沈黙の鬼神は愛を語れない 〜心を翻訳する少女と、冷酷総帥の極上筆談婚姻〜

宗介が本家へ持ち帰った虚偽の報告。それは、私を「特務軍総帥をたぶらかす不穏な術者」に仕立て上げ、眞白様の地位を揺るがそうとする本家の卑劣な罠だった。

ダイニングルームに漂う緊張感の中、眞白様は手元に置かれた書状を冷酷な手つきで一瞥すると、それを魔力の炎で跡形もなく燃やし尽くした。灰すら残さず消え去る紙片を見つめながら、彼の頭上の『漆黒を帯びた純白の煙』は、まるで凍てつく吹雪のように鋭く、激しく渦巻いている。

(眞白様……)

彼の手が、私の震える指先をそっと覆った。
手袋越しに伝わるその温もりは、どこまでも力強く、私に「何も恐れるな」と無言で伝えていた。

サラサラと、万年筆がノートを滑る。

『本家の老人どもが動くのは予想通りだ。宗介のような小物に大言壮語を許したのは、彼らの背後にいる長老たちが私を侮っている証拠。……紬、今日はお前を連れて、特務軍の本部、および柳生本家へ直接乗り込む。お前が私の「絶対的な正妻」であることを、奴らの骨の髄まで叩き込んでやる』

「本家へ……。はい、眞白様が行かれる場所なら、私はどこへでもお供します」

私が真っ直ぐにその瞳を見つめて答えると、眞白様の頭上の煙は、一瞬にして愛おしげな深いピンク色へと染まり、ゆらゆらと波打った。

『健気(けなげ)で愛らしい私の妻。その瞳に一滴の不安も曇らせたくない。本家の古臭い生霊どもが、お前をどのような目で見るか想像するだけで、奴らの領地ごとすべてを灰にしてしまいたくなる。お前はただ、私の隣で、私の溢れる愛だけを感じていればいいのだ』

(お、過保護が行き過ぎて、本家を滅ぼす規模になってしまっています……!)

無表情の裏で、凄まじいまでの甘やかしと独占欲を炸裂させている旦那様に、私は内心で甘い悲鳴を上げていた。

出立の準備は迅速だった。
特務軍の最高武官たる眞白様が動くということは、すなわち国家最高の軍事力が動くということを意味する。屋敷の前に横付けされた数台の漆黒の装甲車の周囲には、一糸乱れぬ動きの特務軍精鋭たちが整列し、総帥である眞白様へ最敬礼を捧げていた。

眞白様は私の腰を引き寄せ、まるで壊れやすい宝物を守るようにして、車内へとエスコートしてくれた。

車が滑るように走り出し、向かったのは柳生一族が総本山を構える、東京郊外の広大な結界領地――柳生本邸。
そこは、何百年もの歴史を持つ陰陽師の門閥が支配する、因習と特権意識に塗れた古き悪地だった。

重厚な門を潜り、本邸の大広間へと足を踏み入れた瞬間、私の視界は最悪な色彩で埋め尽くされた。

広間の奥、一段高い畳の上に座る、本家の長老たちと当主。そして、その脇で忌々しそうにこちらを睨みつける宗介。
彼ら全員の頭上から立ち上っているのは、どす黒く濁った、悪意と嫉妬、そして権力欲を煮詰めたヘドロのような黒煙だった。

「よく来たな、眞白。声を失ったお前が、千歳家の『出来損ない』を勝手に正妻に迎えたと聞き、一族の行く末を憂う声が絶えんのだよ」

中央に座る、現当主であり眞白様の叔父に当たる男が、威圧的な声を放った。
だが、彼の頭上に浮かぶ文字は、さらに醜悪だった。

『欠陥品のくせに総帥の地位に就きおって。この機会に、あの千歳の無能女をスパイに仕立て上げ、眞白を特務軍から引きずり下ろしてやる。柳生の権力は我が息子、宗介のものだ』

(……うっ……)

何十人もの人間のドス黒い本音が、文字の暴力となって私の脳内に流れ込んでくる。あまりの不快感に、私は目眩(めまい)を覚え、ドレスの胸元を強く押さえた。

その瞬間――私の前に、圧倒的な質量を持った「漆黒の軍服」が立ちはだかった。

眞白様が、私の視界を遮るように一歩前に出たのだ。
同時に、彼から放たれたのは、大広間の床板をミシミシと軋ませるほどの、圧倒的なまでの霊圧。
温度を失った彼の瞳が長老たちを射抜いた瞬間、広間を埋め尽くしていた長老たちの黒煙が、彼の魔力によって一瞬にして吹き飛ばされ、霧散していった。

「な、なんだこの圧は……!?」
長老たちが、青くなって身をすくめる。

眞白様は流麗な動作で懐からノートを取り出すと、万年筆の先を走らせ、それを当主の目の前へと容赦なく叩きつけた。

『言葉を慎め、老人ども。私の妻、柳生紬を「出来損ない」と呼ぶことは、特務軍総帥に対する最大の侮辱であり、国家反逆罪に値する。お前たちがこれまで、千歳家と裏で結託し、特務軍の資金を不正に流用していた証拠は、既に私の手元にある』

「な……っ!? なんのことだ、そのような証拠など……!」

当主が血相を変えて立ち上がろうとしたが、眞白様の手が、静かに腰の軍刀の柄へとかけられた。
シャイン、と鋭い金属音が響き、刀身がわずかに覗いただけで、広間全体の空気が完全に結氷した。彼が嘘をつけない以上、そこに書かれた「証拠がある」という言葉は、一ミリの揺らぎもない『真実』なのだ。

さらに、私の瞳には、眞白様の頭上から噴き出す、神々しいまでの『純白の、けれど苛烈な殺意を孕んだ煙』が視えていた。

『紬を傷つける者は、たとえ我が血脈であろうと一人残らずその首を刎ねる。彼女は私の命であり、私の光だ。この美しく清らかな少女を、お前たちのような強欲な豚どもの雑音に晒したこと自体が、万死に値する。今すぐ全員の魔力を剥奪し、地下深くへ幽閉してやろうか』

(ま、眞白様……! 本音が、本音が頼もしすぎて、惚れ直してしまいます……っ!)

恐怖でガタガタと震え出した宗介と長老たちを、眞白様は冷徹な目で見下ろしながら、ノートの次のページを捲り、決定的な宣告を突きつけた。

『本日を限りに、柳生本家が持つすべての魔術特権、および領地の管理権を特務軍の直轄とする。文句がある者は、今この場で、私の「声(言霊)」を聞く覚悟を持つがいい』

「ひっ……!」

長老たちの間から、絶望的な悲鳴が上がった。声を失った彼の、その「声」がどれほどの破壊をもたらすか、彼らは知っているからだ。
圧倒的な権力と過保護な愛をもって、眞白様は本家の一族を、完全に、そして完璧にねじ伏せてみせたのだった。