瑞穂の一挙手一投足にたくさんの視線が注がれている。
試すような芳。心配そうな酒井。百花大社の巫女たちのそれは、失敗を期待したり粗さがしをしたりで突き刺さるよう。
(玄様も、見ている……)
でも、その中に玄の静かなまなざしが確かに感じられるから、瑞穂の緊張は溶けていく。誰がどう思っていようとも、彼だけはきっと、純粋に瑞穂の歌や舞を楽しみにしてくれているはず。そう信じることができる、というだけで、不思議と胸の奥から力が湧いてくる気がした。
毛氈を踏みしめ、まだ蕾のない桜の枝を見上げて、瑞穂は大きく息を吸った。
「見渡せば 桜柳をこきまぜて――」
春や桜を歌う歌は数え切れないほどあるけれど、帝都の大祭を目前にした今なら、都を錦と飾る花と新緑の歌にしよう。萌え出ずる春の息吹が都を彩る場面を、この木にも思い浮かべてもらえるように。早く蕾を結ばなければ、と思ってもらえるように。
「都ぞ春の錦なりける」
鈴香たちがどのように舞っていたかを懸命に思い出して、足を運び、手をしならせ、さらに同時に歌の声を紡ぐ。
とても美しい女神である芳や、厳しい修練を積んできた巫女たちに、いったいどう思われるのか――恐れる気持ちは、必死さや懸命さによって胸の端に追いやられていく。怖がって萎縮している暇なんてないのだ。
(あ――何か、繋がった……?)
ぎこちなくも舞い、歌ううちに、伸ばした指先に温かい風がまとわりついた、気がした。春の風がどこかから漂ってきたかのような。でも、何か見えない壁に阻まれたかのように、その温かい気配はするりと指の間を抜け出してしまう。
(これが、龍脈の乱れ? 壁を退けて――春をこちらへ呼び込まなければいけない?)
桜の木も、春の風を待ち望んでいる。けれど届かずもどかしく思っている。なぜかは分からないけれど、木の想いまでもが瑞穂に伝わってくる。
「――都ぞ春の錦なりける」
満開の花を咲かせて愛、という桜の想いを、瑞穂は歌の声に乗せた。滞っている春の気配にも聞こえるように。ここに来て欲しいと呼びかけるように。すると――
「わ――」
巫女の誰かだろうか、少女の歓声が聞こえた。温かく香り高い春の風が、中庭全体を、芳のいる局を吹き抜けたのだ。
薫風は、桜の木の枝も優しく揺らした――かと思うと、弾けるように数え切れないほどの蕾が結ぶ。その蕾たちはみるみるうちに膨らみ、さらに弾けて次々と満開に花開く。
ほんの何度か瞬きするうちに、中庭は春爛漫の華やかな空気に包まれていた。桜の大木の枝を彩る花は光を集めて輝いて、辺りは何段階も明るく見える。
「はあ……っ」
瑞穂は、大きく息を吐き出してよろめいた。気付けば、額からは汗がいく筋も滴っているし、息も鼓動も激しく弾んでいる。
(つ、疲れた……! でも、やった……!?)
倒れ込むようにして瑞穂が毛氈の上に平伏するいっぽうで、巫女たちは口々にざわめいていた。
「すごい……!」
「まるで、神のお力のようじゃない!?」
「ちょっと、畏れ多いわよ!」
「でも、こんなの初めてで……!」
「なんて綺麗なの――」
彼女たちの声に宿るのは、驚きと興奮。そして、花の美しさへの感動だった。瑞穂の歌舞の奉納は、成功したのだろうか。
(芳様は……?)
