ブレイクファスト!-恋の速攻は決まらない-

 四月が過ぎ、ゴールデンウィークが明けた。
 インターハイの予選に向けて、体育館では各部が熱のこもった練習を続けていた。
 そんなある日、体育館の入り口の辺りがどよめいた。
 俺もそちらに目をやって、思わず目を丸くした。
(冴島くんだ……)
 体育館の奥の方で練習していた俺たちからでも、一目でわかる存在感だった。
 別メニューで練習していた間宮もやってきて、鬱陶しそうな顔をした。
「なんであいつが来るんだよ」
「知らないよ」
 あの日公園で話してから、俺は冴島を勧誘しに行っていない。長嶋先輩から進捗を聞かれたりもしたが、曖昧にかわしながら声をかけにいくことはしなかった。
 あれからも公園にはよく行く。きっと冴島も走りに来ているんだろう。けれど、それまでもそうだったように、俺たちはお互いに声をかけることはなかった。
 体育館が期待混じりにざわつく。
 冴島はキョロキョロと誰かを探すように中を見渡していた。
(何かやりたいこと見つかったのかな)
 そうであればいいな、とあの夜を思い返す。
 そんなことを思いながら冴島の方を見やると、不意に冴島と目が合った。
 冴島はおもむろに体育館の中に入ってくると、真っ直ぐこちらへ向かってくる。
 そして正面に立たれた俺は、のけぞるように冴島を見上げた。
「冴島くん、久しぶり」
 まさか自分のところに来るとは思わなくて、少し緊張しながら声をかけると、冴島は表情ひとつ変えないまま、
「入部希望です。どうしたらいいですか」
 と、いつもの無愛想な声で言った。
「……へ?」
 体育館が静まったような気がした。その瞬間だった。

──バインッ

 後ろからバスケットボールが床に打ち付けられる音がした。

「どこの部にも入らないんじゃなかったか?」

 そんな低い声が聞こえてきて思わず振り返った。
「おい、間宮!」
「なんでいきなりバスケになんか興味持ったんだよ」
 俺は慌てて間宮の肩を掴む。
 急に始まった揉め事のような雰囲気に、部員たちもざわめきだした。
 そんな空気など意にも介さず、冴島は少し考えるような顔をしたあと、真っ直ぐに俺を見た。
「バスケに興味を持ったというより──」
 その視線に、俺は思わず唾を飲み込む。
「羽鳥先輩に興味を持ちました」
「はあっ⁉︎」
 間宮が素っ頓狂な声を上げた。
 なぜかブチ切れている間宮を抑えながら、自分自身も何を言われているのかわからず頭が真っ白になった。
「俺、羽鳥先輩とバスケで全国目指したいです。この間、先輩と話してそう決めました」
「おまっ……ふざけたこと言ってんじゃねェよ! バスケしたこともないくせに」
「もう! 間宮はちょっと落ち着いて」
 そう言いながらも、俺も恥ずかしさと困惑が入り混じってまともに冴島の方を向けなかった。
 不意に間宮の体から力が抜けた。見上げると、間宮は薄ら笑いを浮かべるように俺を見下ろしていた。
「つーか、何? お前ら知らないところでこそこそ二人で会ったりしてるわけ?」
 その嫌味ったらしい言い方に、思わずカチンときた。
「こそこそって……そんな言い方しなくてもいいだろ⁉︎ たまたま公園で会っただけだよ」
 間宮が小馬鹿にするような言い方するのは昔からだけど、どうしてこうも冴島に対抗心を向けるのか、不思議でならなかった。
(レギュラー取られるの心配なのか?)
 そんなことを考えていると、背後から静かな声が飛ぶ。

