげに顔を歪める鵠も、駆け寄る鈴香も、瑞穂の視界の端に溶けた。白い羽根の囲いが溶けた隙に、玄が寝殿の外へと跳躍したのだ。
「待て、瑞穂! 行くな。戻れ……!」
鵠の悲痛な声も、一瞬にしてはるか後ろに過ぎ去った。
「鵠様……!」
瑞穂の叫びも、高い夜空に吸い込まれて消える。
今や彼女は、巨大な狼の背に乗せられて、星々の間を翔けていた。
鵠寄りも先に声を上げたのは、鈴香だった。絹の帳を震わせるほどの甲高い声で喚くだけでなく、腰を浮かせて玄に指をつきつける。
「鵠様は、美しく慈悲深く、そして強い神であらせられる! もう何百年も何前年も、白玲山を守ってきた御方なのよ!? その御力を疑うなんて恥知らずな……!」
仮にも神に対して、恐ろしくなるくらいの剣幕だ。間もなく珠の巫女になるはずの者として、主であり伴侶である鵠への疑いが許せないのだろう。
「これまでの功績があればこそ、神楽寮もまずは調査を、と考えたのだ。そして、古く強い神の相手は人の役人には荷が重いから、俺が使者を買って出た」
直接怒りを向けられているわけではない瑞穂でも、思わずひれ伏して許しを乞いたくなるほどの勢いなのに。そして、玄のほうこそ怒って当然の無礼なのに。けれど、玄はどこまでも冷静に、そして鵠に対してだけ言葉を紡いだ。
(神楽寮……楽巫女を養成し、祭祀を行い、神と人との間を取り持つ官庁、だったはず……)
白玲山を含めた各地の主だった社や神域も、神楽寮の管轄になる。
もちろん、神が人の都合や命令に従うはずもないけれど、長きにわたって尊ばれ、歌舞や祈りや供物をささげられてきたことへの、情を感じる神も多い。だから、丁重な依頼があったうえでその神の考えに沿うことならば、神楽寮の要請に応じる神も稀にいるらしい、とは瑞穂も何となく知っていた。
(人の頼みに応じるなんて……では、この方は優しい神様なのかしら)
巨大な狼の姿を見ても恐ろしいと思わなかったのはだからかしら、と。瑞穂は納得した。けれど、鈴香はまた違った感想を持ったようで、ますます眉を吊り上げた。
「人間の使いをするなんて。狼ではなく、犬の神だったのかしら!? 鵠様、早くこの獣を追い出してくださいませ……!」
狩衣の袖に縋る鈴香の細い指を、鵠は無造作に払いのけた。
「人間に心配をかけたのはすまなかったな」
「そんな、鵠様……!」
鈴香の、悲鳴のような抗議の声にも構わず、鵠は美しい微笑を玄に向ける。
「だが、私の傷心も思い遣って欲しいものだ。伴侶と見込んだ珠の巫女に裏切られて、これまでと変わらず務めを果たすのは難しいというものだ。お前なら分かってくれるだろう、瑞穂?」
「は、はい……」
瑞穂に同意を求める鵠の声は柔らかくとも、その底には冷え切った怒りが感じられた。それに、鈴香が燃えるような目で睨んでくるのも分かったから、瑞穂の答えは蚊の鳴くようなごく小さなものになった。
それでも、瑞穂の怯えた風情に満足したのか、鵠は笑みを深めて鈴香を抱き寄せた。
「こうして、瑞月に代わる珠の巫女を迎えたことだし。これからは東雲の守りも盤石となろう。帝都にはそう伝えるが良い」
「……ええ! 鵠様の仰る通りよ。私が珠の巫女になったからには、瑞穂とかいう女よりもよほどしっかりと、鵠様をお支えします!」
鵠の抱擁と甘い言葉に、鈴香の機嫌は瞬時に治ったようだった。まばゆいばかりに美しいふたりが、晴れやかな笑みで寄り添う姿に何を思ったのか――玄は、軽く顔を顰めた。
「……そちらの巫女の歌は、ここへ降りる時に聞こえた。お前が良いなら、趣味をとやかく言う気はないが――」
「まあ……!」
鈴香の怒りの呟きは無視して、玄はすっ、と立ち上がった。本性の狼を思わせる、音のないしなやかな身のこなしで、洋装に包まれた長身が、瑞穂に近づく。
「瑞穂といったか、瑞月の娘を連れ帰らせてもらう。母の最期のこと、白玲山の内部のこと――聞きたいことは山ほどある」
「え――」
座ったところから見上げると、玄の鋭い目は空に輝く星のようだった。威圧感を感じても良いはずなのに、なぜか庇われている、と思えて安心できた。彼が対峙しているのは、瑞穂が誰より慕い、信じる鵠なのだから、とてもおかしなことなのだけれど。
「珠の巫女とは、神にとってさえ唯一無二の掌中の珠、かけがえのない宝物であり半身に等しい伴侶。……そうでは『ない』娘なのだから、良いな?」
「良くないな」
玄の詰問めいた強い語調に対して、鵠はうっすらと微笑を浮かべて答えた。玄がほとんど呑んでいない盃を傾けると、鈴香が慌てて神酒を満たす。
「先ほども言っただろう。母の轍を踏ませはしない、と。ゆえに、瑞穂はこの先ずっと私の手元に置かねばならない。私と鈴香が並ぶ姿を見る度に、母が罪を犯さなければ、と考えねばならない」
「……鵠様?」
滔々と語る鵠に、その言葉に、鈴香は瓶子から神酒の雫を滴らせたまま固まった。
(どういうことなの……?)
