沈黙の鬼神は愛を語れない 〜心を翻訳する少女と、冷酷総帥の極上筆談婚姻〜

帝都の中心部に位置する、由緒正しき魔導名門一族が集う大宮殿。
今夜、ここで開催される『帝都至高夜会』は、国の霊的権力を握る者たちが一堂に会する、年に一度の最大級の社交場だった。

きらびやかな魔導シャンデリアの光が、大理石の床を眩いほどに照らし出している。
会場には、豪華絢爛な夜会服に身を包んだ名門の令嬢や高位の陰陽師たちが溢れ、優雅な音楽と共に、欲望と計算が渦巻く会話が交わされていた。

「特務軍総帥、柳生眞白(ましろ)閣下、並びに総帥夫人、紬(つむぎ)様のご入場です」

給仕の厳かな声が響き渡った瞬間、それまでざわついていた広大な会場が、嘘のように水を打ったような静寂に包まれた。

すべての出席者の視線が一斉に、大階段の最上段へと注がれる。

そこには、漆黒の第一種礼装に身を包み、圧倒的な威厳を放つ眞白様が立っていた。
口元はいつものように黒い呪符の布で覆われているけれど、その鋭く美しい夜の海のような瞳は、会場にいるすべての者を平伏させるほどの覇気に満ちている。

そして、その眞白様の隣で、しっかりとエスコートされているのが私だった。

仕立て屋たちが総力を挙げて作り上げた、純白のシルクと薔薇(バラ)の魔導レースのドレス。
首元から手首までを完全に覆う、露出を極限まで抑えた高貴なデザインは、きらびやかで派手な他の令嬢たちの中で、かえって異様なほどの清廉さと、犯しがたい聖女のような気高さを放っていた。
眞白様の全面プロデュースによる最高級のサファイアの髪飾りが、私の黒髪の中で星のように輝いている。

「な……んだ、あの美しさは……」
「あれが、千歳(ちとせ)家の『出来損ない』と噂されていた令嬢なのか……?」
「まるで、月の女神が地上に降りてきたようだ……」

会場のあちこちから、驚嘆と称賛の溜め息が漏れ聞こえてくる。

(う、上手く歩けているかしら……。皆様の視線が痛い……っ)

慣れない大舞台に、私は緊張のあまり足が震えそうになっていた。
すると、私の腰を支える眞白様の大きな手に、グッと力が入った。彼が私をさらに自分の方へと引き寄せ、優しく、けれど容易には離さない強さで守ってくれる。

見上げると、眞白様はいつも通りの完璧な無表情。
……だったけれど、彼の頭上からは、会場のシャンデリアの光を全て吸い尽くすかのような、もの凄まじい『漆黒と紅蓮の入り混じった、嫉妬と独占欲の嵐の煙』が噴き出していた。

『――全員、目を潰せ。今すぐだ。我が美しき妻を、どこの馬の骨とも知れぬ男どもが不躾な目で見て良いわけがないだろう。あのドレスは露出を完璧に防いだはずなのに、なぜこれほどまでに紬の可憐さと、抱き締めれば壊れてしまいそうな繊細さが際立ってしまうのだ。やはり夜会など出席すべきではなかった。今すぐ紬を横抱きにしてこの場から連れ去り、我が家の結界の奥深くに閉じ込めて、私だけのものにしたい――』

(ま、眞白様……っ! 心の中の独占欲が、夜会を強制終了させる勢いです……っ!)

無言のまま、周囲に目に見えないほどの凄まじい威圧感(魔力)を放ち、近づこうとする他の貴族たちを牽制している旦那様。その過保護すぎる本音に、私は緊張を忘れて、内心で小さく笑ってしまった。

大階段を降り、会場の中央へと進むと、私たちの前に、一際豪華なドレスを着た一団が立ちふさがった。

中央にいるのは、特務軍の副総帥の座を狙う名門・五条(ごじょう)家の若き当主、五条鷹臣(たかおみ)。そしてその隣には、彼を兄に持ち、かねてより眞白様の正妻の座を狙っていたという、高慢な令嬢、五条麗華(れいか)が立っていた。

麗華は、私を上から下まで値踏みするような冷酷な目でねめつけると、わざとらしく扇子で口元を隠して鼻で笑った。

「あら、柳生閣下。わざわざこのような最高級の夜会に、千歳家を破滅に追い込んだ『曰く付きの無能娘』をお連れになるとは、随分と物好きなことですわね。いくら綺麗なドレスを着飾ったところで、魔力を持たない『ゴミ』である事実は隠せませんのに」

麗華の言葉に、周囲の貴族たちがヒソヒソと囁き合う。
さらに、兄の鷹臣が、眞白様に向けて慇懃無礼な態度で一歩前に出た。

「閣下。特務軍の総帥夫人が、簡易な結界術すら使えぬ無能であっては、軍の威信に関わります。今からでも遅くはありません。我が五条家の妹、麗華を第二夫人として迎え入れ、軍の基盤を強固にされるべきでは?」

二人が言葉を発した瞬間、私の視界は、彼らの頭上から噴き出す、ドス黒いヘドロのような悪意と強欲の煙で埋め尽くされた。

『ふん、千歳家の出来損ないが、運良く総帥に拾われたからって調子に乗るんじゃないわよ。今日この場で恥を晒させて、閣下の愛を私に 向けさせてみせるわ。あんな不気味な筆談男、私の美貌なら一瞬で操れるわよ』
『そうだ。眞白の弱みはこの無能女だ。ここで揺さぶりをかけ、特務軍の権力を五条家が乗っ取る足がかりにしてやる』

(……っ! 本当に、醜い本音……!)