「俺が入ると、なんか迷惑ですか?」

 ひとつ上の先輩相手にして、顔色ひとつ変えず、物おじすることのないその口調に俺は目を見開いた。
(トップに立つ奴ってやっぱメンタル強えーな)
 思わず苦笑いが漏れた。
「お前、陸上でトップ取って調子に乗ってんのかもしれないけどさ、個人競技で成功してきた奴が、団体競技でも上手くいくと思ってんの?背がでかいってだけで通用するほど甘くねェんだよ。お前みたいに愛想も協調性もない奴、チームには邪魔」
 せせら笑うように言う間宮に、冴島はすっと目を細めた。
「で? 全国に羽鳥と行く? 羽鳥の何を知った気になってるのか知らんけど、ヒーロー気取りも大概にしろってんだよ」
「間宮!」
 言いすぎだろ、と間宮に食ってかかろうとしたときだった。

「はーい。痴話喧嘩はそこまで」

 パン、パンと手を叩く音とともに割って入ってきた声に、俺は慌てて掴みかかろうとした手を引っ込めた。
「長嶋先輩……」
 先輩は俺と間宮の顔を交互に見ると、なぜか笑いを堪えるような顔をした。
 そして冴島の前に立つと、
「君が冴島くん?」
 と、声をかけた。
「はい。一年の冴島陸です」
「バスケ部部長の長嶋です」
 冴島は差し出された手を握り返すと、頭を下げた。
「入部希望ってことでいい?」
「はい」
 後ろで間宮が大きく舌打ちをした。
 先輩は振り返り、それを制するように険しい視線を向けると、間宮は不貞腐れたように目を逸らして、それ以上は何も言わなかった。
「了解。顧問の先生には俺から言っておく。あとで入部届だけ書いてくれ。ちなみにバスケの経験は?」
「ありません」
「じゃあ、とりあえず今日はジャージに着替えて見学な。部活が終わったあと、少し入部テストさせてもらえるか?」
「はい」
「あと、羽鳥」
「は、はい⁉︎」
 突然呼びかけられてぎくりとする。
「悪いけど、入部テストお前も残って」
「あ、はい……」
「よし。じゃあみんな、練習に戻って」
 長嶋先輩がもう一度手を叩くと、部員たちはそれぞれの練習に戻っていく。間宮だけが通りすがりに俺を睨みつけて、悪態をつきながら戻っていって、俺はうんざりしたように息を吐いた。
 着替えるために体育館を出ていく冴島の背中を見送ってから、練習に戻ろうとしたところで、長嶋先輩に声をかけられた。
「よくやったじゃん、羽鳥」
「いやぁ、まあ」
 俺は頭を掻きながら曖昧に返事した。何の役に立てたのか、正直実感がなかった。
「やっぱな。こういうのはお前が適任だと思ったんだよ」
 先輩はポンと俺の肩を叩いたあと
「まあ、間宮はちょっとかわいそうだけどな」
 と、溢した。
 よく意味がわからなくて首を傾げると、
「羽鳥は鈍感だからなー」
 と、笑ったあと
「入部届持ってくるわ」
 と、体育館を出て行った。
(なんなんだよ、もう)
 なんだか自分だけが置き去りにされている気分で、俺は小さくため息をついて練習へと戻った。

 程なくして、いつもより少し早めに練習が切り上げられた。
 部員たちが引き上げていくと、体育館のコートには、顧問の田中先生と長嶋先輩、そして冴島と俺の四人が残った。
「じゃあ、冴島。まずは一本、ドリブルでコートの端から走ってみてくれ」
 ドリブルをする冴島を三人で見守る。
「……なるほど」
 冴島を何往復かさせながら、先輩は腕を組んで難しい顔をした。
「まあ……下手だな」
 俺は何とも言えない顔で苦笑した。
「次、シュートやってみよう。冴島、レイアップわかるか?」
 冴島は首を横にふる。
「羽鳥、お手本」
「……え」
 俺はボールを受け取り、ゴール下までドリブルする。
──ワン。ツー。ステップ。
 トン、トンと踏み切って片手を高く伸ばすとボールをネットに放った。ボールはするりとネットに吸い込まれていく。
「こんな感じ。できる?」
 俺は冴島にボールを手渡した。
「やってみます」
 ボールを受け取った冴島はぎこちないドリブルでゴール下までくると、右、左と踏み切ってシュートを放った。ボールは下からリングに当たって弾き飛ばされていった。
「うーん」
 腕を組んだまま先輩は冴島のそばに行き、何かアドバイスしているようだった。途中、二人の目線が同時にこちらを向いてどきりとした。
 そんな様子を眺めていると、隣にいた田中先生が口を開いた。
「まあ、確かに下手だけどね」
 先生も腕組みしながら冴島を眺めている。
「でも、やっぱり彼はポテンシャルの塊だよね」
 と、うんうんと頷くと
「すぐに上手くなるよ、彼」
 と、満足そうに笑った。