玄も、困惑したように口を噤んでしまっている。だってこれでは、鵠が鈴香を娶るのは、瑞穂への罰というか躾の一貫ということになってしまう。
「私に愛され慈しまれたかもしれない『もしも』を思い描いて惜しみ悔やみ妬み、母を恨めば良いのだ。瑞穂、お前の母の罪はそれだけ重い――異存はないな?」
先ほどの「覗き見」の時と同じだ。瑞穂は心から鵠の婚礼を祝福している。鈴香への嫉妬も母への恨みも抱いたことはない。
「わ、私、は……」
「それとも、私のいない帝都で、罪人の娘と後ろ指をさされるほうが良いか? そこの玄も聞き及ぶほどに、瑞穂は秀でた巫女だった。私にも多くの恋敵がいたものだ」
けれど、瑞穂の言い分など、鵠は必要としていないようだった。「はい」との答えがすぐに返らないことに苛立ったのか、一段と低い声が形良い唇から紡がれる。
「その瑞穂を喪わせたお前が、帝都で歓迎されるとでも思うのか?」
鵠は決して怒鳴りはしなかった。それでも、瑞穂にとっては重い石を載せられて押し潰されるような思いがした。がたがたと震えながら、瑞穂は床に張り付くようにして平伏する、
(私は、鵠様のご慈悲がなければ生きていけない。鵠様のほかに、私を気に懸けてくれる人はいない……!)
鵠は瑞穂を厳しくも優しく躾てくれたけれど、常に忍耐強いというわけではなかった。
聞きわけが悪かった時、粗相をした時。雪の中に追い出されたこともあれば、真っ暗な洞窟に閉じ込められたこともある。鵠が思い出してくれなければ、瑞穂を探す者も案じる者もいなくて――寒い中、暗い中で、何度思ったことだろう。このまま誰にも見つからず、死んでしまうのではないか、と。
「お、お許しください。どうか私を、白玲山にいさせてください……!」
瑞穂の、みっともなく裏返って引き攣った声が几帳を揺らした。我ながら恥ずかしくなるほどの大声の残響が消えると、玄がため息交じりのつぶやきが降ってくる。彼は、ずっと瑞穂を守るように見下ろしていてくれたのだ。
「……仕方ないな」
「分かってくれたか」
「ああ。説得する余地はなさそうだ」
鵠の声が弾んだから。そして、玄がうなずいたから、瑞穂は心から安堵した。帝都から遣わされたという狼の神は、これで帰ってくれる。瑞穂を鵠から引き離すとか帝都に連れていくとか、そんな怖いことはもう言わないだろう。
でも――
「お前のいないところで話さねば埒が明かない。――来い」
「え!?」
立ち上がった時と同じく素早く、玄は瑞穂の手を掴んで引っ張り上げた。同時に、彼の輪郭が解ける。黒い洋装は黒い毛並みに。すらりとした手足は、強靭な四肢に変じる。
呆気に取られた瑞穂がほんの何度か瞬きする間に、そこには端正な容姿の青年ではなく、黒い巨大な狼がいた。
鋭い牙が並んだ狼の顎が、大きく開く。そこから轟いた遠吠えは、間近にいた瑞穂の頬をびりびりと震わせ、全身の肌を粟立たせた。
彼女が恐怖と驚きに固まっている間に、狼――玄は着物の袂を器用に咥えると、首を大きく振った。
「きゃ……っ」
気付いた時には、瑞穂は狼の背に乗せられていた。常よりも高い、鵠を見下ろしてしまう視界は怖いし畏れ多い。降ろして欲しいけれど、飛び降りるのも躊躇う高さに、身動きが取れない。……しかも、玄は後ろ脚に力をこめ、跳躍の気配を見せた。
「嫌、止めて!」
瑞穂が叫ぶと、鵠が酒盃を蹴倒して立ち上がった。白く整った顔に、珍しくも怒りと焦りの色が浮かんでいる。
「獣め。渡すものか……!」
鵠が叫ぶと同時に、宙に無数の白い羽根が現れた。ひとつひとつが鋭い白刃の輝きを帯びて、真っ直ぐに玄を指し示す。鵠が命じれば、その羽根は矢のように飛んで瑞穂ごと玄をズタズタにするのだろう。
「――っ」
痛みを覚悟して、瑞穂はぎゅっと目を閉じて玄の毛並みにしがみついた。でも――
ウオオオオーーーーーーン!
狼の吠え声が雷のように轟いたかと思うと、白い羽根は風に散らされる淡雪のようにかき消えた。同時に、鵠ががくりと膝をつく。
「おのれ……」
「鵠様!?」
苦しげに顔を歪める鵠も、駆け寄る鈴香も、瑞穂の視界の端に溶けた。白い羽根の囲いが溶けた隙に、玄が寝殿の外へと跳躍したのだ。
「待て、瑞穂! 行くな。戻れ……!」
鵠の悲痛な声も、一瞬にしてはるか後ろに過ぎ去った。
「鵠様……!」
瑞穂の叫びも、高い夜空に吸い込まれて消える。
今や彼女は、巨大な狼の背に乗せられて、星々の間を翔けていた。