春と花の女神には満足していただけたのか――心臓をますます高鳴らせる瑞穂の耳に、絹の袿が流れるさやさやという衣擦れが届いた。そして鼻には、甘い香りが。芳が立ち上がり、瑞穂のほうに歩み寄ったらしい。
「歌も舞も、未熟でひどいものだったわ」
香りと同じく甘い声が告げたのは、けれど手厳しい評で、瑞穂は震え上がった。
「も、申し訳――」
汗が冷や汗に変わるのを感じながら、慌てて毛氈に額を擦りつけようとする――けれど、芳は続けて声を立てて軽やかに笑った。
「でも、たまには悪くないわね。想いを歌舞に込めることができるというのも、才能のひとつでしょう。……さすがは瑞月の娘、といったところね」
「だから言っただろう」
「そうね」
玄の声も聞こえて、彼は芳のすぐ傍にいることが瑞穂にも分かった。美しいふたりが並んだ様は、さぞ似合いで満開の花にも映えるのだろう。……心ときめく麗しい絵を思い浮かべたはずが、なぜか瑞穂の胸がちくりと痛む。
「瑞穂、顔を上げて良いわよ。こちらでお菓子を食べると良いわ」
彼女の心の乱れに気付いたのかどうか、芳は瑞穂を傍近くに――つまりは、玄のすぐ隣に招き寄せてくれた。舞った後で汗もかいているし髪も乱れた姿で神々の前に居座って良いものか、これはこれで居た堪れない。
「よくやったな。信じてはいたが、想像以上の成果だった」
瑞穂が落ち着かない思いでいると、玄がにこり、と微笑みかけてきた。緊張をほぐそうとしてくれた――違う、純粋な賛辞だろうと想えた。
「あ、ありがとうございます……!」
ほんのひと言で、玄は瑞穂の身体にも花を咲かせたようだった。熱くなった頬を両手で押さえる彼女を余所に、芳は菓子を摘まみながら首を傾げる。
「――では、瑞月が死んでしまったのも、鵠が新しい珠の巫女を迎えるのも本当ということなのね……?」
そうだ、そもそもは鵠と、彼が原因――かもしれない――龍脈の乱れについての話をしていたのだった。
「は、はい。鵠様は鈴香様を迎えられます。きっと、お気持ちも晴れることかと」
瑞穂は、慌てて心配無用、を強調した。けれど、芳は鈴香の名には関心はないようだった。
「瑞月はまだ若かったでしょうに。どうして死んでしまったの? 病? 事故?」
それよりも、女神が気にしているのはやはり母のようだった。とはいえ、瑞穂は問いかけへの答えを持たないから困ってしまう。
「申し訳ございません、鵠様は、何も――」
鵠や水鏡郷の者たちのもの言いからは、帝都で困窮した身体を壊したか病を得たかだろう、と何となく思い描いていた。けれど、実のところ瑞穂は母の死の理由を知らされていない。どうやら経緯そのものに齟齬があるようだから、郷での扱いを言うことも躊躇われた。
「そう。まあ、人間は些細なことで死んでしまうものね。思い出すのも辛いのかもしれないわね」
瑞穂が言葉を濁すと、芳はあっさりと引き下がった。そして、もうひとり傍に控えていた神楽寮の長、酒井に顔を向ける。
「でも、いくら傷心だからって、白玲山の守護をおろそかにするのは感心しないわね。誰か叱ってやったほうが良いんじゃない?」
「はい。鵠様を叱責など畏れ多いことですが、神楽寮からも改めて使いを送る予定です」
まばゆいほど美しい女神と言葉を交わすのは畏れ多く気疲れするもの。芳と酒井が何やら相談を始めたことで、瑞穂は密かに安堵した。でも、完全に気を抜くことはできない。
(春の気配を妨げていた、さっきの『あれ』――あれが、東雲の各所で起きている、のよね……?)
怪異とはまた違う形の異変を実感して、瑞穂もことの重大さがじわじわと分かってきた。放っておけば、夏も秋も冬も、あるべき季節の巡りと実りが滞ってしまうのだろう。玄をはじめとした神々や神楽寮は、それを憂えているのだ。
(それは――では、母様のせい? それとも私の……?)
母が生きていれば。瑞穂が生まれていなければ。こんな異変は起きなかった。鵠はつつがなく龍脈を守っていただろうし、何か変事が起きたとしても、とても優れた巫女だったという母なら、もっと早い段階で神々を援けることができたはずだ。
そう思うと、歌舞の成功に弾んでいた瑞穂の胸は、みるみるうちにしぼんでしまう。花がしおれるように、瑞穂はしょんぼりと頭を垂れて俯いた。
「母のせいで、鵠様はご傷心だったのです。帝都にまで影響が出てしまって、娘としてたいへん申し訳なく――」
「瑞穂には関係のないことだ。謝る必要はない」
でも、玄の毅然とした声が、力強い手が、彼女の顔を上げさせる。大きく目を見開いた瑞穂の顔を、彼はひどく真剣な顔で見下ろしていた。
「玄様……」
「白玲山でも行ったが、鵠も見る目がない。お前を珠の巫女に選んでいたなら、龍脈の異変など起きなかっただろうに」
「そんな、こと」
瑞穂は、白玲山では巫女ですらなかった。思いあがるなと教え込まれてきた。鵠を裏切り悲しませた罪人の娘だから、と。
だから、玄に対してもすぐに首を振らなければいけなかった。とんでもないこと、畏れ多いことだと。でも――嬉しいと、思ってしまう。それも、鵠に相応しいと言われたからではない。
(私……玄様に認めていただいたから嬉しいんだ……!)