 先輩が戻ってくる。
 冴島がもう一度ぎこちないドリブルで走り始める。
──ワン。ツー。ステップ。
 小さく呟く声が聞こえる。
 ゆっくりと踏み切って、そっとリングの上に置くように放たれたボールは音もなくネットを揺らした。

「あ、入った」

 思わず声が出た。
「まあ、初日にしては及第点てところかな」
「さっき、なんてアドバイスしたんですか?」
「ん? ああ、羽鳥のフォームきれいだからあれ真似しろって」
「ええ……」
 そんな曖昧なアドバイスでシュートを決めてしまう冴島の運動神経の良さに舌を巻く。
「先生はどうですか?」
 先輩が田中先生に感想を求める。
「まあ、しばらく様子見だね。まずは基本の動きとルールを覚えてもらうところからかな」
「だそうだ。羽鳥」
「は?」
 また突然話が振られて、目を点にした。
「冴島の面倒頼む。三年はインターハイに向けて手一杯だし、間宮はあの調子だろ? 他に適任ってなると……お前しかいないと思う」
 そう先輩は肩をすくめた。
「それにさっきも言ったけど、お前はフォームがきれいだし、教えるのが上手い」
 褒められてるんだろうなと思う。
 褒められてはいるんだけど。
(また俺かぁ……)
 いまだ“雑用”をやらされている感が拭えない。
 そんなことを思いながら、
「わかりました」
 と返事する。
 勧誘の時もそうだったけど、先輩からの命令は絶対なのだ。
 先輩はコートにいた冴島を呼んだ。
「冴島。正直まだまだだけど、君のその身体能力の高さに即戦力としても期待している。一緒にバスケ部でがんばろう」
 そう声をかけて握手をしたあと、
「じゃ、羽鳥。明日から頼むな」
 と、肩を叩いて先生と体育館を出て行った。

 バスケ部のコートの上に、俺と冴島しかいなくなって、急に気まずさが押し寄せてきた。
「と、というわけで……明日からその……バスケを教えます、羽鳥です」
「え? あ、冴島です。よろしくお願いします……?」
「いや、知ってる」
「ええ……」
 首を傾げながら反応に困っている冴島を見て思わず吹き出した。
「ごめん。なんか君と……まさかこんな感じになると思ってなかったから」
「ああ。まあ、そうですね」
「でも……決めてくれたってことだよね。自分で」
 冴島は静かに頷いた。
 俺は右手を差し出した。
「選んでくれてありがとう。これからよろしくね」
 冴島は少し躊躇ったように手を伸ばすと、グッと俺の手を握った。
 夢でも、目標でも、何でも掴めてしまいそうな大きい手だった。

 それから二人で用具を片付けていると、冴島が何かに気がついたように体育館の入り口に目を向けた。
「どうしたの? 誰かいた?」
「……いえ。何でもないです」
 冴島はそう言うと、何もなかったかのように視線を逸らした。少し気になりはしたが、それ以上は聞かなかった。

 それからジャージ姿のまま二人並んで帰路に着いた。
「明日、他の運動部大騒ぎだろうなぁ。俺、また抜け駆けだとか言われんのかな」
 想像しただけでめんどくさくなった。
「まあ、でも、俺が決めたことですから」
「それちゃんと君が説明してよね」
 そう肩をすくめると、冴島は珍しく小さく笑った。