かつての私なら、この悪意の嵐に圧倒され、ただ俯いて震えることしかできなかっただろう。
けれど、今の私は、世界で一番強い「鬼神」の愛に守られている。そして、私自身の異能は、相手の嘘を完全に暴くための「武器」なのだ。

私が口を開こうとした――その、刹那。

ドゴォン!!! と、大審問室の時の比ではない、凄まじい魔力の衝撃波が会場全体を駆け抜けた。

会場中の飾り窓の硝子(ガラス)が一斉にピキピキとひび割れ、給仕たちが持っていたワイングラスが粉々に砕け散る。
眞白様から放たれたのは、文字通りの『絶対的な殺意』だった。
彼の瞳は、完全に温度を失った漆黒の深海と化し、その頭上からは、会場の天井を突き破らんばかりの、禍々しい『紅蓮と漆黒の烈火の煙』が燃え盛っていた。

『――我が紬を、ゴミと呼んだな。その汚い口で、私の至宝を、私の命を侮辱したな。五条家……お前たちの一族が明日、帝都の歴史から完全に消滅しても、文句は言わせんぞ。今すぐその傲慢な首を撥ね、魂ごと冥府の底へ叩き落としてやる』

(ま、眞白様……! 本音の殺意のスケールが、一族滅亡レベルになっています……っ!)

眞白様は猛烈な筆圧でノートに文字を書き殴ると、それを鷹臣の顔面に叩きつけるように突きつけた。

『五条鷹臣、並びに麗華。我が妻、柳生紬に対する不敬は、特務軍総帥に対する反逆と同義。……お前たちが裏であやかしの密売組織『黒蛇(こくじゃ)』と手を結び、軍の機密情報を流していた証拠は、既に我が第一部隊が五条家の隠し金庫から押収している。今夜の夜会が、お前たちの人生最後の晩餐だ』

「な……っ!? な、何を根拠にそのようなデタラメを……っ!」
鷹臣の顔から、一瞬にして血の気が引き、土気色に変わっていく。

そこで、私は一歩前に出た。眞白様の隣で、麗華と鷹臣を真っ直ぐに見据える。

「デタラメではありません、五条様」
私の凛とした声が、静まり返った会場に響く。

「私の異能は、心音を、魂の本音を翻訳すること。……今、お二人の胸の奥からは、『黒蛇の幹部から受け取った口止め料の金の隠し場所』と、『閣下を騙して特務軍を乗っ取る計画』が、あまりにも醜い音を立てて響いています。……これでも、まだデタラメだと仰いますか?」

「ひっ……!? な、何でお前がそれを……っ!」
麗華が恐怖に顔を歪め、ガタガタと震え出した。

私の言葉には、一切の嘘がない。なぜなら、私の隣に立つ眞白様の頭上の煙が、私の言葉を100%の真実として、神々しい金色の光で全肯定しているからだ。
嘘をつけない総帥の煙が「真実」と示す以上、私の告発は、この国の法において絶対的な決定打となる。

「五条家当主、並びにその妹を、国家反逆罪および機密漏洩の容疑で現行犯逮捕する」

控えていた特務軍の精鋭たちが一斉に踏み込み、言い訳すら許されずに鷹臣と麗華は組み伏せられ、会場から引きずり出されていった。彼らの頭上の黒煙は、完全に絶望の闇へと変わっていた。

周囲の貴族たちは、特務軍総帥夫婦の圧倒的な力と、一切の隙のない完璧な連携の前に、ただただ恐怖と敬意を込めて最敬礼を捧げることしかできなかった。

静寂が戻った会場で、眞白様はゆっくりと私の方を振り返った。
私を見る彼の瞳からは、先ほどまでの冷酷な光は綺麗に消え去り、そこにはただ、私の身を案じる優しい色だけがあった。

彼の頭上の煙は、先ほどまでの禍々しい紅蓮から、一転して、それはそれは綺麗な『超特濃の薔薇(ピンク)色』へと染まり、ゆったりと私の身体を包み込むように広がっていった。

『……見事だ、紬。私の最高の妻よ。お前自身の力で、あの強欲な狐どもを完全に論破してみせたな。……ああ、誇らしい。美しく、そして誰よりも勇敢な我が妻。今すぐこの場でお前を激しく抱き締め、その愛らしい唇に、勝利のキスを何度も何度も刻み込んでしまいたい。私の理性は、もう限界だ――』

(ええっ!? ここは夜会の中心ですよ、眞白様……っ!)

ノートには『素晴らしい対応だった、帰ったら褒美をあげよう』と爽やかに書かれているのに、頭上の煙の本音は、どこまでも甘く、危険な肉食獣のそれだった。
私たちの、周囲を震撼させる圧倒的なざまぁ&溺愛夜会は、ここからさらにその糖度を増していくのだった。