そうなると、珠の巫女に、という意味も変わる。玄の隣にいられたら。彼のために歌い、舞うことができたらどれほど幸せだろう。それこそ図々しいことこの上ない想像なのに、瑞穂の心は一瞬にして捕らわれてしまって追い払うことができそうになかった。
「あら。鵠に見る目がなくて良かったわね、玄?」
「どういうことだ……?」
と、芳が何やらとても楽しそうにくすくすと笑った。いっそう濃くなる芳香に、それに、謎めいたもの言いに、玄が眉を顰める。
「別に? 社も巫女も持たない孤高の狼神が、ついに――って。年長者として、微笑ましく思っただけよ?」
「な……っ」
可愛らしく首を傾げた芳が続けた言葉は、爆弾のような効果だった。瑞穂と玄は息を揃えて絶句する。
(芳様にはお見通しなの……!?)
まるで心中を言い当てられたようで、瑞穂は口をぱくぱくとさせることしかできない。いっぽうの玄は、なぜか慌てた様子で早口に言い募る。
「そんなつもりでは――第一、俺は珠の巫女は持たない」
「これまでは、ね。まあ、あまり勧めるものでもないけれど、神といえどもこの手のことはままならないものだしねえ」
やけにしみいじみと言ってから、芳は優雅な手つきで茶を啜った。そして、可憐な唇が茶器から離れたかと思うと、にんまりと弧を描いて笑う。
「そうだわ、花津月の祭礼は、ふたりで見て回ると良いわ! 瑞穂の歌舞へのご褒美よ。この私が、着物を見立ててあげる……!」
美しくも我が儘な女神の、強引な言いつけに逆らえるはずもない。逆らいたいわけでもない。
(玄様と、ふたり……!?)
でも、恥ずかしい。けれどやはり嬉しくて――瑞穂は何も言えないまま、花津月の祭礼の日の段取りが決められていった。
試すような芳。心配そうな酒井。百花大社の巫女たちのそれは、失敗を期待したり粗さがしをしたりで突き刺さるよう。
(玄様も、見ている……)
でも、その中に玄の静かなまなざしが確かに感じられるから、瑞穂の緊張は溶けていく。誰がどう思っていようとも、彼だけはきっと、純粋に瑞穂の歌や舞を楽しみにしてくれているはず。そう信じることができる、というだけで、不思議と胸の奥から力が湧いてくる気がした。
毛氈を踏みしめ、まだ蕾のない桜の枝を見上げて、瑞穂は大きく息を吸った。
「見渡せば 桜柳をこきまぜて――」
春や桜を歌う歌は数え切れないほどあるけれど、帝都の大祭を目前にした今なら、都を錦と飾る花と新緑の歌にしよう。萌え出ずる春の息吹が都を彩る場面を、この木にも思い浮かべてもらえるように。早く蕾を結ばなければ、と思ってもらえるように。
「都ぞ春の錦なりける」
鈴香たちがどのように舞っていたかを懸命に思い出して、足を運び、手をしならせ、さらに同時に歌の声を紡ぐ。
とても美しい女神である芳や、厳しい修練を積んできた巫女たちに、いったいどう思われるのか――恐れる気持ちは、必死さや懸命さによって胸の端に追いやられていく。怖がって萎縮している暇なんてないのだ。
(あ――何か、繋がった……?)
ぎこちなくも舞い、歌ううちに、伸ばした指先に温かい風がまとわりついた、気がした。春の風がどこかから漂ってきたかのような。でも、何か見えない壁に阻まれたかのように、その温かい気配はするりと指の間を抜け出してしまう。
(これが、龍脈の乱れ? 壁を退けて――春をこちらへ呼び込まなければいけない?)
桜の木も、春の風を待ち望んでいる。けれど届かずもどかしく思っている。なぜかは分からないけれど、木の想いまでもが瑞穂に伝わってくる。
「――都ぞ春の錦なりける」
満開の花を咲かせて愛、という桜の想いを、瑞穂は歌の声に乗せた。滞っている春の気配にも聞こえるように。ここに来て欲しいと呼びかけるように。すると――
「わ――」
巫女の誰かだろうか、少女の歓声が聞こえた。温かく香り高い春の風が、中庭全体を、芳のいる局を吹き抜けたのだ。
薫風は、桜の木の枝も優しく揺らした――かと思うと、弾けるように数え切れないほどの蕾が結ぶ。その蕾たちはみるみるうちに膨らみ、さらに弾けて次々と満開に花開く。
ほんの何度か瞬きするうちに、中庭は春爛漫の華やかな空気に包まれていた。桜の大木の枝を彩る花は光を集めて輝いて、辺りは何段階も明るく見える。
「はあ……っ」
瑞穂は、大きく息を吐き出してよろめいた。気付けば、額からは汗がいく筋も滴っているし、息も鼓動も激しく弾んでいる。
(つ、疲れた……! でも、やった……!?)
倒れ込むようにして瑞穂が毛氈の上に平伏するいっぽうで、巫女たちは口々にざわめいていた。
「すごい……!」
「まるで、神のお力のようじゃない!?」
「ちょっと、畏れ多いわよ!」
「でも、こんなの初めてで……!」
「なんて綺麗なの――」
彼女たちの声に宿るのは、驚きと興奮。そして、花の美しさへの感動だった。瑞穂の歌舞の奉納は、成功したのだろうか。
(芳様は……?)
春と花の女神には満足していただけたのか――心臓をますます高鳴らせる瑞穂の耳に、絹の袿が流れるさやさやという衣擦れが届いた。そして鼻には、甘い香りが。芳が立ち上がり、瑞穂のほうに歩み寄ったらしい。
「歌も舞も、未熟でひどいものだったわ」
香りと同じく甘い声が告げたのは、けれど手厳しい評で、瑞穂は震え上がった。
「も、申し訳――」
汗が冷や汗に変わるのを感じながら、慌てて毛氈に額を擦りつけようとする――けれど、芳は続けて声を立てて軽やかに笑った。
「でも、たまには悪くないわね。想いを歌舞に込めることができるというのも、才能のひとつでしょう。……さすがは瑞月の娘、といったところね」
「だから言っただろう」
「そうね」
玄の声も聞こえて、彼は芳のすぐ傍にいることが瑞穂にも分かった。美しいふたりが並んだ様は、さぞ似合いで満開の花にも映えるのだろう。……心ときめく麗しい絵を思い浮かべたはずが、なぜか瑞穂の胸がちくりと痛む。
「瑞穂、顔を上げて良いわよ。こちらでお菓子を食べると良いわ」
彼女の心の乱れに気付いたのかどうか、芳は瑞穂を傍近くに――つまりは、玄のすぐ隣に招き寄せてくれた。舞った後で汗もかいているし髪も乱れた姿で神々の前に居座って良いものか、これはこれで居た堪れない。
「よくやったな。信じてはいたが、想像以上の成果だった」
瑞穂が落ち着かない思いでいると、玄がにこり、と微笑みかけてきた。緊張をほぐそうとしてくれた――違う、純粋な賛辞だろうと想えた。
「あ、ありがとうございます……!」
ほんのひと言で、玄は瑞穂の身体にも花を咲かせたようだった。熱くなった頬を両手で押さえる彼女を余所に、芳は菓子を摘まみながら首を傾げる。
「――では、瑞月が死んでしまったのも、鵠が新しい珠の巫女を迎えるのも本当ということなのね……?」
そうだ、そもそもは鵠と、彼が原因――かもしれない――龍脈の乱れについての話をしていたのだった。
「は、はい。鵠様は鈴香様を迎えられます。きっと、お気持ちも晴れることかと」
瑞穂は、慌てて心配無用、を強調した。けれど、芳は鈴香の名には関心はないようだった。
「瑞月はまだ若かったでしょうに。どうして死んでしまったの? 病? 事故?」
それよりも、女神が気にしているのはやはり母のようだった。とはいえ、瑞穂は問いかけへの答えを持たないから困ってしまう。
「申し訳ございません、鵠様は、何も――」
鵠や水鏡郷の者たちのもの言いからは、帝都で困窮した身体を壊したか病を得たかだろう、と何となく思い描いていた。けれど、実のところ瑞穂は母の死の理由を知らされていない。どうやら経緯そのものに齟齬があるようだから、郷での扱いを言うことも躊躇われた。
「そう。まあ、人間は些細なことで死んでしまうものね。思い出すのも辛いのかもしれないわね」
瑞穂が言葉を濁すと、芳はあっさりと引き下がった。そして、もうひとり傍に控えていた神楽寮の長、酒井に顔を向ける。
「でも、いくら傷心だからって、白玲山の守護をおろそかにするのは感心しないわね。誰か叱ってやったほうが良いんじゃない?」
「はい。鵠様を叱責など畏れ多いことですが、神楽寮からも改めて使いを送る予定です」
まばゆいほど美しい女神と言葉を交わすのは畏れ多く気疲れするもの。芳と酒井が何やら相談を始めたことで、瑞穂は密かに安堵した。でも、完全に気を抜くことはできない。
(春の気配を妨げていた、さっきの『あれ』――あれが、東雲の各所で起きている、のよね……?)
怪異とはまた違う形の異変を実感して、瑞穂もことの重大さがじわじわと分かってきた。放っておけば、夏も秋も冬も、あるべき季節の巡りと実りが滞ってしまうのだろう。玄をはじめとした神々や神楽寮は、それを憂えているのだ。
(それは――では、母様のせい? それとも私の……?)
母が生きていれば。瑞穂が生まれていなければ。こんな異変は起きなかった。鵠はつつがなく龍脈を守っていただろうし、何か変事が起きたとしても、とても優れた巫女だったという母なら、もっと早い段階で神々を援けることができたはずだ。
そう思うと、歌舞の成功に弾んでいた瑞穂の胸は、みるみるうちにしぼんでしまう。花がしおれるように、瑞穂はしょんぼりと頭を垂れて俯いた。
「母のせいで、鵠様はご傷心だったのです。帝都にまで影響が出てしまって、娘としてたいへん申し訳なく――」
「瑞穂には関係のないことだ。謝る必要はない」
でも、玄の毅然とした声が、力強い手が、彼女の顔を上げさせる。大きく目を見開いた瑞穂の顔を、彼はひどく真剣な顔で見下ろしていた。
「玄様……」
「白玲山でも行ったが、鵠も見る目がない。お前を珠の巫女に選んでいたなら、龍脈の異変など起きなかっただろうに」
「そんな、こと」
瑞穂は、白玲山では巫女ですらなかった。思いあがるなと教え込まれてきた。鵠を裏切り悲しませた罪人の娘だから、と。
だから、玄に対してもすぐに首を振らなければいけなかった。とんでもないこと、畏れ多いことだと。でも――嬉しいと、思ってしまう。それも、鵠に相応しいと言われたからではない。
(私……玄様に認めていただいたから嬉しいんだ……!)
そうなると、珠の巫女に、という意味も変わる。玄の隣にいられたら。彼のために歌い、舞うことができたらどれほど幸せだろう。それこそ図々しいことこの上ない想像なのに、瑞穂の心は一瞬にして捕らわれてしまって追い払うことができそうになかった。
「あら。鵠に見る目がなくて良かったわね、玄?」
「どういうことだ……?」
と、芳が何やらとても楽しそうにくすくすと笑った。いっそう濃くなる芳香に、それに、謎めいたもの言いに、玄が眉を顰める。
「別に? 社も巫女も持たない孤高の狼神が、ついに――って。年長者として、微笑ましく思っただけよ?」
「な……っ」
可愛らしく首を傾げた芳が続けた言葉は、爆弾のような効果だった。瑞穂と玄は息を揃えて絶句する。
(芳様にはお見通しなの……!?)
まるで心中を言い当てられたようで、瑞穂は口をぱくぱくとさせることしかできない。いっぽうの玄は、なぜか慌てた様子で早口に言い募る。
「そんなつもりでは――第一、俺は珠の巫女は持たない」
「これまでは、ね。まあ、あまり勧めるものでもないけれど、神といえどもこの手のことはままならないものだしねえ」
やけにしみいじみと言ってから、芳は優雅な手つきで茶を啜った。そして、可憐な唇が茶器から離れたかと思うと、にんまりと弧を描いて笑う。
「そうだわ、花津月の祭礼は、ふたりで見て回ると良いわ! 瑞穂の歌舞へのご褒美よ。この私が、着物を見立ててあげる……!」
美しくも我が儘な女神の、強引な言いつけに逆らえるはずもない。逆らいたいわけでもない。
(玄様と、ふたり……!?)
でも、恥ずかしい。けれどやはり嬉しくて――瑞穂は何も言えないまま、花津月の祭礼の日の段取りが決められていった。



